《三部・オワカレノタメノ葬送曲(レクイエム)・2》

 それは、ドーケの声。


「去れと言ったはずだ」

「まあ、聞けよ」

「聞く気はない」


 彼は彼を置いて、帰ろうとする。だが、その一言で足が止まる。


「彼女を天に帰せるとしてもか?」

「なんだって」

 フラウは振り返って、ドーケに掴みかかった。

「オレならば、彼女を天に帰してやれる。どうする?」

 

 悩むことをしなかった。

 

 

          * * *

 

 

「必要な物が一つある。エルトの羽根が欲しい。出来れば三枚だ」


 彼はエルトに頼んで羽根を貰った。

 何に使うかは言わなかった。

 それは彼をいぶかしませたが、妹の為に働く義弟が再び悪魔と手を結んだとは考えなかった。


 ドーケは彼女を連れて来いという。

 連れて来られた彼女は、悪魔を見てはっとした顔になった。

 フラウは「大丈夫だよ。彼は味方だ」とミカルを宥め、悪魔の言うことに従った。


「まず、この二枚を彼女背中に刺せ」

 

 彼女に背中の肩甲骨に。羽根を正しい向きで刺せという。

 彼女の透明に近いほど白い背中に羽根を刺した。

 生々しいほど赤い血が彼女の背を伝う。

 

「そして、この一枚はオレが飲み込む」

 ドーケはエルトの羽根をバクバクと食べ、飲み込んだ。一瞬だけ彼が光ったように見えた。

 

「呪文を唱える。これで彼女は帰れる」

「そんなものなのか」

「これは俺だからできるものだ」

 

 ドーケは離れていろと言い、オレを離れさせた。

 彼は呪文を詠唱する。

 

     「サラマンダーは

      炎となって消えろ

      ウンディーネは

      音を立てて流れ寄れ

      ジュルフェは

      流星となって美しく輝け

      コーボルトは

      家事を手伝え

      さあ、行け

      四大の聖霊よ

      神の御前より羽根を持て

      羽根は、近しき者の羽根より生えよ

      

      我が名、ドーケの命により

      天使・ミカルを天に帰し給え

      我が力をもって

      我が血をもって

      神に請わん

      神に奉らん

      ミカルを許せ

      ミカルを許せ

      神よ」

 

 そう唱え終ると、彼女の背に羽根が戻る。

 魔女の鏡で見た、あの姿そのものだった。


 そして、天が割れる。

 曇り空から、眩い光が見える。

 今は夜の筈なのに、割れた空から「天使の梯子」が降りる。

 

 それは、この世のものではない。

 それは、自然現象ではない。

 天に昇る時、その時にだけ見られる天使の梯子だ。

 厚い雲から、まっすぐ光が降りる。

 光の筋は、金色に輝く。

 

 フラウの目が見えなくなるほどに眩い、天の神々しい光であった。

 悪魔は触れも出来ないであろう、神々しさだった。

 

 そして、天使の合唱が聞こえる。

 

 

     「主はよみがえり給いぬ

      傷ましくも幸をあとうる

      われらを鍛うる試練に

      勝ち給いし主の愛こそ

      いとめでたかりけれ」


 天使は神を称える。

 それは試練を終えたミカルを称える歌にも聞こえた。


 天使の梯子は、ミカルを連れ上る。

 ミカルは徐々に天へと近づき、雲の切れ間から天へと帰っていった。

 その光景を、なんと言おう。

 その美しさを、フラウは何と言えばいいのだろう。

 

 言葉にはできないもの。

 言葉にすると、脆くも崩れ去ってしまうようで恐ろしい。

 言葉では何もできない。

 もはや、人の言語では何もできない領域の物だった。

 

 そうだ。

 文章ではあまりに稚拙すぎる。

 そうだ。

 歌にするにはあまりに語彙が足りない。

 何も出来ない。

 何も言えない。

 美しい。

 ココロ洗われるような景色。

 絶景だった。



 だから、彼は言ったのだ。

 いや、言ったのではない。

 誰かに言わされたのではない。

 そこになんの力も入っていない。

 ただ口を突いて出た。

 不意に漏れる溜息のように。

 ただ口から漏れ出たもの

 漏れ出た音。

 漏れ出た感想。

 美しい。

 それだけの感想。

 そして、それは契約の科白。

 でも、言わざるを得なかった。

 それだけの言葉。

 言わなければいけなかった言葉。

 

 

「世界は綺麗だ」

 

 

 

 彼はそう言った。

 

 

 

          * * *

 

 

 それを待っていましたとばかりにドーケは大口を開けて、彼に飛びかかった。

 そして、フラウを丸飲みにしてしまうと、彼は満足したとばかりに、自分の腹を二回叩いた。

 

 

          * * *

 

 

 ――、

 光り、

 輝く。

 ――。

 

