開花その11 魔物の森の入口で



 西の森は、手付かずの自然であり、王国の領地ではない。


 森の中は魔物の棲み処であり、ドワーフや獣人やエルフの村が点在するが、人間の住む町はない。


 私の生まれた谷の北方にも似たような北の森が広がるが、西の森と決定的に違うのは、北の森には王国の領地が含まれていることだ。


 正確に言えば、森の分水嶺となる山脈の南側までが、王国の領地となっている。


 西の森は、その東側に流れる川を境に東側、つまり川の左岸までが王国の領域である。境は川の中央ではない。その川自体が、既に人の領域ではないのだ。


 川の東側は荒野とまばらな森林で、広大な未開地のまま開拓は進んでいない。


 周辺に人の住む町もない今では、百五十年前に滅ぼされた国が支配していた地域である、という意味しかない。



 実際にエルフが住むのは西の奥地であるが、西の森全部が実質上エルフの聖地として、人間の侵入を拒んでいる。


 様々な獣人たちとドワーフのみが、そこで暮らすことを許されているのだった。


 とはいえ、近隣に暮らす猟師などは川に船を浮かべて漁もするし、西の森へ入って狩りをしたり、ドワーフや獣人たちと交易をしたりと、特別な強い禁忌に縛られてはいない。


 そこは、男爵領の北の森とも似ている。

 だがそれはあくまでも、個人的な関係として、西の森の端っこへ入ることを黙認されているだけのこと。


 王国の、貴族の、騎士の、領主の、教会の……そんなややこしい肩書のない一人の人間についての場合だ。


 さてこの場合、私は何者なのだろうか。



 悩む私だが、その目の前には、ないはずの橋が架かり、ないはずの道が西の森の中へと続いている。


 なんだ、これは。


 細く頼りなかった道は最西端の町を出ると広く平らな道に変化し、荒れ地を馬車や荷車が悠々と走れる広さがある。


 川の両岸には立派な船着き場が作られ、馬車がすれ違える幅の広い橋が架かっている。


 なんだ、これは。


 チチャ川のような大河ではないので、この川は小型船しか通れないが、人荷を運ぶ水路としては十分だ。


 ということは、河口に船着き場を作り、海から人や資材を運んだのだろうか。


 王宮が、そして教会が私に見せたくなかったものは、間違いなくこれだろう。


 いや、もしかするとそれ以上のものが、橋を渡ったこの道の先にあるのだろうか。


 橋の両側には槍を担いだ護衛の兵士が立ち、私たちが気楽に渡してもらえるとは思えない。



 山賊に偽装した王国の兵士らしき集団の襲撃を回避した私たちは、街道を南へ外れ森の中で野宿をしながら、西への旅を続けた。


 そうして辿り着いたこの場所は、精霊たちと私の魔力感知により、かなり手前からその異常を察知してはいた。


 しかし近くまで来てこの目で見ると、信じられない思いが膨らむ。

 これは明らかに、西の森への侵略ではないのか?


 危うい。


 ここは、いつ戦場になってもおかしくない、紛争の火種を抱えた場所だ。

 恐らく、王都の魔術師協会は、これを知らない。では、王宮は?


 恐らく知っているのは、一部の貴族と、教会の一部。だが、王宮の情報部門が知らぬとは思えない。どの程度関与しているのだろうか。



 再度下流へ移動し、フランシスの氷魔法で仮橋を作り、馬を引いて対岸へ渡った。

 そこは、もうエルフの世界のはずである。


 エルフの森を上流へ戻ると、橋の先には巨大な要塞が築かれていた。


 なんだ、これは。


 私は、要塞内部の気配を探る。

「大きな砦の中に兵士は少なく、強い魔力を持つ者の気配が、複数感じられる」


 そんな馬鹿な、とフランシスは首を捻る。

「王宮の魔術師がこんな場所まで集団でやって来るとは、おかしい」


「王国は、戦争でも始めるつもりか?」

 プリスカの言う通り、穏やかではない。



 私は、更に精度を上げた感知を試みる。


「どうやらこの魔力は、教会高位の聖職者のようだぞ」

 魔力の質が、教会の聖魔法に近い。


「ということは、ここは要塞ではなく、教会なのだろうか?」


 プリスカの問いに、フランシスが答える。


「要塞の周囲には、強力な結界が張られている。こんなことができるのは、かなり熟練の魔術師だろう。教会の結界術師というのを、聞いたことがある」


 強くなり過ぎ、浄化が困難な死霊やアンデッド系の魔物を封印する魔術師を、そう呼ぶらしい。



 そこで、私も気付いた。

「まさかそいつら、封印を解く技にも長けているのだろうか?」


「あっ……」

 フランシスも気付いたようだ。


「姫様、各地で強力な魔獣を復活させていたのは、この者たちだったのでは?」


 その最終目的地がこの場所だとすれば、ここに眠るのは、かなり強力な古代魔獣なのだろう。


 その封印を解き、この先にあるドワーフやエルフの里へ向けスタンピードを起こすつもりかもしれない。


 私は、谷を襲ったスタンピードを思い出す。

 それは、このための実験だったのかもしれない。


「こいつら、男爵様の領地を実験台に使ったのかっ!」

 フランシスが、歯ぎしりをする。


 あの日、魔獣ウーリの復活と連鎖したスタンピードにより、多くの騎士や領民が命を落とした。フランシスも魔物と闘い、多くの仲間を失っている。


 その原因が王宮と教会だとしたら、私たちは許せない。



 私の前に現れた二体の古代魔獣の復活は、王都から離れた場所で行われた。


 ある程度の実験結果を得られれば、再び封印するつもりだったのかもしれない。


 しかし、その二体は、私たちが倒した。

 男爵領は、取るに足りない辺境の地として、実験台に使われたのか?


