開花その39 南海航路 前編



 最初に海が見たいと言ったのは、エルフ三人娘だった。


 特に一番若いネリンが、海への憧れを強く持っていた。いつか大きな船に乗り大海を旅して新しいエルフの森を探すのだと夢を語っていた。


 ところが、皆で話してみれば私たちの誰一人、海を見た者はいなかった。


 いや、それはこの世界での話。

 幾ら私が田舎育ちの山ガールだったと言っても、日本の海は知っている。



 ローゼンス子爵領で私がまた一発やらかしたので、元の街道をそのまま南下して海に向かうのは躊躇われた。


 そこで私たちはムツミ川の右岸から街道を離れ、一度西へ向かった。


 険しい山中を西へ延びる心細い踏み後を辿って、三日。

 普通の人間の足なら、倍以上の時間がかかるだろう。


 それを身体強化魔法に物言わせて、強引に踏破してもう一本の川筋へ辿り着いた。


 ここにも狭い川が海に向かって流れ、川沿いには小さな街道がある。



「今度は変なことに巻き込まれないように、素早く行きましょう」

 プリスカが、毅然とした表情で言う。


 邪魔者は即座に切り捨てるような、厳しい目付きだ。



 と言っても、こちらはムツミ川の街道より更に鄙びた、人通りのない山道である。


「最初からこっちにすればよかったね」

「ほんと」


「でも、野宿が多くて、人の住んでいる村にもっと寄りたいです」

 リンジーの言う通り、エルフにとっては様々な人間の暮らしを見てみたいので、多少不満が残る。


 何しろ人のほぼ歩いていない山道を、飛ぶように駆け続けるばかりなのだから。


「いいじゃない。早く海に着いた方が、楽しいよ」

 何の悪意もなく私が気休めを口にすると、すぐに咎められる。


「いい加減なことを言わないでください。姫様も海は初めてだと言っていたじゃないですか。海を見るのは楽しみですが、そこが本当に楽しい場所かどうかは、行ってみなければわかりません」


 リンジーのド正論に、返す言葉もない。明らかに、私の信用は失墜しているな。



 しかしそんな強行軍のお陰で、林の間からついに海が見えた。

 どう、文句ある?



