開花その27 迷宮 前編



「私の姫様が、まさか夜遊びをするとは……」


 帰るなり、泣き真似をするフランシスに抱き締められた。

「ん、これは、危険な香りがしますね。まさか姫様は一夜の夢に溺れ、危ない火遊びを……」


 鉱山の温泉は、草津の湯に似た濃い硫黄泉だった。確かに危険な香りだけどね。


「はいはい、そういうのはもういいから」


 私は今日の出来事を、パーティメンバーへ簡単に説明した。



「では、遂に迷宮へ行きますか?」


 私の無茶苦茶な行動を咎められることもなく、期待に胸を膨らませたフランシスが私の顔色をうかがう。

 その後ろで、プリスカも目を輝かせていた。


 こいつらを喜ばせるのは気に食わないが、仕方がない。


「で、カーラたち三人も一緒に来てほしいんだけど」


「当然です。エルフの危機には、行かねばなりません」

「はい」

「その通りです」



 翌朝、強い北西の風に乗り、私たち六人は上空から森を見降ろしていた。


「目的地から東へ流される。軌道修正するよ」

 私は風魔法を制御して、方向の調整を行う。いやこれはもう、飛行魔法マスターと呼んでも良いのでは?


「空を飛ぶのって、なんかこう、下半身がムズムズしますよね」

 結界に守られてはいるが、ネリンは不安そうな声を絞り出す。


「姫様、次は馬車のような乗り物で飛びたいものですねぇ」

 フランシスは先輩ぶってそんなことを言うが、その声はまだ少し上ずっていた。


 師匠とプリスカは、馬に乗せられ無理やり空を飛んだあの時の恐怖を、今でも引きずっている。というか、たぶん、私を恨んでいる。



「確かに、乗り物で飛ぶのはいいかもね。着陸が、かなり難しそうだけど」


 フランシスと違い、私は乗員を衝撃から守るカプセルのようなものを想像していた。

 キャビンに並ぶ衝撃吸収結界付きシートとか。


 本当はヘルメットやプロテクターといった物理的な防御が欲しいが、そんなものを装着しろと言った時点で、命の危険を感じて逃げられるだろう。


 好き好んで危険に挑む物好き暇人は、この世界には少ない。ロッククライマーも、いないし。


 あとは、未知の迷宮へ行きたがるような、一部例外的な戦闘狂だけかな。



 数時間の飛行で眼下の雪が消え、気温がぐっと上がる。植生も南国の緑濃い密林の様相となっている。


 そしてついに迷宮入口が近くなると、森の中に無数の魔物がひしめいているのが見えた。


「この数は……」

 全員が絶句するほどの、魔物の数だ。


 金の針で串刺しにした魔物の、軽く十倍以上いるだろう。


 そこにエルフが入り乱れて、散発的な戦闘があちらこちらで続いている。


 基本的にはエルフの張った結界を挟んで膠着状態、というところだ。


「広域殲滅魔法は、禁止ですよ。エルフを巻き込んでしまいます」

 フランシスに言われなくても、そんなことは私も判っている。


「直接迷宮入口へ入るわよ」


 あまりの魔物の数に、まだ、迷宮へ辿り着いたエルフはいないようだ。迷宮の近くには、魔物もエルフも、誰もいない。


 魔物が森から集められたのは、人の接近を阻むためなのだろうか?



 私たちは垂直に空いた大穴の底を目指して、着地した。


 半径数十メートル、深さも同じくらいの円筒状に地面が陥没したのだろう。穴の底には倒れて折り重なった樹木が、ひび割れた土に半分埋もれている。


 魔物も、人の姿も、見えない。


 穴の南側には、トンネルのような横穴が黒く開いている。


 ここまで来れば、そのトンネルの奥から漏れだす魔力に嫌でも気付く。


 きっとこの縦穴自体が何らかの結界で覆われ、迷宮に蓋をしているのだろう。


「古代魔獣の封印の地ではないよね?」


 私の呟きに、グロムがすぐに答えた。

「はい。この森の中にある封印の地は、全てが安定しています」



「やはり、ご新規様の新装開店らしいよ」

 私はパーティメンバーへ告げた。


「うむ、新参者のくせに、この禍々しき気配。只物ではないな」

 師匠も緊張して、横穴から目が離せないでいる。


「私が先頭で、後はいつもの隊列でお願いします」


 プリスカはそう言うと、早くも歩き始めた。こいつには恐怖心というものがないのか?



