開花その21 獣人の村 中編
エルフの里の結界を出て北に向かって歩き始めたばかりなのに、大きな魔力が接近しつつある。これは人間ではなく、魔物の力だ。
「これは、大きな魔力よ!」
これほどの魔物が障害物の多い森の中を移動するにしては、接近速度が異常に早い。
「空かっ?」
私が上空を見上げると、他の五人も顔を上げた。
「違う、正面だっ!」
プリスカが刀を抜いて、前に出る。
森の樹木の間をすり抜けるように素早く動く何かが、接近している。
咄嗟に三人のエルフが弓を放ったが、魔物は軽々と避けて、尚も速度を落とさずに接近した。
既に、パーティの周囲にはエルフの障壁を展開している。
地を這うように茂みの中を移動する音が目の前を横切ると、急角度でターンして軽々と障壁を跳び越えた魔物が、一歩下がった私に体当たりする。
それにしても、黒い影のように柔らかで、しかもこれほど素早く動く魔物は、初めて出会った。
全ては、一瞬の出来事だった。
私は無様に魔物に組み付かれ、地面に押し倒された。
だがまだ私には最後の砦となる、ルアンナの結界が残っている。
魔物は、黒ヒョウのようにしなやかな体と毛並みを持つ、巨大な犬だった。
その犬が、剝き出しにした牙の間から真っ赤な舌を出して、私の顔をぺろぺろと舐めている。スリムな体だが筋肉の塊で、きっと体重は私より重いだろう。
「ドゥンク!」
私は犬の首を、両手で強く抱きしめた。
「姫様!」
プリスカが振り上げた剣を、黒犬は軽く跳んで避けた。
「みんな、大丈夫。これは私の犬だからっ!」
私は再び、ドゥンクと呼んだ黒犬の首にしがみつく。
ドゥンクは、私が三歳の時に館の門前で拾った子犬だった。
その日私は何かに呼ばれるように一人で門まで行き、死にかけていた小さな犬を抱いて帰った。それ以来ドゥンクと名付けた犬は私の大切な友人だったが、あの魔獣ウーリの襲撃があった夜に、姿が見えなくなっていた。
その時には、普通の中型犬のサイズだったのだが。
館の周囲に群がった魔獣に食われてしまったのだと諦めていたのだが、今のこの姿は?
「フランシスは覚えているでしょ。谷の館で飼っていた、ドゥンクよ」
「まさか、あの小さな犬がこんなに大きな魔物になっていたとは……」
「これが、姫様の飼い犬だったと?」
「でもこんな魔物は、見たことがないです……」
確かに、この森で群れを作っているシルバーウルフとは、見た目がかなり違う。ウルフ系の魔物はもっと剛毛に覆われ爪も牙も長い。
それに比べてドゥンクは、やはり黒ヒョウに近い外見をしている。
「これは、精霊の落とし子じゃな」
ルアンナが言う。
「精霊の落とし子って、ルアンナが言ってるけど……」
「それは珍しい!」
「で、それは何なの?」
「まあ、要するに精霊と、この世の生き物の間に生まれた子供だよね」
「そもそも、ハイエルフが人と精霊の子供だとも言われていますから」
「で、ドゥンクは誰の子なの?」
「さあ?」
「雑種の黒犬と、ヤマネコの精霊のようなものかしら?」
「見た目はそんな風だよねぇ」
「姫様の使い魔には、丁度よろしい」
「使い魔? ルアンナ、この子と話ができるの?」
「もちろん。こ奴は姫様の気配を追って谷からやって来たのですから。可愛がってやってください」
「なるほど。ルーナは谷にいた頃から、この子を知っていたんだね。で、この子の両親は?」
「エルフの嬢ちゃんの言う通り、北の砦で飼われていた黒犬と、クロヒョウの精霊の子です。この子を産んですぐに母犬が亡くなり、精霊たちも心配していました」
「もしかして、ドゥンクと話ができるかな?」
「姫様から話しかけてみては、いかがでしょうか」
「うん」
久しぶりに、ルーナが前面に出ているなぁ……
さて、一同肝を冷やしたが、気を取り直して出直しとなる。
「さて、皆さん、行きますよ」
カーラが先頭になり、再出発となった。
「あの速さの魔物には、我らでは相手にならぬか……」
プリスカは、ぶつぶつと呟きながら歩いている。
確かに、護衛としては大失態である。
一歩間違えば、私の首は噛み千切られていた。もっとも、ルアンナの結界が、それを簡単には許さないだろうけど。
ドゥンクは私の傍から離れない。それに、簡単な意思疎通もできた。ひょっとしたら、ルアンナよりも力になってくれるかもしれないな。
最初に目指すのは、獣人の村だ。
そこでは、様々な種族の獣人が身を寄せ合い、常時百人ほどが村で暮らしているという。
ドワーフやエルフの村との交易や、種族の特徴を生かした仕事を請け負い、実際には村を離れて出稼ぎに出ている者も多いと聞いた。
さすがに八十年も九十年も生きているのだから、エルフの箱入り娘の三人でも、この辺りまでなら何度か来ているらしい。
森を歩くこと、五日。今回は、荷運びの馬を連れていない。
だがその分だけ魔法で強化した肉体で、走るように進んだ。
私はどうしたかって?