 大陸南側の海岸線。つまり南国の、夏の海である。

 エメラルドグリーンの水にヤシの木が並ぶ白い砂浜。


 の筈だった。



 しかし私たち六人が立っているのは、追い詰められた殺人犯が海に身を投げようかという高い断崖絶壁の上で、しかも眼下の海は大荒れで、白波が立っている。


 道の途中から海が見えたので、興奮して街道を外れて岩場を歩いて来たのだ。

 決して、私たちの悪事が露見したわけではない。


 それよりも何よりも、空はどんよりと曇り、スコールのような大雨がたった今止んだばかりだ。


 明るい南国のビーチより、冬の日本海に近いイメージだった。


 それでもよく見れば海の水は、青く澄んで美しい。


 私以外の五人はその海の色に見とれ、感動して声も出ないように見える。


 泥にまみれてずぶ濡れの六人の体を、私の広域生活魔法が同時に洗浄し、即座に乾燥させる。

 ついでに周辺一帯の岩場も、乾燥して歩きやすくなった。



 再び街道に戻り、道沿いにしばらく下ると、崖の中腹に広がる集落に突き当る。そこがこの街道の終点、ナカード村であった。


 その先、村から海へ降りる道は二手に分かれ、緩い坂道と、岩の間を急降下する険しい道と。最終的にはどちらも同じ、河口の小さな入り江に至る。


 入り江には小さいながらも砂の浜辺があり、漁師の小舟が並んでいる。


 浜から続く岩場が天然の防波堤となって、大型船が着ける波止場も整備されていた。



 南の海岸線は切り立った崖が多く、良港は少ない。


 幾つかの大河の河口付近に街が開けているが、それ以外はここの村のように、小さな入り江にへばりつくようにできた漁村が点在するのみだ。


 しかし、そんな海にも航路は存在する。


 いつの時代もどんな場所でも、危険な海に乗り出して商品を運び一儲けしようという命知らずがいる。


 沖へ出れば巨大な魔物に襲われるので、船は可能な限り陸に近い場所を航行する。

 漁師もまた、小舟で沿岸から離れずに漁をする。


 しかし断崖の下の海中には岩礁が隠れ、潮の流れも複雑で、危険極まりない。

 波に揺られて岩に当たれば、木製の粗末な船など木っ端みじんだ。



 私たちが辿り着いたナカード村は崖の中腹に開けていて、入り江の港に住む人は誰もいない。


 川の流れによって長い年月をかけて削られたナカード村の平地には今も泉が湧いて、多くの緑に囲まれて美しい。


 半農半漁の豊かな暮らしが伺え、大陸南端の楽園のようだった。

 地形を利用した段々畑や、千枚田のような水田もある。


 それでも限られた平地に住む人々は、暮らしを守るために危険な海へ出る。



 入り江には立派な船着き場があり、大型船の定期航路になっている。


 この村にしばらく滞在したら、その船で移動してみたい。


 海が荒れがちなのは、海流の影響だけでなく、海から吹き付ける強い風のせいだ。

 風は雨を運んで、年に二度の雨季をもたらす。


 今は、夏の始まりの雨季に入っている。一年で一番海が荒れる時期らしい。

 参った。



 到着初日、我々は海を見に来ただけの暇な変人観光客として、村に二軒ある宿のうち高級そうな方に部屋を取った。


 怪しまれない程度に持っていた荷物を部屋に置き、濡れたままにしておいた雨具のマントを干すと、私たちは念願の浜へ降りるために宿から出た。


「たまに港へ迷い込む魔物もおるので、気を付けなされ」

 宿の婆ちゃんが、一声掛けてくれた。


 そうか。そういう場所だったか、この世界の海は。



 行きは険しい子供道、帰りは荷車の通れる車道。その予定で、跳ぶように道を下る。


 狭い浜は砂と言うより砂利の浜辺だが、それでも外海と違い波も穏やかで、水は透き通っている。


 道の上からも、小魚の群れが楽しそうに泳ぐのがよく見えた。


 これなら魔力感知をするまでもなく、大きな魔物が近付けば一目でわかるだろう。

 水着があれば、泳げそうだな。


 ちなみにこの世界に、水着はない。


 エルフの三人は泳げないそうだが、フランシスとプリスカは子供の頃から夏は裸で川に飛び込んでいた悪ガキだったので、泳ぎは得意だそうだ。


 私は箱入り娘なので、この世界では泳いだことがない。しかし前世の記憶が確かならば、かなり上手に泳げる筈だ。



 浜辺へ降りて、膝くらいまで水に入ってみた。


 この世界でも、海水は塩辛い。浜はほんの数メートル先で急激に深くなっているので、エルフたちが溺れないように気を遣う。


 浜に上がっている舟が少ないので、漁師たちは入り江を出て漁の最中なのだろうか。


 今までに見たことのある海の魚介類は、日本で食べていたものと大差ない。


 浜辺で遊んだ後、漁師の小屋の並ぶ前を通って船着き場の方へ歩く。


 誰もいないと思っていたが、何人かの漁師が座り込んで、漁具の手入れをしていた。



「こんにちわ~」

 こんな時に先頭に立つのは、師匠だ。相手は男だしね。


「おう、どうした? この波じゃ、今日は定期船は着かねぇぞ」

「いえ、海を見に、はるばる北の高原から旅して来たんです」


「ほう、物好きなことだ」

「みんな、今日初めて海を見たんです」


「そうか。もうじき漁に出ている舟が戻るから、今夜は生きのいい魚が食えるぞ」

「あの凄い波の中で、漁に出ているのですか!」


「なに、朝はあんなもんじゃなかったさ。今日の漁は休みと決めて俺たちゃ網の繕いをしていたが、少し前に雨が上がって波が収まったんでよ、若いもんは勇んで出て行ったさ」


「まあ、今日は遠くまで行かれんから、すぐに帰って来るだろう」


「どうしてですか?」


「海の荒れた後は、魔物が出易いからな。無理はできねぇ」

「ま、魔物……やっぱり、出るんですか?」


「ああ、沖に行けば巨大な怪物がうじゃうじゃいるさ。海が荒れれば、そんなのが岸に流されて来る」


「大丈夫なんですかっ?」


「ああ。舟だって、逃げ足は速いさ。いざとなったら網を捨てて、一目散に逃げ帰って来る」


「おい、言ってるそばから、帰って来たようだぜ」

 別の漁師が、手を止めずに顎をしゃくる。



「どれ、1、2、3、4、5、6、と。全部戻って来たようだな」

 入り江の中へ、帆のない小舟が次々と入って来る。意外な速さだ。


 やがて船が浜に着いて、大小様々な魚が松葉を敷き詰めた木箱に入れられて運ばれて来た。


「やっぱり魔物が出たけどよ、何とか網を上げて逃げて来られたぜ」

「無茶すると、長生きできねぇぞ」


「そうだな、今日はちょっと危なかった。これからは気を付けるぜ、親父」

 最後に浜へ戻った舟に乗っていたのが、私たちと話をしていた漁師の息子らしい。


 日焼けした精悍な顔つきが、確かによく似ていた。


 しまった。若い漁師が戻る前に、宿へ帰ればよかった。


「見た目よりもスゴイ早いんですね、あの舟。何か魔道具とかを使ってるんですか?」

 早速、師匠が食いついてしまった。



「ん、どうしてこんなところに若い姉ちゃんがいるんだ?」


「北の高原からわざわざこんな時期に海を見に来たっていう、奇特な姉ちゃんたちだ」

「そうか。じゃ、後でいい魚を宿へ届けとくぜ。どっちの宿だ?」


「ホテル南十字星」

「おう、高級宿の方か。金持ちなんだな」


「私たち、みんな魔法使いなんですよ」


「そうか。海辺の村じゃ魔法使いは大歓迎だぜ。俺たちが漕ぐ櫂にも水魔法の魔道具が使われてるし、大型船なら風魔法士が何人も乗っている」


「ああ、やっぱり櫂に仕掛けがあるんですね」

 師匠が男に媚び始めたので、早く止めなければきりが無くなる。


「フランシス、仕事の邪魔だから村に戻るわよ」

 プリスカが腕を引いて、強引に戻り始める。


「すみません、お仕事の邪魔をしちゃって」

 私は手を振って彼らと別れ、その後を歩いて師匠のでかい尻を押した。



 帰りは、荷車どころか馬車も走れそうな立派な坂道を登った。

 古い道だが、よく整備されて歩きやすい。


「これは、かなり腕の立つ土魔法の使い手が造った道ね」

 カーラが、感嘆の声を上げる。


「うん、この一定の勾配できれいに道を繋げるのは、大した技術よ」

 リンジーも、驚きを隠せない。


 魔法に関しては一家言あるエルフも認める、立派な道だった。


 舟だけではない。この世界は魔法のお陰で、土木や建築の技術も意外と進んでいる。

 優秀な土魔法士が造った建造物は、千年経っても壊れないなどと言われる。



「さて、今夜は待望の魚介料理だよ!」



 中編へ続く



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