開花その40 誰もいない海 後編
荒波に揉まれて南海沖を彷徨うこと、更に数日。
治癒魔法で一瞬回復するものの、プリスカの船酔いは相変わらず続いている。
見ているこちらも鬱陶しいが、何より本人が地獄にいるような気分だろう。
プリスカが心配なので、その監視と癒しを兼ねてパンダを呼び出し、船室の隅に縫いぐるみのように置いておいた。
余計な事をすれば岩を抱かせて海中深く沈めるぞと脅し……じゃなくて、お願いおとなしくしていてね、とよく言い含めて。
それが良かったのだろうか。
私と師匠がウミヘビやクラゲの化け物を退治して船室へ戻ると、プリスカが体を起こし、ベッドに座っていた。
しかも何故か、あれほど忌み嫌っていたパンダを愛おしそうに抱いている。
これぞまさしく、野女と美獣。
その日を境に、プリスカは船酔いを克服した。
これを吊り橋効果と呼ぶのだろうか、何故かプリスカはパンダと仲良しになっていた。謎だ。
それからは、私が船室で寝転び、二人の家臣が外で雨と波に洗われながら、せっせと魔物を狩る航海が始まる。
しかし、どこまで行っても魔物、魔物、魔物。
こんな場所を航海できる船など、私たち以外にはいないだろう。
魔物たちは勤勉にも、次々と隙間なく襲い来るのだった。
さすがに私ものんびり寝ているわけにいかず、三人でどうにか魔物を退治しながら、果てしなく続く血まみれの航海の日々に明け暮れた。
それでもたまに嘘のように空が晴れ、太陽が顔を出すことがある。
波は相変わらず荒い。しかし青空を見れば、心も晴れる。
そして晴れれば不思議と大きな魔物は海の深くまで潜り、海面へ顔を出さなくなる傾向にある。
強い南国の日差しの中で、水平線には白波以外の何もない世界を上下しながら漂う。
師匠が氷を作り、冷たい果実水を飲む。そのまま船上でゆったりと昼寝をするのは、最高の気分だ。
「ああ。誰もいない海、最高!」
私は面倒な浮世のしがらみから解き放たれ、初めて自由を手に入れた気分に浸る。
だが、そんな気楽な時間も長くは続かなかった。なんでやねん。
「姫様、左舷遥か後方、微かに船影が見えます」
波に船が持ち上げられた時には、遠方を見通せる。フランシスは、魔法で視力を強化しているのだろう。
私もうっかりしていた。まさかこんな場所に人間の船がいるとは思わず、すっかり気を抜いて、居眠りしていた。
魔力感知の輪を広げてみれば、確かに人間の乗った船が魔物に襲われているようだった。
「……救けに行かなきゃダメだよね?」
私はやっと手に入れた解放感を手放すのに、非常に強い意志の力が必要だった。
こんな時には、師匠やプリスカに尻を叩いて貰うに限る。
「いや、様子を見てからでいいんじゃないっすか?」
プリスカの奴が、そんな事を言う。
「今から行っても、もう間に合わないんじゃないでしょうか?」
フランシスも眠そうな目で答える。
「馬鹿者! 全速力で救助に向かうぞ!」
結局、私が尻を叩く羽目になった。
出力全開とまではいかないが、強い南風に逆らいながらも、かなりの速度で現場へ急行した。
私たちよりも更に沖にいる船というのは、想像していなかった。
船は大きな木造船で、私たちの乗った定期船よりも大きく見える。
そういえば、定期船以外にも、村にはたまに船がやって来ると聞いた。
それは独自に運行している貨客船で、大きな商会や貴族の貸しきりで海辺の町を運行していたりするらしい。
しかしこんな季節に船を使おうという酔狂な者は少ない。ただ、その分定期船の運行も滞るので、船主は独自に仕入れた商品を運んで、一獲千金を狙う。
この時期、沿岸の海は西寄りの南風に吹かれて大陸へ押し寄せるが、沖へ出ると全く別の海流が複数ある。
うっかりその流れに乗ってしまうと、どんどん沖へと流されることになる。
「魔物の群れに囲まれ、船は沈みかけています」
フランシスが、冷静に状況を伝える。
「若い男が大勢乗ってると思うよ。早く助けた方がいいんじゃない?」
私が少し煽ると、フランシスの目付きが変わる。
「プリスカ、やりますよ!」
魚型の魔物の群れと、大型の魔物が何頭か。その中には、巨大なイカもいる。これは初めて見た。
私たちは魔法で魔物を撃退しつつ、大型船へ近付いて様子を見た。
長いマストが半分折れて、船体の傷も多い。乗組員も浸水への対応に追われながら、魔物除けの障壁に力を使い、攻撃は散発的だ。
「二人とも、船の周囲を回りながら、魔物の討伐をお願い。私はあの船に直接乗り込んで、結界を張るわ」
「了解しました。お気をつけて」
「姫様、お任せください」
「言っとくけど、あんまり派手にやり過ぎないようにね!」
迷宮や森の中での戦闘のように、姿を隠して技を使うことが難しい海上での戦闘は、目立たないように救助することが困難なミッションだ。
大型船には見ず知らずの多くの目があるので、常に注意が必要だった。
私はそっと舷側の網を登るふりをして空を飛び、大型船の高い甲板へ着地した。
船の防御を指揮している男に近寄り、助太刀に来たことを伝える。