それは当然、エルフたちに身体強化魔法をかけてもらったのさ。
今のところ、自分では難しいので。
魔力を体内に循環させる系統の魔法は、私の収納魔法と相性が悪い。
しかしエルフの使う身体強化魔法は支援魔法の一種で、一時的に肉体のステータスだけを上昇させる。
私も早くその魔法を覚えたいのだが、まだまだ未熟で……
お礼というのもなんだが、賢者様の巾着袋のお陰で野営は快適で、エルフたちは喜んでくれた。
獣人の村には特に結界もなく、ただ超常的な獣人の五感による監視能力で、私たちの接近は早くから察知されていた。
一番警戒されたのは、一緒に歩いている得体のしれない黒犬のドゥンクだったらしいが。
最初に接触した狐獣人の男は緊張感を隠さず、やはり森の魔物が活性化している事実は、かなりの影響を与えているようだった。
普通の旅人には見えなかったのだろう。私たちはすぐに、村長のところへ連れて行かれた。
「多くの者が仕事で村を離れていて、残った村人たちは心配しているところです。村の自衛にはそれなりの戦力を残していますが、皆様も何かの折にはご協力をお願いいたします」
村長は痩せた狼人間で、中々の野性味を感じる。
村長の紹介で、ドゥンクも含めて、村の小さな宿屋にお世話になることになった。
残念ながらフランシス好みの若い男は多くが村を離れているようで、母親と子供の姿が多い。師匠以外の我々としては、馴染みやすい村だった。
村を出ている者の多くは、この後我々が向かうドワーフの村で仕事をしているようで、宿屋に泊まっていたドワーフの鍛冶職人に詳しい話を聞くことができた。
ちなみに、三人娘同様に我々も耳を伸ばして、エルフとして自己紹介した。私は二十歳の娘の姿で、それぞれエルフ風の服を着て、アリス、フラム、ルスカと名乗った。
「最近は森を歩くのも物騒になり、ワシも一人で帰るのを躊躇っていたところだ。良かったら嬢ちゃんたちに、帰り道の護衛を頼みたいんだが」
バルムと名乗ったドワーフは、もう十年以上にわたり、年に何度かこの村へ来ては、様々な金属加工品の修理などを行っている。
「なに、最初はうちの村で働いていた獣人の頼みで、刃こぼれした鉈やら具合の悪い農具やらの修繕をまとめて請け負い、やって来たのよ。今じゃ鍋釜まで、金物なら何でも直しているがな」
「この村に鍛冶師はいないんですか?」
「まあ、簡単な事なら村の何でも屋で用が足りるが、手のかかる仕事は、俺が来るまで待っているようでな」
鍛冶師のバルムは、まだ何日かはこの村で仕事をするようで、私たちが村を出る時には声を掛けてくれ、と言って笑った。
それから、バルムさんの住むドワーフの村について、色々と話を聞いた。
ドワーフの暮らす主な街は、更に北方の山岳部に幾つかある鉱山の周囲に広がっている。
その辺りは、私がドラゴンらしき強力な魔力を感じた山の、麓に当たるようだ。
そこから離れた場所にも、珍しい鉱石や宝玉などを産出する場所があり、ドワーフの住処は森の中に点々とある。
バルムさんの暮らす村は砂金や宝玉の採れる川の近くにあり、北の山岳部よりも過ごしやすいことから、今では腕のいい飾り職人などが多く住み着いているらしい。
それから数日、私たちは初めて出会った獣人たちとの交流に浮かれ、村の名物料理を堪能した。その辺の事情は、エルフの里とは大違いであった。
どうせ帰りにもこの村には寄るからゆっくり仕事をしてくれと、とバルムさんには言っておいた。だが、その日宿に戻った彼に声を掛けると、丁度仕事にひと区切りがついた、ということだった。
では明後日辺りには出発しましょうかと、夜はまた盛大に飲んで食べて騒いで眠った。
翌日は獣人の村で買い物をしながら、旅の支度をして過ごした。それなりに、順調な旅である。
そしていよいよ、獣人の村を出た。
村から歩き始めて、一時間としない頃。
「姫様、魔物に囲まれつつありますよ!」
ルアンナの警戒警報が発令した。
またか……
エルフの村を出た時には、ドゥンクがやって来た。今度は何がやって来る?
後編へ続く
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