開花その37 精霊の卵 後編



 精霊の卵ならぬ魔獣の卵は、それまで厳重に魔力から遠ざけられていて、それに関わる者も、極力魔力を持たない無能者に限っていたらしい。


「しかしその宝玉はこの通り、強力な魔力封じの腕輪と同じ素材で造った宝石箱の中へ戻した。安心してほしい」


 うーん、その箱はあまり効果がないぞ、と私は突っ込みたいのを我慢する。


「我らの調べでは、この宝玉を狙う組織は邪神復活を狙う邪宗の一派で、今でも機会を伺い近くに潜伏している模様だ。皆様にはこの宝玉を、邪宗の手から守る協力をお願いしたいのだ」



 だが、私は子爵の言葉を聞きながら、既にそれどころではない事態に動揺しまくっている。


 何しろ、最初からテーブルの上にあった大きな宝石箱の中身を知ろうと、ずっと大出力の魔力感知で箱の内部を探っていたのだ。


 私の魔力感知は常時発動しているパッシブスキルだが、より精度を高めるためには、聞き耳スキルや身体強化魔法のように、魔力で強化する必要がある。


 だがそれだけでは今回の無能者のような存在には、無力だ。


 そこでこちらからよりアクティブな探知方法として、私自身が魔力を周囲に放射して探知する方法を考えた。アクティブソナーやレーダーの応用である。


 こんなことを思いつくのは、きっと私が転生者だからだろう。


 ところがよりによってその強力な魔力を集中して、卓上の宝石箱に向け続けていたのだ。この部屋へ来てからずっと。だって中身が気になるだろ?


 子爵の話の途中で、慌てて魔力を止めたのだが……


 いや、もう宝石箱の蓋の隙間から、何やら光の筋が漏れている。


(あ。これはもしかして、ダメな奴かも……)


 時既に遅く、箱の内部から強烈な光が差したかと思うと、部屋の中がまばゆい光に包まれた。気が付けば部屋の天井を突き破って、巨大な魔獣が復活していた。



「な,何故今!?」


 ローゼンス子爵の悲痛な叫びが聞こえたので、子爵もきっと無事なのだろう。


 さすがにここで正直に、私のバカ魔力のせいです、ごめんなさい。なんて言えないよ。


 結界を広げて崩れかけた館の壁や屋根を何とか維持しつつ、泣き叫ぶ人を救けながら、その中心地からどうにか逃れた。


 館からは、脱出する人の流れが夜の闇に溶けて消える。どこかで非常事態を告げる鐘が響き、夜空には魔法の信号弾が上がった。


 そして私たちは破れた屋根の間から、復活した魔獣を見上げる。


 それは巨大な白蛇で、両眼は赤い宝玉のごとく光っている。



「パンダ、お前の出番だ。どちらが強いか、力を見せてやれ!」

 私が叫ぶと、巨大化したパンダが魔獣の前に立ち塞がる。


 パンダは以前の魔獣ネメスの凶悪な姿ではなく、可愛い巨大パンダと化している。


 うん。魔獣は見た目が九割って言うからね。いい心がけだ。


 そしてそのまま、他人の屋敷を舞台にした大怪獣の決戦が始まってしまう。

 もう誰にも止められないよ!



 覚醒直後の封印魔獣の弱点は、パンダ自身がよく知っている。

 魔力の枯渇で、本来の力が発揮できない。


 ただこの白蛇は私の魔力をたっぷり吸ったせいなのか、矢鱈と元気だった。


 腹の大口を開いて白蛇を呑み込み、その魔力を吸収しようとするパンダの動きより素早くその体へ絡みつき、逆にパンダの首を絞めて魔力を吸収し始めた。


 必死のバカ力で大蛇を振りほどき、白蛇は屋敷の西側を半壊させる。


 パンダは用心して白蛇から距離を取り、その一歩で子爵鄭の東側が半壊する。


 いったいこれは、何のための戦いなのか?



 領主の館を半壊させた深夜の大怪獣決戦は、降るような星空の下、特撮映画のような迫力で、第二ラウンドが始まる。


 あの凶悪なパンダが簡単にやられるとは思えないが、白蛇の動きは俊敏で、力強い。


 こうなったら仕方がない。怪物同士で存分に戦え。こちらは周囲の人間の避難を優先しよう。


 何だか雪の中で似たような騒ぎを見たばかりだよなぁ、と私はうんざりしているが、これだけの勢いで屋敷が崩壊しているので、きっと怪我人も多いだろう。


 さすがにローゼンス子爵家の兵はよく訓練されていて、暗闇に火を灯し臨時の避難所や救護所を作っている。


 私は魔力感知で崩れた屋敷の下敷きになっている人を捜索したが、このやり方では無能者を感知できないことに気付く。


 そこで聞き耳スキルをフル活用して、周囲を伺った。


 幸い怪我人は全て救助されているようなので、救護所になっているテントへ向かった。



 盗賊を捕らえた私の顔を覚えていた者が避難所の入口にいて、助力を申し出ると快く中へ入れてくれた。


 そこで、気合を入れて片端から治癒魔法を使い、怪我人を治療した。


 何しろ、今の私は罪悪感の塊である。


 何とか点数を挽回せねば、との思いが私を突き動かす。


 そして周囲の静けさを不思議に思い顔を上げると、いつしかその場にいた全員が阿呆のように口を開いたまま目を丸くして立ち尽くし、私を凝視している。


 これはちょっと、恥ずかしいじゃないか。


 だが既に、怪我人は一人も残っていなかった。


「あっ、ヤバいよ、ルアンナ。またやり過ぎちゃったよう」

「自業自得です」



 この人たちは私のせいで怪我をしたので、これはとんだマッチポンプなのだ。感謝されるどころか、非難の嵐に晒されても文句は言えない。


 いや、マジで頭を下げねばならないのだが、それもこの子爵家の重要機密事項なので、言えない。穴があったら入りたいとは、こういう時のことを言うのだろう。


 それよりも、死者行方不明者はどうなんだ?

