開花その21 獣人の村 前編



 ザリガニ沼を蒸発させた私は、収納魔法の整理整頓に勤しんでいた。

 孤独な作業に涙も枯れた私は、今日も荒野となった結界の中にいる。


 暦の上ではそろそろ年の暮れが迫っているのだが、文化の違いかエルフの里では年末年始を祝う習慣がないようだった。


 私がまだ普通のお子様だった昨年は、谷の館で年始を祝う支度に忙しくも浮かれていた時期だ。今は、なんだかとても寂しい。


 私がこうして一人きりで荒野にいるのは、全てが私自身の責任だ。元々ここは、森の中の小さなお花畑だった。



 しかし何日も続けて収納魔法の内容整理の仕事をしているうちに、時々漏れ出す魔法の欠片により、結界の内側にあった木々は枯れて倒れ、凍り、そして最後は燃え尽きた。


 中心部の草原も含めて、結界内部はすっかり不毛の荒れ地と化してしまったのだ。


 エルフの張った結界は私が垂れ流す魔法を的確に封じて、それ以上荒れ地を森の中へ浸食させることなく、防いでくれた。


 しかしその優秀な結界も、荒涼たる景色が私の心の中へと浸食するのを防ぐことはできない。



 正視に耐えない環境破壊を前にして、私は思う。


 これは、何と孤独で空虚な作業だろうか。私の心は、日々荒廃している。


 本来私は今頃、仲間を守るための新たな魔法習得に励んでいるはずであった。しかし試験的に行った沼のザリガニ退治で見事に失敗し、こうしてもう十日以上も一人で収納魔法再編の事業に取り組んでいる。



 辺りがすっかり荒野になったのは、ヤケになって魔法の制御と収納の訓練を始めたのが、一番の原因だ。


 ただ収納魔法の整理をしているだけでは退屈で、つい余計なことをしたばかりに、漏れ出した魔法が原因で、こうなった。


 しかしこうなってしまったからには最後までとことんやってやろうじゃないかと、師匠譲りの意地と根性が顔を出す。



 元ヤンの師匠は、率先して次々と悪い見本を私に示してくれる、稀に見る優秀な反面教師だと思っていた。


 だが、こうしてみると、私もその悪い部分をしっかり受け継いだ悪い弟子であることが判明した。


 心に北風が吹く、年の暮れ。


 エルフの里は、一年中温暖だけど……



 そんな私に、思わぬ失地回復の機会が出現した。


「魔物の群れ?」

 朝食の席で、この村出身のネリンが新しい情報を披露していた。


「そうなんです。里の外では、最近魔物に襲われる事件が増えています。以前ならエルフの姿を見れば逃げるような魔物までが、襲い掛かると」


「魔物が狂暴化しているのは、男爵領でも経験した。スタンピードの兆候だぞ」


 フランシスは、男爵領に来る前にも、何度か魔物の暴走を鎮圧した経験があるという。それでも小規模なものばかりで、魔獣ウーリ事件のような破滅的な暴走は、あれが初めての経験だった。


「里からも、幾つかの調査隊が外の森へ出ているわ」


 そう言われると、最初に里で出迎えられた、好戦的で性格の悪いロビンフッドを思い出してしまう。


 あんなのが大勢いたら、近寄りたくない。



「私たちも、行きましょう」

「ああ。こんな時こそ、里の力にならねば」


 明らかに退屈しているフランシスとプリスカが、率先して言い始めた。


 こいつらが絡むと、余計に迷惑をかけそうで怖い。あ、それは私も同じか。


 だがそうなると、私たち三人だけというわけにはいかない。当然、道案内やら世話係として、エルフ三人娘もセットで行くことになる。



「簡単に言うけどね、ケビンとかヘルゼとかの許可が出るの?」


「うーん、父は皆さんと一緒なら同意してくれると思います。ただ、ヘルゼマーク様の許可が必要かどうかは、父に聞いてみないと……」


 忘れていると思うが、ケビンはこのフリークス村の村長で、ネリンはその娘だ。


 ヘルゼは最初に連れて行かれたアロイ村の村長であり、このエルフの里の長老として、里を代表する立場の人物だ。


 リンジーとカーラも、そのアロイ村から私たちに同行してくれている。



「大賢者様が行かれるのであれば、この里の者には止めようがありませんよ。それに、ネリンを含めた三人のエルフが道案内と護衛に同行するのなら、心配は無用でしょう。念のため、ヘルゼマーク様には私から伝えておきます」


