開花その26 鉱山の街



 二月になった。北の鉱山街を目指しているバルム親方からの便りはないが、私は日々スプリンクラー石の制作に励んでいる。


 既に大量の製品が貯まっているので、一度親方の工房へ行き倉庫へ納めたい。


 このまま私が持っていても何の役にも立たないし、親方にとってもその方が安心できるだろう。



 この交易の町周辺では雪の降るような寒さになる日は少ないが、それでも一年で一番寒い時期になった。


 何度か降った雪は、建物の裏手や道の両側、それに薄暗い森の斜面など、あちこちに残っている。


 温暖な場所で育ったエルフの三人は、これ以上北の地へ行くのは億劫そうだ。師匠は婚活で多忙だし、プリスカは三人のエルフに剣を教え、逆に魔法を教わり、熱心に修行を続けている。


 皆それぞれに、充実した日々を過ごしているようだ。だから、私は単独行動を取らせてもらうことにした。



「さて、ルアンナ。久しぶりに、アレをやるよ」


 朝食の前に、私は一人で町の外へ出た。日帰りでドワーフの村を往復するには、普通の方法では不可能だ。


「姫様、この時期はあまり高く飛ぶと、寒いですよ」


「大丈夫。鉄砲玉の結界を風のクッションで包んで飛ばした練習が、ここで生きるわけだ。私自身を暖かな空気で包めば、きっとどこまでも高く飛べるわ」


「ホントウですかね?」


「いや、たぶん……」



 とにかくルアンナの結界があれば、大抵のことは何とかなる。精霊グロムのお陰で、森の地理もしっかりと頭に入っている。


「じゃ、行くよ」


「はいはい」



 というわけで、私は風魔法で空へ舞い上がった。


 バルム親方の工房を目指して、ほぼ一直線に空を駆ける。というか、勢いよく飛び出たまま、成り行きに任せている。


 すぐに、前方で村の気配を感じる。このまま村を飛び越さぬよう、少し手前へ落ちたい。私は、下向きに風魔法を調整するが、重力が加わり速度が上がってしまった。


 こうなると、あとは運に任せて下降するしかない。森の中に適当な空き地を見つけると、必死に逆噴射をかけて、どうにか着地した。


「おお、姫様も腕を上げましたな」


「もうこれは、飛行魔法と呼んでもいいんじゃない?」

 私は胸を張る。


「……たまたま一度成功しただけですよ?」


「じゃ、帰りは私の結界だけで、ちゃんと飛んで見せるからね!」


「それ、マジで死にますよ?」


「……」



 私はそこから歩いて、ドワーフの村へ向かった。


 次第に森は明るくなり、よく手入れのされた冬枯れの林を歩いて村に入った。


 寒い季節のせいか、外を歩いている人は少ない。


 私は真っすぐに、バルム親方の工房へ向かう。


 工房では親方の不在を感じさせぬ活気に満ちており、相変わらずの忙しさだ。


 おかみさんと話をしたが、まだ親方からの文は届いていなかった。


 私は事情を話して、空いている倉庫へ大量のスプリンクラー石を納品すると、お茶を一杯頂戴してすぐに村を出た。



「ついでだから、ちょっと鉱山を見に行こうよ」


「どこが、ついでですか。ここからだって、遥かに遠いですよ。どうせ、最初からそのつもりだったんでしょ?」


「そんなことは、ありませんわよ。おほほ」

 私には精霊の声しか聞こえていないので、敢えて大袈裟に目を逸らすような演技は不要で、こんな時にはとても助かる。


「さて、バルム親方はどの辺にいるかな?」


 北への街道を、精密に探索する。ドワーフの短い脚だから、きっと雪の中ではあまり進んでいないだろう。


「見つけたよ」


「じゃ、本当に姫様一人の力で全部やってみますか?」


「うん。親方を巻き込みそうになったら、止めてね」


「はいはい」



 私は親方の気配の感じる方角へ向けて、空へ飛び出した。


 あれからまだ、ひと月は経っていない。しかも険しい雪山の、登り道だ。私の飛行速度なら、ほんの一時間というところか?


