開花その5 セアブラの休日 前編
私が調子に乗って変な魔法を使ったおかげで、チチャ川の魔物は倒したものの、川の通行は全面的に止まり、私たちは街での停滞を余儀なくされていた。
安全確認のため、川の渡しはあと最低二日は通行止めらしい。
私は野次馬根性に負けて犯行現場へ戻り、うっかり悪事が露見することを恐れた。
従って川へは決して近寄らず、街の中をうろうろと歩いて、観光するだけに留めている。
本来私を見張るべき父上と師匠は、朝に宿を出たきり夜まで戻らないので、私は侍女と二人で、街の散策を楽しんだ。
勿論、目立たぬような姿で何人かの騎士が、少し離れて見守っている。
それでも、これだけ野放しになるのは久しぶりのことなので、これ以上調子に乗って悪事を重ねないように、逆に緊張した。
今の私が何か問題を起こすと、本当にシャレにならない。
というか、父上とフランシスの憔悴ぶりを見ると、既にシャレで済むような状況ではなさそうだが。
そういうわけで、私はある程度の責任を感じつつも、能天気に街へ出て、自由を満喫した。
私の味覚は未発達な五歳児のままなので、コーヒーやビールが飲みたいなどといった、前世から引きずる欲望には素直に応えられない。
口に入る物の嗜好については、自然と甘味が中心となる。
しかもこの小さな体が摂取可能な許容量は極めて少なく、ちょっと買い食いをしただけで、すぐにお腹が満ちる。
まあ、その満腹が長持ちせずに、またすぐに腹ペコになるのも幼児の特徴なのだけど。
せっかくセアブラにいるのだから、こてこてのラーメンが食べたいと望んでみても、そんな料理はこの世界に存在しない。
そもそも、こっちの世界で私は、麺類を見たことがない。
旅の途中で一度だけスープに入っていた、具入りの小麦粉の塊を思い出す。
水餃子とラビオリの中間のような料理で、どこかの宿屋で食べた。
いつもの筋っぽい肉を細かく叩いて小麦粉の皮で包んだようなもので、悪くなかった。
ただそれが、お馴染みのくず野菜の混じった薄い塩味のスープに何個か沈んでいただけなので、もう一度食べたいと望むような料理ではない。
結局、露店で売っている薄茶色の荒い砂糖をまぶしたドーナツや、果物を絞ったジュースなどでお茶を濁して終わるのだ。
同行する侍女や騎士にも、お子様はちょろい、と思われているだろう。
この街の川魚料理は美味いが、子供の口に合う料理は少ない。
せめてフィッシュアンドチップス、というかフィッシュバーガーが食べたい!
衣をつけて揚げた白身魚、という料理はないものか。
しかし、ソースもケチャップもマヨネーズもない世界で、それをどうやって食べる?
この世界の料理は、煮るか焼くかで、塩と酢が味付けの中心。香草類は何種類か肉や魚の臭みを取るような使い方をするが、柑橘系の果実を使ったものは、見たことがない。
ベリーやリンゴを使った甘いソースはお金持ちの食べ物なので、貧乏男爵家では、滅多に口に入らない。
余った果実は基本的には少量の砂糖や蜂蜜を加えて煮て、保存食となる。酸っぱいジャムは、固い黒パンと共に朝食になることが多い。
ドライフルーツも干し肉と並ぶ貴重な保存食で、これは大好物だがやや高価だ。
この
これらはランプの灯にも使われ、山育ちの
私は早く光系の生活魔法を習得し、暗い部屋でも本が読めるようになりたい。
しかし、今の流れで光魔法を使えば、灯台を複数束ねたような光の大爆発になるか、レーザービームのような超兵器が誕生しかねない。
あ、この種の兵器は、既に着火魔法で実装済みだった。
確かにルーナの言うように、私は危険な魔法兵器だ。しかも欠陥品の。
私はおとなしく街を歩いて目的の本を入手し、買い食いでお腹が満ちれば、すぐに眠くなる。これが五歳児だ。
気が付けば、私は侍女の背で眠っていたらしい。
翌朝、宿の食事に同席する父上の顔色は、相変わらず冴えない。
「アリソン、旅は楽しいか?」
元気に食事をする私の姿に、父上が久しぶりの笑顔を見せた。
「はい。とても楽しゅうございます」
