開花その45 呪いの島 前編



 大陸へ戻ってからの事を相談するのは、さすがにまだ早かった。


 一時的に落ち着いていた天候が再び荒れ始め、島から離れた筈の魔物が避難場所を求めて、島の周辺海域へ再集結しつつある。



「雨期の終わりには、嵐が来る。それも特大のな」


「今年の厳しかった雨期は、一つや二つの嵐では終わらぬかもしれんぞ」


 船長と冒険者の頭が不敵な笑いを浮かべながら、不穏な天気に負けない不穏な発言を始めた。


「そんなところで、張り合わなくてもいいですから!」



「せっかくここまで修理した船を、嵐でダメにしないよう厳重な警戒が必要だ」

 船長はそう言って修繕班を集めて、一緒に船の周囲を点検する。


 船は土魔法で固めた簡易ドックの中で固定され、船底まで念入りに点検されている。


 しかし嵐による大荒れの波と満潮が重なれば、このドック地点が波に洗われる可能性がないとは言えない。


 私たちの船はそのドックと浜の間に係留していたが、さすがに危ないのでドックの横へと移動させた。


 ついでに土魔法で防波堤を増強して、対応する。


 ドックの奥は森を切り開いたキャンプ地で、そこまで行くと周囲の森が防風林の代わりになるのだが、その森の樹木自体が風で倒れるのでは、と不安になるような嵐である。


 冒険者たちは船の甲板と補修中のマストの上に見張りを置き、海から侵入する大型の魔物への警戒を続ける。


 入り江の入口にはウミちゃんがニョロっているので、大きな魔物は入って来ないと思うけどね。



 さすがに漁や食料の採集に出られず、燻製小屋の火も消した。


 船員たちも特別警戒班を組み、海から紛れ込む小型の魔物の警戒や、森側の防護柵の点検を始めた。


 キャンプ地の小屋にいた人々は全員が大型船レッドバフの船内へ避難して、想定外の高波に備えている。


 私たち三人も、自分の船に乗り込み嵐の通り過ぎるのを待っていた。


「師匠、昼間からお酒を飲まないでよ!」


「こんな時じゃないと、飲めませんから」


「シオネが様子を見に来るかもよ?」


「いや、奴は船のマストで監視役を務めているので、それはありません」


「だって、ずっと監視してるんじゃなくて、何人かで交代するでしょ?」


「姐さん、暇なんで遊びに来ましたっ、とか言って今にも顔を出すかもよ」


「大丈夫、大丈夫。これくらいの酒で、私が酔うとでも思っているんですか?」

 そう思っているから言ってるんだよ、という言葉は辛うじて呑み込んだ。


 本当に、師匠はやっぱり師匠だった。


 さすがに外が暴風雨ということもあり、師匠は飲むだけ飲んで、騒ぐこともなく眠ってしまった。


 レッドバフの乗組員たちは皆、この大嵐が恐らく今後の生死の境を決する重大な局面の一つであることを、肌で感じているだろう。


 私もプリちゃんも、何かの時にはすぐに外へ飛び出して手助けできるよう待機し、緊張は隠せない。


 そんな中での師匠の行為は、呆れを通り越して尊敬の域にある。


「こういう人が、最後まで生き残るんだろうね」

 私が呟くと、プリちゃんも幸せそうな師匠の寝顔を見て、微笑む。


「この歳まで生き残って来たのだから、きっとそうなのでしょう。誰にも真似のできない特技です」


「うん。普通、こういう馬鹿はもっと早くに死んでるよね」


「ただ、フランシスには獣のような嗅覚というか、鋭い勘がありますから。きっと危機を察知すれば、すぐに目覚めるのでしょう」


「つまり、師匠が寝ているうちは大丈夫ってことか」


「そうですね。お茶を淹れますから、姫様も少しゆっくりしてください」


「ありがとう」


 今日のプリちゃんは師匠に毒気を抜かれたおかげで、まるで普通の女の子のようだ。



 我がメタルゲート号は小型の分だけ、船全体が結界に守られているので安心だ。


 対して大型船レッドバフは、まだ修復途上の部分を中心に、風上側に魔法障壁を集めている。


 この悪天候の中で非常事態が起きるとすれば、その防御を外した場所だろう。


 甲板の見張りたちは、そんなことは十分承知だろうが、災いは思わぬ所からやって来る。



 その夜、島が時々微かに震えていたことに気付いた者は少ない。


 船を離れキャンプ地の周囲を警戒していた者も、夜になり全員が船に戻っていた。


 砂浜に置かれた二艘の船は、陸の振動よりも、押し寄せる風と波の響きに包まれていた。



 だから大きな地響きと共に山から押し寄せた泥流がキャンプ地を襲った時にも、それが何であったのか理解できた者は誰もいなかった。


 島の中腹から流れ落ちた泥流は、キャンプ地の半分以上を押し流し、入り江へと達した。


 気を取り直した船乗りと冒険者が風に流される微かな魔法の灯を頼りに見たのは、燻製小屋を含む多くの建物を呑み込み、森の樹木と共に入り江へ流れ下る濁流であった。


 成すすべもなく、船乗りたちは船上で凍り付いた。


 その後も島のあちこちで小規模な地滑りや土砂崩れが続き、夜の嵐の中で人々は、ただ祈るしかなかった。



