開花その34 新しい門出 前編
谷の館に春が来て、私は六歳になった。
谷間の遅い春を満喫する余裕もなく、麓からの往来が増え賑やかになる館を密かに脱出し、私たち六人の女性は更に北方の金鉱山へと移動した。
一応説明しておくと、この六人は西方のエルフの里から冒険を共にした百歳前の若いエルフ三人組と、アラサーの魔法の師匠フランシス、そして凄腕の殺人マシン、いや魔法剣士であるプリスカと、この谷の領主の次女である私だ。
昨年貧乏男爵から子爵へとランクアップした父上の魔法騎士だったフランシスと、王都で冒険者をしていたプリスカは、今では私直属の家臣である。
成り行きで国王に大賢者と認められ、一代限りの爵位を得た五歳児である私に仕えるのは、この二人だけである。要するに、子守り兼護衛だね。
その他に私の使い魔として黒犬とクロヒョウの精霊のハーフであるドゥンクと、古代封印魔獣の成れの果ての、パンダがいる。
それに加えて、役に立つのか立たないのかわからない守護精霊である、光と闇の精霊ルアンナも常に一緒だ。
ちなみにエルフの三人組は私をハイエルフと認識し、エルフの王族として比較的大事にしてくれる。まあ、千年後にはエルフの王になるかもしれない不審人物、というところだ。
なんだかんだで大所帯のお引越しを終え、私は先代賢者エドの管理する城へ入った。
気が滅入るのは、標高の高い鉱山はまだ寒く、残雪に覆われていることだ。
山ガールであった前世の私なら雪山を見て歓喜の声を上げる所だが、今の私は長い冬を耐えて春を待ちわびた、可憐なアルプスの少女である。
エドと鉱山長のネルソンに歓迎されて、再びここで春を待つことになる。
まあ、春を迎える喜びを二度味わえるのだと思えば我慢のしがいもあるというものだ。
エルフ三人娘のネリン、リンジー、カーラにとって、谷の館で暮らした冬から春の日々は、初めての人間世界での経験だった。
しかし一応三人がエルフであることは内緒で、見た目は完全に人間と同じである。
ここへ来る前にも獣人やドワーフの町で過ごした経験があり、それほど大きな間違いを犯すこともなく日々を送り、彼女たちは単なる世間知らずの娘だと思われていたようだ。
彼女たちが最初に密接な関係を持ったのが、こんな山奥の田舎で本当に良かった。
しかし、本当にこれでよかったのだろうか?
何しろ、王国を密かに支える金鉱の秘密を、こんな簡単にエルフの三人に明かしてしまっていいのだろうか?
私は悩むこともなく、自然な流れで当然のように連れて行ってしまった。
王国の爵位を持つ私個人の家臣となっているフランシスとプリスカについては、まあ仕方がない。しかしエルフの三人については、さすがにそれはないやろ、と国王がいれば突っ込みたいところだろう。
人間世界での生活に憧れる若いエルフには、冬の間のウッドゲート子爵領での暮らしは良い経験となった。
北の鉱山には百五十年前に亡くなったと言われていたエルフの賢者、エドがいる。
当然、鉱山長のネルソンを含めて、ドワーフたちも大勢いるし獣人族も多い。どちらかと言えば、人間は少数派だ。
そんな場所なので、エルフの一人や二人、いや三人か……私は全く気にしていなかった。
子爵家の次女アリソン・ウッドゲートである私は、六歳の可憐な女児である。
その中に、前世の記憶としての私がいる。吾輩は二十歳の日本人女性である。名前はまだ思い出せない。
これを転生というか前世の記憶と呼ぶのか、悪質な憑依か寄生なのか。
しかし日本人たるこの私自身も、今ではアリソン・ウッドゲートであるとしか言いようがない。
寄生だろうが転生だろうが、完全に同じ一人の人間として、この一年を過ごして来た。
異世界に生まれた貧乏男爵家の次女として統合されたインテグレーテッドアリソンの共通目標は、生まれた谷間の領地のような王都から離れた田舎で、のんびりと自然を満喫しながら暮らすことだった。
その夢は、この一年の間に無残なまでに崩壊した。
貧乏男爵だった父上は麓の領地が増えて、多少豊かな子爵となった。
娘の私は五歳にして王宮魔術師となり、特級魔術師爵という一代限りの得体の知れぬ爵位を得た。ま、形式だけの肩書きなのだけど。
外から見れば、とても目出度い一年だと言えよう。しかもそれには、私自身の存在が、大きく関わっている。
この世界に生まれたアリソンのささやかな望みを叶えるためにもう一人の私が異世界から召喚された、いや迷い込んだのだとすれば、これは相当に皮肉な結果だ。
アリソンの持つ膨大な魔力を制御し平和に暮らすためには、前世の記憶はあまり役立っていないように思う。
それは私を守護する役目の駄精霊、ルアンナにしても同じだ。ルアンナの場合逆に面白がって事を大きくしようとしているとしか思えない。完全な愉快犯だ。
