開花その29 金鉱山
さすがに翌朝は、早起きした。
私の宿泊する城には人の気配がなく、エド以外の人物を見かけたこともない。
ただ二階の居間と自室と、一階の露天風呂とを行き来しているだけで、用が足りてしまう。
これもエドの複雑な魔法術式のお陰だろうか。こちらの望むものは、過不足なく供給される。
しかし建物の外部に対しては、魔力の感知が働かない。双方向で厳重に隠されているのだろうと思えば、無茶もできない。
「私を呼びつけた北の森の精霊サトナは、ここにいるの?」
「はい、姫様」
朝食後に呼べば、怪しい精霊からも返事がある。
「いや、別にあーしは、ちーっとも怪しくなんてないですしー」
いつの時代のギャルだ!
「今日は鉱山の見学をしたいけど、案内してくれる?」
「なら、エドに聞いてみまーす」
朝風呂から部屋に戻ると、小机の上にエドからの伝言があった。
それに従い、一休みしてから外に出て、門の前で待つ。
すぐに、迎えのドワーフがやって来た。
「姫様、おはようございます」
挨拶したのはドワーフではなく、アンナであった。
「ルーナはどうしたの?」
「そりゃ、谷の偵察に」
「大丈夫かよ?」
「この辺はルーナの縄張りですから、放っておきましょう」
久しぶりに、二人が分裂したような気がする。
「どうも、姫様、初めまして。鉱山長のネルソンでさぁ」
妙にこざっぱりした姿のドワーフがやって来た。
「あら、そんな偉い人が来てくれたの。ごめんなさいね、忙しいのに。私はアリソン・ウッドゲート。って、正直に言ってしまってもいいのよね?」
「はい。俺だけは、エドから聞いています。今日はこれから一日、鉱山町をできる限りご案内させていただきますので、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。無理を言って、ごめんなさいね。ところで、谷の領民たちや、特に父上や母上は、どの程度私のことを知っているの?」
「俺の知る限りじゃぁ、大賢者様は王都で何かあって行方不明ってことだけです。エルフだとかハイエルフってのは、質の悪い噂話としか……しかしまさか、全部本当だったとは。ぶっ飛びましたぜぇ」
「ありがとう、ネルソン。あなたたちは、ウッドゲート領とは別に、王家直轄鉱山の住民なのよね」
「まあ、エドも含めて、人間以外の俺たちゃ、一応客人扱いですけどね」
「あら、ゴメンなさい。ここは客人が管理しているのね。面白い場所だわ」
「大陸中探しても、こんな天国みてぇな場所は見つからねえでしょうな。それもこれも、子爵様の守護があってのことでさぁ」
「まぁ、お上手ですこと。今日はよろしくお願いしますね、ネルソンさん」
「姫様、今日は別人のようですが、何か悪いものでも食べましたか?」
アンナが余計なことを伝えてくる。
「だって、この辺りは私の地元ですよ。父上や母上に恥をかかせるわけにはいきませんもの」
「へー、今更ですか。もうすっかり遅いと思いますけどねぇ……」
本当に、どいつもこいつも。精霊というのは、ロクな奴がいない。
「サトナは、エドとは長い付き合いなんでしょ?」
「まさか。あーしらは、ほんの二百年程度の軽い付き合いだし~」
「……あんたも、最初はまともに挨拶してたよね?」
聞かなきゃ良かった。
最初は城から出てすぐの、鍛冶場へ向かった。
朝早くから、お馴染みの槌音がカンカン響いている。こんな場所まで来る人間はいないので、多少の音は気にしないのだろうか。
それに、上空から見れば一目でわかる鉱山の施設だったが、私のように空を飛ぶ人間もいないのだな。少なくとも、この百五十年間は。
ここでは金銀以外の金属も産出し、王家の秘宝になるような、希少な製品を造っている。
その対価として、ドワーフや獣人は多くの富を得ているらしい。
その大半は、子爵領経由で酒や食料に変わっているようだが。
私が食べた米も、そんな希少な食材の一つらしい。どうりで、私たち貧乏貴族の口には入らなかったわけだ。
今はどうだか知らないけど、私の育った男爵領はそんな高級品がただ素通りするだけの場所だったらしい。父上が子爵に陞爵して、少しは暮らし向きは楽になったのだろうか?