 大雨が長く続いた雨季の終盤。最後の嵐により島の中腹部以下の古い火山灰の積もった地層が、水を含んで緩んでいた。


 島の地質は大きく四つの層に分けられる。一番古いのが、山頂付近に露出している黒く硬い岩盤だ。


 その岩盤の上に火山灰が積もったのが、島の中腹の地層。


 更に下層は古い岩盤の上に、火山ガスを含んだ溶岩が固まり軽石状になった、水はけの良い火山岩の層があり、その上に火山灰が積もっている。


 そして海岸線には風化したサンゴ礁の砂が溜り、入り江の浜を形成している。



 島に降った雨は古い岩盤層に沿って地下水となり、海中へ流れ落ちる。


 その上の火山灰層は、かつてない大雨により所々で崩れ、谷を滑り落ちていた。


 それが今、嵐による大雨で入り江に面した島の中腹を覆う火山灰が、一気に滑り落ちた。


 島の北側斜面に大規模な土砂崩れが起き、枯れ谷では水を含んだ泥流が駆け下りた。


 その流れが麓の森を巻き込み、入り江のキャンプ地にも水と土砂が押し寄せた。



 受動的な魔力感知では、自然災害を事前に捉えることは難しい。


 ただ私たちは、夕食後にまた一杯飲んで吞気に寝てしまった師匠の野生の勘を信じて、特に危機感を感じることもなく惰眠をむさぼっていた。


 その隙をついて、泥流がキャンプ地を襲った。


 幸い泥流は少しだけ高い場所に置かれた私たちの船を逸れて、キャンプ地の大半を巻き込みながら海へと達していた。


 ここで、私も重い腰を上げ、大型船全体を結界で包んだ。


 それから眠れぬ夜を過ごしたが、朝を迎えても嵐はまだ続いていた。


 横殴りの雨の向こうに見えるキャンプ地の惨状は、想像以上である。


 まるでキャンプ地の中に川ができたかのような、茶色い濁流が流れ続けていた。



「よく生き残ったものだ……」


 私たち三人が大型船へ移動すると、船長は私の顔を見て呆然とした顔で言葉を絞り出した。


「今は、私たちの結界でこの船全体を守っています。船員さんたちには、安心するように伝えてください」


「おお、姫さん、ありがとうな。でもあんたたちの船は大丈夫なのか?」

 頭が、心配そうに私の顔を覗く。


「ええ。あっちは私の守護精霊に頼んできたから、たぶん大丈夫」


「しゅ、守護精霊だと? 姫様には、守護精霊様がいらっしゃるのかっ!」

 冒険者の頭は、目玉が飛び出そうなほどに驚く。


「あれ、言ってなかったっけ?」

 また余計な事を言ってしまった。後で師匠に叱られるぞ。



 船長の顔を見に来たものの、嵐が過ぎるまではただ黙って見ている他にできることはない。


 その間にも濁流は小屋を呑み込み、キャンプ地の被害は拡大する一方だった。


 ただ、幸いにして人的な被害はない。


 下手に魔法で流れを変えたりした場合に、それがどんな別の被害をもたらすか想像もつかない。


 余計な手出しはせずに、これ以上被害が大きくならぬよう黙って静かに待つしかないというのが、私たちメタルゲート号三人の結論だった。


 船さえ無事なら、どうにかなるだろう。



 二日間、嵐は吹き荒れた。


 事前に作った保存食や船の補修用の木材などの大半は、船に運んであったので無事だった。しかしキャンプ地は泥沼と化し、ほぼ壊滅状態に近い。


 土砂に流された小屋や防護柵の一部は、貴重な資源としてできる限り回収する。


 何軒かの残った小屋も、いつまた次の災害に巻き込まれるかわからず、貴重な資材として解体し、船へと運ぶ作業も始めた。


 同時に、食料と水の確保も再開する。


 尾根となった場所には森が残り、残った果実や野生の芋など、手当たり次第に集める。


 水についてはキャンプ地の中心を流れる濁流の水を引いて池を作り、上澄みを汲んで使うことでかえって楽になった。



「姫様、ちょっとこちらへ来られませんか?」


 採集班の護衛に付いたプリちゃんが、同行したドゥンクを通じて連絡してきた。


「うん、じゃ、すぐ行くよ」


 暇だった私はこっそりとレッドバフの船尾から空を飛び、プリスカのいる森の近くへ降りた。


「何があった?」

 横に並んだ背中へ声を掛けると、プリスカだけが、振り向いた。


 採集班の一行は全員、声もなく谷底を見下ろしている。


 私もその横に並び、大雨で流された森の痛々しい現場を見下ろした。


「これは……」



 森が流れ去った裸の谷に、白い石造りの、古い建物の一部らしき物が見えている。


 崩れやすい火山灰の山肌が、大雨に耐えきれず流れたのだ。


「これは、火山の爆発で島が沈む前の、古代遺跡の一部だろうな」

 私が呟くと、事情を知らない採集班の男女がざわつく。


「姫様、ここだけじゃないんでさぁ。あっちでもこっちでも、森の土が流れた下から、石の家が出て来た……」


「遥か昔、ここは沢山の人が暮らす、大きな島だったらしい」


「そうだったのですか……」


 それがいつ頃の事なのか、さっぱりわからないのだけれど。



 後編へ続く


  

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