開花その32 魔獣ネメス 後編
「でも、姫様だけなら、魔獣に食われても大丈夫だと思いますけど」
ルアンナが、嫌なことを言う。
「どうして?」
「姫様の大量の魔力を消化しきれずに、お腹を壊すでしょう」
「死ぬかな?」
「たぶんその前に、吐き出すでしょうけどね」
「それで弱らずに、パワーアップだけしたら嫌だな」
「その可能性も、大いにありますね」
「じゃ、食われないようにしよう。って、当たり前だよ!」
そんな不毛な会話をしていると、私は、以前何かのアニメで見た、『アブソリュート・ゼロ』という単語が頭に浮かんだ。
確か、マイナス273度、絶対零度のことだ。あらゆるものが凍り付く極低温。冷凍魔法の極みであろう。
そこまで達することはできなくても、大口の中を凍らせてしまえば、幾ら魔獣でも動けなくなるはずだ。
今のところ、ネメスの攻撃は巨体の手足を使った打撃系のみで、魔法による遠隔攻撃は何もない。魔力が不足していて、それどころではないのかもしれない。
ここで下手に追い詰めると、何かとんでもない反撃を食らう可能性はある。
しかし、復活直後の魔力枯渇状態から抜け出るため、手当たり次第に魔力を補充しようと暴れている今の姿を見る限り、手の届かぬ空中にいれば安全だろう。
私の風魔法のコントロール能力では、ひたすら飛び回ることは何とかなるが、同じ場所に留まることは難しく、結構神経を使う。
いや、出来ないわけじゃないよ。
しかし今、私には試してみたい新たな技があった。
風魔法で長い間空を飛んでいるうちに、何となく覚えた重力魔法である。
何となく魔法を覚えてしまうとは、さすがに私は魔法の天才だ。
この重力魔法をちょびっとだけ使い、風魔法と併用することで、飛行が安定する。
長い間飛び回っている間に覚えたテクニックだ。
私も、無駄に空を飛んでいたのではない。(自慢)
重力魔法を使えば、空中の同じ場所へ留まることも容易になる。確か、ホバリング、って言うのかな?
私は既に重力魔法の素を大量に用意し、収納に入れてある。
その重力魔法には、別の使い方がある。
まだ使ったことはないけど、出来るはずだ。たぶん。
「みんな、よく頑張ってくれたね」
私は森に散会して、魔獣ネメスに散発的な攻撃を浴びせて牽制している、五人の冒険者に上空から声を掛けた。
五人の攻撃はそれなりにダメージを与えていて、傷を修復するために、せっかく摂取した魔力を使わせている。
「これから、冷凍魔法で攻撃を始めるよ」
私の言葉に五人の攻撃がぴたりと止まり、素早く、というより必死でネメスから離脱するのを感じた。
そんなに一生懸命に逃げなくてもいいのに……
これが私への、信頼感の表れなのだろう。巻き込まれたら死ぬ、とでも思っているに違いない。
私は森で暴れるネメスの大きく開いた口に向けて、冷凍魔法を放つ。
多少の魔力は吸い取っているようだが、低温により、明らかに体の動きが鈍くなった。
「効いてるよね」
「はい、この調子です」
私はルアンナに勇気付けられて、更に魔力を込める。
口を簡単に閉じられないようにと、その周囲を重点的に凍り付かせる。
続いて、ネメスは苦し紛れに腹のでかい口を開いた。これはチャンスだ。
私はその腹に向けて、思い切り冷凍魔法をぶつけた。
腹の内部が凍り始め、ネメスは動きを止めた。いいぞ。
私は冷凍魔法でパンダを冷やしながら、同時に重力魔法でその巨体を圧縮し始める。
物体を圧縮すると、熱が発生する。しかしそれを上回る冷凍魔法が、その熱を奪う。
パンダの巨体は凍りつつも徐々に縮み、縮小していく。
全体に圧縮されて手足が引っ込み、フォルムが丸みを帯びる。
そのまま続けて白黒のサッカーボール程度まで圧縮したところで、混乱から目覚めた魔獣の意志が私の心へ届いた。
へえ、この魔獣って、話ができるんだ……
まるっきり、野生の
「そうですよ、姫様。自分は悪い人間に利用されただけなんです。せっかくこの世に出てきたのに、このまま、再び封印されるのは嫌ですよぅ」
うわ、気持ち悪い。パンダがしゃべった。
「何なのよ、あんたは」
「私はしがない魔獣でございます」
「どうしてそんなに卑屈なの? 酷く怖い顔なのに」
どうも調子が狂う。
「あなたはエルフの姫様ですよね。何でもします。下僕になります。だから、封印だけは止めてくださいませ!」
余程封印は辛いらしい。
「なるほど。では、このまま芥子粒になるか、我が使い魔となるか、選べ!」
