開花その10 プリスカの実力 後編



「プリスカ。あの伏兵は山賊に偽装しているけど、恐らく王国の正規兵だよ。あれを、誰も殺さずに一人で突破できる?」


 私は、プリスカに正面から問う。


「はい。私一人だけならば、魔法なしでも突破することは可能でしょう」


「魔法剣士とバレない程度に剣術だけで闘えば、冒険者のプリスカだとは思わないだろう」


「なるほど。たまたま居合わせた、腕のいい護衛の男だと思わせればよいのですね」


「そう。私たちとは関係のない、偶然居合わせた剣士だと思わせる。できる?」


「軽い身体強化に特化して走れば、違和感なく行けるでしょう」


「じゃ、それで頼むね」

「姫様たちは?」


「私たちは、山を飛び越すかな」

「はっ?」

 私は、師匠の顔からすっと血の気が引くのを見逃さなかった。


 その私の言葉に、私にしか聞こえない声で、ルーナが返事を返す。

「姫様。また、あれをやるのですか?」

「うん」


「今度は、昼間ですぞ」

「プリスカが地上で暴れていれば、誰も空なんて見上げる余裕はないと思うけど」


「しかも今度は、馬と荷物と人間二人ですぞ!」

「飛ばすのはいいけど、着地が問題?」


「……いえ、それは私の結界で何とかしましょう」

「じゃ、問題ないよ。よろしくね」



「姫様、山を跳び越すと聞こえたような……気のせいですよね」

 馬を引くフランシスが、振り返る。


「大丈夫、私と一緒に馬に乗っていればいいから」


「この馬が空を飛ぶのですか?」


「まあ、そんな感じになるかな」


 フランシスの釈然としない表情が、更に蒼ざめる。



「ルーナ、お願い。プリスカにも精霊の加護を!」

 私は、プリスカの方が心配だ。


「ではこの山の風の精霊に頼んで、多くの矢が逸れるように気まぐれな風を吹かせましょう」

「ありがとう、ルーナ」



「プリスカ。風の精霊が、弓矢をある程度逸らしてくれるわ。でも、油断しないでね」


「任せてください。全員生きて返すな、と言われれば少々厄介ですが、殺さず逃げるだけなら、どうにかなりましょう。ではまた、後程!」



 そう言って、プリスカは気負うこともなく、のんびりと歩いて行く。


「一人だけなら、見逃してくれないかな?」


「もし宿で声を掛けた商人たちが仕込みなら、プリスカを捕らえて私たちの居場所を聞こうとするでしょうね」


 フランシスは、意外と冷静だった。


「そうなるのか……」


 私たちはその場で待機し、伏兵の動きを見てから動くことになる。


 やがて敵の見張りがプリスカを発見し、全体に動きが伝わる。

 どうやら囲んで弓矢で脅し、捕らえる算段のようだ。


 次の瞬間、山がざわめいた。


 風の精霊が、賊の潜伏場所を中心に、突風を送り始めたのだ。ルーナも、時にはちゃんと言った通りの事をする。


 焦った伏兵の何人かが動き、プリスカに姿を見られたのだろう。状況は一気に動き出し、プリスカが走り出す。


 きっと、もう剣を抜いているだろう。ここからは命懸けだ。



「じゃ、こちらも脱出しますよ」

「では、師匠も馬に乗って!」

 ルーナの呼びかけで、私はフランシスを無理やり馬の背に乗せる。


 すぐに、馬の周囲に防護結界が張り巡らされた。


「飛びますよ」

「うそっ!」


「ほんとっ!」

「ギャーッ!」


 私は手加減せずに前方上空へ向けて風魔法を放ち、その勢いで馬ごと空へ舞い上がる。



 フランシスの悲鳴を無視して地上を伺っていると、眼下にプリスカの気配を見つけた。


 峠の道の両側から威嚇の矢が放たれているが、強風にあおられプリスカには届かない。ありがとう、風の精霊。できれば私の飛行にも、加護が欲しいな。


 矢が届かぬと知った兵士は、プリスカ目がけて山腹を駆け降りる。


 兵士たちの中には、何人か魔力の高い者が混じっていた。


「まずいな。魔法使いが何人かいる。魔法は風で防ぎきれない」


 私たちは高く空中を上がって行くが、プリスカは地上で接近戦が始まり、移動速度が落ちていた。


「私が殺すなと言ったばかりに、プリスカがやられるかもしれない……」


「あの女なら、バカ強いから大丈夫ですよ」

 ルーナはそう言うが、私は気が気でない。


「ひーっ!」

 でも今一番大変なのは、師匠だね。


 確かに、プリスカの魔力は変わらず、周囲の敵兵は悉く剣の腹や手足の打撃により昏倒している。


 伏兵は正規兵の鎧を着るわけにはいかず、山賊姿では粗雑な防具しか身に着けていない。プリスカにとっては、倒しやすい相手だった。


 それにしても、王国の正規兵を相手にして、身体強化の魔法だけでこの圧倒的な強さとは。


 プリスカの実力は、本物だった。


 でも、私が殺さずの誓いを強いたことにより、なりふり構わなくなった兵士たちの攻撃は、執拗かつ熾烈を極める。


 風魔法を厭わぬ土魔法により進路を妨害され、追い込まれて風の刃を浴び、それでもプリスカは土壁を剣で切り開いて、前へ進む。


 その気迫に、兵士たちも押され始めていた。


「ルーナ、私は降りるよ。馬は頼むね」

「えっ、フランシスは?」