 男爵領で古代魔獣ウーリを倒した事実に対しては、褒賞まで授けられている。


 続いて二度目の古代魔獣である岩石スライムを私が倒したことには、教会はまだ気付いていない可能性が高い。


 あの時、あの場所は、私の進んでいた方向からは、かなり離れていたのだ。



 もしかして、私をここへ近付けたくなかった理由は、これなのか?

 だとすると、この一件には王宮は関わっていない。


「恐らく、教会内部の過激派とそれを支持する高級貴族の仕組んだことでしょう」


 そういうプリスカは、山中を進むに当たりフランシスの色目が気味悪いと、すぐに男装を解き元の冒険者姿に戻った。


 ならば、と私も同時に男爵令嬢の姿に戻る。

 ひらひらのスカートも、ルーナの結界に守られていれば汚れる心配もない。


 フランシス師匠はどうでもよかったのだが、いつの間にか普段の魔術師姿に戻っていた。


 魔術師の服はそれなりの結界効果を持つらしく、藪に裾を引っ掛けることもなく、悠々と進んでいた。

 つまらない。



「私たちは川を越え、遂に西の森へ入った。予定通り森を進んで、エルフの里を目指す」

 フランシスが宣言する。誰に言ってるのだ?


 この森に、しっかりした道があるわけではない。

 今まで同様、獣道を辿るような旅になるだろう。


 だが、その前に。



「あの要塞は、危険ですね」

「放っておくわけにはまいりません」

 私が口に出さずとも、二人の意志は堅そうだ。


「我らの谷を襲った魔物を仕掛けたのが同じ連中だとすれば、これは弔い合戦ですぞ、姫様」


「私は、姫様の剣にございます」


「わかったわかった。二人は目の前のこれを、どうしたいのだ?」


「姫様のお手を汚すようなことは、決して致しません」

「我ら二人にて、十分」


「要塞は、完膚なきまでに破壊」

「護衛の兵と中の結界魔術師は危険なので、皆殺し」


 何という、血に飢えた殺人鬼たち……異世界、超怖い!



「あの、最初に誰かに証言をさせて、それから……」


「では殺す前に、一人だけ尋問しましょう」

「ひーっ!」


「橋と船着き場も、同じく破壊」


「雑兵に加えて商人、荷役、船頭や職人などは、我らの邪魔をせぬなら、逃げるに任せましょう」


「生きて帰すは、小者のみ」


 はあ、どんな大軍の作戦会議だよ……五歳児を怯えさせて、どうすんだ!



「ルーナ、二人の姿を魔物にでも変えてやってよ」


「賢者の巾着に魔物の毛皮が入っているのでは?」

「あ、それだな」



「ほら、二人はこれを被りなさい」


 私は角狼ツノオオカミ火炎熊カエングマの毛皮を取り出す。どちらも頭と手足が残っている奴だ。


「いや、魔物が剣を振るうのはちょっと……」

 プリスカが渋る。


「じゃ、あんたはこれ」

 どこかの祭りで使うような、オーガのお面と腰布である。


「その代わり、上半身は裸だからね!」


 プリスカは顔を真っ赤にして、横にぶるぶる震わせた。



 深夜を待って、二匹の飢えた獣が襲い掛かる。

 いい具合に、細い月が中空に浮かんでいた。


「精霊の祝福が、二人を守りますように」

 私はそう言って二人を送り出した。


 あとは解き放たれた野獣のごとく、蹂躙の限りを尽くす。


 先日追われた鬱憤うっぷんを晴らすように、プリスカも強力な魔法を連発して、大被害を与えていた。


 橋と船着き場が爆炎に包まれ、続いて結界で守られていた頑強な石造りの要塞が、積み木のように崩れ落ちる。


 古代魔獣の封印をも解く聖魔術師たちも、油断していれば簡単に森の精霊たちの怒りに呑まれてしまう。


 教会に集まる街の精霊の騒々しい魔力とは全く異なる、底なし沼のように静かで抗い難い森の精霊の深い力に、フランシスとプリスカも肌を粟立てただろう。


 だが、動きを止めている暇はない。


 主犯格の強い魔力を持つ人間とその取り巻きを私がマークして、ルーナが二人に指示を送る。一人たりとも、絶対に逃がさない。


 一方的な殲滅戦が、幕を開けた。



 夜明けを前にして、砦の周辺に動く者は一人もいない。所々から煙を噴き上げるだけの、荒れ地と化していた。


 橋は落ち、何も知らない労働者を乗せた小舟は、下流へ流れて行った。


 最後に山火事を防ぐ仕事だけ、私の水魔法の出番である。


 残り火は全て鎮火したが、血の匂いと肉の焦げる匂いは、簡単には消えない。


 これが、この世界のもう一つの顔だ。私は、ここから目を逸らすわけにはいかない。



「終わったね」


「色々と、面白いことがわかりました」

「それは、あとで聞くよ」


「はい。我らは早く立ち去りましょう」

「じゃ、みんな馬に乗って!」


「ええっ、またこれですか?」

「三人も乗れますか?」


「今なら誰にも見られないだろ。いいから、早く乗れっ」


「行くぞ!」

「ギャー」

「ヒィィィー」


 いやぁ、私の風魔法は便利だなぁ。



 終



  

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