「おお、あの魔法使いの船の姉ちゃんか。助かる。このままではこの船は沈む」
「あなたが船長?」
「いや、俺は船に雇われた冒険者の
「じゃ、あんたが実質的にこの船の指揮を執っているんだね。これから私が船全体に結界を張る。その間に、浸水個所を全力で修理して!」
「わかった。助かるぜ!」
そうして海の冒険者の頭は、大声で船員や冒険者たちに指示をして、新たな持ち場に着かせる。
私は結界魔法で船を包み込み、これ以上の損傷を受けないよう守るだけに留めた。
本気を出せば周囲の魔物も一掃して船の修理もできてしまいそうだが、それだけの攻撃だと海上にいる師匠とプリスカの命も保証出来ない。
さて、状況を見るに、まだ船が沈んだわけではない。手助けは最小限に留めておかないと、船員に怪しまれるだろう。
あとは二人が海の魔物を片付け、船員たちが何とか船を沈めないようにしてくれることを祈るのみだ。
予想に反して天候は急速に悪化し、さすがの魔物も海中へ姿を消し始める。
それはいいのだが、大型船は自力航行ができる状態ではなく、風と波に煽られながら、どこへともなく流されて行く。
私たちの船で岸まで引いて行こうにも、うっかり船体に力を加えれば、バラバラになって沈みかねないほどの傷み具合だ。
とりあえず私の結界で守っている間は荒波の衝撃にも耐えているので、とにかくこのまま嵐が去るのを待つしかない。
魔物退治を終えた二人は、船室へ入って休んでいるようだ。
「パンダ、そっちはどうだ?」
「フランシス師匠もプリスカの姐さんも、元気いっぱいですぜ」
「そうか。私はこのままこっちの船に残るので、離れず付いてきてくれ」
「了解ですが、姫さんは大丈夫でっか?」
「ああ。これから怪我人の治療に当たる。あ、それからパンダは間違ってもこっちの船員たちの前へ出て来るなよ。いざとなったら、ぬいぐるみのふりをして絶対に動くな!」
「へいへい」
夜になっても早い海流に流され、何度か魔物の襲撃を受けたが、師匠とプリスカが大型船に接近するよりも早く退治してくれた。
「私たちはベルーザ村に滞在して、周辺の海の魔物を狩っていた冒険者です」
私は船長の治療をしながら、互いの事情を話した。
「そうか。こんな沖まで流されて大変だったな。だがそのおかげでワシらは助かった。いや、まだこれが助かったと言えるのかどうか……」
「そうですね」
「ワシらの船の積み荷は、主に麻や綿花、それに羊毛と魔物の毛皮など、食えない物ばかりだ。どこかの島へ上陸して船の修理ができなければ、水に濡れて重くなった荷を全て捨てねばならん」
荷物は一応完全防水されているが、一部は浸水区画にあり、水に濡れているらしい。
この時期は長い航海に耐えられるよう、日持ちする軽い荷物を選んで運んでいたようだ。
「こんな沖に、島なんてあるの?」
「ああ。海図はないが、古来、幾つかの島があると言われている」
なるほど、島か。
私は周囲の海を、魔力でサーチしてみる。少なくとも船室から見晴らしできる範囲に、陸地はない。残念だ。
まあ、今日は疲れたので、私は朝まで少し休ませてもらおう。
船員たちは休みなく、船の浸水を防ごうと必死の作業を続けている。船の周囲には結界を張っているので、大量の水が流れ込む心配はないが、それを船長に告げる気にはなれない。
可能な限り、自力で頑張ってもらおう。
私は休む前に厨房へ行き、何人か残って軽食を作っている男女に新鮮な果物や乾パンのような非常食を渡しておいた。
さて翌朝、甲板が騒がしくて目が覚めた。
外へ出ると雨は止んでいて、目の前に緑の茂った陸地が見える。
陸地は、小さな島だった。
波は相変わらず高いが、海流からは外れているので、島の湾内へ入れば何とかなりそうだった。
島の中にも、周囲の海にも、多くの魔物を感知できるが、人の気配はない。無人島なのだろう。
船員たちは必死で船を操作して、湾の中へと向かう。
魔道具の魔力も尽き、必死で櫂を漕ぐ。
私もそっと水魔法で湾内への流れを作り、協力した。
「いかん、陸に激突する!」
「漕ぎ手を止めろ!」
「減速!」
「浅瀬に乗り上げるぞ!」
船上が、一瞬にしてパニックになる。
また余計な事をしてしまった。
でも、私の結界があるから、船はこれ以上壊れませんよーだ。
この辺には魔物が多いけれど、私たち三人と大型船の冒険者たちで、何とか防御は可能だろう。
これでとりあえず、大型船の船員たちと共に少しは生き延びることができそうだ。
それにしても、ここは一体どこなのだろうか?
だが、船員たちにとって、この島がどこかなんてどうでもいいことだった。
とにかく沈みかけた船を安全な場所へ着け、上陸してからゆっくり考えればよい。
一刻も早く島に上陸し、そこに安全圏を構築することが目前の重要な課題だった。
それも、時間の余裕はない。
何とか、次の嵐が島を襲う前までに。
終
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