開花その28 ウッドゲート領の秘密 後編
男の口からエドウィン・ハーラーの名が出た時、私は不思議と、微塵も疑うことなく信じた。
信じたからこそ、というよりも疑う余地がなかったからこそ余計に、本心から驚いた。
必死で口の中の紅茶を飲み込む姿を、賢者様は面白そうに眺めていた。
「ハイエルフの姫様は可愛い幼女だと伺っておりましたが、上手く化けましたね」
「そういう賢者様こそ、まさかご存命であったとは」
「百五十年以上昔に死んでいるはずの者が、まさかアリソン様のこんなお近くに暮らしていたのですから。紅茶を吹き出すのも、無理はありません」
「吹き出しそうになっただけです!」
せっかく、失礼の無いよう必死で我慢したのに。
「うむ。なかなか素晴らしい表情でした」
何だかやたらと、腹の立つおっさんだ。
「お疲れのようですが、説明すると長い話になりましょう。お休みをされてからの方がよろしければ、食事と寝床の用意をさせます」
「食事とベッドの間に、温泉に入れれば最高ですね」
私は既に、休むことしか考えていない。
「では、そのように手配いたします」
「お米があるなら、それを食べたいのですが」
「承知しました」
考えてみれば、今は早朝なのだな。迷惑な客だが、そもそも呼んだのはそちらの方なので諦めてもらおう。
私は麦なしの白米を食べて、温泉に浸かり、あとは死んだように眠った。
目が覚めれば、もう日が暮れようかという時刻だ。
空腹に耐えかね、もう一度米の飯と温泉のコースで満たされて、やっと賢者様のお話を聞く時間となった。
満腹で風呂上り。ビールをよこせとは言えないが、また眠くなったので濃いお紅茶を戴く。緑茶はないんだよなぁ。
以下、話が長いので要約する。
現在大陸の四分の一を占めるハイランド王国が人間の国を統一して、約百五十年経つ。
それ以前は幾つかの国が争い、最後に残ったレクシア王国を滅ぼして、今の国の姿となった。
エドウィン・ハーラーは、そのレクシア王国の魔術指南として頭角を現し、国政の改革にも積極的に取り組んだ有力な貴族であった。最終的には王族の内紛に巻き込まれ、嫌気が差して自ら姿を消した。
暗殺だの毒殺だのと言われているのは、単なる噂話だったようだ。
元は人間の世界が好きな変人エルフだったが、長耳にせず人間として生きるうちに賢者様などともてはやされて、それ以上同じ名前での活動に限界を感じていた。
百五十年も続けたのだから、そんなのは当然の話だ。というか、こいつはアホに違いない。
その後身を寄せたのは敵対していたハイランド王国で、今度は表に出ずその後百五十年の間、この地に潜伏していた。
人間の国の騒乱は獣人やドワーフにも大きな被害が及び、エルフは人間を恐れて西の森から離れなくなり、その後は以前のように活発な人種の交流が途絶えた。
元々ハイランド王国の王都はアネールという名のもっと東の街にあったのだが、国家統一を機会にレクシア国の王都があった今の場所へと遷都された。
賢者様の伝説が様々に入り乱れているのは、元々レクシア王国の王都で活躍していた賢者様の噂が、遷都の後にも都の人々に語り継がれるようになったため、と思われる。
さて、上空から見て想像した通り、この地には何故か、鉱山があるらしい。
戦乱の時代から変わらず、この地では金銀を中心とした鉱山開発と、貨幣の鋳造が行われていた。それは今も昔も、ハイランド王国の大きな財源となっている。
戦後鉱山の操業が活発化すると、新たな鉱床の開発や精錬、鋳造に大量の水が必要となり、結果として川には多くの毒が流れ出るようになった。
しかし、この鉱山の下流域は、当時から王国を支える大農業地帯だ。そんな重要な土地に毒が流れれば、国が傾く。
そこで、賢者の力を借りた当時の人間の魔術師や鉱山技師が試行錯誤の結果、数々の魔物や魔道具の力により、鉱毒を浄化する施設を考案した。それが、上空から見たあの大きな四角い池だ。
同じく下流の森への汚染によりエルフと対立していたドワーフは、人間と取引してこの浄化施設を導入する。
見返りに、ドワーフの職人や獣人が技術や労働力を提供し、この鉱山の効率的な運営に手を貸した。
これに奔走したのも、そのまま鉱山に隠遁した賢者、エドウィン・ハーラーだった。
王国は鉱毒を流さぬことにより農産物を守ると同時に、鉱山のある場所をも秘匿できた。
そして、唯一の鉱山への道を守護するため、その南に領地を持つウッドゲート男爵をその任に当てた。
以来ウッドゲート家も百五十年にわたり、王国の経済を支える金銀の鉱山を守護してきた。
これが、この地に残る裏の歴史であり、この鉱山こそが、現在谷を占拠している、姿の見えない敵の狙いだ。
というのが、賢者エドウィン・ハーラーの話した内容である。
確かに谷の北の森にはエルフや獣人の集落があると言われ、密かな交流が続いていた。まさか、こんなに立派な鉱山があったとは……
私が貰った賢者様の巾着に入っていた古い金貨も、今流通している金貨と全く同じ物だった。つまり、その頃から変わらず、この鉱山で鋳造されていた貨幣なのだ。
