番外1 大地の迷い人 前編
「私たちの力が足りないばかりに、姫様に置いて行かれてしまった……」
アリソンの飛び去った空を見上げて、フランシスが呆然と呟く。
「姫様のご実家の重大な危機だというのに……」
プリスカも同様だった。
「な、情けない……」
アリソンの姿が北の空に消えた後、五人はがっくりと肩を落とし、今出来たばかりのざわつく湖の岸辺に、精魂尽き果てて倒れた。
迷宮最下層での死闘を終え、その場でボロボロになった身体をアリソンに治療してもらった上に、空になっていた新しい武器の魔力も完全に補充された。
その後、魔力切れで重い体を無理やり動かし、武器の魔力を頼りに残敵を掃討しながらどうにか地上へ戻ったが、そこが限界だった。
迷宮の戦いで負った傷は、フランシスとアリソンの治癒魔法により一度全快している。
だがその後の五人は、自身の魔力がほぼ枯渇した状態で、武器からの魔力供給による身体強化魔法を駆使して、無理やりに体を動かし続けた。
その肉体は、筋肉や関節などあらゆる部分が過負荷となり、小さな損傷や疲労が蓄積し、限界を迎えている。
外見上も泥と血にまみれた防具や服は野晒しの戦死者のようで、迷宮から出るまで常に張り詰め続けていた集中力も失せて、精神的にも限界だった。
遠くから見れば、アンデッドの群れ。ほぼ、動く死体のようなものだ。
「姫様の言われた通り、一度休みましょう」
意識が遠くなりそうなフランシスが、唇をかんでやっと声を出した。
「そ、その後は?」
さすがのプリスカも、眉間に指を当てうずくまっていた。
「もちろん、私たちも姫様の後を追います!」
即答する三人のエルフの言葉で、二人の体に力が戻る。
「ここから一番近いエルフの村は?」
「私たちが案内します!」
五人は残る力を振り絞って立ち上がり、武器に残る魔力を利用して再び身体を強化し、森の中をよろよろと歩き始めた。
「直線的に森を北東へ向かうよりも、東へ移動して一刻も早く森を出て、走りやすい平原を進んだ方が結果的に速いと思うんだ」
エルフの村で一晩休んで服と装備を予備と替えた五人は、プリスカの提案通りに森の中を東へ走る。
だが、一夜休んだだけでは全快とまではいかない。
「身体強化魔法は、姫様が補充してくれた武器の魔力を使いましょう。その分走りながら体を休めて、少しずつ回復するように」
だが、走りにくい森の中には、追い打ちをかけるように魔物が出現する。
大木に隠れて、巨大な黒い影が接近した。
手足が太く短いカエルのような魔物は、太ったトカゲのようにも見える。ずんぐりした姿からは想像できないほど素早く動いて、鋭い爪で襲い掛かる。
プリスカが剣を振るい、先制の一撃をどうにか防いだが、黒い腕は刃を通さず火花を散らして、逆にプリスカの体を大木の幹に叩き付けた。
よく見れば、その体は艶のある黒い鱗にびっしりと覆われていた。
「なんだこいつは。見たことのない化け物だぞ!」
「これも迷宮の魔力により強化された魔物の一種かもしれない」
距離を取ってから、三本の矢が魔物に向かう。しかし、回避する動きは素早い。
一本は木の幹に当たり、もう一本は木の葉の茂みに防がれ、背中に命中した一本は、プリスカの剣と同じく弾かれた。
「半端な魔法や物理攻撃が通らない!」
「魔力を温存している余裕はない。全力で倒して先へ進むぞ」
フランシスはそう言って自ら接近し、十数本の氷の槍を魔物へ向けて放った。
広範囲の攻撃に魔物が樹上へ逃げるのを追って、氷属性を帯びたエルフの魔法の矢が飛ぶ。
その一本が左腕に命中すると、その周囲が白く凍り付いた。
地上へ落下する魔物へ向けてプリスカが接近し、これも氷属性を帯びた剣で足を狙う。
これは大きく振った尾に遮られるが、尾は半ばから切断された。
一瞬動きの止まった魔物へ向けて、再びエルフの矢とフランシスの氷の槍が飛来する。
咄嗟に後方へ飛退いた魔物の腕と首に、矢と槍が何本か刺さる。
「氷属性の魔法攻撃は有効だ!」
大きな口を開いた魔物が、黒い息を吐いた。毒霧に包まれた草木が、瞬時に枯れる。
「これは毒のブレスだぞ!」
エルフが結界を張り、フランシスが放った風魔法でブレスを吹き飛ばす。
