開花その39 南海航路 後編
船首の方は何とか片付いた。あとは船尾の騒ぎが収まる前に、ドゥンクが戻って来れば問題ない。
しかし、その心配はなさそうだ。
船尾の綱引きも、拮抗したまま長引いている。
こういう時には、魔力の絶対量の少ない人間側が不利になる。
私はフランシスの元へ戻り、囁く。
「プリスカの方は片付いたから、あっちもバレない程度に手伝ってやってよ」
「わかりました」
少し不服そうに、師匠は頷く。
逃げ場のない船の中で変に目立つのは、嬉しくない。
特に今は、海の冒険者がどんな連中なのか、深く知らない。だからそのプライドをへし折るような真似は、極力避けたかった。
しかしこのバカ女は、若い男たちの前でいいところを見せて、ちやほやされたいのだ。見え見えだよ。
「隠れて、絶対に目立たないでよ!」
勢いでそう言った。正直、師匠だって今まで散々やらかした私に言われるのは、かなり癪だろうと思う。
フランシスは揺れる船の上を軽快に歩いて船首に近付き、水夫に危ないですよと止められる前に、魔法を放っていた。
暴風を切り裂いて上空高く上がった風の刃が、ブーメランのように弧を描いて後ろから魔物を切り裂いた。
何が起こったのか、私以外には誰も気付かなかったろう。ただ魔物はがっくりと力を失くし、海中へ沈んで行った。
よく見ればその姿は可愛いイルカさんにしか見えず、私の心は痛んだ。いや、本当だよ。
一瞬遅れて、船上では歓声が上がる。
暴風雨の甲板は、お祭り騒ぎだ。
私の師匠は、やればできる女なのだ。だから誰も手を出せないのかもしれないが。
そのうち、死人のような顔のプリスカが、私の元へ戻って来た。
「ご苦労さん。そんなに海で泳ぎたかったんだ。早く言ってよ」
「姫様、お腹が減りました」
「ほう、食えるもんなら食ってみろ」
この負けず嫌いのバカ女も、いい加減何とかしてほしい。
それから船は連日の荒波を乗り越えて進み、終点の村へ到着した。
大型の魔物に襲われることもなく、私たちが手出しする機会もなく、無事に航海を終えた。ひとまずは。
大河の河口の左岸、つまり川の東側にあるその村は、言ってみれば国境の村だ。
川が運んだ砂により出来た砂州が天然の防波堤となり、遠浅で穏やかな湾を作っている。
昨年この上流で、川を越えてエルフの森に砦を築いた阿呆がいたが、その資材を運んだ拠点が、この村だった。
その時には大勢の人間がここに集まり、大きな街のようになっていたらしい。
今では、静かな漁村に戻っている。
何しろ上流の砦周辺にいた主犯格の人間たちは、うちの凶悪な家臣二人にほぼ皆殺しにされたからな。
今もその時の残党が残っている可能性があるので、私たちは村ではやや緊張している。
確かにこのベルーザという村は、一種異様な緊張感に満ちていた。
「いや、今年はやけに海の魔物が多くて、みんな困っているんだ」
「ここもそうか。俺たちも途中、魔物の多さに辟易していたところだ。一体どうなっているんだ?」
村長と船長の会話が、全てを語っている。
「ところで、船の冒険者たちに近海の魔物退治を依頼できないだろうか?」
「……いや、すまない。俺たちも帰路の安全を考えると、冒険者たちには無理をさせられねえ。ここでゆっくり休養して貰わないと……」
航海中の冒険者は、船長に雇われた身だ。ここまでの航海で蓄積した疲労を回復しておかないと、本気で帰路が危ないと考えているようだ。
一番に優先するのは今後も続く航海の安全なので、船長の判断は止むを得ないだろう。実際に、かなり危なかったし。
今の村に元気がないのは、それが主な原因のようだ。
王国の最西端にある海辺の村なので、本来もっと賑わっていい筈なのだが、村の周辺は荒涼たる未開地が広がり、陸路で訪れる者は少ない。
村から川沿いに小舟で往来できる範囲には、小さな集落が点在する。しかし川の対岸は無人地帯で、森は深くエルフの国は遥か遠い。
何となく、世間から忘れられ、取り残された秘境感が漂う。
その点では、私の故郷にちょっと似ている。
ただし、国境の川は広く村の周囲には広い平野が広がる。いつかは農地が開拓され、北東に位置する王国直轄領との間にしっかりした街道ができるだろう。
将来性は非常に高い、優良物件だと思うのだけど。
定期船は村とその周辺に暮らす人々に必要な食料や日用品を運び、上流の森から切り出した木材や、流域の河原で山師が集めた砂金や宝石の原石を積んで戻る。
