開花その37 精霊の卵 前編
高原を流れる川は大地を削り、ゆったりとした曲線を描いて海へと向かう。
このムツミ川は大陸を南北に流れる細い流れで、その流域に開けた街道や宿場町も同様に、活気がなくてしょぼい。いや、素朴で落ち着いた佇まいだ。
大陸を東西に横切る街道は、西の穀倉地帯と東の王都とを結ぶ重要な交通を担うので、よく整備されている。
それに比して、南北を繋ぐ道は水運に置き換えられる部分も多く、道の往来が少ない分だけ、狭く険しい道が続く場合が多い。
北側の高原地帯では畑の中に平坦で広い道が伸びるが、南へ行くにつれて次第に起伏に富んだ狭い道となり、馬車の通れない険しい山道が海辺まで続く。
その中間地点を、私たちの乗った乗合馬車がゆっくりと、切り立った崖に沿って進んでいる。
道の片側は下に見える豊かな森の中を谷川が流れ下り、反対側は切り立った岩場の崖を見上げる。
時折川が迫る低い場所に架けられた頑丈な木の橋を渡り、川の右岸と左岸を行ったり来たりしながら、先人が苦労の末に切り開いた道を、馬車は進む。
「沿道の人々により街道は大切に使われていて、余程の悪天候でもない限り安心して通行できる」
と、乗る前にビビる私たちに、乗合馬車の御者のおっちゃんはクールに告げた。
その言葉を信じて、私たちは馬車に乗った。
危険な狭い道だが、その分ゆっくり慎重に進むので意外と揺れも少なく、崖下の景色さえ見なければ、楽なものだ。
途中で馬を休ませる時間も長く、のんびりとした道行きになった。
ああ、これは案外当たりだったなぁ。
乗客は私たちを含めて三組十人で、すし詰めの満員状態。
それ以外にも、馬車の後部や屋根の上には、これでもかとばかりに様々な荷物を載せている。二頭立ての馬車でこの重量、本当に大丈夫なのだろうか?
乗合馬車には特別な護衛は付かず、ただ二人の御者が交代で馬車を進める。その二人とも立派な体の大男で、常に剣を帯びている。
馬車の天井には弓矢が吊るされ、外にも槍だの斧だのが括り付けられているので、この二人が護衛も兼ねるのだろう。
まさか乗客も武器を取って戦えとか、言わんよね?
崖っぷちの狭い道で私の魔法が炸裂したら、どうなるか知らんよ?
一応私たち六人は、魔術師協会から貰ったアイテムを使い、偽名で冒険者登録をしている。こういう身元証明書がないと、旅は難しくなるのだ。
ただ、今度の乗合馬車では変な期待をされないよう、冒険者であることを隠している。みんな、武器は巾着袋へ入れているので、いつものように大店の商家の娘と付き添い、という感じで誤魔化した。
御者の二人はなかなかの偉丈夫だが、白髪の混じったおっさんなので、フランシスが色目を使って面倒なことになる心配はない。……だよね。
途中の町で商人親子が降りて以来、馬車の乗客は私たち六人だけになり、貸し切り状態になった。
私たちは、このまま馬車が通れる道の終点にある、ナラクロという村まで行く予定だ。
そこから先は道が更に狭くなり、以前のように馬か徒歩の旅になる。
今の私は一人前の大人の姿に変化しているので、以前のように一人だけ馬に乗るのもどうかと思うし、今回は余計な荷もない。
旅支度の多くは私の作った薄い本、ではなく二次創作の薄い巾着袋に各自で入れているので、目立つような大荷物もない、軽装の旅だ。
つまり、そこから先は、みんなで歩くのだな。
一応国が整備している街道の一つなので、狭いながらも道は途切れない。魔力アシスト付きマウンテンバイクみたいなのがあれば、便利だろう。
いや、創る気はないよ。高度な工業製品は部品一つ再現するだけでも大変な労力が必要だし、何より人目に付く。
結界や強化魔法の練度や精度を上げる方が、理にかなっている。
例えば今のように貸し切り状態の馬車の中であれば、揺れや振動を吸収するクッション的な魔法ができないものか?
