開花その44 名前と組織



 何食わぬ顔をして船でキャンプ地へ戻り、私はホッと一息ついた。


 新たに使い魔となったイラブーとオスプレイについては、あまりに酷すぎるネーミングセンスに、後悔しか思い浮かばない。



「あのさ、使い魔の名前って、もう変えられないよね?」

 恐る恐る、ルアンナに聞いてみた。


「無理ですね。でも、姫様にしてはいい名前を付けたじゃないですか」


 えっ、そうなの。こっちの世界では、このネーミングはアリなのか?



 私はあの時初めての海中旅行でハイになり、南の島=沖縄という日本人的な思考回路にハマっていた。気分はもう沖縄だったのだ。なんと貧困な発想だろう。


 妙な名前を付けて、ゴメン。自分が恥ずかしい。


 せめてオハナとかイオとか、ハワイアンな名前にしておけばよかった。


 島の近海には、ハワイでは高級魚のマヒマヒ(シイラ)が群れをなし、私の魔法収納の中にはまだまだ大量に残っている。


 燻製班と食料班へ毎日どっさりと供給しているので、この美味なる魚を飽きるほど食べているのだけれど、何故かあの時は、沖縄の気分だったんだよねぇ。

 不思議だ。


 正直言って海中は暗く、美しいサンゴなどロクに見えなかった。ほぼ無視界での海中アクティブマジックナビゲーション航法、ソナーならぬ、海中マナーである。


 それでも気分は、南国の海だ。


 私としては、あのネーミングはアリどころかナシ寄りのナシ、の気分で落ち込んでいた。



 今後も彼らの名を呼ぶ度に、今の気恥ずかしさを思い出して深く落ち込みそうだ。


 そこで一計を案じ、イラブーの事はウミちゃん、オスプレイの事はソラちゃん、と可愛く呼ぶことにした。愛称だからね。私が姫様と呼ばれているように、何でもいいのだ。


 二人にも、しっかり通達する。


「姫様、せっかくいい名を付けたのに、それはあんまりでは?」

 ルアンナの抗議に耳を貸す気はない。


 私の将来的な精神安定のために、これは絶対に譲れないのだ。



 ちなみに、ウミちゃんは門番のように入り江の入口付近の海底に陣取り、サンゴ礁の間でにょろにょろしている。


 ソラちゃんは、岩山の祠近くにある洞窟を巣にしたようだ。


「シロ、あんなところに岩穴があったの?」

「いえ。ソラ殿が近付くと、自然と穴が現れたような……」


「ほう」

 昔からの、定位置なのかな?