「そうか。よかった。毎日部屋で本ばかり読んでいたアリソンが、こうして外へ出て楽しんでいるのは、何にも代えがたい喜びだ。お呼びいただいた国王陛下には、感謝の言葉もない」
「はあ。でもそれだけが、心の重荷にございます」
「なに、心配するな。アリソンはそのまま、にこにこ笑っているだけで十分」
「そういうものでしょうか?」
「誰も、五歳になったばかりの幼子に、それ以上の期待はせぬ」
「では、今日も笑顔で過ごしましょう」
「それでいい。今日もフランシスを借りて出かけるが、ミラと仲良く過ごせ」
ミラというのは、同行している侍女だ。
本来もっと多くの使用人を同行させるべきなのだが、私の世話役をフランシスと女性騎士にも代行させることで、旅の人数を減らしているのだった。
出発時にはもう一人侍女がいたのだが、慣れない旅に体を壊し、途中で谷へ返した。
師匠はああいう大雑把な人なので、今ではミラを大いに頼りにしている。
私たち一行は、まるで戦時の斥候役のような、質素で厳しい旅路を歩んでいる。
「ミラ、今日も街をお散歩しましょうね!」
私がにこやかに誘えば、ミラも嫌とは言えない。警護に連れ回される騎士たちのため息も、聞こえて来そうだ。
ミラは若いがよく気の利く赤髪の可愛い娘で、我が家のような貧乏男爵家に仕えるのはもったいない。
このまま王都へ着いたら、王宮の使用人として引き抜かれるのではないかと、私は密かに危惧している。
停滞二日目の今日は、ルーナの希望で、街の教会を訪れることになっていた。
父上と師匠には内緒だが、前の街で偶然手に入れた魔術書が意外な掘り出し物だったらしく、昨日この街の書店でかなりの高額で売れた。
おかげで今の私はちょっとした小金持ちで、教会への寄進もそれなりに弾める。
フランシスはその本を後でじっくり読みたいと言っていたが、知ったことではない。
世の中、金なのじゃ。
「ねえ、ルーナ。この街にも変化の魔法を使う精霊はいないの?」
「うむ。おらんな」
「えっと、ルーナは嘘を誤魔化すときには、老人みたいな口調になるのを知ってる?」
「ギクっ」
「ほら、やっぱりいるのね!」
「いえ、おりませぬ」
「ルーナ、口調!」
「ギクギクっ!」
「あのね……」
私は、ルーナ以外の精霊とは、話したことがない。
精霊との相性とか強さとか、契約だとか、何かしらの理由があるのだろう。
しかしこれから行く大きな教会には、多くの精霊が集まると聞く。
どこまでホントなのか怪しいルーナの話よりも、他の精霊たちと直接話せるならば、期待が持てる。
「アリソン様は私を信じないのですか?」
「あれ、契約精霊は嘘を言わないんじゃなかった?」
「主を守るためならば、時と場合により……」
「まあ、何か事情があるのはわかったけど、最近ルーナは急にそっけなかったりして、なんか印象わるーい!」
「それは、我が長い間、人界から離れていたせいでございます」
「でもね、そろそろキャラを固めてくれないとねぇ」
「キャラとは?」
「人格、性格?」
「我の真摯な気持ちがアリソン様には伝わりませぬか?」
「堅苦しいのはやめて、そろそろ慣れようよ?」
「諦めよ」
「ほら、その口調!」
「では、私を信じてちょうだい! こんな感じでどうか?」
「うん、気持ち悪い。精霊ってみんなこうなの?」
「そもそも、人と話そうという精霊など、滅多にいないと言いましたが」
「また、言い訳して……」
「いいでしょ。私の好きにさせてっ」
「ほんと、キャラが定まらないなぁ……」
「姫様の言いたいことはわかります。しかし私には固有の人格というものがそもそも存在しませんので、今後も難しいかと……」
「精霊って、面倒ねぇ」
「いやそれは、姫様ほどではないでしょう……」
「どういう意味よ!」
「アリソン様は、本当に五歳なのですか?」
「ああもう仕方ない、早く教会に行きましょ!」
後編に続く
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