「ちょっと待って。一度みんな集まって」


 私は、こんな時のために用意していた魔道具を地面に並べた。


「バルム親方との秘密だったけど、新しい魔導石を造ったの。これはそれを利用した武器よ。門外不出、ここだけの話だからね」



「カーラ、リンジー、ネリンには、新しい弓」

 エルフたちには、魔導石を加えて加工した魔弓を造った。


 蓄積した魔力の続く限り、魔法の矢を放てる。物理攻撃しか効果のない相手には不向きだが、普通の魔物相手なら、かなりの連射が可能だ。これで、手持ちの矢の節約にもなる。



「プリスカには、新しい剣」

 あの金の針素材でできた剣に、魔導石を埋めてある。


 魔力の蓄積と、炎以外の魔法効果も付与されている。


「黄金の剣。こ、これは聖剣!」


「違うよ」



「フランシスには、新しい杖」

 上部に大きな魔導石を置き、杖自体にも打撃効果を高める力を付与した。


 接近戦において杖で殴った時の威力増加(笑)と、普通に膨大な魔力を蓄積し、魔法を増幅する効果がある。


 これで魔力切れを恐れず、存分に魔法を使えるだろう。


 当然、全ての武器には私が魔力を満タンに込めておいた。



 一通りの説明の後、賢者様の無限巾着の劣化コピー版を全員に配る。今のところ私に造ることができるのは、誰でも使える容量の少ない収納袋だけだった。


「以前の武器は、ここへ収納して持っておいて。ほら、予備の武器がないと、不安でしょ?」


「姫様、いつの間に?」


「寝る時間も惜しんで造った魔法アイテムだからね。これで自分の命を守ること!」


「やはり最初から迷宮へ来るつもりだったのですね?」


「あんたたちが言い出したのだから、ある程度の覚悟はしているわよ」


「有難く拝領いたします」

「早く試したいですわ」

「よし、行くぞ」


「こら、慌てると死ぬぞ」



 横穴は奥へ行っても、薄明りに包まれていた。


 百メートル以上そのまま進み、道は二手に分かれた。左の方が、漏れだす魔力の圧が強い。


 躊躇なく左の穴へ入る。


 下りの傾斜が少しずつ強くなっている。まだ、魔物との遭遇はない。


 きっとより奥の濃密な魔力の下で、強力な魔物が誕生しているところなのだろう。


 早く行って、成長しきる前に叩く。これが私たちの任務だ。



 最初の魔物は、昆虫型だった。


 二メートルはあるカマキリとクワガタが数匹の団体で待ち構えていた。


 魔弓の斉射で弱らせて、フランシスの氷槍アイスランスが止めを刺す。残りはプリスカが飛び込み、頭を切り落とした。


 会敵から僅か一分足らずの出来事だった。


 こいつら、強くなりすぎだろ。



 洞窟は狭くもならず、広くもならず、そのまま緩やかに下降している。


 次は大量のムカデが現れた。体長一メートル未満のムカデが見渡す限り先の洞窟を覆っている。


「姫様、変な攻撃魔法を使わないように」


 プリスカに釘を刺されてしまった。


 今回私は手を出さないように、と厳重に言い渡されている。


「聖剣の性能を試す時が来た」


 プリスカがそう言いながら、先頭で無造作に剣を横に払う。


 今までとは比較にならない強い火炎が剣から発して、洞窟を焼いていく。


 嫌な臭いの煙がこちらへ来ないように、エルフたちが結界を張った。


 次にプリスカは、再度同じように剣を振る。


 今度は冷気が剣先より出でて、燃えたムカデを凍らせていく。


 最後にもう一度剣を振って風魔法で強風を送ると、そこにはもう動く者はいなかった。


