開花その36 照り焼きソースの真実 後編



 話は変わって、このシュピリの魔術師協会である。


 改めて六人全員で挨拶に行こうと私は提案したのだが、フランシスは私だけで、と強く主張した。


 きっと何か、聞かれたくない話でもあるのだろう。また新たな面倒に巻き込まれそうな予感しかしない。だから嫌なんだよ。


 昨日はプリスカの件で、借りを作っているし。



 支部長は肩まで白髪を伸ばした大男で、赤いローブを纏った姿は魔術師というよりも奇術師っぽい。


「アリソン様、お目にかかれて光栄です。シュピリ支部長の、オーサー・ロンドと申します」

 その大仰な話し方も、舞台役者のようだった。


「昨日はうちのプリスカが世話になりました。ありがとうございます」


「いえいえ、おかげで常習の窃盗犯を捕らえることができ、街の衛兵も喜んでおりました。それにしてもさすがに賢者様の護衛だけあって、凄まじい腕をお持ちで」


 ひょっとしてこれは、フランシスへの皮肉だろうか?



「そう言っていただけると、嬉しいですね。このフランシスもそうですが、腕だけは一流なのです。腕だけは……」


 苦笑する私の胸の内を、察して貰えただろうか。


「オーサー殿、実は昨日お預けした書簡ですが……」

 フランシスが言いかけると、オーサーの顔が蒼白になる。


「いや慌てずとも、大丈夫。実は昨日のうちに姫様の使い魔が持ち出し、既に王都へ向かって運んでおります。勝手ながら事後の報告となり、大変な失礼をいたしました」


 それを聞いて、オーサーが大きく息を吸い込んだ。


「何と。この館で厳重に保管していた書簡を、いとも簡単に……」

 預かった書簡を紛失して、彼が非常に困っていたのは間違いない。


 そこで私はテーブルの紅茶を一口飲んで、オーサーを正面から見る。

「今日は何か、別の用事があるのではないのか?」


「いえ。ぜひ一度、賢者様にお目通りしたくフランシスに願っただけで、少しお話をお聞かせいただければと」


「私がまだ六歳の小娘と知っているのだろ?」


「はい。それこそが賢者様の成せる奇跡と伺っております」


「その上で、何が知りたい?」


「率直に言わせて戴きましょう。姫様はひょっとして、照り焼きソースの作り方をご存じではないでしょうか?」


 どうなっているのだ、この街は?



 私は黙って、巾着袋から取り出した紙きれを差し出す。


 それを読んだオーサーの、顔色が変わる。

「これは……」


「そんな物で良ければ、差し上げます」

 紙を持つオーサーの手が、震える。


「有難き幸せ。私はお礼に何をすればよろしいのか……」

「昨日世話になったからね。礼はいらないし、理由も聞かないよ」


「姫様、よろしいのですか?」

 フランシスが物欲しそうに私を見る。


「あ、それならこのフランシスの嫁ぎ先を世話してくれないかなぁ」

「……」


 オーサーの沈黙で、フランシスが昨日ここで何をやらかしたか概ね想像できる。



「いや冗談だ。私もそんな無理難題を押し付けるような悪党じゃない」


「姫様、それはどういう意味ですか?」



「実は、ここだけの話ですが」

 オーサーは、声を潜めて身を乗り出す。


「照り焼きソースの原液は、実は強力な魔力回復薬なのです。この街では極めて稀に、そのソースを使った串焼きの屋台が出ます。運が良ければ、そのレシピを教えてもらえるらしいとの噂が昔からあり、探しておりました」


「ということは、薄めた焼き鳥のたれにも、魔力回復効果が見込めると……」


 まあ、常に魔力が溢れている私には、そんな効果が実感できるはずもない。


「実は、姫様がこの街に来るなり、とある串焼きの屋台を訪ねていたと聞き、慌てて街中を捜索いたしましたが、既にその屋台は影も形もありませんでした」


 この世界には、本当に有効な魔力回復薬というものがない。それだけ貴重な照り焼きソースは、一部では伝説の秘薬だったようだ。


 オーサーは立ち上がる。

「賢者様に、遠距離で言葉を送る魔道具をご覧いただきたい。こちらへどうぞ」


 オーサーが部屋を出る。私たち二人がその後へ続く。


 オーサーが廊下の隅の部屋の両側に立つ護衛に目くばせすると、護衛の一人が扉を開ける。もう一人の護衛はフランシスを見て、ぎょっとした顔で一歩下がった。


 昨日何をしたんだ? いや、この男は何をされたんだ?