「シロもシロちゃんて呼ばれたい?」

「いえ、我は勘弁願いたい……」


 うむ、人それぞれだな。愛らしい見た目のパンダだが、間違っても〈ちゃん〉は付けたくないし。でもシロちゃんは有りかな。


 そもそも、ウミちゃんソラちゃんだって迷惑に思っているのかも。ま、いいか。


 あとは師匠をフラちゃんと呼べるといいが、あれはそんな可愛い生き物ではありません。



 パンダもドゥンクも、新たな使い魔が増えたことは理解している。


 使い魔同士がどんなコミュニケーションを取っているのかは不明だが、私を通じて情報やら感覚やらの何かを共有していることは間違いない。


 魔物が名前を持つと力が増すとか、逆に強力な力を持つ魔物の個体が自我を持ち、名前を持つようになるのか? どっちか知らんがそんな記憶がある。


 そういえば、種族名ではなく固有の名を持つ魔物はネームドモンスターと呼ばれて人々から恐れられる、なんて物話を前世で読んだ記憶がある。


 実際に、この世界ではまだ聞いたことがないが。



 例えば最初に出会った魔獣ウーリなど、種族名なのか個有名なのかも知らない。


 あ、そういえば、うちの子たちはみんな固有の名前を付けているな。パンダっていう怪しい名前もあるけど。


 それで少しは強くなっているのだろうか。イラブーなんて、パウロ先生が燻製にしてスタッフが残さず美味しく戴きました、って感じですごく弱そうだけど。



「使い魔が強くなるのは、姫様の魔力を貰っているからです。名前は関係ないですね」

 ルアンナは、そう言う。


「精霊は、私の魔力を使わないの?」


「少しだけなら。もっと使えればどんなに楽だったか……」


「でも、私のタイムストップ魔法を使ってたよね?」


「ああ、そんなこともありましたね。しかし前にも言いましたが、あの魔法は危険なので、二度と使わないように」


「そういえば、私の魔法を使うと魔力が引きずられて制御が効かないとか言ってたよね」


「そうです。あんな恐ろしい思いは、もうしたくありません!」


「そうか。ルアンナは私の魔力を抑えるのに苦労しているんだもんね」

「そうですよ!」


 時々ルアンナの存在意義を忘れそうになる。というか、存在自体を忘れがちだ。ゴメン。



「そういえば、ルアンナやエルフの森の精霊グロムみたいに、精霊も名前があったりなかったりするよね?」


「名を持つ精霊は、我のような上位精霊のみです」


「グロムは私と繋がって森の外まで力が広がったけど、ルアンナはどうなの?」


「我は今のところ、気苦労によるマイナス面が大きいかと……」


「そんなことないでしょ。そもそも私がいなけりゃ、今でもルーナとアンナは離れ離れのままだったと思うけどなぁ」


「ま、まぁそうですね」


「……歯切れが悪いね。ルアンナ。あんた、また何か隠しているでしょ」

「いえ、何も」



 名前と言えば、私は日本で暮らしていた前世の、自分の名を思い出せない。

 そればかりでなく、家族や幼い頃の記憶すら希薄だ。


 だからこそ今の私は、アリソン・ウッドゲート以外の何者でもない。


 まあ、今はアリスという偽名を名乗っているけど。

 このままアリスとして生きていく方が、気楽でよいな。


 アリス・メタルゲート。こりゃ身バレするわ。


 売れないロックシンガーのようだし。

 いっそウミちゃんと二人でヘビメタ、とか……あ、ハクも入れるか。



 私たちの偽名は、隠れ里の鉱山長、ドワーフのネルソンが作ってくれた身分だ。


 エルフ三人組は、特に偽名を使うこともなくそのままの名で偽の身分証を持っている。


 私たちはずっと、ケーヒル伯爵が用意してくれた偽の身分証を使っていたが、それもエルフの里に着くまでだった。その後は適当に、アリス、フラム、ルスカと名乗っていたが、プリスカだけは、今はプリムに変わった。プリちゃんと呼ぶからね。


 今使っているのは、人間の国を旅するにあたり、新たな身分証が必要だろうと、エドとネルソンが用意してくれたものだ。


 身分証自体に高度な魔法が付与されていて、誰が見ようがどんな魔道具で調べようが、一切疑念を抱かせない。しかも後付けで、内容を書き換えることもできるらしい。

 何じゃそれは?


 あの二人が揃えば、何でも魔法で作ってしまう。恐ろしい。


 私らには書き換えは難しすぎるので、他にも幾つか違う設定の予備を用意している。

 だが、今後もそれを使うことがないよう、祈るばかりだ。



 貴族は一族の姓を持ち、重臣たちも何やら曰くあり気な姓を名乗る。平民は特に姓は持たないが、普通は出身地の村や町の名を仮の姓とする。大きな商人などは、店の名や商売用の屋号を姓とする場合も多い。


 生まれた時に教会で名付けの儀式を受け、五歳の時に国民全員が例の星片の儀を受け、その記録が戸籍の代わりとなっているようだ。


 住民票は、特にない。基本的に、どこへ移動するのも自由だ。ただし、人間の国ではどこかの領地に属し、領主に税を納めねばならない。


 それを代行するのが、ギルドの重要な役割だ。


 大きな集団に属せば、更にそこの名簿に名前が残る。


 王宮や貴族に雇われる平民たち。

 教会に所属する者。

 傭兵団に所属する者。


 それに魔術士協会や冒険者ギルド、商業ギルドなど。農民はや漁民は町長や村長がまとめて領主へ税を払う。例えば農民が税を逃れ村の農地を捨てて逃げても、その情報は全ての町村で共有され、いずれ捕らえられて奴隷に落ちるだろう。


 あとは、大きな街や主要な街道の関所で、通行に際して税を徴収される場合もある。


 エルフや獣人は独自の組織を持ち、ドワーフは鍛冶師組合が実質的な最高権力を握る。


 私が今後加入するとすれば、一番良さそうなのは商業ギルドかな?