「さすがに凄い性能だ」

 満足そうに悪い笑顔を浮かべて、プリスカは剣を鞘に収めた。


「でも聖剣じゃないからね」

 こいつが使うと、邪剣としか言いようがない。



 そうして下降するに従い、魔物の強さや数が増えるが、基本は地上にいる魔物と変わらない。グレードアップした武器で次々と危なげなく退治しながら、私たちは下降した。


 通路が途切れ、広い部屋に出たのは、多くの魔物を倒し、かなり下ってからだった。


 丁度一休みしたかったところであるが、どうやらここは中ボスの部屋らしい。



 部屋の中央には巨大な人型の黒い塊が立っている。


 身長は五メートルくらい。巨人だ。


 しかしその黒い体は溶けるように地面に広がり、剣山のような棘が生まれたと思うと、千切れて一斉にこちらへ飛んで来た。


 既にエルフの結界が三重に巡らせてあるが、それを貫通する勢いである。


 慌てて、ルアンナと私の障壁が追加された。



 エルフの結界に突き刺さった黒い棘はすぐに液状に戻り、結界を内側から食い破り始めた。結界を溶解しながら侵食する黒い粘液に、私たちは恐怖を覚えた。


 幸い私とルアンナの結界は無事だが、これでは何もできない。


 部屋の中央では再び棘が盛り上がり、第二射が放たれた。


 残っていた二重の結界が、その全てを弾き返す。


 私とルアンナの結界には、粘液が取り付くこともできないようだ。そこで、結界の最上部に穴を開いた。


 そこから、エルフの魔弓による矢が飛ぶ。


 弓矢による物理攻撃は効果がないが、魔法の矢には一定の効果があり、突き刺さった部分には丸く穴が穿たれる。



 私は収納してある魔法の弾丸を呼び出して、風魔法に乗せて外へ打ち込んでみた。


 一発目は火炎の弾丸。

 効果がない。


 次に、冷凍弾。

 効果がない。


 次に、雷撃弾。

 これも効果がない。


 次は自棄になって、水流弾を撃つ。


 ん、水流により一部の黒い粘液が地面から浮き、洗い流されている。

 これは、面白い。


 私は次に、収納の中から大量の液体石鹸を取り出し、水流に混ぜて部屋の中を攪拌した。


 これは、巨大な洗濯機だ。


 水と界面活性剤を大量に作り、どんどん補充する。


 黒い汚れが分解されて、驚きの白さに!


 これからは異世界も、液体洗剤の時代ですね。



 他の五人は、何が起きているのか、全く理解していないだろう。


 敢えて説明する気もないが。


 そうしてぐるぐると洗濯槽を回していると、渦の中央が凹み空間ができる。最後に残った粘液がそこに集まって、全力で跳躍した。


 黒い影が頭上へ来たと思ったら、結界の天井に開けた穴から、するりと内部へ潜り込んだ。


 足元に落ちる、黒い粘液。


「いやーっ!」


 エルフたちの悲鳴が響く。フランシスが氷結魔法を唱えるが、効果はない。


 足元の黒い染みが、靴に迫る。



「仕方がない、ルアンナ。結界を解いて私たちも洗ってしまおう」


 私は完全に結界を消し、全員が黒い粘液と共に水流に呑まれた。


 そのままぐるぐると攪拌されて、いい塩梅のところで洗剤成分だけを回収して収納。次の工程は、お水ですすぎの時間です。


 体のぬるぬるが消えた頃合いを見て水流を消し、温風にて乾燥した。


 ほら、こんなきれいに汚れが落ちました。


「あ、ところでみんな、生きてる?」



 中編へ続く



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