 私は新たな風魔法により、遥か前方の草原に向けて馬の飛行進路を変えた。同時に私は馬から飛び降り、進路から外れて真下に落下する。


「姫様、何をしているんですかっ?」

 ルーナが悲鳴のような声を返す。


「うん。ちょっとプリスカに助太刀を」

「やり過ぎないでくださいよぉ~」


「それが問題だ……」



 私はかなりの上空まで上っていたので、まだまだ地上は遠い。尾根にいた伏兵は森の中ではなく、枯れた沢の斜面を街道に向けて下っている。


 私はその上へたった一滴のつもりで、生活魔法の水滴を落とした。


 枯れ沢はそれだけで突然の激流となり、多くの兵士を巻き込みながら流れ下る。


 同様に、街道の反対側となる草地の斜面にも、もう一滴を。これはウォータースライダーというより水洗便器のように、兵士たちはたちまち流された。


 私には、コップ一杯の水を出すのは難しい。だが池一杯分の水であれば、気楽に出せるのだ。どうだ!


 これで敵兵力の三分の二は、街道を超えて遥か谷下まで流された。いずれも訓練を積んだ兵士たちだ。ちゃんと生きているよね?


 あとはプリスカに任せて、私は誰にも見つからぬように、フランシスたちのところへ戻るだけだ。


 もう一度風魔法で、フランシスの気配に向けて吹っ飛んで行く。


 その間、僅か数秒の出来事であった。



「ルーナ、そっちへ行くから受け止めてぇー」

 私は必死でルーナを呼んでいる。


 私が目標にしたフランシスの気配は、まだ地上へ降りる前の位置だった。


 当然、私は馬とフランシスが降りた草原の上空を、猛スピードで通り抜けようとしていた。


 念のために自分の体の身体強化魔法だけは、最大限にかけている。ただ、このままでは目の前の森へ突っ込む。


「どうやって止めればいいんですかねぇ?」


 ルーナが迷っているうちに草原の上空まで来てしまったので、適当に風魔法を逆噴射して、ブレーキをかけてみた。


 壁に当たって跳ね返るピンポン玉のように、私は軌道を変えてくるくる回りながら結構な勢いで草原へ落下した。


 ルーナの防御結界と私の身体強化のおかげか、背中から大の字に地面へめり込んだが、特に痛みはない。


 ただ、気が抜けて身体強化の魔法が解けたので、動けないだけだ。


「姫様!」

 馬から降りていたフランシスが駆け寄って、起こしてくれた。



「お怪我はありませんかっ!」

「うん、なんとか大丈夫みたい」


「プリスカの様子は?」

「そっちも大丈夫。そろそろ突破してこっちへ向かっていると思う」


 兵士たちも、あの状況では仲間の救助が優先されて、プリスカを追撃する余裕はないだろう。


「それにしても、プリスカは強かったよ」


「私も見ました。姫様が行く必要などありませんでしたのに……」

 フランシスは、そうして泥にまみれた私を抱きしめる。


 さてあの兵士たちは、この出来事をどう判断するだろうか?


 そして私たちは、これからどこへ行く?



 この大陸を支配していると豪語する王国だが、実質的には、大陸の中心から東側の一画を手に入れているに過ぎない。面積にすれば四分の一程度だろう。


 エルフの森はその西側の森の奥にあり、王国から西の森へ至る主要な街道には、同じ罠が待っていると思って良いだろう。


 そして恐らくは、この先の道にも。

 プリスカの到着を待つ間、フランシスと今後についての相談を始めた。


「どうせ西の森へ入ってしまえば、追っては来れまい。結局同じことだぞ」

 私には、王国が何をしたいのか、よくわからない。


「西のエルフの森へ王国の正規兵が入ったりしたら、大変なことになりますよ」

「それがわかっていて、なぜ王宮はこんな無駄なことを?」


「王様や教会は、単に姫様の無事を確認したいだけだと思いますが?」

「兵を動かす現場の指揮官は、例の魔獣復活に関わりのある組織なのかな」


「例えば、この先に見られたくないものがあるのかもしれません」

「ああ、そうか。逆に、ここ以外に誘導したいルートがある、とかね」


「姫様、のんびり旅を続けたいのなら、ルートを変えましょうか?」


「はあ。きっとこれからも、私の行く先々でこうして水晶が砕け続けるのよ。どこへ行こうと同じだわ……」

 

「そうなると、意地でもこの道を行きたくなりますよね」


「そうね。でも、せっかくプリスカが兵士を振り切ってくれたんだから、とにかく一度どこかへ身を隠しましょう」


「当分、森で野宿生活ですか……」

「そうなるわね」


「……仕方がないですね」

「うん。プリスカには悪いけど、急いだ方がいいような気がする」


「はい。これ以上兵士たちに追われるのは、ご免です」



 そんな話をしているうちに、プリスカが追っ手を振り切って合流した。


 男装のプリスカは額にうっすらと汗を浮かべただけで、クールに微笑んでいる。


 何故かそれを見つめるフランシスの瞳がハートの形をしているような気がして、私は慌てて目を逸らした。



 終




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