開花その36 照り焼きソースの真実 前編



 照り焼きソースの真実にがっかりした私は、宿で退屈していた。


 醬油も味噌も幻に終わったが、確かに私と同じ世界の記憶を持つ者が、過去には存在したのだ。ちょっと嬉しいような、だから何だって話なのだけれど。


 ポジティブな主人公ならここで醤油の生産に走るところだろうが、賢い方のアリソンは醤油に何の未練もなく、脳筋の方のアリソンにはそれを動かすほどのモチベーションがない。


 そのうちトンデモ魔法で何とかなるんじゃね?



 ここはシュピリという街で、宿屋はぺーターの宿という。人の良さそうな主人の名なのだろう。奥様の名はきっとハイジだ。裏庭にブランコはなかった。


 三ベッドルームを二つ確保して、エルフ三人とは別室になる。だから、フランシスの歯ぎしりからは逃れられない。



 そろそろ夕方になるが、まだエルフたちも、フランシスとプリスカも、宿へ戻って来ない。プリスカの場合は、当分戻れないのかも。


 思えば僅か一年前には、私がこうして一人で街を歩くことは難しかった。

 それが今では、護衛の二人も安心して私を一人にしてくれるようになった。


「おい、少し気を抜き過ぎじゃないか?」

 そう言ってみたいが、恐らく今の私が本気で魔法を使えば、護衛の二人も逃げ出す。


「いや姫様、心配するのはそこじゃないでしょ?」

 ルアンナの突っ込みが、頭の中へ響く。


「でも、私にもしものことがあったら、あの家臣二人はどう責任を取るつもりなのかしら?」

 私はやや不貞腐れ気味に反論する。


「心配なのは姫様ではなく、この街ですよ」

「またその話か」


「姫様がうっかり変な魔法を使えば、その気がなくてもこの街は一瞬で壊滅しますよ」

「そのために、ルアンナがいるんじゃないの?」


「いや、もう私の手には負えそうにないと言っていますが……」


 そういえばルアンナの他にも、あのエロパンダやドゥンクもいるし、一人でのんびり、でもなかったか……



 ところで、一般的な冒険者はプリスカのように、一人で行動することは少ない。


 数人から数十人規模の集団で任務を請け、パーティ単位で行動する。


 冒険者はギルドに加入し、規則を遵守してギルドを通じて依頼を受ける。ギルドは依頼を慎重に吟味し、冒険者たちがうっかり犯罪行為に加担することがないよう責任を負う。


 そこが玉石混交の自由傭兵団との、大きな違いだ。


 私の前世で冒険者と言えば、主に単独で危険な場所へ行く、命知らずの者を指していた。複数で行動する場合には探検隊、という言葉の方がしっくりくる。


 登山家を目指していた私は、学校とは別の山岳会という組織に属していた。


 大きな組織では、老若男女、様々な人がそれぞれのレベルに見合った安全な登山ができるように指導を受ける。


 登山をする人々も、複数で行動する単位をパーティと呼んでいた。


 一人の場合はソロ。日本語ではそれを、単独行と呼んだ。


 その言葉の響きには大きなリスクと引き換えに、俗世間に背を向けた孤高な生き様が感じられて、若い山好きは一様に憧憬を抱く。主に山岳小説の大家、新田次郎先生の影響だが。



 しかし一流登山家の約半数が山から帰らぬ人となる現実を考えれば、憧れるのは自由だが、それを実践するのには相当に高いハードルがある。


 しかし例えば一人旅に憧れる中学生に似て、たった一人で大自然と向き合うことは、本当の自分に向き合うための、一つの重要な通過儀礼なのかも知れない。


 私の場合は低山でしか単独行の経験はないが、いつかはソロでどこかの岸壁を制覇したいという野望を抱いていた。


 それを達成することなく三流の登山家の卵は山から帰らぬ人となったのだが、まさかこんな楽しい世界でデタラメな暮らしをしているとは、誰も思うまい。


 出来ればこの世界では無茶をせず、千年でも二千年でも穏やかに生きたい、と願う。


 しかしそう思えば思うほど、たった一年の間に私は理不尽と無茶の代名詞のような存在になり果てていた。


 どこかでリセットしたい、やり直したい、との思いで始めた今年の旅だ。幸い今のところ、大きな破綻なく過ごしている。


 まだ旅立ったばかりですけどね。



「姫様、遅くなりました」

 部屋へ戻ったフランシスは、珍しく真面目な顔をしている。


 しかし小鼻がひくひく動いているので、何か私に自慢したいことがあるのだろう。


 機先を制して、私は努めて軽い調子で言った。

「どうだった、この街の魔術師協会は?」


「うっ……姫様はお見通しと……」


「やれやれ。それで?」


「いや、実はプリスカの奴が街中で騒ぎを起こしまして、それについても魔術師協会が身元を保証して、上手く収めてくれました」


「うん、知ってる」

 半分は、嘘だ。


 しかし、そうだったのか。フランシスのグッジョブではないか。


 まさか、私は家臣プリスカを見捨てて逃げて来ましたとは言えない。



 私はフランシスに魔術師協会へは近寄るなときつく言ったのだが、そもそも王宮と結託した教会の手から逃れてエルフの里まで行けたのは、魔術師協会会長ケーヒル伯爵が尽力してくれたおかげであった。