 魔法の弾丸を大量生産していた時に、このデリケートな結界技術を身に着けた。


 空調の効いた室内のように内部空間を風魔法で維持しながら、高速で飛行する風圧に耐える結界を作る。あの空しい弾丸製造と分別作業も、無駄ではなかったのだ。



 眼下の黒い森が次第に白く変わり、久しぶりに見る一面の雪景色に胸が熱くなる。私の生まれた北の谷も、今頃は深い雪に閉ざされているだろう。


 幸い天気は良くて、雪の森を見ながらの飛行は楽しい。


 一時間もせぬうちに親方の気配が濃くなり、私はドゥンクに話しかけてみた。


「ドゥンク、聞こえる? どう、調子は。すぐにそこへ行くから、親方を少し足止めしておいて頂戴」


 すぐに、歓喜に包まれた了解の意向が返って来た。


「ルアンナは、親方の防御をお願いね」


 親方は雪の積もった道の上で足を止め、先を行っていたドゥンクは駆け戻り、空を見上げる。


 私は極力親方を驚かせないように、その後方へ静かに着地した。やればできるものですな。


 すぐに、ドゥンクの黒い姿が走って来るのが見えた。


 振り向いた親方が、目を見張った。



「というわけで、これから魔法で飛んで、一気に鉱山の街まで行きましょう」


「それは、いいけどよ。ワ、ワシのここまでの道のりは、一体、何だったんだ?」


「いや、ドゥンクと仲良くなれたでしょ?」


「まあ、こいつがいてくれて、大いに助かったぜ」


「ドゥンクもその間に成長して、新しい力を手に入れたよ。ドゥンク、やってみて」


 ドゥンクは一声吠えると、黒い体が白い雪の上に溶けるように沈み、姿を消した。


「おい、こりゃどういうことだ?」


「うん。私がこの森の精霊の力を借りたことで、使い魔のドゥンクも精霊の力に目覚めて、影に潜む能力を得たのよ」


「うーん、ますます魔物っぽくなってきたな」


「半精霊の使い魔だからね。影を伝って移動もできるとグロムが言ってたよ」



「お、おい、まさかグロムってのは、この森の精霊様のことか?」


「うん。今は私に力を貸してくれてるの。じゃ、このまま行くよ。私に掴まって」


「お、おい。こ、これでいいのか?」


 親方はへっぴり腰で、私の左腕にぶら下がるように両手で掴まった。


「じゃ、ちょっとの間、目を閉じていた方がいいかな」

「お、おう。本当に大丈夫なのか?」


 私は気にせず、そのまま二人で空へ舞い上がった。


 北の鉱山の街近くまで、ひとっ飛びだ。今度は一時間じゃ行かれないので、親方にも景色を見せてあげよう。



「親方、ゆっくり目を開けていいよ」

「……すげぇ、こんな魔法があったのか~」


 言葉はそれ以上出せず、体も緊張で強張っていたが、景色は満喫してくれたようだ。


 白い氷雪と黒い岩の峰の連なりの麓に、白い煙が漂っている。煙の下に、森の中の鉱山街が見えた。


 街外れには、四角い大きな池が、幾つも並んでいた。


 魚の養殖場……にしては大きすぎるか。前世で見た大規模な下水処理場のような感じだが、なぜかこの池は、街よりも高い場所にある。



 私たち二人は、街の手前の森の中へ着地した。


 すぐに、影の中からドゥンクが姿を現した。


「おい、こいつは影の中を移動して来たのか?」


「違うわ。親方の影に潜んだまま、ここまで一緒に来たのよ」


「わ、ワシの影か?」



 そこから小一時間も歩けば、待望の温泉だ。いや違う。ドワーフの鉱山街だ。


 今いる獣人の交易町もいいけれど、ドワーフの村と違って、お湯に浸かれる風呂がないんだよね。


「さて、これからどうするんですか、親方?」


