開花その6 王都へ 前編
チチャ川の土手で、フランシスが最初の一体の魔物をアイスランスで倒した場面を、偶然見ていた者がいたらしい。
その後、私の魔法が発動した際に生じた衝撃波で何が何やらわからぬ大混乱となり、騒ぎに乗じて我々二人は無事に退散した。
残された三本の金属棒については、街の魔術師や鍛冶師が調査したのだが、あの銀色に光る金物には、その場で何をしても傷一つ付けることが叶わなかったらしい。
諦めて周辺調査をするうちに、当日の目撃情報からフランシスの存在が炙り出されて、父上と共に街の有力者との協議が行われた。
だが貧乏男爵とはいえ、何しろ王との謁見のために王宮へ向かう途上の貴族である。これ以上の足止めは、街側にもできない。
私の存在は男爵家が徹底的に隠蔽していたのだが、そもそも巨大な三本の柱は未知の金属であり、想像もできないほど貴重なものに違いない。
だが逆に、邪魔なので即刻撤去するようにと言われてもまた、非常に困るのも確かだ。
互いの利益が一致し、父上とフランシスは三本のバーベキュー串の所有権を放棄して直ちに立ち去る、という合意に達した。
そこから先は、例の公開処刑のような橋の開通パレードの一件に繋がる。
「そ、それにしても、姫様の使った魔法は
フランシスが、震える声で囁いた。
「なにそれ?」
「本来は、髪の毛ほどの細い石の針を二、三本飛ばして、ハチやムカデなどの害虫を駆除するために使う魔法です。普通、針は数分で分解し、細かい砂になって消えますが……」
「いや、いくら何でもそれは別の魔法でしょ……」
「まさか姫様は、腕輪を外していませんよね?」
「えっ、ずっと着けてるよ」
「うーむ……」
「何とか言ってよ!」
「……」
あくまでも、無言を貫くフランシス。
同時に、頭の中でルーナの楽しそうな笑い声だけが響いた。
こうなればとにかく、一刻も早く王都へ行くしかない。
魔法の修行は当分休む。というか、父上とフランシスの精神状態が、それどころではない。
今は、極力私が魔術的な何かを試そうとするのを避けるように、配慮している。
そこで、私はセアブラで入手した新しい本を読みながら、のんびり馬車に揺られる。
こんな旅なら、悪くない。
ああ、もっと早く、一発ぶちかましておけばよかった。
……こんなことは、憔悴した二人の前では口が裂けても言えないが。
フランシスには、少々気の毒なことになった。
何しろ、自慢の氷魔法で四体の魔物のうちの一体を、見事に打ち倒したのだ。
これ一つをとっても並の魔術師には不可能な、称賛に値する素晴らしい功績である。両岸の町からは、何らかの褒賞が贈られても良かっただろうに。
それなのに、全部私のおかげで台無しになってしまった。
元ヤンのフランシスには、毎日のように可愛がってもらっている。
なので私は、いつか何らかの形で恩返しをしようと恨みを募らせていたのだが、今回の件でチャラにしてやることにした。
旅の間に私が書店に寄っては新たな書籍を求める姿は、すっかり定着している。
しかし、これが本来のアリソンであり、中にいる異世界の幽霊たる私が消え失せても、その部分はきっと変わらない。
そのくらいアリソンは、知的好奇心の旺盛な、賢い子供だった。
内気な性格が災いし、本質を見抜く者がまだ少なかっただけだ。
放っておいてもやがてその才能は開花し、小賢者と呼ばれるような、知る人ぞ知る存在として、密かなる名声を得たことだろう。
私は、そういう生き方に憧れる。
ただただ悔やまれるのは、あの星片の儀で生じた騒ぎ以降の、目に余る魔力暴走による悪目立ちの数々である。
『水晶砕きのアリソン』の悪名は既に王都まで伝わり、こうして王にお目通りするために、私たちは旅の空にある。
「もう逃げられないよね……」
王都が近付くにつれて落ち込む私に、ルーナは冷淡にも無視を決め込む。
同じような言葉を、毎日何度も何度も繰り返す、そんな私が悪いのだが。
チチャ川を渡った先の街、マツマツは、予想通りの大きな街だった。だが我々は黙って素通りし、そのまま東へ進んでいる。
低い丘の連なるなだらかな道を、馬車は行く。
一日、二日と過ぎるうちに父上とフランシスも笑顔を取り戻し、景色を見る余裕もできたのだろう。
セアブラでの三日間の停滞は予定外だったが、それ以外は天候にも恵まれ順調な旅路である。