 父上の話では、雪の谷間での騒動が王宮の過剰な介入に繋がらなかったのも、ケーヒル伯爵が教会の責任を追及しつつ取引をし、王都の貴族たちにも手を回したおかげだと聞いた。


 それを考えれば人間世界での我らの唯一の味方は、今でもケーヒル伯爵率いる魔術師協会しかない。


 とはいえ王都の魔術師協会へ行く事はあり得ない。ケーヒル伯爵領も王都から比較的近く、そこへ行くのも迷惑だろう。


 そう考えればフランシスの取った行動は極めて理性的で、私の言うことを無視するだけの根拠も価値もあった。


 だけど、それならそれで子ども扱いしないで、ちゃんとその場で意見してくれよ~

 私だって聞く耳は持つぞ。


 たぶん。



 街の魔術師協会へ行ったフランシスの行動は極めて有効で、おかげで人混みのスリを捕らえたプリスカが巻き込まれたごたごたも、魔術師協会が裏から手を回してくれたおかげで穏便に済まされた。


 黙ってその場から逃げ出した私は、大いに恥ずべきだろう。


 でもあの場に私が出て行ったら、更にややこしいことになったのは確実だ。


 そういう深慮遠謀の元で、踵を返したのだよ。わかって欲しい。



 そういうわけで翌日はフランシスに引きずられて、街の魔術師協会へ顔を出すことになった。


 フランシスが言うには、魔術師協会が隠し持つ魔道具は、遠距離通信を可能にしているらしい。


 それにより、王都のケーヒル伯爵に直接指示を仰いだとのことだ。


「大陸に五台しかない、貴重な魔道具です」

 この街の支部長が胸を張る。


 王都の本部に一台、残る四台のうちの一つがこの街にあるのだから、自慢するのも当然か。


 しかし受信は比較的魔力を使わないが、送信には大量の魔力が必要らしい。


 一度に三十一文字までしか送れない仕様で、一度送信すると魔道具には不具合が現れ、回復魔法による修復に数時間を要する、という不完全な代物らしい。


 一度に送れるのは、三十一文字。つまり短歌を一首送るのがやっと、ということだ。


 これはかつて私のいた世界で音楽CDの規格を検討した際、時の大指揮者カラヤンがベートーベンの第九がディスク一枚に収まる74分というサイズ、と天下のソニーに意見したように、誰か高名な歌人が短歌一首分は最低送れるように、と魔術師協会にゴリ押ししたのだろう。


 私は不幸にして、この世界で短歌にも歌人にも出会ったことはないが。



「で、魔術師協会にはどこまで話したんだ?」

 昨夜その話を聞いてすぐ、私はフランシスに尋ねた。


 魔術師協会へ行く前に、それだけは確認しておかねばならない。


 私たちの行動を魔術師協会へ報告するにあたり、この街の支部長とケーヒル伯爵とでは、話せる内容のレベルがそもそも違う。


 この街の支部長は、どこまで私たちのことを知っているのか?


「無事にエルフの里へ行き、人間に化けた三人のエルフと共に南へ向かっているとだけ……」


「それだけか?」


「いえ、賢者の再来と言われる姫様も、やはりエルフであったと……」


「ハイエルフの件や魔獣ネメス(現パンダ)、それに金鉱山のことなど、余計なことを話していないだろうな?」


「はい。ただ姫様のご実家で起きた魔獣復活の件は、恐らくケーヒル伯爵の耳にも届いていると思います。ですからそれを含めた詳細を書面にしたため、王都のケーヒル伯爵へお届けするよう手を打ってまいりました」


 必死にフランシスが釈明をする。


「その書面とは、これか?」

 私は厳重に封印された一通の書簡を取り出して、テーブルの上に置いた。


 フランシスが、ポカンと口を開ける。


「念のため、今さっきドゥンクに取って来て貰った。まぁ、この内容で問題なかろう」

「姫様、封が開いていませんが……」


「大丈夫、ちゃんと読んだよ」

「はぁ、そうですか……」



「これは王都まで、ドゥンクに直接届けさせるね。きっとその方が早いから」


「ああ、それは助かります。私はちょっと先走りましたか?」

 そう言いながら苦笑する。


「何か不服そうだな」


「いえいえ、実はこの街の協会も不作で、大していい男がいなかったもので……」


 相変わらず、フランシスはブレない。



 後編に続く



  

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