番外1 大地の迷い人 後編



 五人は極めて真面目に、全力でウッドゲート領へ向かっていた。


 何しろ、僅かな人数とは言え、人を背負ったまま非常識な速足で駆け抜ける、異様な集団である。目立たぬよう極力人家の少ない場所を選んで、密かに北上している。


 平原に関所などはないが、途中で不審者扱いされて騒がれるのも困るし、とにかく余計な面倒は御免だ。


 緩やかな上り坂が続いて次第に気温は下がり、確実に北へ進んでいることを実感する。



 今は、フランシスとプリスカが、リンジーとカーラの背で休んでいる。


 やや広めの道なので、先頭に立つネリンの左右後方に、三角形を描くようにリンジーとカーラが続いていた。


「今まで、人間世界の主従関係というのは、理不尽で野蛮な風習だと思っていました」

 風にかき消されぬような声で、ネリンが言う。


「確かに、主君のため自らの命を捨てることにどんな価値があるのか、エルフには不可解な思想だと私も思います」


 リンジーの同意に、ネリンが続けた。

「でも姫様と、このお二人の関係を見ていると、何だか羨ましくなります」


「そうですね……」

 リンジーとカーラがそう言いながら、大きく息を吐いた。



「姫様はエルフ唯一の王族です。本当ですよね? でも、あの存在自体が冗談のような姫様を命懸けで守れとは、まともなエルフなら誰も言わないでしょう?」


 カーラは、どうして自分がこうして必死の思いで走っているのかも、不思議に思える。


「少子化に悩むエルフは子供を大切にしますが、里の外から来た怪しげな一人の子供を守るために、三人の大人のエルフが危険に飛び込むのは、いささか合理性に欠ける行動でしょう」


 リンジーは、一般的なエルフの考え方を口にしているに過ぎない。


「しかもこれは、人間として生まれたアリソン様が、家族を救いに行っただけの事。人間同士の勝手な争いの可能性が高いです。フランシスとプリスカはともかく、私たちには関係のない話でしょう」



「しかしその姫様は、私たちの命ばかりか、エルフの森の危機をも救ってくださった……エルフの恩人であり、尊敬すべき存在です」


 ネリンは、そのどれもが人間の行った愚かな行為の結果なのだと理解した上で、言っている。



「そうです。本来ハイエルフは長い年月を生きることで偉大な存在となり、自然とエルフの王としての尊敬と信頼を得て、敬われます」

 またも、リンジーは一般常識内での考え方を踏襲した。


 それを聞いたカーラが、すぐに続ける。


「でも、姫様は、既にハイエルフとして森を魔物から救ってくれました。あの子、いやあの人は、何だかわからないけど、普通のエルフにはない別のモノを持っています。それは魔力とは別の、エルフだけのものではない、種族を超えた特別な何かです」


「そう。私も絶対に、姫様を失ってはいけないと感じます」


「はい。そして私たちは、それを全てのエルフに知って欲しいと願っていますよね」


「急ぎましょう!」


 エルフ三人娘にも、おぼろげな目標が見えていた。



「しかし、こちらの道で本当に大丈夫なのですか?」


 田園地帯の小村を繋ぐウッドゲート領への道は複雑で、フランシス以外には分からない。


 ここから直接谷へ向かう大きな街道はなく、見渡す限り同じような風景の冬枯れた畑と低い丘が続くばかりだ。取り立てて目印になる物もなく、行き交う人もほとんどいない。


 アリソンたちが王都へ行く際に辿った街道は、もっと東に寄っている。


 昼間は遠い山の形を見て方角を確認し、立ち寄った村で道を尋ねることもできるが、夜の闇を走る時には非常に心もとない。


 大きく見れば大平原地帯なのだが、細かな地形はそれなりに入り組みねじれて、網目のように分かれる用水路や連なる小丘をぐるりと回りこむような道が、くねくねとどこまでも続いているのである。


