番外2 戦士の休息
これは、私が谷間で師匠との魔法の修行を始めた頃の話である。
私の魔術修業は、実質的に冗談のような成果しか出ていない。
だから、師匠は焦っているのだろう。
何とか出来た着火魔法は、まだいい。
だが水魔法の方は、ひどかった。
せめてテレビショッピングで車を洗っている黄色いマシン程度にまで威力を落とさねば、そのうち大惨事が起きるだろう。当分は、封印だな。
異世界の一般常識人の範中で暮らす田舎貴族とその家臣たちは、私とフランシスという見慣れぬ異物に対して、極力目を逸らすべき
まあ、排除されないだけマシ、という考え方もあるので文句は言えない。
ただ、そこにフランシスを加えるのは、少し酷かもしれない。
要するに、私は一人だけ浮いているのだ。
遂に覚えた空中浮遊魔法、とかいう楽しい話ではない。
もしかするとそれは、私の守護精霊となったルーナの使う、何らかの魔法による効果なのかもしれないが。
とにかく色々やらかしている私に対して、領内の人々の関心は驚くほど薄い。
だからといって別に、私は寂しくなんかないぞ。
いや別に、かまってちゃんや、ツンデレの類じゃなくてね。
兄上や姉上と違って専属の護衛やメイドがいなくても、それだけ干渉されないことを、もっと喜ぶべきだと思うのだ。
別に、兄上と姉上を妬んでいるわけではないぞ。いやホントに。
それよりも、私が自由を謳歌する上での最大の難関は、魔術の師匠であり最近は護衛兼侍女のような仕事までしているスーパーウーマン、フランシスの存在だ。
師匠には色々世話になっているが、時折キレて顔を出す元ヤンのキツーい性格により、五歳児の貴族令嬢には教育上芳しくない言動が、目に余る。
最初はただの意識高い系の優秀な魔術師だと思っていたのだが、化けの皮が剥がれるのは早かった。
父上も母上も、男爵領の魔術師長も、フランシスの持つこのヤンキー気質が深窓の令嬢にどれほど惨いハラスメント行為を行っているのか、よく知ってほしい。
しかしこの異世界の辺境にある谷間にはハラスメントという概念もなく、そもそも私自身に対する関心すらも、とても低い。
そこで私は、せめて一日でもいいから、この元ヤンの監視の目を逃れ、自由を謳歌できる機会を伺っていた。
そのⅩデーが来たのは、フランシスを含めた魔術師チームが総出で森中に張り巡らされた結界を総点検する日だった。
今年は魔獣ウーリの事件があり、あちこちで結界柵が破れていた。
応急手当はしているものの、これから魔物が活発に動き出す夏を前に、徹底的な点検と補修が必要だった。
ああ見えてフランシスは多くの魔術師に慕われる上級魔法使いなので、担当地域では先頭に立って作業を指揮することになる。
勿論そんな危険な作業に、私が同行できるはずもない。
というわけで、数日間、私は野放しになるのだ。たぶん。
とはいえ、貧乏男爵家の令嬢には、お貴族様とは思えないほど、更には五歳児とは思えないほど、家の雑用が次々と降りかかる。
屋敷の庭を掘り起こして造った畑の世話や、家畜の世話。それに母上に教わりながらの針仕事や料理の下ごしらえまで、屋敷の使用人がやりそうなことは何でも一通りやるのが、この家の伝統のようだ。
それ以外にも勉強や行儀作法など、本来の貴族として学ぶべきことも多い。
名前ばかりの深窓の令嬢だったのだ、私は。
しかし最近では、魔術師修業が私の主要な義務となり、フランシス不在で穴の開いたスケジュールを埋めようとする母上も、今は館周りの結界点検で忙しく、そこまで気が回らない。
兄上や姉上には、何かそれなりの役割が与えられているようで、忙しそうなのに。
私はその隙を逃さず、普段は一人で抜け出すことすら不可能な館の外へ出た。
ははっ。ひとたび館の外へ出てしまえば、もう私を止められる者はいない!
この忙しい時期に、そんな暇人は、この谷にはいないのだ。
昼食の後で暑い時間だったが、天気は上々で人の姿はない。
私は館を出て真っすぐに、町の外れへとやって来た。
そこは街道の脇を流れる小川に小さな木の橋がかかり、土手の周囲は丁度いい木陰になっていて、隠れてゆっくり読書するには、もってこいの場所だった。
以前に一度、姉上と二人で(もちろん護衛と侍女付きで)遊んだことがある場所だった。
私は脇に抱えた書物を落とさぬよう慎重に土手を降りようとして、足を止めた。
腰を下ろして読書するのにちょうどいい、一番太い木の陰に、人の姿を見つけた。
それは大木に背を預け、木陰の草の上で気持ちよさそうに眠る、一人の男だった。
なんだ、こいつは。
剣を脇に立て掛け、のんびり眠っているのは、若い兵士だった。
よく見れば十代半ばほどの、幼さの残る顔立ちをしている。
こんな場所で昼寝をしている盗賊はいないだろうから、今回の結界総点検に当たる兵士の一人なのだろう。
それにしても、いい度胸だ。
服装からして領の正規兵ではなく、きっと傭兵なのだろう。
慢性的な兵士不足に悩む男爵領では、騎士団以下の兵士以外にも傭兵団と契約して、幾つかの小さな砦の警備などを任せていた。
個人の傭兵は受け付けていないので、その傭兵団の一員なのだろうが、こんな場所で昼寝をしていていいのか?
