開花その8 王都脱出



 私が国王から頂戴した巾着袋の中には、どのくらいの金貨が入っているのだろうか?


 私は師匠とプリスカに両脇を固められて、教会の馬車に揺られている。護衛というより、幼女監禁の強い圧力を感じるのは何故だろう。


 馬車が向かう先は、フランシスが切に望んだ魔術師協会本部である。


 私は、密かに片手で胸に下げた巾着を掴み、魔力を流す。

 カジノの壊れたスロットマシンが狂ったようにメダルを吐き出し続ける、何かの映画で見た一場面を脳裏から振り払い、ただただ袋の出納記録を示せとのみ集中した。


 すると、脳裏に走馬灯のようなイメージが狂ったように流れ始めて、止まらなくなった。私は、脳内に奔流する映像に圧倒される。


「こ、これは……」

「どうしました、姫様」


 異変に気付いたルーナが暴れ馬のような魔力に蓋をしてくれたおかげで、何とかイメージの暴走が止まった。


「た、助かった。巾着袋の中身を覗こうとしたら、走馬灯のように絵が流れて、今度こそ本当に死ぬのかと思った……」



 私の荒い呼吸に気付いた師匠とプリスカも、私の蒼ざめた顔を覗き込んでいる。


「大丈夫。気にしなくていいわ」

 そう口に出したものの、動悸はすぐに収まらない。


「姫様、恐らくその巾着、エドウィン・ハーラーの持ち物でございましょう」

 ルーナが私にだけ聞こえる声で、頭の中に直接言ってくる。


「それって、例の賢者様?」


「さよう。百五十年前に謀殺された賢者の遺品の幾つかは、王宮と王都の魔術師協会に、今も残されていると精霊たちが言っています」


「つまり私が見たのは、賢者様が百五十年間にこの袋へ物を出し入れした全記録の再生ということ?」


「実際、姫様がそう願ったのでは?」


「あっ……全ての出納記録って、そういうことなの?」


 それはまさに、賢者様の生きた記録そのものではないか。そんなものを百五十年年分一気に流されたら、私の貧弱な脳は簡単にオーバーフローするだろう。


「内容を確認したければ、中に収納物リストがあるでしょう」


「はあ、そんなのがあったんだ。また今度やってみるよ」

 今はとても、そんな気力が残っていない。



 協会へ到着する前に、もう疲れ切ってしまった。


 しかし馬車は容赦なく進み、ほんの十分ほどで大きなレンガ造りの門を通り抜けた。


 敷地内には石張りの立派な道が緩やかなS字を描いて伸びて、両側は美しい庭園である。

 私の想像の十倍は立派だった。


 呆然として言葉もない私は、自慢げな師匠に手を引かれて馬車を降りた。いや、どちらかと言えば、ぐずぐずしていたので引きずり降ろされた。


 その後ろに、警戒心丸出しのプリスカが続く。


 今日の私たちは街を歩く庶民のように、地味な服装をしている。

 私は髪と顔が隠れるような大きな麦わら帽子を被っているが、それが不自然でないほど日差しは強く、猛烈な暑さだった。


 そのまま正面から石造りの建物へ入ると、ひんやりとした空気に包まれる。

 この建物も、魔力による結界が張られていた。



 受付で何やら話すフランシスのところに背の高い若い女性が近寄り、話し込む彼女を残して、私たち二人を別室へ案内してくれた。


 私は応接室のソファに腰を下ろして、紅茶をいただいている。


 プリスカは私の隣に座れと言っても聞かず、後方に立って警備役を務めている。

 フランシス師匠は、まだ来ない。


 紅茶を飲み干した私は、それでも喉が渇いて仕方がないので、いたずら心を起こして空になった紅茶のカップに、魔法で水を注ごうと試みた。


 いつだったか、馬車の中でフランシスの顔に水をかけた時には、かなりいい感じで水流を出せた。


 もう少し力を弱めれば、カップ一杯の水を満たすこともた易いだろう。



 私はカップをテーブルの中央に置き、軽くぴゅっと水を放出し、空のティーカップを水で満たした。…………そのつもりだった。


 しかし勢いよく噴出した水はカップの縁を掠めてテーブルの向こう端に当たり、慌てて手元へ引き寄せようとして、少しだけ力が入った。


 極至近距離から放たれた細く鋭い水流が斜めに動き、豪奢な黒い大理石のテーブルごと、カップとソーサーを袈裟懸けに真っ二つに切断した。


