開花その35 南へ 後編



「ルアンナ。この先もあのスリ男には近寄らないように、気を付けてね」


「捕まえて懲らしめないのですか?」

「そんな目立つことは、しないよ!」


「姫様は正義の味方じゃないんですか?」

「いいんだよ、行く先々で小悪党に関わってたら、きりがない」


「何という堕落。ああ、純真なアリソン様はどこへ行ってしまわれたのか?」


 まるで、前世の穢れた記憶が、天使のようなアリソンの心を損なっているような言い方だ。私の前世の記憶は、誰にも話したことがないのだけど。



 後頭部を両手で抱え、ふと立ち止まった屋台から懐かしい香りが漂っている。

 私はそれを見て、目を大きく見開いた。


「焼き鳥だ!」


 しかも、懐かしい焼き鳥のたれが焦げる香ばしい香り。


 私は速足で屋台へ近寄り、炭火で焼かれた串を見下ろす。

 見た目と匂いは、完全に日本の焼き鳥だった。しかも、ねぎまがある。


「おじさん、これとこれ、たれで一本ずつ」

「はいよ」


 屋台の親父は二本の串をたれの入った壺にドボンと漬けてから軽く焼いて、私に手渡した。


 値段は確かに安くない。


 だが、ギリギリ庶民が手を出せる所で踏み止まっている。


 二本の串を片手で持って、私は屋台の横へ逃れ、かぶりついた。


「!」


 間違いなく、焼き鳥のたれだった。


 材料はたぶん、醤油、日本酒、みりんか砂糖?

 たぶん作り方は単純だが、原料はどれもこの世界では入手困難なものばかりだ。


「私と同じ、転生者がいるのか!?」


 二本の串を食べ終えると、私はもう一度屋台の前に立つ。


「このたれの味、珍しいね」

「おお、そうだろ。うちのオリジナルだからな」


「誰に教わった?」

「いやだから、俺のオリジナルだって」


「違う。この材料は、そう簡単に手に入らないだろう!」

「おや、嬢ちゃんは、この味を知っていると言いたいのかい?」


 私は黙って頷いた。


「そうか。じゃ、明日の今頃もう一度おいで。もっと美味いものを食わしてやる」

 そう言って、親父は黙ってまた二本の串を私に差し出した。


「お代はいらねえ。その代わり、明日も来てくれよ」


 新しい客の注文に威勢よく答える親父の声を呆然と聞き、私は新しい串を夢中で食べながらとぼとぼと歩いた。


 醤油以外の代用品は、あるかもしれない。

 しかしあのたれの味は、間違いなく大豆から作った醤油の味だった。


 それならば、味噌もあるかもしれない。


 私はそれからどこをどう歩いて宿へ帰ったのか、記憶にない。



 翌日、私は同じ時間に一人で宿を出た。


 今日は下着を見られないよう、膝までの短いスカートの下に旅の間に使っていたレギンスを履いている。


 伸縮性が良くないので時代劇の岡っ引きのようなスタイルだが、パンダに覗かれることを思えば我慢の範囲内だ。



 昨日と同じ道を辿り、焼き鳥の屋台を目指す。


 今日は、この辺にはスリの兄ちゃんは出勤していない模様だ。


 毎日同じ場所で稼ぐことはないのだろう。


 私が歩いているのは町を南北に貫く中央通りで、街の中央から南に広がる市場へと続く道だ。


 私たちの宿泊する宿屋は街の北側にあるので、南に向かって歩いている。


 本格的な市場の賑わいからはやや離れた場所で、しかも道幅が広がり道の中央に現れる並木の間の遊歩道に、ぽつりぽつりと出店が見え始める辺りだ。



 昨日と同じように、屋台の雑多な食べ物の臭いが風に運ばれて来る。


「さて、今日は何があるのかな?」


 私は期待に胸膨らませ、焼き鳥屋の屋台に近付く。


 予想に反して今日は十人ほどの行列ができていて、大繁盛の様子だ。

 いたずら心を出した私はそっと屋台の裏へ回り、親父の後ろから声を掛けた。


「忙しそうだね。何か手伝おうか?」

 一瞬驚いて振り返った親父が、私の顔を見て目を細めた。


「おう、姉ちゃんか。じゃあ俺は焼きに回るから、注文を聞いて勘定を頼むわ」

「はいよ」


 何しろこの店の焼き鳥はタレと塩、肉だけかねぎまか、の四種類しか選択肢がなく、値段も全部一緒だ。それなのに、どこにでもある肉だけの塩味が一番よく売れる。


 なぜだ?