一瞬の動きで魔物の懐へ飛び込んだプリスカが剣を一閃し、魔物の太い首を落とした。
「思ったよりも、手強い魔物だった……」
「こんなのが何匹も出てきたら、大変です。一刻も早く森を抜けましょう」
カーラが青い顔で促した。
「よし、みんなの怪我がなければ、すぐ出発だ」
「大丈夫です」
「行けます」
「よし、行こう」
だがそれからも何度か魔物の襲撃を受け、逃げ切れずに戦闘となることもあった。
しかし、足を止めている時間はない。闘いが終われば、すぐに休まず走り続ける。
「さあ、ここが踏ん張りどころだよ!」
プリスカの声が森に響く。
その声が魔物を引き寄せることになるとしても、今は振り切って走り続けることが重要だ。
アリソンが出発した後、一晩だけ休んでから森の進行を始め、丸一日になる。
そろそろ森を抜けるだろうか。そう期待して五人は走り続けている。
「姫様はもう故郷の谷へ着いて、状況を把握していることでしょうね」
森の中を先導するカーラが振り返る。
「姫様は斥候などとおっしゃっていましたが、きっと我らのところへ戻るつもりはないのでしょう」
すぐ後ろを走るプリスカが答えた。
「何よりも、私たちを巻き込まぬようにと、慌てて飛び出して行きましたから」
リンジーが、その後ろで諦めたような声を出す。
「谷で何が起きているのかわからぬ以上、一刻も早く現地へ着き姫様に合流せねば。我らの姿を見て嬉し泣きする姫様のお顔を楽しみにして、頑張るぞ!」
フランシスは、気合を入れ直す。
その頃のアリソンが鉱山の快適な城の中で、温泉に入り食っては寝ているばかりだったとは、夢にも思わぬ五人であった。
実際に森を抜けるのには、それから更に一日かかった。
森から出て境界の川を渡り、人間の領域に入る。そして、森から十分に離れた原野の中で、休憩する。視界の開けた原野に出れば、魔物の数は極端に減った。
ここで、カーラが宣言する。
「私たちエルフは、このまま人間の世界を旅するつもりです。ですから長耳の姿にはならず、ここからは人間として暮らしますので、よろしくお願いいたします」
そしてエルフの服を、途中の村で用意した人間風の服へと着替えた。
生き物の少ない荒れ地を更に北東へ進めば、やがて人里の点在する田園地帯に入る。あとは、比較的平坦な道を谷へ向かって進むのみだ。
「我々も時間が惜しいが、到着した時に疲弊しきっていれば足手まといになるだけだ」
走るだけ走ってから、突然プリスカが切り出すと、フランシスが後を継ぐ。
「ここから先は、一人が道を先導し、残る四人は一人が一人を背負い、その間に背中の二人を休ませつつ進みましょう。これを五人で順に交代しながら、休まず走り切ります」
「いい考えね。了解よ。背負われている間に武器への魔力補充をして、睡眠をとり、体力、魔力の回復ね」
カーラがエルフを代表して、即座に賛同した。
「馬を二回続けるのはキツイので、馬の後は先導と背中、という決まりで行こう」
「となると、先導―背中―馬―背中―馬という順ですね。了解です」
「姫様に戴いた巾着袋に入っていた携行食がまだ残っているだろうから、各自で食事は済ませるように」
そう言ったプリスカが首に下げた巾着袋から、まだ湯気の立つ焼きたてのアップルパイを取り出して美味そうにかぶりつき、ついでに冷たい果実水のボトルを取り出して、喉を潤していた。
プリスカのような冒険者の携行食といえば、固く乾いた不味い物として有名だ。
それのどこが携行食やねん!
喉元まで出かかった言葉を吞み込んだネリンは、恥ずかしがって突っ込み切れない自分が情けなく、悔しそうに拳を握り締めた。
「ああ、こんな時に姫様がいてくれれば続けてドカンとボケてくれて、私も安心して突っ込めたのになぁ………知らんけど」
ネリンのどうでもいい独り言は、吹き始めた西風にかき消される。
「さあ、行くぞ。私が先導するから、後ろは適当に組んでくれ!」
フランシスの掛け声で、長い移動が再開された。
後編へ続く
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