開花その39 南海航路 中編
何も考えずに、夏の雨季真っ只中に来てしまったせいで、大型船の定期便の運行も止まりがちで、しばらくはこのナカード村へ滞在することになりそうだった。
フランシス師匠が目を付けた漁師の息子は、結婚して子供もいることが判明した。
師匠は気にせず他の若い男に色目を使い、波の穏やかな日には私たちも一緒に漁へ連れて行ってもらった。
泳げないエルフの三人は浜辺で泳ぎの練習をして留守番し、私たち三人はそれぞれ別の小舟に乗せてもらって入り江を出た。
小舟と言っても通常四、五人が乗り込む。複数の舟で協力して行う、引き網漁が中心だった。
波の高い日には沖へ出ず、入り江の近くで巨大なエビや貝なども採るらしい。
そうして
その日は運悪く、大小多くの魔物の群れに遭遇してしまった。
通常ならば引いている網を捨てて、魔道具の櫂を懸命に漕いで一目散に港へ逃げ帰るところだが、私たち三人が揃っていて、黙って魔物から逃げるわけがない。
別の小舟に乗っていることもあり、私が止める間もなくうちの戦闘民族は奇声を上げて魔物の出現を歓迎する。その時点で、漁師たちはドン引きだ。
フランシスはアイスランスでウミヘビを串刺しに仕留め、プリスカは海上に顔を出したウミガメを炎の刃で切り捨てる。
仕方なく私も軽い雷撃を放ったが、辺り一帯の魔物と魚がまとめて海面に浮き上がり、漁師の度肝を抜いた。
海面に漂う魚を小舟が大喜びで集めて回り、大いに感謝されると同時に、私は恐れられた。
実際に漁師の何人かは、とばっちりで感電していたしね。
エルフの魔弓が海の中でも通用するのか、先に試した方が良かったかもしれないなぁ。
私の目標であった海の魔物討伐も、少しはできた。
そんなこんなで半月余りを楽しく過ごした頃にやっと、定期船が現れた。
「私たちは、北へ戻ることに決めました」
ネリン、リンジー、カーラは、内陸部にあった比較的大きな街まで戻り、そこを拠点に三人で暫らく暮らすことに決めたという。
確かに私たちが向かうのは西で、それはあのエルフの森との境を流れていた川の河口にある筈の村を見たかったからだ。
あの時砦を築くための資材運搬の拠点となった村へ行けば、何か邪宗の痕跡が見つかるかもしれないと思ったからだ。
それはエルフたちにとっては、せっかく出て来たエルフの森に近付くことにもなり、しかも泳ぎの不安な三人は、船に乗るのが怖いらしい。
こうして唐突に、エルフ三人娘との別れがやって来た。
「姫様とお別れするのは大変心苦しいのですが、私たちだけで人間社会に溶け込み暮らしてみたいのです」
そもそも、それが彼女たちの本来の旅の目的なので、いい街が見つかって良かったね、としか私は言えない。
まあこの三人も、私を心配する素振りはするが、それは単なるリップサービスだ。どうせ私のことは殺しても死なない悪いエルフで、心配するまでもないと思っている。
本当に心配なのは、エルフ三人娘の方だ。できることなら、私も一緒に街で暮らしたい。それも楽しそうだ。
しかし私たち三人は定期船に乗り込み、泣いて手を振るエルフたちに見送られて出港した。
私も師匠も感極まって泣いていたが、鉄血のプリスカの頬にも涙が伝うのを見れば正気に返り、今後の天変地異を確信して船出が少し怖くなった。
大型船には、海の魔物から船を守る海の冒険者が雇われて乗船している。
一応私たち三人も、ナカード村の漁師から魔物退治の話を聞いた船長から勧誘を受けたが、仕事にする気は皆無なので丁重に断り、普通に客として船賃を払って乗船した。
勿論、私たちも船が沈むのは嫌なので、何かの時には戦う気が満々なのだけれど。
この時点で既に私が普通の商家の娘でないことは、それとなく察してくれていたようだ。
何かの訳ありなので、放っておいてくれ、構うな。というオーラを私が全開にしても、師匠は関係なく手当たり次第に若い船乗りに声を掛ける。
基本は貨物船だし、しかも雨季の危険な航海なので、乗客は私たち三人しかいない。
ふらふら船内を徘徊する師匠は仕方なく放置して、プリスカと私は暇だった。
大型船とはいえ基本は四角い帆を張った木造船なので、結構揺れる。
江戸時代の北前船を南国風に風通し良くしたような造りなので、暗い船底に押し込められるようなことはない。船底には荷物がぎっしり積まれている。
今は雨が多く風も強いが、雨期が終われば暑い夏が来る。
海風に吹かれながらハンモックで眠るのは最高、なのだそうだ。
船着き場のある村や町へ寄港しながら、舟は西へ進む。途中で荷の積み下ろしをしながらなので、ゆっくりとした船旅だ。
海が荒れれば途中の入り江や島陰に船を停泊させて、やり過ごす。
生き残っている船乗りたちは、必然的に腕と勘の良い強者たちだ。
海が荒れると、不思議と魔物に遭遇する。
船乗りたちも銛などを持って戦うが、そこは護衛の冒険者たちの出番だ。
魔物を倒すことよりも、船に近寄せずに守ることを第一として戦うので、主に遠隔からの魔法攻撃や魔法障壁が中心となる。