これは命さえ守れれば良いという雑なルアンナの結界とは違う、という意味だ。
私の覚えた結界や障壁魔法も、基本的にはルアンナと同じ。必死になって命を守っていただけ。快適性など二の次だ。
しかし、まあ今日のところは揺れも振動も許容範囲だし、いい感じで眠気を誘われる。
念のため周囲の魔力を感知して、危険な魔物や山賊がいないことを確認した。
フランシスが馬車の内部に心地よい乾いた風を循環させているので、暑すぎず快適で、全員がうとうと居眠りを始めた。
こんな快適な旅は、今までなかったなぁ。
馬車の屋根には、ナラクロ村まで運ぶ大量の荷物が乗せられている。
馬車道の南の終点であるナラクロ村は、こうした貨物の集積拠点になっているようだ。
乗合馬車も、こうして人荷を同時に運ぶことで、危険な道を進むに足る利益が出るのだろう。
ナラクロまでは途中小さな村を経由しながら、残り四日間の行程になる。
私はすっかり退屈して、居眠りをしていた。
馬車の屋根に乗せた荷物に断熱効果があるのか、強い日差しの割には、客室内の温度は快適だった。
私だけでなく、恐らく全員がうとうと居眠りをしていたのだと思う。
眠っていても、ルアンナや使い魔のドゥンクやパンダは私を守ってくれているという安心感が、私たちパーティ全員の警戒心を下げていた。
気が付いた時には、右側の崖が崩落し、大量の乾いた岩石の雪崩に馬車は呑み込まれ、くしゃくしゃになって谷へ落ちて行った。
何もできず一瞬にして全員が命を落とすことに、感慨を抱く暇もない。
ただ最後の瞬間に私の脳裏をよぎったのは、転生後もまた落石によって命を落とすとは……という呆れた思いであった。
覚えたばかりの私の魔法結界は、常時発動型ではない。だから普段はルアンナの結界によってある程度守られているのだが、それにも限界がある。
常にルアンナの魔法に囲まれていては、私も息が詰まってしまうのだ。
そんな時に限って、こんな事故が起きる……
はっとして私は目覚めると、瞬時に馬車の外を五感六感総動員で探知した。
「馬車を止めて!」
叫ぶ私の声で、馬車の中で居眠りをしていた五人が飛び起き、御者のおっちゃんは素直に馬を止めた。
何事だと寝ぼけた五人が私を睨み、その珍しくも真剣な表情に揃って凍り付いた。
それからすぐに数十メートル先の崖が崩れて、目前の道を横切り谷へ落ちて行った。
凄まじい轟音と地響き、そして目の前を覆う土煙に視界が遮られる。
「崖崩れ?」
「危なかった」
「助かったのか?」
「姫様、お怪我はありませんか?」
(脊髄反射でフランシスは言うが、私だけ怪我しているわけないだろ!)
だが、私は今自分が夢の中なのか現実なのか、区別がつかない。ただこれが夢ではありませんようにと、気が付けば両手を合わせて祈っていた。
幸いこれは、夢ではなかった。
先に見た予知夢のお陰で、命を救われた形になる。
周囲の魔力を探索しても、魔物や魔術師の気配はない。
単なる自然災害だったのか?
御者のおっちゃんと、屋根の上で昼寝をしていたその相棒も、血相を変えて馬車の扉を開いて、私たちの安全を確認している。
「長いことこの道を通っているが、雨も降らねえのに、こんな激しい崖崩れは初めてだ」
「運が良かっただよ」
「いや、止まれと叫んだのは、その嬢ちゃんだったぞ」
「じゃ、あんたが命の恩人だ」
「何でわかった?」
「いや、たまたま窓から外を見たら、岩が崩れるのが見えたから」
私はいい加減な答えで誤魔化す。
「どっちにしろ、こりゃしばらくこの先へは行けねえ。前の村へ戻るしかねえな」
怯える馬が落ち着くのを待って、狭い道で馬車を方向転換させていると、後方から人の気配が。
「おい、山賊のお出ましだ」
プリスカが、凄みのある笑顔で前に出た。
馬車から離れられない御者の二人を制して、三人のエルフも魔弓を手にした。
フランシスは後方支援をすべく馬車の屋根の上へよじ登り、近寄る十五人ほどの賊の全体像を捉えた。賊は、全員が武器を手にして、顔を隠している。
「こいつら、全員が無能者だ」
私が五人に伝える。
生活魔法を使う僅かな魔力すら持たない人間、それが無能者だ。私の魔力感知に引っかからないわけだ。
「もしかして、あの落石もこいつらの仲間の仕業か?」
プリスカが言うことには一理あるが、それにしてはやることが派手すぎる。
たかだか田舎道の乗合馬車を襲撃するには、やることが大袈裟だった。
ネリン、リンジー、カーラも異様な雰囲気を感じて、牽制の弓を放つこともなく山賊の出方を伺っている。
「無駄な危害を加えるつもりはない。馬車の積み荷さえ置いて行くなら、無用な手出しはしない。その身一つで、早く逃げな」
リーダーらしき男が大声でそう言うと、賊は二列に別れて中央に脱出路を開いた。
「仕方ねぇ、お客さん。ここは逃げるしかねえ」
「いいんだね、それで」
屋根の上からフランシスが見下ろす。
「へえ。無駄に命を捨てることはねぇ」
「わかった」
フランシスがひょいと屋根から飛び降りたが、着地し損ねて危うく谷へ転げ落ちる所だった。カーラに腕を掴まれやっと道に留まり、腰が抜けたように座り込んだ。
「なんだ、戦わないのか?」
プリスカが、つまらなそうに振り返る。
「連中は無能者かも知れんが、全員が武術の達人レベルだぞ」
プリスカの言葉を受け、私はドゥンクを崖の上に行かせて、偵察してもらう。
どうやら崖の上にもまだ落石の支度をして待機する十数人の男たちがいるらしい。
これもまた、全員が無能者だった。ここは、無理できない。
「じゃ、歩いて前の村へ戻ろう」
私は生々しい予知夢の記憶が現実にならぬうちに、早くこの場から立ち去りたかった。
中編へ続く
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