 私は、心が押しつぶされそうになる。


 私は慌てて、テントから逃げ出した。


 これは事故というか、過失と言うか、偶然のいたずらと言うか……でも私の魔力があの魔獣の封印を解いてしまったことは間違いない。


 ああ、いつか私のバカ魔力が暴走してこんなことが起きるかもと恐れていたが、想像の斜め上を行く、おかしな状況だ。


 しかし、魔獣はこの領地を守ってくれるんじゃないのか?

 どうなってるんだ?



 そうこうしているうちに既に館のあった場所はすっかり廃墟と化し、それを挟んで白蛇とパンダが対峙している。


 パンダが二つの口を開けて蛇を呑み込もうとするが、蛇は素早く動いてパンダの手足に絡みつき、動きを封じる。


 あれ、あいつ逆に魔力を吸われてないか?


 みるみるうちにパンダは縮んで、いつものぬいぐるみサイズになった。


 逆に白蛇は生き生きとして、光に包まれる。



 光が消えると、そこには巨大な怪物が四本の足で立っていた。とにかく、バカみたいにでかい。


 獅子の頭、山羊の体、蛇の尾を持つ怪物である。これはギリシア神話の、キマイラではないか。


 こういう前世でも馴染みのある怪物に出会うのは、珍しい。珍しいが、嬉しくはない。


 しかし、その尾だけでも巨大化したパンダを絞め殺すほどなので、体全体は小山のような大きさだった。



 それにしても、封印されていたのが白蛇ではなく、キマイラだったとは。


 頼むから、これ以上暴れるのは止めてほしい。


「はい、承知しました。ご主人様」

 頭の中に、お馴染みの声が響くが、パンダやルアンナではない。


「何だって?」


「私を封印から解いたこの魔力のぬしこそ我が新たなるあるじ。では、私はどういたしましょうか?」


 どうやら、キマイラの声のようだ。


「キマイラだね。あんたも私の使い魔になったのかい?」

「おっしゃる通りでございます」


「では、今からお前の名はシロだ。再び呼ぶまで、私の影の中に隠れていろ」

「承知!」


 キマイラの姿が、掻き消えた。

 何じゃこれは?



 私がパンダをけしかけたから、戦っていただけなのか?

 全部私のせいなの?


 ああ、私なんかが生きていて、ごめんなさい。


 頼むから誰か、違うよ気にするな、と優しく肩を抱いて慰めてほしい。


「大丈夫、気にするな」

 地面に両手を着いて項垂れる私の肩に、優しい肉球が当たる。


「パンダ。あんた、声だけは無駄にイケメンだよね」

「姫さん、大丈夫かい。力になれず、すまねぇ」


「ああ、仕方がないよ。まさか相手があんな怪物だったとは」

 戻って来たドゥンクも寄って来て、私の顔を舐める。


「ありがとう、みんな」

 私の頬を、涙が伝う。



 すると、影に潜んだキマイラの声が再び聞こえた。


「千年以上前の混乱期に、我は人間の集団と戦って体を失い、僅かに尾だけを残して敗れ去りました。そしてこのまま消滅するか、封印されるかの選択を迫られたのです」


 シロことキマイラの告白が続く。


「次に封印を解いた者のしもべになることを条件に、我は宝玉へ封印されました。人間の寿命など高々数十年。それだけ我慢すれば、すぐにまた自由になれる。そう簡単に思っておりましたが、千年経っても封印は解けず、しかも目覚めてみれば、主様がハイエルフであったとは……」


「残念だったね。今度から外に出る時は、小さな蛇の姿で頼むよ、シロ」


「畏まりました」


 残念なのは、私も同じだよ。


「ドゥンクとパンダとも、仲良くしてね」


「無論でございます」

 案外いい奴じゃないか。



 こうして、また厄介な使い魔が増えた。


 子爵様には申し訳なく、たいへんに気の毒で、これは言えないよ。


 それにしても千年前の人間たちは、どうやってこのキマイラを倒したのだろうか?

「まあ、私の魔法を全開でぶつければ何とかなるかも?」


「いえ、そんなことをしたら大陸ごと吹き飛びますので……」

 あ、ルアンナもいたんだね。


「そろそろ夜が明けます。フランシスたちが、すぐそこまで来ていますよ」



 ああ、この子爵家の館跡の廃墟で、いったい私は彼女たちにどう説明をすれば良いのだろうか?


 それ以前に、ローゼンス子爵に会わせる顔がない!


 これでは本当に、あのパンダが出現した雪の日の、たちの悪いパロディではないか。


 頭が痛い。ここから逃げ出したい。


 いや一刻も早く、逃げ出そう!

 それしかないぞ。



 終





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