その日はアグロという農村で、一夜の宿を得た。
街道からは丘一つ越えた先の、防風林に囲まれた小ぢんまりとした集落なのだが、周囲の畑はよく手入れをされて、豊かな村であることがわかる。
わざわざこの村に来たのには、理由があった。
「この村には、料理が自慢のいい宿がある」
何度かこの街道を通ったことのある父上は、評判の良いこの宿で、心と体を休めようと考えたに違いない。
小さな村にしては立派な宿で、繁盛していることが伺える。
まだ早い時間に到着した私たちは、母屋から中庭を隔てて建つ離れの部屋へ通された。隣には厩もあり、警護の騎士たちも動きやすい。
料理だけではなく、細かい気配りのできる宿なのだろう。
「姫様、お庭で魔法の稽古ができますね!」
せっかくのリラックスタイムを、フランシスが台無しにしてくれる。
だが、私はその言葉も耳に入らぬほど、庭にあったある物に目が釘付けになっていた。
気が付けば、私は一人中庭へ出て、そこへ一直線に駆け出している。
そこには、一本の枝ぶりが良く太い松の木が生えていた。
私の知る松の木よりも葉が太く短いが、松とか杉とかの仲間なのは間違いない。その曲がりくねって伸びる立派な幹と枝を見た瞬間、私の中のクライマーの血が騒いだ。
凸凹の激しい樹皮は固くいいホールドになりそうで、曲がりながら四方へ枝を伸ばすその形状が、登ってくださいと誘っているようだ。
木の真下に来て、登攀ルートを目で追う。競技前のオブザベーションに、私は集中していた。
子供の私でも手足の届く範囲に、絶妙な配置でホールドが並んでいた。
「これは、いける!」
私は即座に幹に手をかけると、フリークライミングを開始した。
アリソンは引きこもりで運動などしたことがなく、この体でどこまで行けるのか、試してみたい。
それは二十歳のクライマーの私と探求心の強い五歳の私とが溶け合い熱望する、新たな挑戦だった。
無我夢中で、私は登る。左手にある最初の太い枝に足が乗った。第一テラスに到着だ。
次は右へトラバース気味に上がり、二股の第二テラスを目指す。
背中を幹に預け、両手を下ろして細かく振る。血行を促進して、腕の疲労を癒すのだ。
脚力と柔軟性、バランス感覚はまあまあだが、絶望的に体幹と腕の力が足りない。
今後の課題として、心の中にメモしておこう。
第二テラスへのルートを開拓した私は、次のルートを探す。
下から見たよりは、ホールドが細かく難易度が高い。
だが、行けないルートではない。
「この程度なら、危険も感じないし」
久しぶりのクライミング(木登りともいう)に興奮した頭の中は完全に二十歳の私が主導権を握り、一歩でも高く、それしか考えていない。
気が付けば目標にしていた、樹上の曲がった枝まで完登していた。
やればできる!
私は満足感でいっぱいだった。
そして、その時初めて、下で騒ぐ人の声が耳に入った。
「姫様! 何をされているのですか?」
フランシスの声に下を向いた瞬間、頭がくらくらとして体が揺れた。
あ、これは降りられない!
その瞬間から私の心は五歳児に戻り、クライミングの高揚も達成感も霧散した。
目の前の木の枝にしがみ付いて涙目になる自分が情けないが、体はもう思う通りには動かなかった。
長いハシゴを借りてきた騎士たちに救出されるまで、私は一人樹上で震えて泣いていた。
「どうして急に、このようなことを……」
フランシスは呆れているが、そう問われれば、そこに山があるからだ、としか答えようのない衝動に駆られていたのだ。
「あんなに怯えるまで、気付かずに上っていたのですか?」
そうですよ。ああなると、魔法どころじゃないということが、身に染みてわかりましたよーだ。
あの程度の高さでも、恐怖で体がすくむ。これが今の私の実力だとわかって、良かった面もある。
だけど、私は泣いただけで、ちびってはいませんよ。
服が濡れているのは、溢れた涙のせいなのです。ホント。嘘でないって。
「で、ルーナは私を守ってくれるんじゃなかったの?」
「いやいや、そんな、もったいない。とても面白かったですよ、姫様。今日もありがとうございます!」
「なにそれ?」
後編へ続く
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