「エドウィン様、谷を襲った敵に、心当たりはあるんですか?」
「私のことは、エドと呼んでください、姫様」
うーん、伝説の賢者様を、そんな気軽に呼んでいいのだろうか。
「姫様、何を今更。エルフの里ではもっと年上のエルフを、平気でパシリに使っていたじゃないですか」
ルアンナが、酷いことを言う。
「そんなことは、してないよぅ」
確かにあの里には、齢数百歳のエルフが大勢いたけどね。
パシリに使ってはいないよ。たぶん。
「私がレクシア王国にいた頃から、魔術師は王国の騎士系と教会の僧侶系に別れ、競い合っておりました。戦が続く中で攻撃的な騎士系の魔術師が台頭し、教会の魔術師は結界と治療に専念特化され、徐々に廃れます。王族の内紛も、それがきっかけとなっていました。
レクシア王国が戦に破れ、残党が各地へ散る中で、教会だけは中立的な全国組織として残され、今に至っております。それを隠れ蓑にして、旧レクシア派の不穏分子が教会の一部を取り込み、国家転覆を企んでいるのが今の状況です」
エドは、そう説明する。
うーん、話としては面白いが、あれからもう百五十年も経っている。今更国家転覆とか、無理でしょ。
平和な国を乱して、誰にどんなメリットがあるのか……このおっさん、山奥で暇だったから、小説の読み過ぎとかじゃないの?
「もっと、魔王とか邪神とか、そういった裏ボス的な存在はいないの?」
「まさか。姫様は、御伽噺の読み過ぎではないですか?」
ぐっ、先に言われてしまった。
「敵の出自は不明ですが、谷を占拠した集団は、子爵家とその家臣を盾に取り、この鉱山を明け渡すように求めています。連中も、この山の守りには手を出せなかったようです」
「無理に鉱山を攻めて、壊してたくはないんだねぇ。こちらもそれを盾にできるということか」
「しかも、この山の守りは万全です」
「賢者様の結界?」
「それだけではありません。エルフや獣人やドワーフの猛者も、ここには大勢おりますので」
「なるほど。下手に手を出すと種族間の争いに発展すると」
「まあ、表向きは、そういうことです」
「実際には、ドワーフの組合などは、見て見ぬふり、ということかな。では、私の家族や領民たちは、無事なのですね」
「はい、おそらく、今のところは」
「王都からの使者が戻るまでには、まだひと月二月かかると思われます」
気の長い話だ。
「それと要求が、もう一つ」
「欲張りな連中だな」
「子爵家次女、アリソン・ウッドゲートの身柄を引渡せと」
「ひえっ、どうしてそうなる?」
「姫様はもう少し、自覚を持たれた方がよいかと存じます」
百五十年も引きこもっていた奴に、言われたくないよ。
「確かに、谷を出てから、散々あちこちでやらかして来たからねぇ。だから、私は姿を変えて来た方がいい、ということだったのね」
「はい。まさか今頃ここに姫様がいるとは、誰も思わないでしょう」
「じゃ、このまま私が明日にでも谷に行って、チャチャっと片付けて来ようか?」
「お止めください!」
「えっ、そこはお願いします、と頭を下げるところじゃないの?」
「どちらにせよ、王国が黙って鉱山と姫様を引き渡すわけがありません。徹底抗戦をして谷が焼き尽くされる前に、何か手を打たねばなりません」
「だから私が……」
「敵が谷に入るとき、何か巨大な物体を一つ、持ち込んでいます」
「え、何か秘密兵器のようなものかな?」
「かなり慎重に運ばれていたとの情報を得ていますので、大量の爆発物とか、危険物の類ではないかと疑っております」
「それを先に言ってよぅ」
「やれやれ」
ううむ、どうもこの賢者は、私を五歳児だと思って小馬鹿にしているようで、好きになれない。
「幸い時間はあります。もう少し調査の時間をください」
「じゃ、温泉に入って寝るか」
「姫様は、今まさにその、お風呂上りなのでは?」
「でも他に、何かやることがあるの?」
「いえ、失礼いたしました。ごゆっくり、おくつろぎください」
「あ、そうだ。これを王都の魔術師協会で貰ったんだけど、エドの持ち物だったから、返すよ」
私は首から下げた巾着袋を手に取り、差し出した。
「いえ、それには及びません。姫様に使っていただけるのなら、光栄です」
「いや、これにはずいぶん助けられたよ。本当に、ありがとうね」
そういや以前、巾着袋の出納記録を見て死にそうになった時、この賢者の半生を覗いたような気がした。
収納されていた物の多くは私物というより、周囲の人々のためになるような品物ばかりだった。
意外と、いい奴なのかもしれない。
「じゃ、風呂入って飯食って寝るか」
「えっ、今起きて、お食事も済ませたばかりでは?」
「姫様。そんなことだから、頭の悪い小娘だと馬鹿にされるのですよ!」
ルアンナの言う通りで何も言えないが、でも私は気にせず、急いでまた温泉に向かったのだ。
終
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