  重厚感のあるテーブルの天板はそのまま崩れ落ちることもなく、右から左へ斜めに細い線を残したまま、微かに震えている。



「姫様、何かありましたか?」

 後方からプリスカの声が聞こえたが、私は何も答えられなかった。


 すぐに扉が開いて、フランシスと共に、グレーの髪をしたナイスミドルの上品な紳士が、若い従者を連れて入って来た。


 三人は私に丁寧に挨拶をするが、こちらはそれどころではない。


「まあ、掛けなさい」


 私がカットしたのは自分のティーカップとローテーブルの天板だけなので、二人の座る椅子は無事のはずである。


 だが足元のカーペットが濡れていることに気付いた師匠が、眉間に皺を寄せて私を見る。


「姫様、この水は?」

 私は目を逸らそうとして、自然とプルプル揺れるカップを見てしまう。


「これは……またやりましたね?」


「お、お漏らしじゃないよ……」

 私は下を向いて、そう言うのがやっとだった。


「プリスカ。これ、気付かなかったの?」


 プリスカは私の後方で部屋全体が視界に入るよう体を斜めにして立っている。


 重要なのは私の姿と入口の扉で、テーブルの上は、死角になっていたかもしれない。


「何事ですか?」


 近寄るプリスカが見たのは、どんな剣の達人でも不可能なほど鮮やかな切り口で二つに分かれたティーカップとソーサー、そして中央で僅かにずれている、テーブルの天板であった。


 プリスカの顔が、瞬時に蒼白となる。

「賊ですか!」


 フランシスはゆっくりと横に首を振り、右の掌を上にして私に向ける。


「これが、姫様の殺人生活魔法です。あなたも真っ二つにされないよう、これからは気をつけなさい」


「ま、まさか……」


「これは姫様の水魔法。どうせ、飲み水をカップに入れようとして、失敗したとかでしょ?」


「うう、何でわかるんだ……」


 その時、ケーヒル伯爵と名乗った紳士が、感嘆の声を上げた。

「これが、アリソン様の超絶魔法ですか。凄まじい切れ味。空前絶後の水魔法ですな。感服いたしました」


 紳士は従者が片付けようと取り上げたカップとソーサーを手に取り、その切り口をじっくりと観察している。


 そういえば、この人は王都の魔術師協会の会長らしい。


「このテーブルは大丈夫なの?」


 そう言ってフランシスがテーブルを下から手で支えてみるが、ずれた線がピタリとはまって元に戻ると、何事もないように安定した。



「さて、このところのアリソン様のご高名は、都でも噂が絶えません。姫様の到着を待つ多くの貴族は毎日、気が気でない状態が続いております」


「やめてください。会いませんよ。私はすぐに王都を出て行きますので」


「それは、フランシスから聞いて、承知しております。その前にぜひ、姫様にお渡ししたいものがあります」


 扉がノックされ、伯爵が返答すると、先ほどの従者がワゴンに乗せた新しい紅茶を四人分運んできた。


「そこのあなたも、ここへ座りなさい」


 威圧感のある声に負けて、プリスカは扉に近い椅子へ、浅く腰を下ろした。


「魔術師協会では、新しい魔道具の開発も行っています。先ずはこれをご覧ください」

 従者が伯爵へ手渡した小さな箱を開いて、私に差し出した。


 中にあるのは、普通の銀色の指輪だった。石もなく、ただのシルバーリングである。私の指には合わない、かなり大きいサイズだ。


「姫様のため特別に用意させた、最新の魔力封じの指輪です」


 フランシスがここへ来たかったのは、これの為だったのか。


 伯爵が私の腕輪を外し、代わりに左手の中指をリングに入れた。リングが私の指のサイズに合わせて小さくなり、ぴったりになる。


「これで、いくらか抑制効果が高まると思います」

 そう言われても、今やらかしたばかりの私は、この場で試す勇気がない。



「ルーナ、どう。わかる?」


「気休めですね。人間ごときに姫様の魔力をどうこうできるのなら、我がここにいる意味がないので」


「それならテーブルを切らないように、ちゃんと制御してよ!」


「あはは、それは面白いから止めちゃダメでしょ!」

 何を笑っているのだ、このものぐさ精霊めっ!


