開花その9 魔獣再び 後編



 その日の夕暮れ、クスノキの巨木の洞で休んでいた私は、遠くに大きな魔力の動きを感じて立ち上がった。


「この気配は……」


 私は魔力感知の網を、最大限に広げる。


「これは、何か大きな魔獣の気配?」


「そのようです」

 ルーナが真面目な声で答えたので、間違いない。


「まさか、また古代魔獣の封印が解けたとか?」

「精霊たちの話では、最近あちこちで魔物の動きが活性化している、とも聞きます」



 魔物の気配は、祭りのフィナーレを迎えているラフマへ向かって移動している。


「人々の醸し出す霊的な力に引き寄せられているのでしょう。封印が解けたばかりの魔獣は、飢えていますので……」


「ルーナ、お願いがあるんだけど……」

「あそこへ行くのですね」


「うん。魔獣が街に着く前に、何とかしないと」

「でも、それでは姫様の居場所が知られる恐れが大きいですよ」


「だから、人のいない山の中で片付けて逃げ出そうよ。ね!」


「確かに、ここから遠い場所で迎え撃てば、逆に居場所を攪乱できる可能性はありますね」


「じゃ、ほら。何か魔法でぴゅーんと」

「では、姫様は魔獣のいる方向の上空に向けて、風魔法を放ってください」


「えっと、いつもの生活魔法でいいのよね」

「はい。今回は手加減なしでお願いいたします」



 私は修行中の風魔法を、手加減なしで上空へ向けて放った。


 次の瞬間、私の体は自ら放った風により、空中へと吹き上がった。


「どういうこと?」

「ちょっと姫様を持ち上げて、風に乗っただけですよ」


 かなり遠いのだが、奇跡的に魔獣の気配へ向かってすっ飛んでいる。早い!

 そして魔獣の巨大な気配を足元に感じると、そのまま飛び続けて、あっという間に通り越してしまった……


「ルーナ、これはどういうこと?」


「最近練習を始めた風魔法は、ほとんど使えませんでしたよね。なのに、こんな時だけ……ああ、姫様に手加減なしで、なんて言うんじゃなかった……」


「うん。これは眠っている子供を起こさないような、快適なそよ風を送る魔法だよね」

「こんな理不尽なそよ風はありません!」


「これ、私たち、どこまで行くの?」

「制御不能です……」


「いいから、戻らないと!」


「そうですね。今度は直接奴の腹にぶつけるつもりで、風をぶっ放してやってくださいな。それなら、少なくとも通り過ぎることはないかと……」


「いいの? 本当にやるよ?」

「……」


「ルーナにも自信がないの?」

「うう……」


 そんなことを言っているうちに、どんどん魔獣から遠ざかる。

「もう、いいから、行こう!」


 私は背中に感じる魔獣の気配に向けて、もう一発風魔法をぶっ放す。


 再び私はその勢いに乗り、壁に弾かれたように下へ向かって猛スピードで飛び出した。



 最初の一撃では、かなり高くまで飛んでいたようだ。

 私は、山肌を歩く巨体に向けて、急降下する。


「ねえ、この勢いで地面とか魔物とかにぶつかって、大丈夫なの?」

「では、次の一手です」


「耐物理衝撃結界起動!」

 ルーナの魔法結界が周囲に展開される。


 次第に私の不安は増大し、眼前の暗い山肌にへばりつく魔物の姿が確認された瞬間、恐怖に引きつった。


 それは大小の岩がくっつき一体となった、動く石垣のような化け物だ。

 あんなものに直撃したら、こちらが粉々になる。



 岩の怪物と言えば、ファンタジーでおなじみ迷宮のゴーレムや、中國の伝説にある四神の一体、岩山のごとく巨大な神獣、玄武などを想像する。


 だが目の前にあるあれは、巨人の子供がその辺の岩を団子にして遊んだ後のような、統一感のないデタラメな様々な種類の岩が集合した塊である。


 それが、スライムのようにずりずりと動き、森の木をなぎ倒しながら進んでいる。

 これは、人類に倒せる類のものではないぞ。


 ところが既に人間突撃兵器と化した私は、砲弾のような勢いでその岩の混沌へ突っ込んでいく。


 大砲の弾丸一発だけで、万里の長城と決戦するようなものだ。


「ルーナ、ぶつかるよー!」

「当然です」


 私は小山のような岩石スライムに直撃したが、不思議と衝撃はなく、軽く弾かれて無事に着地した。


「中心部にいる魔物の本体が、分厚い岩の鎧を着ているようですね」


 確かにそんな感じなのだが、そもそもこの中心にいるのは、何者だ?