私は調子に乗って言ったが、答えは明白だった。何しろその間にも体は縮み、既に白い小石になっている。
「なります、なります。もう何でも言うことを聞きますし、使い魔の契約を結びます」
「嘘ではないな?」
尚も必死でしゃべり続けるのがおかしくて、私は魔法を緩め、小石をぬいぐるみサイズのパンダに戻した。
これでも相当な圧縮率だが、そう悪くはない。けど、少しも可愛くない。
「ほら、手足をもう少し太く短くして、吊り上がった眼は、垂れ目に変えろ。もっと愛嬌のある姿になれ。毛足はもう少し長くして、清潔なモフモフ感を出せよ!」
私の無茶振りに、パンダは必死で魔力を搾り取るように使い始めた。徐々に、その姿が変化する。
「おお、やればできるじゃないか!」
「はい。仰せのままに」
なんだか、少し可哀そうだ。
「よし。お前の望む魔力だけは、私が好きなだけ分けてやるぞ」
「はいはいはい、なんっでもしますから、封印だけは勘弁を……」
こうして、出来の悪いパンダが、我が使い魔に加わった。
「お前はネメスではない。今日からパンダだ。いいな」
「はい、私は今よりパンダでございます」
「よろしい。お前の役目は主に、愛らしさと癒しだ。余計なことは考えるな」
こうして、魔獣ネメスはこの世から消えた。
私が地上へ降りると、パーティ仲間が恐る恐る、近付いてきた。
「あ、大丈夫。こいつは私の使い魔にしたから、もう悪さはしないよ」
「こ、この怪しい魔物は?」
この世界の人は、パンダを知らないようだ。
「うん。私の新しい使い魔の、パンダだよ」
「皆さま、初めまして。本日よりお世話になります、パンダでございます」
その挨拶に、私はダメ出しをする。
「あんたね、その可愛い姿に合ったしゃべり方を、ちゃんと勉強しなさいよ。じゃないとまた、小石にするからね!」
「は、はい、姫様。ボ、僕はパンダです。よろしくね」
可愛い子パンダの外見だが、気味悪がって誰も近寄らない。
仕方なく私はパンダを抱き上げ、そのモフモフに頬ずりした。
その姿を見た五人が例外なくぎょっとした顔で、便所のスライムを見るような目で私を見て、後ずさる。
可愛い五歳の幼女が抱いた子パンダに頬ずりしてるんだぞ。そんな汚物を見るような目はヤメロ。
確かに、こいつはついさっきまで人間を何十人も手掴みで食っていた、悪鬼羅刹のごとき獣だった。
そんな魔物に喜んで頬ずりする私が、悪魔か死神のように見えても、おかしくはない。
まあ、そのうち慣れるだろう。たぶん。
「ルアンナ、これでいいよね」
「はい。パンダよ、姫様に害をなしたら容赦はせんぞ」
「は、はい。精霊様にも十分に仕えますので、よろしくお願いいたします」
さて、領内の民は父上と私の言いつけを守り隠れていたので、ネメスに食われた人間は教会内部のテロ組織、アイクスの構成員とその協力者ばかりだった。
これは、ルアンナの忠告が功を奏した、珍しい例でもある。
しかも、強い魔力を持つ魔術師や魔法剣士が、真っ先に食われていた。
私が潰した館の幹部たちも、既に地下に隠れていた騎士たちにより捕縛されているだろう。
残りは、領地に張られた邪魔な結界を張り直すだけだ。
「ルアンナ、後は頼むよ」
「はーい、お任せあれ~」
そして、あっという間に、結界が元に戻った。
私は邪魔な首輪を収納に入れて消し、六人揃って領主の館へ戻った。
結界が戻ると同時に、下界から王国の兵士たちが上って来る気配を感じた。だがこの雪の中、ここまで来るにはあと数時間はある。街道を封鎖して逃げ出す輩を捕らえていれば、更に時間もかかるとみた。
山を登り鉱山へ逃げようとする者は、途中の砦で捕らえられることだろう。
これで、エドも安心だ。
「アンナ、ちょっと鉱山まで行って、エドに報告しておいて」
「承知しました。あとはルーナとパンダに任せましょう」
「わかったよーん」
「ボ、僕も頑張るよ~ん」
「なんだ、やればできるじゃないか、パンダよ」
「いや、姫様。このキャラ作りは、無理があります。もう勘弁してくださいよぅ」
「うん、いいよ。最初から冗談だし」
「……」
「パンダ、頑張れ」
「はい、妖精様」
「バカモノ、我は精霊だ!」
「ス、スミマセンでしたーッ……」
私が抱えたパンダの尻に火が点いたので、思わず取り落とす。雪に埋もれても、火は消えない。
「うわ、ルーナも容赦ないな」
終
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