 星明りもない曇った夜には、知らず知らずに逆方向へ走っていても、誰も気付かないだろう。


 そもそも、責任者がフランシスである。

 他の四人は悉く、大きな不安を心に抱えていた。


 今のような状況で道を間違え路頭に迷い、無駄な時間を潰すなど、悪い冗談としか言いようがない。



「だから、あの遠い北の山並みの、三本続くとんがり頭の一番右の峰から左へ折れ曲がって降りている尾根を越えた向こう側が、谷の領地ですから。覚えておいてください!!」


 フランシスは遠く白い山脈を指差して何度も言うが、微妙に見る位置が変わると、どの尾根だったのかが怪しくなる。


 だから、必死で闇夜を駆け抜けた後の朝、明るくなっても雲で山が見えない時には、絶望的な思いになる。



「東の空が明るくなったのは、あっちだよ」


「ということは、ちょっと東へ寄り過ぎたんじゃないの?」


「戻るのは嫌だから、なるべく北向きに進もうよ」


「で、そもそも、どっちが北なのよ」


「だから、東がこっちで……」


「違うよ、先に明るくなったのは、その丘の左側だって。ねえ、そうでしょ、フランシス!」


「いや、私はネリンの背中で寝てたから、知らないわよ」


「クソ、役立たずがぐ~すか寝やがって……」


「えっ、この道は本当に北へ向かっているのかって? そんなことを寝起きの私に聞かれてもねぇ……」


「この冷たい風が吹き下ろしてくる風上が、きっと北でしょ」


「ああ、どこかに村は見えないの?」


「ねえ、フランシスってば! 先ずはよだれを拭きなさい!」

 寝ぼけるフランシスを、プリスカが一喝する。


「あああ、私の背中がよだれでぐしょ濡れに……もう、この牛女!」

 背中へ押し付けられる大きな胸の感触に、自信をゴリゴリと削られ続けていたネリンが、叫ぶ。


「そうよ。早く目を覚まして進む方角を指示して、牛女!」

 総じてスリムなエルフにとって、フランシスの胸は気に障る部分だった。


「今度はあなたが先導ですからね、牛女!」


 プリスカも黙り込むほどの、エルフの三連撃であった。



 標高が上がり小さな丘が目前に迫ると、遠くの景色が遮られ、目印の山が見えなくなる。


 悪いことに、雪もちらつき始めた。


「そこの小山の向こうが、きっと谷へ続く街道だよ」


 フランシスに言われて、狭い山道を登る。頂上には崩れた古い砦の跡があり、そこから周囲を見渡した。しかし、眼下の狭い谷筋に街道はない。



「たぶん、あそこの大きな杉の木の脇を北へ向かう道を行けばいいだろう。さあ、行くよ」


「たぶん?」


「ああ、大丈夫。任せておけ」

 背中の二人を起こさぬよう小声で話し、そっとその場を離れる。



 その夜、降り積もった雪で周囲は真っ白に変わった。


「がんばれ、この尾根を越えれば、谷が見えるぞ」


 雪明りの道を行くと、月に照らされた峠からの眺めが良い。


「ほら、向こうの尾根に砦が見える。あそこがウッドゲート領だ」


「つまり、これのもう一本向こう側の谷ってことね」


「まさか、あの砦も廃墟じゃないでしょうね?」


「いや、大丈夫だ。しかし砦は敵の手に落ちている可能性がある。気付かれぬよう進むぞ」


 谷を越えもう一本の尾根を越え、段々畑の中を登る道を辿ると、再び峠を越える。その向こうに、やっと大きな谷が見えた。


「あの谷が、ウッドゲート領の入口よ」


「って、かなり東へ行きすぎて、戻って来たんじゃないか!」


「いや、でも、概ね方角は合ってたし……」


「どこが!」



 だがその時、谷の奥で小さな光が爆ぜて、遠く微かな地響きが聞こえた。


 背中で休んでいた者も、僅かな気配に目覚めて、地面に降りる。


「間に合ったの?」


「いや、わからんが、とにかくあそこまで急ごう!」


 フランシスを先頭に五人が向かう谷の上流は、地吹雪の舞う極寒の世界だった。


「あんたのお陰で、みんな少し疲れ気味だけどね。でもとりあえず、ここまで連れてきてくれて、ありがとう」

 小声で呟くプリスカの声は、風雪にかき消された。



 こうして五人は七日ぶりにアリソンに合流し、魔獣ネメスとの戦いに挑むことになる。






  

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