帰りの船旅用の補給も、保存食や消耗品は物価の安いこの村である程度済ませていた。
そう考えると、ベルーザは小さな村だが、私の故郷のような貧しさは感じない。
ここまで来る途中の、断崖にへばりついて暮らしているような漁村ともまた違う。本来なら大きな街が開けるほどの、ポテンシャルを秘めているのだ。もったいない。
理由の一つは海の中と対岸のエルフの森にいる魔物の脅威で、もう一つは川の治水だ。
何度も大きな洪水に襲われた村は、その度に村の位置を変え、定期船の発着する桟橋を整備しながら、何とか存続してきた。
もう少し上流側に村を開けば安全な高台もあるが、それでは定期船の来る海辺から遠ざかり、村の存在意義が弱くなる。
対岸のエルフの森を開拓できれば、その問題は一気に解決するのだが。
さて、婚活の甲斐なくフランシス師匠を村に残したまま、私たちの乗って来た定期船は東へ向けて出港した。
少なくとも次の船が来るまで、私たちはこの村に滞在することになる。
次の船は一週間後か一か月後か、今の海の状況ではわからない。
村には、師匠のストライクゾーンに入る若い男は、ほぼ残っていない。
ちなみに、ペルーザ村には一軒だけ宿屋があった。
夏冬の雨期が始まる前、川の水量が減る時期には、満潮の日に川の流れが逆流し、上流へ物資を輸送するのに最適な条件になる。
その日を待ってこの村に人と物資が集まり、一時的に賑わうらしい。
それが、あの上流の砦を築いていた頃には更に大きな船が次々と来て、大賑わいだったと聞いた。おかげで、今も立派な桟橋が残っている。
その後すぐに俄か景気は終わり、今では元の静かな村に戻った。
更に今年の雨季にはやたらと海の魔物が出て、近海での漁にも支障をきたしている。
ただ、村の近くには干潟が広がり、貝や蟹などは幾らでも採れる。
問題は、舟で海に出ていた漁師たちだ。
本来雨期の今は川の水量が増えて、舟は湾の中やすぐ外で安全に漁が行なえる筈だった。しかし今年は湾内にまで魔物が侵入する異常事態となっている。
「姫様。ここは、我らが一肌脱ぐ時ではないでしょうか?」
プリスカが魔物と戦いたくて、うずうずしている。
「その通り。今こそ、我らの出番ですぞ」
暇な師匠も同調する。
「うん。私も村の為に、何とかしたいと思っていたんだ」
そんな村の窮状を知り、私たちが独自に魔物退治をすることに決めた。
というか、家臣二人のガス抜きをしないと、勝手に海に出て行きそうで怖い。旅に出た当初は、二人ともこんなじゃなかったのに。私のせいか?
海で魔物と戦うには船が必要だが、村の小舟で魔物と張り合うのは気が進まない。
ルアンナの気まぐれな結界で常時守ってもらうのは不安だし、自分でずっと結界を張り続けるのも面倒だ。
こんな時に、エルフたちがいてくれたら良かったのに。
そこで私は、丈夫な金属の船を造ることに決めた。
参考にしたのは、あの夜空を飛んだ巨人の弁当箱である。
小型にした弁当箱は、そのままでも何とか海に浮いたが、荒れた海でも波を切って進めるようにと先端に向けて細くして、中空のフロートを左右の船底へ取り付けた。これで浮力の心配は消えた。
推進は改良したスプ石によるジェット水流で、マストに帆を張れば風魔法でも進める。
ただ、海でスプ石の作る真水を撒き散らして進むのは無駄だ。そこで、効率よく海水を動かす水魔法を魔導石に仕込んだ。
新たに造った水を噴射するよりも、そこにある海水を動かす魔法の方が遥かに魔力効率、マジパが高い。
マジパ=マジック・パフォーマンス。だよ。
私の魔力だけで運用するのならマジパはあまり気にしないが、魔導石や私以外の魔法で船を動かすことを考えると、結構重要な要素になる。航続距離って言うのかな。
私が動かせば弁当箱同様に空だって飛ぶし、マストを畳んで弁当箱の中に入れば、潜水艦にもなる。たぶん。
ただし、生命の保証はないが。
必要な荷物は賢者の巾着袋や収納魔法に入っているので、居住スペースさえ確保すれば、長旅にも耐えられるだろう。
弁当箱の上には一見粗末に見える家を作り、ベッドやハンモックなどを揃えた。
謎金属製のフロートは海中に沈んで見えないので、海上生活者の筏か難民船のような外見になった。
あとは海に出れば、戦闘民族の二人が勝手に魔物を退治してくれるだろう。
こいつを新たな武器にして、海の魔物を狩るぞ!
さあ、討伐開始だ!
終
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