海の怪物と言えば巨大なタコやイカを真っ先に想像するが、そういうのはもっと沖に棲んでいるらしい。
もっぱら舟を襲うのは、ウミヘビとサメやクジラの仲間だった。
その日、暴風雨により沖の無人島の風下に避難していた私たちは、遠くに黒い影を認めた。
影は水中に身を隠し、接近している。
船の弱点は、深い海から垂直に、船底目がけて攻撃を受けることだ。
船が沈めば人間は無力だ。
魚雷のように水平方向から接近する魔物の場合、見張りが早期発見すれば魔法で防御が可能だ。だが、真下からの攻撃に対するのは難しい。
だから極力、船は浅い岸近くを航行する。
止むを得ず沖へ出る時には、触れると大音量を発する魔道具を取り付けた長い竿や縄を水中に何本も垂らし、魔物の接近に備える。
この時も沖の島陰に投錨し、魔道具を沈めてひっそりと嵐の過ぎるのを待っていた。
突然、眼下で小さな爆発が起こり、鋭い響きが船を揺らした。
海中の魔道具に、魔物が触れたのだ。
「来たぞ、船尾の方角だ!」
本来は、音響に驚き魔物が怯んだ隙に、風魔法士が全力で帆に風を送り逃げるか、村の小舟に使っていた櫂の大きな物で、水夫が必死に水をかく。
しかし海が荒れている今は、下手に動けば船が沈む。
そこで冒険者たちは、音響に怯んだ魔物に向けて、魔法障壁を集中した。
私は魔力感知により魔物の接近を知っていたが、それほどの強い魔力ではないので傍観を決め込んだ。
海の冒険者のお手並み拝見、というところだ。
フランシスとプリスカにも手出し無用と伝え、雨に濡れながら戦いの趨勢を見ていた。
船長を含めた上級船員や水夫も総動員で武器を手にし、冒険者の目付きも必死なので、想像以上に危機的状況なのかもしれない。
あの程度の魔物なら、フランシス一人で軽く倒してしまうだろう。
プリスカも今の魔剣を使えば魔力の刃を飛ばせるので、遠隔攻撃だけでも戦える。
そう考えると、やはりこの二人の力は異常だ。
いずれにしても、海の魔物対策に魔法や魔道具は必須だった。今のところ力は拮抗し、魔物は船に接近できない。
このまま諦めて去ってくれれば、それでよし。
「姫様、来ますよ」
「うん、判ってる」
久しぶりにルアンナが、危機を告げた。
今になって、船首側から接近する、より大きな魔力を感知したのだ。
「ねぇプリスカ。みんなが船尾の魔物に気を取られているけど、船首の方角から大きな魔力が近付いているわ」
「承知しました。密かに成敗しておきます」
「頼んだよ」
「フランシスは、もしもの時のために、どちらにも加勢できるように待機して」
「はい」
「あと、パンダは出て来なくていいからね」
船首へ歩いて行くプリスカを見送りながら、私は俄かに不安を覚える。
島陰に避難しているとはいえ、舟は激しく揺れている。普段は背筋を伸ばして颯爽と歩くプリスカの背がやや丸まって、力がない。
「あいつ、もしかして船酔いか? 虚勢を張っているけど、歩くのがやっとじゃないか」
自分の弱みを見せたくない気持ちはわかるが、こういう場合は自分の命ばかりか、船に乗る全員の運命を左右する。
(ドゥンク、ちょっとプリスカの影から見守ってやってよ。なんか海に落ちそうで、危ういから)
横殴りの雨の中、船尾では複数の冒険者による多重障壁で魔物を抑え込もうと、必死である。
そんな中、プリスカは一人よろよろと船首へ向かう。
船首側にも見張りの船員がいるのだが、船尾の騒動に気を取られている。
今のところ前方に危険な岩場もなく、波に揺られる船もそれなりに安定している。
だからプリスカが船首で剣を抜こうとした途端にうずくまり、動かなくなったのを誰も見ていない。
あれは、眼下の海の魚に餌を撒いている状況だな。
そして大きな波で船首が持ち上げられてから海面に叩き付けられ、再び元に戻った時、プリスカの姿はもうそこに無かった。
「あー、やっぱり落ちたか」
私は船尾側の監視を師匠に任せて、船首へ駆けた。
身を乗り出して海面を見ると、プリスカを背に乗せたドゥンクが、白波を避けるように海面を走っていた。
ドゥンクの能力は、私にもよくわからない。
背中にプリスカを乗せたまま、ドゥンクは海中の魔物の気配に向けて走る。
波を被って目が覚めたのか、プリスカもやっとしっかりとドゥンクに跨り、剣を抜いて臨戦態勢に入った。
これで何とかなるかな。
(ドゥンク、ありがとう)
そのまま突き進んだドゥンクの前に、海中から白い鋭利な刃が迫る。
それは刃ではなく、びっしりと並んだ歯であった。
この世界ではお馴染みの、顏だけデフォルメされたようにでかい、サメ型の魔物である。
渦を巻いて呑み込まれそうになるのを素早く回避したドゥンクは、サメの鼻面を蹴ってその背に駆け上がる。
同時にプリスカの魔剣が氷の刃となり、サメ肌を切り裂いた。
そこから先は一方的な蹂躙で、とても見ていられない。
こちらには魔物の権利を叫ぶ愛護団体がいないので、やりたい放題だ。
この分なら、すぐ船に戻って来るだろう。
やれやれ。
後編へ続く
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