 この世界ではまだ焼いたネギの甘さや、甘辛いたれの味が食事として認知されていないのだろうか。


 客の注文を親父に伝え、本数分のお代を受け取る。あとは焼きあがりを親父が客に手渡せば、それでおしまい。誰でもできる。


 調子に乗った親父がじゃんじゃん焼いて、並んだ客は次々はけていくが、一向に行列は減らない。


「どうしたんだい、大繁盛じゃないか?」


「俺にもわからねえ。昨日あんたが来て以来、ずっとこんな感じだ」

「ふぅん……」



「ルアンナ、何かしただろ?」


「ううん、ちょっと付近の精霊に声を掛けただけだよ」

「それだけ?」


「でもほら、感じるでしょ。姫様目当てに、街中の精霊がここへ来てる」

「ああ、その影響で人間も自然とここへ集まって来るんだね」


「精霊には、ほどほどにして帰るように言ってよ」

「そうだねぇ……」



 小一時間の大騒ぎの後、やっと行列が無くなった。


「ふう、すまなかったな、おねえちゃん」

「おっちゃんも大変だね」


「いや、こんなことは初めてだ。毎日こうなら大通りに店が持てる」

「それは、もう少しメニューを増やさないと」


「お、丁度いい。あんたを呼んだのも、その件だ。ちょっとあっちで待っていろ」



 私は近くの木の切り株に腰を下ろし、親父は屋台で何か作り始めた。


「ほれ、食ってみろ」

「これは?」


「うちの照り焼きソースの新製品だ」

 私は大きな葡萄の葉に乗せられた一品を手に取る。


 パンに挟まれた鶏肉と野菜。

 それはサンドイッチというよりは、不格好なハンバーガーのようだった。


「これは?」

「照り焼きチキンバーガー」


「ええっ!」


「いいから食ってみろ」


 こちらの世界の黒くて硬いパンよりも、幾分白くて柔らかな丸パンの間にレタスとトマトと刻んだ玉ねぎ、そして焼き鳥と同じソースで焼いた鳥の肉が挟んである。


 確かに照り焼きバーガーだ。チキンではなく、この世界で一般的な鳥の肉のようだけど。



「どうしてこれを?」


「ああ、あんたが昨日、焼き鳥のたれについて聞いていただろ?」

「うん」


「あのたれは、俺が死んだ爺さんに教わった、照り焼きのたれを使って焼いた肉だ」

「照り焼きのたれ……」


「ああ。そして死んだ爺さんは、そのたれを昔ある男から別の料理として教わったらしい。それが、この照り焼きチキンバーガーだ」


「何で、これを売らないんだ?」


「ああ、こいつは美味いが、作るのに手間がかかる分だけ、高くて屋台じゃ売り物にならん」

「なるほど」


「だが、たれを気に入ってその作り方を聞いて来る客が現れたら、こいつを食わせろってのが爺さんの遺言だ。それも、このたれの作り方を教わった条件だったらしい」



「ありがとう。最高に、美味いよ」


「どうだ、作り方を知りたいか?」

「教えてくれるのか?」


「タダでは無理だ」

「幾ら?」


「金貨五枚」


 私は、黙って親父の手に五枚の金貨を握らせた。例え詐欺でも何でもいい。このバーガーを食べられただけでも、金貨五枚は安い。



「ほれ、ここに作り方が書いてある」

 私は親父から一枚の紙を手渡される。この世界では、紙は貴重品だ。金貨五枚とるだけのことはある。


「おっと、そいつは後でじっくり読んでくれ。今ここで読んで、文句を言われてもかなわん。これで俺の今日の商売も、終わりだ」


「そうか。ご馳走様。縁があればまた会おう」

 私は紙切れを収納し、その場を立ち去った。


 いつか遠い昔、私と同じ転生者がこの世界に来ていた証は、腹の中に納まった。買った紙切れには、もう大きな期待はしていない。



 宿に戻ろうと大通りへ出て歩き始めると、後方で大きな人声が弾ける。


 咄嗟に魔力感知の輪を広げると、何やら馴染みのある魔力が一つ二つ、騒ぎの中心地点にあった。


 仕方がない。行くか。

 私は気が進まぬまま、反転して市場の方角へと向かった。



 市場の手前にある繁華街の路上で、その騒ぎは起きていた。


 幾重にも取り囲んだ群衆の中央にいるのは、昨日のスリ男と、我が家臣のプリスカ嬢である。


 目立つなと言っただろうが、この馬鹿者が。


 どうやら、スリ男をプリスカが見つけ、したたかに打ち据えて捕らえた、という場面らしい。


 スッた財布を収納の魔道具へ入れる前に、プリスカなら取り押さえられるだろう。

 現行犯逮捕だ。


 すぐに、街の警備の者たちがやって来る。

 私は気付かぬふりをして、踵を返した。


 まあ、フランシスがいないのならこれ以上騒ぎは広がることなく、プリスカは一人で何とかするだろう。

 そう思ってフランシスの気配を探った。


 うん、大丈夫。この街の魔術師協会へ行っているようだ。


 いや、大丈夫じゃない。身元を偽り旅をしているのだから、教会や冒険者ギルド、それに魔術師協会には絶対に近付くな、と言い含めておいたのに……



 ついでにエルフたちは……こちらは大丈夫そうだ。どこかの店でティータイムを満喫しているのだろう。


 私は気にせず宿へ速足で戻る。


 部屋に入ると、焼き鳥屋の親父から買った書付を開いた。



 照り焼きソースの作り方


 1.海沿いの森に自生する完熟したパルの実十個を、その倍の水と半分量の海水を加え鍋で煮詰める。

 2.水が半分に煮詰まったら冷まし、木樽に入れて一年熟成させる。

 3.一年後、上手くいけばとろみのある濃厚なソースが完成する。二樽に一つ出来れば上々。

 4.味は濃いので水を加えながら煮つめて調え、照り焼きソースとして使用。



 なんだこれは?


 醤油も酒も使わない。

 これは、過去にこの世界へ転生した何者かが研究の末、甘辛いあの味を再現するに至った結果だけが伝承されているのだろう。


 しかも、その者は照り焼きチキンバーガーが食える世界から来たのだ。


 この世界にも鶏に近い味の家禽はいるが、チキンとは呼ばないし、見た目は小型のダチョウだ。元は魔物に近い種類かもしれない。


 そんな世界で、チキンの照り焼きとは……



 私はがっかりして、紙切れを収納へ戻してベッドへ横になる。


 特に和食が恋しいとも思わないが、海へ行けば魚介類が美味いだろう。


 大豆から作る醤油はないが、ナンプラーのような魚を原料とした魚醤ならあるかもしれない。


 それは、これからの旅の楽しみに取っておこう。


 あとは、戻って来たプリスカとフランシスが、どんな言い訳をするかが今夜の楽しみか……



 終



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