「ねえ、こいつの名前は?」


 ルーナの現況分析も重要だが、先ずは周辺からの情報収集だ。

 ルーナは、周囲の精霊と話を始めた。



「これは、この地に封印されていた古代魔獣レリウム。なぜ今突然封印が解けたのかは、精霊たちにもわからないようだ」


 どのみちこのまま怪物がラフマの街へ行けば、硬い岩の防壁や鉄柵、敷き詰められた石畳にレンガ造りの家などを好きなだけ巻き込み、より強固な防御力を持つことになるだろう。


「岩を纏ってスライムのような本体の弱点を守っているのかな?」

 スライムならば、弱点のコアがあるかもしれない。


「わかりません。ただ、未完成の風魔法ですらあの威力ですから、姫様の着火魔法でコアを狙えば、確実に焼き尽くせるのではないかと推察します」


 ああ、そう来るか。

 魔力を感知すれば、この移動する小山のコアがどこにあるかが、何となくわかる。そのあたりへ、全力の着火魔法をお見舞いしてやろう。


「あの、姫様」

「何?」


「まさか、先ほどの風魔法のように、全力で着火魔法を放とうとか思っていませんよね?」

「いや、思ってるよ。他にどうすればいいのさ?」


「えっと、その場合には、少し手加減をすることと、間違っても他の場所に当たらぬように、下から上へと向けて射線を限定していただけますか?」


 ルーナの心配は、魔獣よりも私の魔法による被害が拡大することに、焦点を当てているように聞こえる。心外だ。


「そんなことを言っている場合じゃないだろ!」

「いいえ。ここは、そういう重大な局面です!」


「……はい」

 即座に言い切られ、私も重大さの一端を理解した。

 私はうなだれて、少しだけ冷静さを取り戻した。


「では姫様、いいですね!」

「はいはい、いいですよーだ……」


 このくらいテンションが下がれば、どうせ全力の魔法など撃てやしない。


 私は結界を纏ったまま土の斜面を滑り降りて、魔物に近寄る。

 魔力の集中するコアは、目前の上方に感じている。


 そこへ向けて、極限まで絞った着火魔法とは違い、より広範囲に直進する太い熱線を、何気なく放ってみた。



 一度試し撃ちをしてから本番、という軽い気持ちで放った魔法は予想に反して結構な威力になり、極太の熱線砲が空に向けて火を噴いた。


 あくまでも試し撃ちのつもりだった熱線は、目前の岩を瞬時に蒸発させ、そのまま中心の魔物を軽々と撃ち抜いてしまう。


 魔物を突き抜けた熱線は、澄んだ夜空に放たれる。ああ、ルーナの言う通りにしてよかった。

 そこから先は、私の位置からは、よく見えない。


 ただ、魔獣に直径二メートルほどのトンネルを穿ったその先に、昇ったばかりの赤い月が見えていた。


 私は崩れる岩を避け斜面を下り、森の大木に体を寄せて止まった。


 既に岩の小山は崩壊し、コアの魔力も霧散している。



「ちなみに、私は魔力を抑制する指輪を外してはいないぞ」

 これも、ただの飾りだったのか。


「例えば、百が九十九になっても、変わったようには見えないでしょうけど」


「この指輪は、魔力の九割を抑制するって聞いたけど」

「もし本当に一割の力でこれなら、この世はもうすぐ滅びますよ……」


「じゃ、指輪を外してもう一発撃ってみようか?」

 試し撃ちで終わってしまい消化不良の私は、もう一発ぶちかましてみたい。


「そ、そそ、それは……まだ止めておきましょう……」


 何にせよ、魔獣騒ぎは解決した。祭りの最終日で賑わう街も、守られた。



「あれだけ周りに何もないところなら、気楽に魔法も使えるなぁ」


「あんなすごい魔獣を一撃で葬るなんて、姫様は本当に危険極まりないですねぇ」

 こいつは何でこんなに楽しそうに笑っているんだ?