ルアンナは長く退屈な日々を過ごしていたようなので、私を格好の玩具と思っているだけなのかもしれない。
一時金鉱山に身を隠した私は、このままずっとここにいてもいいと思い始めている。
私以外の五人、特に婚活中のフランシスと人間社会に興味津々のエルフ三人組は春になって雪が消えれば、下界へ降りるのが当然と思っていたようだ。
そりゃ私もそのつもりだったけど、よくよく考えてみれば、私が人里に降りない方が、世間に波風が立たないと思うんだよ。
何しろ、死んだと思われていた賢者エドウィン・ハーラーが百五十年も隠れ住んでいた場所だからね。
「でも姫様、今回の谷の騒動で、姫様の存在を敵に察知された可能性があります。この重要な金鉱山に長居するのは、危険かと思いますが」
珍しく、フランシスがまともなことを言う。
そもそも、敵って誰だよ、と突っ込みたいのを我慢し、私は腕組みをして考えているふりをする。
そんなことは百も承知、だから君たち五人はいつでも、私を置いてここを出て行っていいんだよ。そう言いたいのはやまやまだが、プリスカが寄って来て、私の腕を掴んで離さない。
「私とフランシスは姫様の家臣。姫様を一人残して出て行くなんてことは、決してありませんから」
そのプリスカの厳しい言葉に、フランシスは実に微妙な表情で頷いていた。
きっとこいつは、一人でも婚活のため下界に行くだろうな。
「まあ、それはエルフ三人娘とも、じっくり話し合おう」
そう言って、私はその場を適当に誤魔化して逃げ出した。
「ところで姫様、ちょっと相談が」
一人で城の周りを散歩している途中、私の影から勝手に現れたパンダが、珍しく真剣な声を上げた。
私以外の五人は、鉱山へ買い物に出かけている。金山の町では、あらゆるものが子爵領よりも豊富に揃っているので、それだけでも楽しいのだろう。
この一年で、貧乏男爵領だった頃よりは、ずいぶん豊かになったのだけれど。
エルフたちも含めて、五人は意外と大金を持っている。
目利きのドワーフや獣人が出入りするせいか、多少値が張っても、服や装身具などは一流の品揃えがある。
それに、何しろ金さえ出せば海鮮料理まで出す食堂があるし、酒に至っては大陸中の珍しい銘柄が飲める。
恐らく今夜も、それらを城に持ち込み大騒ぎをするつもりだろう。
私を呼んだパンダは、何やら切羽詰まったような、苦悶の表情をしている。可愛い子パンダだけど、何となくわかる。
「どうした? 腹でも下したような顔をして」
「さ、さすが姫様。おっしゃる通りです」
冗談を簡単に肯定されて、私の方が固まる。
「実は千年ぶりに復活した折に呑み込んだ魔力の元をすっかり吸い尽くし、抜け殻を排泄したくて堪らんのです……」
「なんだと! それは、お前が谷で呑み込んだ大勢の人間の亡骸の事か!?」
とんでもない話に、私は叫んでしまった。
「へい。呑み込んだ人間も魔物もとにかく数が多くて、どこか広い場所……例えばこの城の玄関ホール辺りで一思いに出してしまいたいのですが……」
「うーむ」
私は考え込んでしまった。
今は私たち六人しか利用していない白亜の城塞は、城としては小規模だが滞在するのは私たち六人だけで、無駄に広く感じる。
だが、入口の広いダンスホールに、あの夜この化け物に食われた大勢の賊の亡骸を排泄されるのも困る。しかも人間だけでなく、魔物も含んでいるらしい。
「それで、どんな状態で出て来るんだ?」
場合によっては、正視に耐えないグロい物が大量に出るのだろう。この世界の倫理的に、これは大丈夫なのか?
しかも、私たちの暮らす宿の玄関ホールだ。そこに死体の山を築くのは、ちょっと抵抗が大き過ぎる。
「とりあえず城へ戻り、サトナに相談してみるか。おい、途中で粗相するなよ」
サトナはエドの補佐をして城の管理を行っている、北の森の精霊だ。
「まさか。姫さんじゃあるまいし、それくらいは我慢できますぜ」
「貴様、何故それを知っている?」
「えっ、い、いや六歳の女の子がオネショをするくらいは、そんなに恥ずかしいことじゃありませんよ……」
「馬鹿者。それは五歳の時の話だ。六歳になってから粗相はしておらん!」
私はドゥンクを呼び出しその背に乗って、城への道を進んだ。
振り向くと、後からパンダが四つ足で走って追いかけて来る。
「早く来い! 途中で漏らすなよっ」
言いながら、私が抱えて連れて来ればよかった、と思う。
でも途中で漏らされると困るので、何も言わずともドゥンクは逃げるように足を速めた。
後編へ続く
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