開花その32 魔獣ネメス 前編



 第三の封印魔獣は、パンダだった。


 前世の動物園には、レッサーパンダとジャイアントパンダと、二種類のパンダがいたと思う。特にジャイアントパンダの方は、世界三大珍獣の一つだった。


 こいつは珍しくも、そのジャイアントパンダの更にでかい奴。SSRパンダとでも呼ぶか。


 私は一人で空中を旋回し、見下ろしている。


 既に森は漆黒の闇に包まれているが、中庭だけは煌々と灯に照らされ、周囲に舞う雪が白く輝いて浮かび上がっていた。パンダの足元は、地吹雪に隠れて見えない。


 狼狽えて地上を走り回るアイクスという組織の兵士たちが、口々にメネス、だかネメス、だかと叫んでいるのが聞こえる。


 ただ、前世の動物園で見た可愛いパンダちゃんとは大違いで、無茶苦茶に不機嫌な表情で、しかも引き締まった長い筋肉質の手足を振り回す、狂暴な奴だ。


 きっと、でっかいプリスカが中に入っているのだろう。


 ええっと、名前はどっちだ? ネメスの方かな。



 この魔獣の姿を見て、ルアンナはすぐ私に言った

「人間たちは、こいつと戦ってはダメ!」


「パンダ、じゃない、ネメスを知ってるの?」


「そうなの。我の予想通りの奴だった。みんな、逃げて、隠れて、身を守って。魔獣と戦うのは、姫様だけでいいから。館の地下に捕えられている騎士や魔術師も、何もしないでそのまま隠れているように伝えて!」


 ルアンナのこの慌てようは、只事ではない。

 しかし、やはり私が戦うのか……やだな。



 というわけで、私は再び地上へ降りた。


 地下室の入口にいる父上に事情を話し、以前に配布した文の通り、谷の領民全てに再度、建物の中に隠れているよう伝えて回ることの了承を得た。



 ただ、このパンダは長い封印から目覚めたばかりなので、寝起きで機嫌が悪いだけなのかもしれない。


 と思ったら、こいつは肉食で、空腹なのか家畜も人間も、その辺にいる野良の魔物も、平気で何でも捕まえて食ってしまう。


 自由に館を歩き回っていた見覚えのある家臣たちは、最初からグルで、アイクスの連中を招き入れたのか、それとも後から寝返ったのか。


 だが、そういう有象無象が、真っ先にネメスに食われていた。


 人間も家畜も魔物も、お構いなしに手当たり次第掴んでは、そのでかい口へ放り込んで、丸吞みだ。


 まあ、咀嚼したり噛み千切ったりしない分、スプラッタ成分が少なめなのだけは、評価しよう。


 もしかすると、必要なのは肉ではなく、魔力なのかもしれない。生きたまま丸呑みしないと、魔力は逃げてしまう。だとすれば、一口で呑み込めないサイズの生き物は、襲わないだろう。



 まずは、その足を止めたい。


 しかし、私はウ〇トラマンじゃないんだから、無理がある。私が下手な攻撃をすれば、生き物を食らうパンダ以上に、周囲の被害が拡大するだろう。


 私の魔法で建物が破壊されれば、その中に避難している領民も、大きな被害を被る。

 ホントに、どっちが怪獣かって話だ。


 だからと言って、逃げ回る人間が食われるのを、これ以上黙って見ているわけにもいかない。



 そこで、パンダの口封じ策に出た。


 大きく開いたパンダの口に、土饅頭を突っ込んで塞ぐ。収納魔法に入った土魔法の素から、嚙み切れない硬質の土の塊を、パンダの口に目いっぱい詰め込んだ。


「どうだ、これでもう食えないだろう!」


 だがこいつは、マトモなパンダじゃなかった。


 口を塞いだら、太い腹に大きな別の口を開き、直接食料を腹に取り込もうとする。さすが、化け物界のSSRである。


「スゴイな。口から呑み込めないサイズのものは、こうやって取り込むのか……」

 感心している場合ではない。



 私は石で塞いだ上の口に、広域魔法による結界を張ってみた。


「あの腹の口も、結界で塞いでやろうか?」


 しかし腹の口は大きく、パンダは動き回る。口からは結界を維持する魔力も吸い取られ続けているようで、安定した結界を作るのは、かなり難しい。


 しかも、口を塞いだはずの石も、魔力が吸い取られて崩壊し始めた。


 げっ、時間をかければ、石からも魔力を吸えるのかよ……


 魔法で造った物質は、安定するまでの間は魔力で形状を保っているとフランシス師匠から教わった。


 その間に魔力だけ吸い取り崩壊させるなんて、聞いたこともなかったけど。


 せっかく閉じた口が開いて、再び牙をむく。

「これって、あの石の分だけ、魔力を余計に補充させただけなのかな?」


「……」

 ルアンナ、何とか言ってよぅ!