 私は地球を襲う宇宙怪獣にでもなった気分で、心がへこむ。



 さて、問題は、どうやって元居た場所へ戻るか、だ。


 これだけの騒ぎが起きたので、そのうちに、こんな山深くにも人が集まるだろう。その前に、姿を消さねば。


 私たちが元いた森はラフマの西で。ここはラフマの北側に広がる山脈である。

 普通は、一瞬で飛んで来られるような距離ではない。


 非常識な幼女と非常識な精霊の力が合わさり、奇跡が生まれた。



 ただ、帰りはできれば奇跡に頼りたくない。

「ルーナ、どうやって戻る?」


「せっかくなので、姫様の身体強化魔法の訓練を兼ねて、走って帰りますか」


 月明かりもあるし、夜の森をジャンプしながら走り抜けるのも悪くないだろう。


「よし、修行の成果を見せてやるぞ!」


「いやだから、気合は入れずに、必ず手加減してくださいよぅ……」


 どうも私は、師匠であるフランシスの悪影響が大きいように思える。



「では、軽く走って帰りましょう。方向は、ルーナが指示してね」


 身体強化魔法は、あのフランシスが白目を剥いて倒れた魔力循環から始まる。

 これも集中瞑想と共に、私が日課にしている修行の一つだ。


 同時に、ルーナが耐衝撃結界を張ってくれた。これで多少無理をしても、服がボロボロになり気付けば裸、という窮地に陥ることもない。


 もっとも、今の私は男の子に変化している。多少のポロリは許される。かな。


 私はなるべく上空高く飛び出さぬよう注意を払いながら、尾根から尾根へと谷を飛び越え、密生する高い木々の梢を飛び跳ねるようにして、一直線に森を駆け抜けた。


「姫様、そろそろ大きなクスノキが見えてくると思います」

「わかった。探してみる」


 私が休んでいた、大きな洞のあるクスノキを探す。


 近くに幾つか精霊の気配が濃い場所があり、恐らくそのうちのどこかだろう。



 私はやっと、懐かしの我が隠れ家へ戻って来た。


 ルーナの変化の魔法は私を大人に見せるほどのことはできず、相変わらず五歳児の見た目は大きく変わらない。


 さすがにこのまま街を出入りするのは危険で、集合日まではここで山暮らしとなる。


 目覚めれば小川で水浴びと洗濯をして、こんなことならもっと早くにフランシスから洗浄魔法を教えてもらえばよかった、と後悔する。


 集合の前夜までそうして姿を隠した後、私は夜闇に紛れて集合場所を目指した。


 そうして、三人がラフマで別れてから、十日が過ぎた。


 集合場所は、私の隠れていた森に近い、廃村の教会跡である。

 そこは今でも精霊の溜り場となっているが、生きた人間は誰も近寄らない。


 私がその廃墟へ近付くと、一組の男女が中から現れた。


 別れた時には男装をしていたフランシスは、そのままの短髪で女の冒険者を装っている。


 逆にプリスカが男装し、フランシスの相方を務めているようだ。

 そして私は、ラフマから変わらずに茶髪の男児だ。


 依頼人の子供を親元へ送る、冒険者のカップルといったところか。


 下手に親子だの家族だのと無駄な設定を作ると、どこかでボロが出そうだったので、元々の設定に近いところへ落ち着いた。


 細身で精悍なプリスカなら、男装がよく似合う。何なら、ずっとそのままでもいい。


 女性らしい体形のフランシスの男装にはやや無理があったので、これもなかなか板についている。


 これで、監視の目は完全に振り切った。この三人で、本格的にエルフの里を目指す。



 私たちは一度西への街道を離れて山中を北へ向かい、細い杣道を西へ向かう。

 目指すはあの、チチャ川である。


 チチャ川もこの辺りでは川幅も広がり、よりゆったりとした流れになっている。

 そこから船で川を下り、西へ向かう街道に出るのだ。


 これなら我々がラフマの街から来たとは、誰も思わないだろう。



 やっと我らは、本来の目的地を目指す一介の旅人となった。



 終



  

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