「ああ、この足ですぐに組合へ行って、話をする。姫さんも来てくれるよな?」


「うん。私は今日中に帰るつもりだから、あんまり長くはいられないよ。温泉に入る時間も確保してくれるのなら、協力するけど」


「ああ。その前に、昼飯にしよう」


「そうだ。朝から何も食べてない!」

 ご飯を忘れるなんて、これでも私は、相当緊張していたんだなぁ。


「じゃ、すぐそこに飯屋がある。まぁ、ドワーフの街じゃ、味より量だからな。それだけは先に言っておくぞ」


「大丈夫。今なら、何でも美味しく食べられる自信があるわ!」



 意外にも、こんな雪の中なのに、根菜類のたっぷり入った汁に大盛りの麦飯が付いた定食を、格安で食べることができた。


 麦飯……つまりお米と麦のミックスだ。

 何と、ここにはお米がある。こんな寒い山の中に、何故?


 だが、今はそんな場合ではない。


 親方に連れられ、私は組合本部とやらへ向かう。


 正式名称は、聞き逃した。とにかくドワーフの主要な業務である鉱山や鍛冶師たちの生活を守るための組合らしい。農協とか生協みたいなものかな?


 ドワーフには国王とか族長とかいうものがいないので、これが一族で一番権威を持つ団体らしい、と聞いた。



 まあ、そこで私は即刻、エルフの森で噂のハイエルフだとバレまして……その場で色々やらされた実演販売の効果もあって、こちらの提案は受け入れられたのでした。


 既にバルム親方の工房には倉庫一杯分のスプリンクラー石、長いので、スプ石、と略そう。そのスプ石を置いて来たが、この場でも何百個かのスプ石を即興で造り、置いてきた。


 勿論、タダで。


 その甲斐あって、私は今広々とした雪見の露天風呂を貸し切りで、悠々と入っていられる。


 ああ、こりゃ極楽だ。ここからまた飛んで帰るのを考えると、憂鬱な気分になるが。


 あ、そうか。いっそのこと親方も一緒に交易村まで飛んで行ってしまうか。


 その方が、ドワーフの村へは早く帰れる。



「いや、まだ他にもやることが残っている。ワシは歩いて帰るよ。手紙を書くので、獣人の交易町へ戻ったら、そこから家族へ送ってほしい」


 ま、せっかくここまで来たのだからね。


「わかった。帰るまで、ドゥンクは預けておくよ」


「ありがてぇ、世話になるぜ」



 帰りの飛行は、途中で日が暮れた。夜景は見えない。完全な計器飛行である。


 シートベルト着用のランプが消え、高度一万メートルで水平飛行を維持しながら、オートパイロットに切り替えた状態だ。


 退屈なので森の南方に意識を集め、例の迷宮を探ってみる。


 しかし、それは今後の悲惨な事件の前触れにしか見えなかった。


「ルアンナ、グロム。南の魔物はかなりヤバいんじゃないの?」


「今のところ、迷宮内部には干渉できません」


 グロムが覗けないのなら、誰にも不可能だろう。


「外では、エルフと魔物が一触即発だね」

 ルアンナは、どこか他人事のようだ。


「はい。しかしこの程度の魔物なら、エルフが駆逐するでしょう」

 逆に、グロムはエルフを信頼している。


「迷宮内部は?」

 私は、嫌な予感が消えない。


「それは、エルフの調査隊が中に入ってからでないと、わかりませんね」



「……じゃ、私が行く!」


「姫様、とりあえず町へ戻って、他の皆と相談してくださいよ」


「うーん、仕方がないか。わかった。じゃ、急いで帰るよ」


 私は暗闇の空で風魔法の強度を上げ、飛行速度を増した。



 終




  

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