大きな木

げっと

大きな木

 私はこの地に生まれ落ちてからというものの、その景観の移り変わりに、驚かなかった事のほうが少ないでしょう。


 草原の萌え広がる、なだらかな傾斜を滑り降りるように風の吹く丘の上に、私は芽吹きつきました。澄んだ空気を枝葉いっぱいに吸い込みながら、視線が緩やかに高く高くなって、より遠くまで眺められるようになるのを心待ちにしていました。その頃には兄弟もたくさんいて、互いに競うように空へ空へと枝を伸ばしたものです。


 結局兄弟たちより体の大きくなった私は、皆の影に隠れることなく、悠々と日を浴びることが出来ました。うらやむようなさいなむようなさざめきがそこかしこから聞こえたこともありますが、自分たちが大きくなれなかっただけだろうと、まるで耳を貸すことはありませんでした。


 兄弟たちの頭越しに見られる景色を、誇らしげに眺めていた私でしたが、やがて、兄弟たちの頭の上を過ぎた先に、奇妙なものを見るようになりました。なにやら灰色で四角く、それでいて私達と比べてより速く、空へ空へとその背丈を伸ばして行くのです。当時の私も若かったものですから、やはり負けじとぐんぐんと枝葉を空へ伸ばしました。しかし彼らの生長は私達のそれを遥かに凌駕しており、とうとう、彼らを追い越すことは叶いませんでした。やがて、必死に日を浴び栄養を集めることにも、集めたそれらを枝葉の端々にまで這わせて育てることにも、虚しさと疲弊感を覚えたのです。


 競い合うことに疲れた私とは裏腹に、兄弟たちは自分たちを追い越して自分だけが日を浴びて、なお高く空へ枝葉を伸ばす私が酷く気に食わなかったようです。振り返って鑑みれば、彼らは、私が他のなにかと競いあうように生長をしていたことを、知る由はなかったでしょう。そしてその多くは、私が張り合っていたあの灰色の四角を、認知していなかったことでしょう。しかし、生まれて初めて競争に負けて、負けを認めざるを得なくて、失望感にも苛まれていた私は、とうとう兄弟たちの声に耐えかねてしまいました。自分を守りたい一心で、昼間は眠ってやりすごし、夜に起きて葉を広げる生活を送りはじめたのです。


 そして私は、空に浮かぶ白く大きなまると出会います。後に、人はそれを月と呼ぶ事を知るのですが、月の光は昼間に浴びるような温かさはありませんでした。代わりに黒く暗いキャンバスに浮かぶ、真白い円の穴を開ける。その周りを煌々と、しかし控えめに明滅する光たちが作り出す景色に、たちまちに魅了されていったのです。


 ああ、世界にはこんなにも美しいものがあったのか。当時の私は、ひどく感銘を受けた事を覚えています。そしてその美しさに魅了されるうちに、自分自身がなんだかちっぽけな存在のように思えてきて。例えば団栗たちがその体の大きさを自慢し合うようなことと、変わらないことのように感じられました。


 それからというもの、自分だけが大きくあるのに拘ることも、なんだか、虚しくなってきたのです。自分は兄弟たちより大きく、兄弟たちより日光を浴びられるのだから、より多くの日を浴び枝葉を落として、兄弟達にお裾分けをしよう。当時の私は、ようやく、そのように考えられるようになりました。


 久方ぶりに昼間に起き、私は目一杯に葉を広げました。兄弟たちはあい変わらずぎゃいぎゃい文句をぶつけてきましたが、私はもう、あのときの、不貞腐れて寝てしまうような私ではありません。文句を宣うみなよりも、更に生長の遅い兄弟のためにも私は目一杯に葉を広げ、目一杯に枝葉を落とそうとしました。


 しかしある時、私は気付きました。私を打ち負かしたあの灰色の四角は、あのときから殆ど大きさの変わっていないことに。代わりに、似たような灰色の四角が、私たちの兄弟たちの数に迫るほどに、数が多くなってきていること。そして、見渡すほどに草木の緑の萌え広がっていたはずが、黄土を剥き出しにしていていたり、あの四角より更に暗い灰色に置き換わっていることに。


 私は危機感を覚えました。あんなに一面に広がっていた緑たちが、しばらく不貞腐れて眠っている間に、あの四角によく似た灰色に侵略されているのですから。それを兄弟達に伝えても、殆どの者は私の話を信じません。当時は私をやっかんでいるだけだと思っていたのですが、もしかしたら私の体躯が彼らの視界に陰を作っていて、見えなくなっていたのかもしれません。もしそうだとしたら、私は悔やんでも悔みきれません。


 やがて私と、ごく僅かな兄弟たちが危惧したとおりに、灰色の侵略はやってきました。次々にたおされる兄弟たちの無念を聞きながら、私は憤っていました。しかし、やはり私は、あくまでも木に過ぎませんでした。深く根ざしたそこから一歩も動けませんし、生活リズムを直すのにも、枝葉を兄弟のもとに伸ばすのにも、相当な時間と努力を要します。私がなんとか兄弟たちを庇い立てるように枝葉を伸ばしたころには、もう、その先に、ただの一人も、兄弟たちは残っていませんでした。


 そして、私だけが残ったのです。

 私だけが、切りたおされることなく、ここに相変わらず、佇んでいるのです。


 それから、私の周りを避けるように道路と呼ばれる灰色の線が引かれ、公園と呼ばれる、人達の憩いの場が設けられました。兄弟たちは無念の中に、抵抗することも叶わずに散っていったのに、人達はこのようにのびのびと、その生を謳歌おうか出来ている。こんな理不尽があってたまるかと、最初は怒りに打ち震えていました。


 しかしその人の子達は、私の怒りなど与り知らず、無邪気に寄ってきてはじゃれついてくるのです。私の枝葉を踏みつけて、時に幹にしがみつかれ。一方的なスキンシップに声を荒らげたことなど、枚挙に暇がないでしょう。そんな声すら、彼らに届くことはありませんでしたが。


 しかし、ある時私は、気づいてしまったのです。誰が一番高くまで登れるかなどと競い合っているその姿は、私と散っていった兄弟たちと、なにも変わらないのです。兄弟たちと私と、一番高くまで登った人の子と、根本でぐずついている人の子との姿の重なり合っていくうちに、いつしか、私はすっかり毒気を抜かれてしまいました。


 そして今になって思うのです。人の子らよ、どうかそのまま健やかに育ちなさいと。願わくば、私の兄弟たちがそうなってしまったように、無念の内に、命を散らすようなことのないように、と。

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大きな木 げっと @GETTOLE

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