開花その5 セアブラの休日 後編



 


 どうも私がこの街へ来て以来、セアブラマツマツでチチャ川だ。ほんとに困ったものである。


 いや、そんなことを急に言われても意味不明で困惑するでしょうが、私が精霊のルーナと話していると、時々こんな気分になる。


 それからついでに、ツナマヨのおにぎりとかを、急に食べたくなる。


 この世界ではツナマヨなんて味わったことがない。というか、この街の市場で初めてお米を見たときには、びっくりした。


 東南アジアで栽培される、インディカ米という種類の細長いお米だった。


 教会へ行く途中で誘惑に負けて、面倒そうな顔をする侍女のミラを引きずるようにしてやって来た市場だ。


 やはり初めての街では、一番に市場を訪れるべきだった。

 街の人々の暮らしが濃縮された場所が、市場である。


 屋台の料理や、ずらりと並んだ様々な食材だけでなく、日用品なども興味深く、つい見入ってしまう。



 だが、この日はのんびり市場を散策する暇はなかった。

 賑わう市場を通り抜け、静けさを取り戻した通りまでやって来ると、そこに教会がある。


 予め教会へは使いを出していたようで、入口でミラが声を掛けると、すぐに中から初老の神父様が現れた。


 ルーナと出会った谷の教会と同じく、ここも土着の精霊信仰の流れをくむ、多神教の教会である。当然教会には多くの精霊神が祀られて、混沌としている。


 私には、精霊のざわめきが何となくわかる。


 ただ、私が一歩教会へ足を踏み入れた途端、教会の中の空気が変わったのを感じた。


 そう、ルーナもまた、事前にこの街の精霊たちに協力を仰ぐ、と言っていた。

 きっと、ルーナのような高位精霊の来訪により、何か変化があったのだろう。



「おや、普段は騒がしい精霊たちが、急に静まりましたね」


 神父様も、精霊たちにより空気が変わったのを感じているらしい。きっと優秀な聖職者なのだろう。


 私が月の精霊ルーナに守られていることは、誰も知らない。しかし、精霊たちはそうではないのだろう。


 ただ何となく、精霊たちの気配が私に集中しているような気がして、居心地が悪い。


「どうしたの、ルーナ?」

「精霊たちも、アリソン様に興味津々、といったところでしょうか」


「やめてっ。それより、変化の魔法について、聞いてよ」

「おや、我は信用ならぬので自分で聞こうというのでは?」


「だって、どうすればいいの?」

「私に話すように、この中の者たちに気持ちを送ってみては?」


「ええっ、出来るの?」

「さて、どうだか」


 私は、ルーナにからかわれているだけなのかもしれない。



 それでも、同行するミラですら教会の中の重い雰囲気に圧倒されて声も出ない状況だ。


「ねえ、精霊たち、力を貸して。変化の魔法を使える子は、誰かここにいない?」

 思い切って、心の声を投げてみる。だが、当然のように何の返答もない。


 祭壇に置かれた無数の精霊の像は、ただの置物のようにそこにあるだけだ。


 しかし私の見る実像と、心が感じる魔力の揺らめきが、少しずつブレ始めた。


 そして不思議なことに、その魔力の揺らめきが合わさり一つの流れとなって、私に向かって伸びる。やがて、揺らめく魔力が、私自身を包み込んだ。



「何が起きているの?」

 思わずルーナに尋ねた。


「精霊どもが、アリソン様を歓迎しているのでしょう」

 確かに、悪意は感じないし、喜びの気持ちが伝わる。


「この街にいる間は、この者たちが守ってくれるようです」



「ありがとう。よろしくお願いします!」

 私は一般的な祈りの所作として、胸の前で両手を組んで目を閉じた。


 次の瞬間、大勢の精霊の声が一斉に頭の中に炸裂した。



「任せとけ!」

「よろしくな!」

「ルーナと代わろうぜ」

「俺も一緒に行きたい」

「私が守ります」

「可愛い賢者様だな」

「でも、強い魔力だ」

「また来いよ」

「あの串刺し魔法はよかったぜ」

「魔物をやっつけてくれてありがとな」

「今度は一緒に戦おうぜ」

「俺たちみんなと、契約しようぜ」

「俺たち、役に立つぞ」

「今度、私がもっとすごい魔法を見せてあげる」



 そこいら中から私の頭の中に向けて、精霊たちの言葉がなだれ込んだ。


 もう、きりがない。

「みんな、暇なの?」



「そんなことはねえぞ」

「毎日大勢が祈りに来るからな」

「私たちは人間とは話ができないから」

「陰ながら、人間を守ってもいるんだぞ」

「アリソン様は本当に美人だねぇ」



「こら、一斉にしゃべるな。それに姫様、最後の一言は、自分で付け加えたでしょ!」

 ルーナが一喝し、ようやく頭の中が空になる。



「人と話もしないのに、どうして街の中にこんなにたくさんの精霊が集まるの?」

 私は不思議に思う。


「それは人間の思念が渦巻くところ、私らの力も高まるからな」

「でも私の住む谷では、精霊は森の奥にいるけどねぇ」


「それは自然の生み出す天然の魔力や、魔力を使う魔物が多いからさ」

「魔力には二種類あるの?」