 あっさりと、ケビンの許可が出てしまった。


「ひょっとして、この程度の魔物の異常は珍しくもないの?」


「まあ、そうですね。十年、いや三十年に一度や二度はあるでしょうか……」

 ケビンの回答に、三人娘も頷いている。


 うーん、多いのか少ないのか、さっぱりわからん。


 ただ、自由にあちこち動いて魔物を刺激するのもいけないので、調査隊の動きと連動して、ある程度のルートは決めておく必要があった。


 あのロビンフッドのように好戦的なエルフの調査隊(勝手な想像)とは、完全に別行動としたいので。


「ではせっかくだから、北のドワーフの村と獣人の村を結ぶ、こんな感じのルートで遠征しましょう」


 大雑把な地図の上を、ネリンとカーラが指を運ぶ。


「うん。いいんじゃない」


 静かなご意見番リンジーも同意したので、これで決まりだ。元より私たち部外者三人は、ドワーフと獣人と聞いただけで、舞い上がっている。



「ところで、姫様の収納魔法の整理は終わったのですか?」

 師匠が痛いところを突いて来た。


「……もう少しで終わる、と思う」


「では、それが終わるまでに、私たちは遠征の支度をしておきましょう」

 カーラの提案に、とりあえず私は救われた。



 とはいえ、焦土となった森の奥で収納魔法の整理を続けるのは、精神的にしんどかった。未熟な魔法は捨てて、ある程度使える魔法のみ残す方向性で始めたものの、それだと大半の魔法はお蔵入りとなる。


 まあ別に、生活魔法の延長線上にある魔法だけでも、いいんだけどね。


 そう考えてトライアンドエラーを止めてしまえば、もう数日前に作業は終わっていたし、結界内部がこんな悲劇的な状況にはならなかったろう。


 でもそれではせっかくの収納魔法が、つまらぬものになってしまう。


 初心者用教本の冒頭にある三つのコードだけで、ずっとギターを弾き続けろと言っているようなものだ。


 いや、基礎は大事だよ。わかってるって。



 で、押さえられもしないFコードを無理やり鳴らした結果が、今の私です。


「姫様、出発の支度が出来ましたが、そちらはいかがですか?」

 妙に丁重にフランシスが伺いに来た。


「丁度良かった。こっちも終わったよ」

 そう答えるしか、ないじゃないか。



 そんなこんなで、出発の朝が来た。


 ちなみに、私の作った荒れ地は、エルフ三人娘が得意の生物魔法とやらで、一夜にして美しい花咲く草原に変えてしまった。


「あのさ、こういうのこそ、精霊さんのお仕事なんじゃないの?」


「え、何の話?」

 ルアンナは、最近やけに言葉が少ない。


「私が荒らした森の復旧に、力を貸してくれても良かったんじゃないの?」


「ああ、大丈夫。それは森の精霊によく頼んでおいたから」

 本当かよ。



「さあ、姫様、行きますよ!」


 何故かフランシスが先頭になり、村の中心にある転移ハウスへやって来た。


 エルフの里の一番北側の村まで移動して、そこから徒歩で里の結界を抜ける。


「はーい、じゃ、みんな集まって。姫様に触れてくださーい」


 結界の前で、フランシスが声を掛ける。でも、エルフは自分で何とかしろよ。

 そう言いたいのはやまやまだが、五人が私に掴まりぞろぞろと二重の結界を出た。


「へー、すごいですね」

「これ本当に、結界あります?」

「何だか里が心配になって来たわ~」


 三人娘が動揺する中、師匠と護衛は久しぶりに里の外へ出たことで、珍しく緊張感を高めていた。



「姫様、念のため、広範囲の索敵をお願いできますか」


「いいよ、静かにしてね」


 私は久しぶりに、精密な魔力感知を働かせた。

 今でも、これ意外まともな芸がないもので……


 連日の収納魔法整理のお陰か、集中力が高まっている。以前から感じていた大きな気配の他に、多くの中小の魔力を感じる。この小さい方の気配が、先日のザリガニ程度の魔物と思われる。


 この中小の魔物には、特に目立った動きは見られない。


 それよりも弱い魔物を感知するためには、探査の輪をぐっと狭めて、里の北方周辺に絞って探る。


 さすがにエルフの結界を出ると、魔物の数は多い。

 その動きを追ってみた。


「特に変わったところはないんだけど……」

 私には、魔物の不審な動きはわからない。


「では、予定通りに動きましょうか」



 カーラが先頭になり、一行は森の中を進んだ。何かあればすぐに飛び出せるように、二番目にプリスカが続く。


 六人パーティで、前衛がプリスカ一人というのは、どうなのだろうか?


 一応カーラもエルフ刀を抜いて、踏み後程度の道に伸びた藪を切り払いながら、進んでいる。


 私はネリンとフランシスに挟まれ、最後方はリンジー。


「姫様、周辺の警戒は、私にお任せを」

 ルアンナがそう言うので、私は警戒を緩めた。


「じゃあ、頼んだよ」



「あれ、早速大きな魔力がまっすぐこっちへ向かってますよ」

「嘘っ!」

 私は再び魔力感知の輪を広げる。


 うわっ、本当だ。こりゃあのザリガニより遥かに魔力がでかいぞっ。


「みんな、十時の方向から巨大な魔力が接近中!」


「何だって?!」



 中編へ続く




  

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