「ねえ、船長。ちょっといい?」

 私はいつものように、小屋の中で一人優雅に腰かけている船長へ会いに行った。


「何でしょう?」


 ここ数日、魔物の活動が目に見えて減り、キャンプ地の運営も落ち着いている。


「船主は、商業ギルドとは別に、何か組合があるの?」


「いえ、特にないですね。漁民も商業ギルドへ魚を卸していますし、荷馬車も貨物船も同じ商業ギルドの管轄です」


「じゃ、商業ギルドは大きな組織だね」


「恐らく、この大陸で一番力を持つ組織ではないかと」


「人間やエルフの国よりも?」


「何しろ、国を超えて大きなお金が動く組織ですから」


「教会や冒険者ギルドは?」


「教会は基本的に人間の国が中心ですから。冒険者ギルドは国を超えた組織ですが、実態は緩い集団で、特に王国内では信用度が低い傾向にあります。傭兵たちは、ならず者と区別すらできません。中には商業ギルドへ登録している傭兵団もおりますが」

「なるほど」


 幾ら本を読んで賢いと言っても、六歳の貴族令嬢には縁の薄い世界だった。



「姫様は、商売に関心がおありですか?」


「いや、気が早いんだけどね。帰ったらどうしようかと思って」


「姫様はどの組織にも属さず、私財を投じて魔物を狩っていたとお聞きしました」


「まあ、お家の事情があってね」

 本当は、極めて個人的な事情なのだけど。


「そうですか。でも陸へ戻れたら、よろしければ私が後見人となり商業ギルドへ登録しませんか?」


「うーん、どうしよう。今更冒険者をやるのは嫌だな、とは思うけど」

 私は、ちょっと慌てた。


 以前、ドワーフの鍛冶師の村で冒険者登録したことを思い出したのだ。あの時は六人のうち、フランシス以外はエルフの設定だったような……



「そうでしょう。姫様なら冒険者よりも、腕利きの魔法使いを集めて傭兵団を指揮した方がいいと思います」


「うーん。うちには一人、血生臭いのが大好きな奴がいるからねぇ。それにお墨付きを与えるのはちょっと怖いなぁ……」


「まだ時間はあります。その前に、早く雨期が明けて出港できるよう、もうひと踏ん張りしましょう」


「レッドバフの修繕は、大丈夫なの?」


「ええ、お陰様で積み荷もそのままで、どうにか出航できそうな見通しです」

「それはよかった」



 私は船長にお茶を一杯ごちそうになってから、外へ出た。雨期の終わりが近く、短いが太陽が顔を出す時間が増えた。雨も、スコールのような強い雨が一日に何度か通り過ぎるだけになっている。


 出航へ向けて現在地を把握したいが、私の魔力探査は水平線の向こう側で消えている。高くへ昇れば、より遠くが見渡せるのだろうか?


 島の山頂へ上るのは、神殿の祠があり怖い。


 仕方なくこっそりと空へ飛び上がり、ずっと上空まで昇る。



 ここが南北にある大陸の中継点だとすれば、上手くすれば南の大陸も上空から感知できるかもしれない。


 そんな淡い期待を抱いて今までになく高い場所まで飛んだが、いやぁ、海は広いね。南も北も東も西も、陸地らしきものは一切何も感知できなかった。


 これは完全に私の能力不足。まだまだだね。


 海に出る前は、大陸中をざっくりと探査できたと思っていた。それこそ、山の裏側までも。あの大陸って、意外と小さいのかな?



 それにしても、ここはどこなのだろうか。



 終




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