いいわけないよな?
近寄る私の足音を感じたのか、男が目を開く。
無防備に眠っていたのでないとすれば、確信犯なのだろう。
「こんなところで、昼寝か?」
私は警戒しつつ、数メートルの距離を置いて声を掛けた。
両手を上げて大きく伸びをして上体を起こした黒髪の兵士は、まだ少年というべき若さである。
「あんたは、結界柵の点検に来た傭兵ではないのか?」
私はやや安心しつつ、立ち止まったままで話を続けた。
「ああ、よく知ってるな。もしかして男爵家に縁のあるお嬢さんか?」
「ま、まさか。違うわ!」
「そりゃそうか。そんなお嬢様が、こんな場所まで一人で来るはずがないか」
「何故一人とわかる?」
「ああ、それくらいの気配を感じなければ、魔物を相手にする剣士として生きてはいけないさ」
「へえ、見た目はチャラいが、腕はいいようだな」
「嬢ちゃんは、一人で何してるんだ?」
「私は、木陰で本でも読もうと出て来ただけ……」
「ふうん」
「それよりお主、傭兵だろ。昼寝なんてしている場合か?」
「ああ、いいんだ。こんな天気のいい日に最高の木陰を見つけちまったからな。これは昼寝をするしかないだろ?」
「???」
「嬢ちゃんは、昼寝をしないのか?」
「そんなことをしている暇はない。夜はたっぷり寝ているから」
「本当に、十分寝ているのか? その年なら毎日昼寝をするのは当たり前だろうに」
男はわかったようなことを言う。
だが、五歳児とは、そういうものなのだろうか?
私は、自問自答してみる。
睡眠時間は足りているか?
イエスだ、毎晩爆睡している。
それは、五歳児にとって?
二十歳の女性にとっては、十分すぎるだろうねぇ。
でも、もしかしたら、幼児には、もっともっと睡眠が必要なのでは?
なるほど。
では昼寝をしてみようか?
私は兵士の隣へ行き、草の上にごろりと横になる。
抱えていた本が、ちょうどいい枕になった。
「な、気持ちいいだろ」
「ああ、これは最高」
すぐに、私の意識は遠のいた。
目が覚めると、もう日が暮れかけていた。
いくらなんでも寝すぎた。
顔を上げると、あの傭兵が土手の上から見下ろしていた。
「よく寝てたな」
恥ずかしさに、顔が熱くなる。
「何か悩みでもあるのか?」
黙っていると、傭兵が土手を降りて、私の隣に腰を下ろした。
「悩んだ時には、こうして瞑想をしてみな」
そう言って、先ほどのように体の力を抜いて座り、背中を木の幹に預けた。
「俺はこれを、集中瞑想という名前で教わった。自分の体を含めて周囲のすべてから意識を切らさず、しかもあらゆるものに意識を集中するんだ」
若い剣士は、そう説明を始める。
「ただ、そこにあるものを、あるがままに意識するだけで、解釈したり、考えたりしてはいけない。何もかも、ありのままに、そのままで自分の中に受け入れるんだ」
「ひょっとして、さっきやっていたのも、それなの?」
「そう。居眠りしていたんじゃないんだぜ」
「だから、私が近付いたことも、他に誰も近くにいないことも分かったのね」
「そうだ。俺は剣術の修行の一環として毎日やっている。あんたも、魔術の修行の合間にやってみるといい」
「どうして、私に魔術の修行って……」
「この谷に、水晶砕きのアリソンを知らない奴は、いないよ」
私は、最初から彼に見張られていたのか。
「誰に頼まれたの?」
「それは違う、偶然だ。ちょっとサボって瞑想するつもりが、熟睡する姫様をこんな場所に一人で放っておけないだろ。おかげで半日サボる羽目になっちまった。帰ったら、親方から相当怒られるな」
「……もう!」
「さ、暗くなる前に館まで送ってやるから、帰るぞ」
「わかったわよ!」
「毎日お昼寝しとけよ」
「うん。瞑想もやってみる」
「そうだな」
夕日に染まる空を見上げながら、私はその若い剣士に手を引かれて、館へ帰った。
それはまるで、デスゲームの中の、ほんわかとした休息日のように、幸せな記憶として私の中に残った。
異世界で前世の記憶を取り戻して以来、この世界も悪くない、そう思えた数少ない時間だった。
終
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