 打つ手が無くなり一人空中で悩んでいた時、地上から強力な攻撃がパンダに襲い掛かる。


 それは見慣れた魔弓の矢と氷の槍、そして炎の刃だった。


 パンダには、魔法攻撃を瞬時に無効化するほどの魔法吸収力はなく、それなりにダメージを受けている。


 これなら私にも、戦えるかもしれない。しかし、どこの魔術師の攻撃だろうか?

 と思ったら。


「どうして、みんながここに?」


 そこには、ここには居るはずのない、お馴染みの五人の仲間の姿があった。



「姫様は大して気にしていないでしょうが、私たちの頂戴した武器には、思ったよりも過剰な魔力が備蓄されておりました」


 一番若いエルフのネリンが、魔弓を高く掲げる。


「そうです。私たちには持て余すほどの魔力量でした」


「過酷な迷宮の戦いでは、それすら全て出し尽くしてもまだ足りずに、死にかけました。でも、単純な身体強化魔法で走り続けるだけなら、ほんの僅かの消耗で済みます」


「だから、ここまで休まず走って来られたのですよ!」


 プリスカが、肩で息をしながら魔剣を構える。



「この魔物の狙いは恐らく、より強い魔力を持つ生き物でしょう」

 フランシスが、鋭く見抜いていた。


「そうなの。ネメスという名の古代魔獣よ」


「この化け物は、これから私たちの持つ武器の魔力を囮にして、人家のない森の中へ誘導します。それまで、姫様は極力魔力を抑え隠して、住民の避難誘導をお願いします!」


「住民たちも、姫様のお言葉になら、安心して従うでしょう」


「そう。これは姫様にしかできません!」


「化け物を上手く町から遠ざけたら、そこから先は、姫様にお任せしますよ!」


 心強い味方の言葉に、目が潤む。私には、本当に実戦経験が足りない。彼らがいなければ、魔力が多いだけの未熟な五歳児なのだから。



「ありがとう。みんな、任せたよ!」


 問題は、私が魔力を抑えて、ってところだな。簡単に言ってくれるぜ。


「できますよ。元々結界には魔力を遮る効果がありますから、その部分を強化するだけです」


 ルアンナの言葉に、勇気付けられた。


「言われてみれば、そうだった。じゃ、ルアンナ、頼むよ」


「承知しました。最初から、自分でやるとは言わないんですネ」


「だって、失敗したら群衆を率いる私に向かってネメスがやって来るんだヨ。大惨事だぞ」


「うわ、そうですね。結界の責任は、重大です」


「何でそこを棒読みで言うかな?!」



 私はまず、対岸にある屋敷に閉じ込められている親類の救助へ向かう。


 この建物を開放すれば、近隣の領民の、良い避難場所となろう。


 空から屋敷に突入し、門番を冷凍弾で凍らせて意識を刈り取った。生きてるかな?


 続いて邸内へ進み、雷撃弾でバチバチと賊を片付けた。


「アリソン、助けに来てくれたのね!」

 太った大叔母に、抱きしめられた。


「あの魔獣は、魔力に引かれてやって来ます。皆さんは魔力を抑え、できるだけ地下に隠れて、じっとしていてください。魔法使いも、この首輪を外してはいけませんよ」


 私は自分の首を、指差した。


「アリソン、あなたは平気なの?」


「あ、私の魔力がこんなので抑えられるのなら、水晶砕きなんて不名誉な二つ名は貰っていないわ!」


「おお、さすが。頼りになる子だよ」


「これから近隣の領民も、ここへ避難するよう誘導しますので、後はお願いします」

「アリソン、他の皆は無事なの?」


「はい。領主の館も開放し、皆無事で地下へ隠れています」


「よかった。あなたは本当に魔法の天才だったのね。誇り高いわ!」


 褒められ慣れていない私は、顔を赤らめた。恥ずかしい。私はまだまだこれからだ。


「では、行ってきます」

 私は、屋敷の外へと走った。



 そこから先は、五人の仲間が誘導する魔獣の向かう先の周辺へ先回りして、何人もの人々を結界に包んで安全な場所まで運んだ。魔力が少なく健康な者は、自分の足で避難をしてもらう。


 集まった人々を先導して、私は雪を魔法で固めて道を作り、薄い雪明りの中、親類の屋敷まで案内した。


 遠くでは、魔獣との戦闘音が森の中に鳴り響いている。


 最後に近くの砦を幾つか回り、決して手出しをせず隠れているようにと、厳重に命令をしておいた。


「姫様。魔獣の誘導がそろそろ終わるようです」

 ルアンナが、静かに伝えた。


「では、私の出番ですね」


「大丈夫ですか、大人の姿にならなくて?」


「うん、たぶん今なら何でもできるような気がする」


「周辺一帯を焼け野原にするのだけは、勘弁してください」


「大丈夫。領地の森も、降り積もった雪でさえ、全て守って見せるわ」



 後編へ続く




  

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