 しかし、以前馬車の中でフランシスの顔面に高圧水を見舞った時に、その額に穴が空かなかったのは、ひょっとしてルーナのおかげだったのか?


 だとすれば、本当にルーナは最低限の仕事しかしないのだな!



「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」

 私は左手の指輪を右手でそっと握り、ケーヒル伯爵に感謝する。


「プリスカ。アリソン様に隙を見せると我らは簡単に命を落とすので、気を抜くな!」

 先輩ぶったフランシスが、とんでもないことを言う。


「しかし、その指輪が姫様の魔力を抑えるのでは?」


「以前姫様は、魔術師を拘束する腕輪を着けたまま、このテーブルの十倍以上ある岩を真っ二つにしたぞ」


「いくら何でも……冗談ですよね?」

 

「伯爵には大変失礼ですが、この指輪もどこまで効果かあるのか……何しろ姫様の魔力は、古の賢者様にも劣らぬ底知れぬもの……」


「フランシス。まさか、あの噂は真実だったと……」

 伯爵は驚愕し、プリスカも動揺が隠せない。


「プリスカ。逃げ出すのなら、今のうちだぞ」


「いいえ、尚更のこと。必ずしや姫様をエルフの里へお届けいたします」


 目の前にいる私の話なのに、その存在を忘れたように勝手に盛り上がっているので、私としては甚だ面白くない。


「あのね、私は賢者様ではないし、あんたたちを殺す予定もないからね!」


「こ、これが生活魔法だと……」

 伯爵が立ち上がり、従者に命じて分厚い天然石のテーブルを動かして、その切り口を見ている。


 

「ところで、私たちはこのままでは、王宮の監視から逃れられません」

 フランシスが、ケーヒル伯爵と話を進める。


「姫様が国王陛下から頂いた書付の効果は絶大でしょうが、使う度に王宮へ早馬が走るでしょう」


 伯爵の言う通り、あれを利用すれば自らの存在を宣伝しながら歩くようなものだ。行く先々の町の名士が、今か今かと待ち受けていることだろう。


「私とプリスカの存在も、書付と同じこと。この三人組の旅は、常に監視の目の中に置かれるでしょう。姫様は、それを嬉しく思いません」

 言いながら、フランシスは私を一度見て、それから横の伯爵へと顔を向けた。


「つまり、王宮の監視を振り切り、目立たぬよう隠れて旅をしたいというのが、あなたの要望ですね」


 伯爵の言葉にフランシスが頷いて、言葉を続ける。

「プリスカが教会から命じられている任務には、多少反するかもしれませんが」


「いいえ。第一に姫様をエルフの里へ送り届けるのが私の仕事ですから」


「では私共魔術師協会は、王宮も教会も知らない偽の身分をご用意すればよろしいですね。それも、三人分」


「お手数かけて、申し訳ありません」

 私は伯爵に頭を下げる。



 というわけで、様々な陰謀が渦巻く王都を脱出し、我ら三人娘はエルフの里を目指して、ひっそりと乗合馬車に乗っている。


 どんな陰謀が渦巻いていたのか、それとも何にも無かったのかは、知らんけど。

 

 今はまだ、教会の指定した偽名を使っている。


 私は王都の商家の娘で、フランシスは使用人。プリスカは、そのまま護衛だ。

 家庭の事情により、南西の街の支店にいる親類を訪ねる旅に出た、という設定になる。



 エルフの里は遥か西の森の深奥にあるという。私の生まれた北の谷よりも西にあるので、来た道を戻ってもいいのだが、それでは目立つし面白くもない。


 そこで我らは、一旦南を目指すことにした。


 王都の南には、あのケーヒル伯爵領もある。何かの折には、きっと力になってくれるだろう。フランシスの助言の元、旅の序盤は安全に行こうという算段である。


 伯爵に迷惑を掛けぬよう、本格的に姿を眩ますのは、ケーヒル伯爵領からだいぶ離れた後になるだろう。


 伯爵の魔術師協会が裏切らぬ限り、それ以降の私たちは、忽然と行方が分からなくなるはずだ。



 終


  

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