 部屋の中に置かれた机に一人の若い男が座り何かの作業中だったが、慌てて立ち上がるとオーサーへ礼をする。


「賢者様が魔道具をご覧になりたいとの事だ。説明を頼む」

 男は更に慌てた様子で、私に向かって礼をした。


「本機の基本機能についてはご存じでしょうか?」

「ええ、フランシスから聞いてます」


「本機は送信時に、膨大な魔力を要求いたします。ですから上級の魔術師でないと、扱えません。更に一度送信すると内部にダメージが残り、中級回復魔法を数時間かけ続けないと、元の状態に戻りません。最短三時間ほどで回復しますが、無理をすると損傷したまま、二度と使い物になりせん」


 そんな大事な仕事を邪魔して、ごめんなさい。


 ていうか、回復魔法って、魔道具も治せるのか。



「じゃ、今は回復魔法を施術中?」


「は。既に回復しておりますが、念のため毎日一時間は回復魔法を継続するのが運用上の取り決めとなっております」


「へえ。デリケートな道具ですね」


「はい。これ一台で王都に邸宅が持てると聞いておりますので、緊張します」


「間違っても、フランシスは近寄っちゃダメヨ」


「姫様こそ」

 確かにそうだ。


「では、賢者様の書簡を使い魔が王都へ届ける旨を、送信してみましょう」


「いいのか?」


 オーサーが、いいところを見せようと張り切っている。


 その場でキツツキの絵が描かれた美しい紙に文字を書きつけて、若者に手渡した。


「ところで、どうして最大三十一文字なのだ?」

 私は、特に期待をしていたわけではない。



「ああ、それは今でもそこが、この魔道具の超えられない壁なのです。それ故、金食い虫で役立たずの悲しいおもちゃなどと揶揄されておりますが、実際に役に立っておりますから!」


 若者は慣れた手つきで紙の文字を暗号のような数字に変換して、魔道具を操作する。


 続けて集中し、大量の魔力を魔道具へ流し始めた。


 若者の額に、汗がにじむ。


「送信後にはまた、大魔力を用いた回復魔法が必要となります。この魔道具を運用可能な魔力を持つ者は、非常に限られているのです」


 まあ、この効率の悪い道具なら、そうなるだろう。


「そこで長年、魔力回復薬を探しておりました」


 ということは、あの焼鳥屋の親父は意外と神出鬼没で、滅多にお目にかかれない重要人物だったのか?



 私は魔力感知を集中して、魔道具の内部を探ってみた。


 この世界にもあるモールス信号のような仕組みで、文字を送るらしい。


 意外とデジタルな送信機だった。


 私がスプリンクラー石に使った魔力を蓄える魔導石の技術を使えば、きっと飛躍的に性能が上がるだろう。でも監視され追われる立場の私としては、自分の首を絞めることになるのでやめておく。



 無事に送信が終わり、私は魔道具の内部をもう一度査定する。なるほど。無理がたたったのか内部に小さな魔力の淀みがあるのを見つけて、密かに回復魔法をかけておいた。


 これくらいのお礼は許されるだろう。



「貴重な魔道具を見せていただき、ありがとうございました」

 私は若者に丁寧に挨拶をして、部屋を出た。


「オーサーも、これでもう貸し借りなしでいいから、気を使わないでね」

「ありがとうございます」


「こちらこそ、昨日はフランシスがあちこち若い男性に迷惑をかけて、悪かったね」


 私たちは苦笑するオーサーに見送られて、魔術師協会の建物を辞した。



 数日後、そろそろ街を出ようかと思っていた私のところへ、オーサーからの使いが来た。


「賢者様に、ぜひもう一度協会へおいでいただきたい」

 そう記されていた。


 私は仕方がなく、フランシスを伴い魔術師協会へ赴く。



 以前と同じ部屋へ案内されると、困惑したような複雑な表情のオーサーが入って来た。


 簡単な挨拶を交わした後、オーサーが切り出す。

「実はあの日以来、例の魔道具の様子がおかしいのです」


 途端に、フランシスが険しい顔で私を見る。

 いや、違うって!


「それは、あの通信機ですね。どこか調子が悪いのですか?」


「いいえ。五台あるここの魔道具だけ、送信後の損傷がないのです」


「は?」


「ですから、送信後の回復魔法が不要なくらい、調子が良すぎるのです」


「あっ!」


 私が小さな声を上げたのを、フランシスは聞き逃さなかった。


「姫様、やはり何かしましたね?」


「あ、いや、この前の送信後に魔道具の内部に小さな魔力の淀みを見つけて、回復魔法でちょいと直しただけだよ……」


「魔力の淀みですと?」


「えっと、魔道具に流れる魔力を辿ると、そこだけ変な魔力が凝り固まる場所があったので、そこを少しだけ重点的に直してみただけで」


「ま、まさか、それが……」


「魔道具が壊れなくてよかった。まったく、姫様は魔道具職人ではないのですから、余計なことはしないでください」

 フランシスの言うとおりである。


「いや申し訳ありません。このことはぜひ内密にお願いしたく……」

 私は素直にオーサーへ頭を下げる。


「うーん、それが賢者様の頼みとあれば……」


 地味に、またやっちまったよぅ……


 私は固く握り締めた拳から、サラサラと砂が零れ落ちるような気がしていた。



 終



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