「そう。人や魔物の心が生み出す魔法の力と、天然自然が生み出す魔力とがある」


「エルフなんかは地脈や森の生み出す魔力を上手に使うが、人間はそういうのは苦手のようだ」


「で、こうして大勢が集まり暮らすと、そこに大きな魔力が生まれる。俺たちはそのおこぼれを頂戴して、街に集まるのさ」


「試しにちょっと使ってみるかい?」

「いいの?」


「おう。姫様の大きな魔力を使わなくても、ここなら軽い魔法を簡単に使えるぞ」


「どうすればいいの?」


「そうだな、例えば今日は暑いから、あの天窓から少し風を入れてみようか」


「軽くね」


「そうですよ、自身の魔力じゃなく、この場に堪っている魔力を軽く撫でるように使ってみてください」


 では、軽ーく撫でるように風を外から中へ誘って……


 今までの私であれば、ここで突風が吹き込み大騒ぎ、となるところだ。


 だが、今日の私は一味違う。これだけの精霊のサポートを受け、しかも自分の魔力は使わずに、ただ精霊に命じるだけだ。


「そよ風よ、吹け!」



 すると美しいステンドグラスの一部が開いている天窓から、柔らかな風が吹き降りてきた。


「おおっ!」

 思わず、私は感動の声を上げた。


 次の瞬間、「俺も」「私も」「我も」「あたしだって!」という精霊の声が頭の中で何重にも響き、続いて礼拝堂の中に爆風が吹き荒れた。


 教会の中は大混乱で、あらゆる物が吹き飛び壊れ、宙に舞っている。



「こら、やめろ馬鹿どもっ!」


 ルーナの声も空しく、ひとしきり竜巻のように吹き荒れた風は、逃げ出すように天窓から外へと消えていった。



「ああ、またやってしまった……」


 しゃがみこんで両手で頭を抱える私を、神父様が優しく抱えて、礼拝堂の椅子に座らせてくれた。


「これが、精霊の起こした奇跡なのですね!」

「そうか。精霊がアリソン様を歓迎しているのか!」


「本物の奇跡だ……」


 その場に居合わせた教会関係者は、これが私の魔法が引き起こした惨事でないことを理解してくれている。

 それは、まあ、ありがたい。


 だが自分たちの教会が、これだけめちゃくちゃになっているのに、この喜びようは何だろう。ちょっと異様な光景だ。


 中には「奇跡だ」と叫んで跪き、感極まって涙ぐんでいる男までいる。


 ただ指示を出した私からすると、これは自分がやったのと同じことだ。本当に申し訳ない。


「精霊の起こした奇跡、確かに拝見しました。これが賢者様の力!」


 なんだかみんなが喜んでいるので、まあいいか。



 しかし、変化の魔法については完全に無視されて、どの精霊も何も言わない。


 どうやら、変化の魔法はここでもお預けのようだ。


「アリソン様、川に橋を架けて頂き、感謝に耐えません。これで対岸の街とこの街の確執も晴れましょう。さすがは賢者様」


「今後はこの場にいる我ら精霊の力、全て自由にお使いください!」


「あ、ありがとう、みんな……」



「賢者様の橋と呼ぶのかな」

「普通にアリソン橋じゃない?」

「この地域一帯を、アリソン郡と呼ぼうって話もあるらしいよ」

「今回の偉業を記念して、川辺に公園を作る話も出ってるって」

「そうだね。橋の近くに、丁度いい四角い土地が空いていたわ」



「……ルーナ、これはいったい何の話かな?」

「時折精霊たちは意味不明のことを言うので、お気になさらぬ方がよいかと」

「そっか。わかった」



「じゃ、神父様に寄進して帰るよ」


「アリソン様~また来てくだされ~いつでもお呼びくだされ~」


 静まっていた精霊たちが再び大騒ぎを始めたので、神父様を含めた教会関係者が面食らっている。


 逆に、侍女のミラと護衛の騎士は、重苦しい空気が和らいで、普段の教会に戻ったように感じて、肩の力を抜いた。



「アリソン様。川での噂は本当なのですか?」

 神父様が紅潮した顔で、帰ろうとする私に迫る。


 そんなことを、真顔で聞かれても困る。


「えっ、何の噂ですって?」


「い、いえ。これは失礼なことを申し上げました。ただ、あの日以来騒いでいた精霊たちが、アリソン様が今日お姿を現したとたんに、ぴたりと静まりましたので。やはり噂は真実でしたかと……」


 神父様は抑えきれぬ激情に震えながら私の手を取り、そんなことを言う。隣にいるミラまでが変な緊張をして、潤んだ瞳で私を見ているではないか。


「私には何のことだか、さっぱりわかりませんが?」

 そう言って私は得意のオジサマ殺しの笑顔で見上げながら、ゆっくりと手を振って立ち去った。



「まさか、王都の帰りに寄ったら、アリソン・スクエア・ガーデンとかできてないよねぇ……」


「姫様、何ですか、それは?」

 私の独り言にルーナが反応するが、そんなことを一々説明する気はない。


「何でもないの。ただの独り言……」


「ほらやっぱり、アリソン様のおっしゃることの方が、訳が分かりませんよ!」

 そう言うルーナは、何故かとても嬉しそうだった。




 終

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