いや、まさか母上と父上が、以前から隠れてこっそり美味いものを食べていたとか。そんなことは……あるか。しかし大人の事情だとしても、考えたくないなぁ。
「ねえ、アンナ。あんたたちも、この鉱山のことを知っていたでしょ?」
「当たり前ですよ」
「何で黙ってた?」
「ウッドゲート家の嫡子は、十五歳になると鉱山の秘密を知らされます。だだそれに従ったまで」
「あんたにも、常識ってもんがあったんだ」
「姫様は十年近くも早く知ったのですから、兄上や姉上には内緒ですよ」
このインチキ精霊にマトモなことを言われると、すごく悔しい。
それから温泉の源泉や鉱山の坑道、それに水質改善施設を見学した。
特にあの大きな四角い池には水生の魔物が飼われていて、何段階もの工程を経て地下へ戻されているのを見ると、感動する。
「この通り、そのまま飲めるほど完全に浄化されております」
そう言って、ネルソンはカップに注いだ水を、旨そうに飲み干した。
間違っても私には勧めるなよと、必死でネルソンに念波を送ったのが功を奏し、怪しい水を飲まされることなくその場を離れたので、ほっとした。
「地下深くまで浸透した水は、数百年の時を経て麓の湧水となり、人里を潤すことでしょう」
そうか。数百年後なら、飲んでもいいかな。
昼食は鉱山町で海鮮焼き飯を食べた。パエリヤみたいな料理だ。
山奥での海鮮料理と、お米のご飯の合体だ。なんという贅沢。ただ、海鮮丼ではないところが、残念だ。
さすがにこの世界では、生の魚を食べる文化はない。特にこんな山の中では。
続いて、工房で造られている宝飾品などを沢山見た。いつか、ゆっくり買い物に来たいものだ。
この町は、まさにドワーフの鉱山の縮小版だった。
違うのはやはり、人間が多いこと。普通に町に暮らしているのは、圧倒的に人間が主体だ。特にエルフは、エド以外に会っていない。
こんな町が二百年以上も続いていることが、驚きだ。
岩盤をくり抜いた坑道の一部は魔法で補強され、町民の避難場所にもなっていた。年に何度かは町中の人がそこに集まり、派手に騒ぐ祭りがあるらしい。
地上では目立つことができない、この町ならではの祭りのようだ。
縁があれば、祭りの時期にまた来たいものだ。
というか、この町を守るためにも、谷を占拠している連中を何とかせねばならない。
だが、その何とかせねばならない状況は、意外と早くやって来た。
翌日、私は朝からエドに呼び出された。
城の隣にあるレンガ造りの建物が、集会所のような場所になっていた。
私の宿泊している城は、訪れた重要人物用の、貴賓館のようなものらしい。
集会所の一室に、エドとネルソン、それに昨日会った各施設の責任者や人間の警護担当など、総勢十人ほどがテーブルについている。
「今朝方、これが届きました」
エドが差し出す文を見て、私は頭に血が昇った。
「王の許可なく投降しろだと? 全面降伏するまで、毎日一人ずつ、人質を殺す?」
「姫様、落ち着いてください」
私の形相を見て、ネルソンが慌てて口を出した。
「姫様ですと?」
そんな声が、幾つか上がる。エドとネルソン以外は、私の素性を知らないのだ。
「大賢者様とお呼びした方が、わかりやすいでしょうか?」
エドが平伏するのを見て、どよめきが走る。
「け、賢者殿が頭を下げるお相手とは……」
「噂は真実であったと?」
収拾がつかないようなので、仕方なく、私は王に貰った書付と王家の紋章入りの指輪を、テーブルの上に置いた。
身を乗り出してそれを見た人間たちが、ざわつく。
「アリソン様はまだ五歳では?」
「水晶砕きのアリソン様が……」
ドワーフと獣人は、エドが頭を下げた時点で全てを理解しているようだが、人間は察しが悪い。
私は、仕方なく口を開いた。
「諸事情により、姿を変えている。五歳児の言うことなど、まともに聞かぬ者が多いからな」
そして私は全員の顔をぐるりと見渡し、恫喝するような鋭い視線を送ってその場を凍り付かせた。
「書状による最初の刻限は、本日夕刻となっている。私は国王から与えられた権限により、代理人として谷へ向かう。供はいらん。何しろ、相手は私を名指しで呼びつけた馬鹿者らしいからな。後悔させてやろう。皆は、もしもの場合に備えておくべし」
一瞬静まり返った室内に、エドの声が。
「なりませぬ。姫様は守りの要。谷へ行くのなら、私にお任せを」
エドの奴、やはり意外と真面目だ。
「ダメだ。領地、領民を守るはウッドゲート家の務め。エドは鉱山を守るべし……あ、鉱山を守るのも、ウッドゲート家の務めだったのだな」
そう言って、エドに微笑む。
「姫様に任せておけば、大丈夫よ」
アンナの声が、全員の頭の中に届いたようだ。
「この声は……」
声の主を探して首を回している一同に、再びアンナの声が届く。
「我は太陽の精霊アンナ。既に谷には、我が半身たる月の精霊ルーナが向かっている。姫様に精霊の加護がある以上、心配は無用」
「聞こえたよね。私が留守になった後の鉱山の方が心配なんだけど、大丈夫?」
だが、精霊の声を初めて聴いた連中が興奮して、それどころではない。
「アンナは大人気だねぇ」
「嫉妬しないでくださいよ」
「するかっ」
「じゃ、姫様。さっさと行って片付けて来ましょうか」
「そうだね。夕方まで待っていられないよ!」
終
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