 

 ドーケの服のボタンを破るように、腹から光が飛び出した。

 光は、一本、二本、三本と増える。

 ドンドンどんどん増える。

 それは彼の腹を貫く、大きな一本の光になった。

 彼の腹は裂け、フラウが飛び出す。

 彼の肉体は、彼の腹の中で消滅してしまったが、彼のタマシイは滅ぶことはなかった。

 

 何故ならフラウはキスをしたから。

 ミカルとキスをしたことが、今彼女が天使となったことで魔法へと変わったのだ。

『天使の口づけ』

 いつかジェイスが言った。あの魔法だった。

 それによりフラウは肉体を失ったが、彼のタマシイは天へと押し上げられた。

 それは彼女の意思であり、神の意思だった。


 天に上るフラウを見て、ドーケはニコリと笑った。



          * * *


 

 ドーケは、その場に倒れた。

 もう彼に力は残っていなかった。

 悪魔の姿のまま、地面に倒れていた。

 

 そこに人影が現れた。

 ジェイスであった。

 

「ドーケよ。オマエはそれでいいのか?」

「ハハハ、笑わせるな。今すぐにでも、キサマの首に噛みついてやりたいよ、神よ」


 神・ジェイスはそれを否定しない。本物の神がこの町でハープを弾きながら、町を見守っていたなんて誰が信じるだろう。


「ドーケ。いや、ドミルよ。天に戻る気はないか?」


 神は悪魔であるドーケの、天使の時の名前を呼んだ。

 その響きは、彼に懐かしさを覚えさせた。


「いや、神よ。私はここで塵になる」

「そうか、君の行いは天に帰すだけの徳があるがな。友の為に自分を犠牲にした、オマエならば……」

「いいんだ。エルトの母を身ごもらせたときに、オレの運命は決まったんだ。そして、それからの俺の目的はこうなった。ミカルを天に帰すと。大切な友を犠牲にしてしまったオレができる唯一の恩返しだと」

「ミカルは気づいたようだが」

「良かったよ。何も言わないでくれて、これでフラウにでも気付かれたら計画は失敗だった」

「本当に天に戻る気はないか?」


 神は慈愛に満ちた悲しげな顔でもう一度聞いた。

 ドミルを、落ちた天使を許そうという顔だった。


「神よ、何度も言わせるな。戻る気はない。ミカルの隣にはフラウがいる、それでいい」

「いいのか?」

「何がだ?」

「息子に合わないでいいのか?」

「いい。堕天したオレなど、親ではない」


 でもな――ジェイスは後ろを指さして言う。


「アイツはそう思ってないみたいだが」

  


 その後ろで、息子・エルトがいた。

 


「父さん」

「……」

「父さん……」

「オレをそう呼ぶな。オマエの父であった時間なんてないんだから」

「……」

「でも、オレをそう呼んでくれるのか。嬉しいぞ、息子よ」

「父さん。良かった、会えてよかった」

「オマエの眼、緑色なんだな。母さんの眼だ。でも、銀に近い髪は、オレの天使のころにそっくりだ」


 ドーケの眼から涙がこぼれる。

 エルトも子どもに戻ったように泣いた。

 二人で、泣いた。


「うん」

「母さんにも、オマエにも迷惑を掛けたな。すまない、オレは母さんを本当に愛してた、いけないとわかっていても、愛を、気持ちをどうすることもできなかった。すまない、オレは母さんを殺したのも同然だ」

 

「それは違うぞ。ドミル」


 ジェイスは声を荒げた。


「愛は罪ではない。方法が間違っていたんだ、あの時オマエが人間になりたいといえば人間にしてやっただろう。だが、天使のまま人と交わった。それだけがオマエの罪だ」

「神よ。すまない。私は間違った」

「そうか、いいんだ。もう過ぎたことだ」

「最後に頼みがある。息子をよろしく頼む」


 彼は深くうなずいた。


「父さん。いやだ。分かり合えたのに」

「いいんだ、息子よ。もう悔いはない」


 そういうと、彼は白い塵になり、海風に飛んで行った。

 悪魔の、天使の、そのどちらでもない者が一人この世を去った。


「ドーケよ。オマエの名前は天界には残せない。おそらくは地獄でもオマエのことは記録に残らないだろう。だが、私は覚えておこう。オマエのような天使がいて、悪魔がいたこと、私は忘れない」

 エルトは涙を流して、ジェイスに「ありがとうございます」と言った。



         * * *



 天使は、神によって地獄に堕ちました。

 彼は諦めて、細々と地獄で生きましたが、天に帰ることを諦めませんでした。

 彼は地獄の王に近づき、悪知恵を借ります。

 

「神に目を掛けられた人間のタマシイを喰えば帰れるらしい」

 

 地獄の王はそういいます。

 だから、天使はその人間に近づき、契約しました。

 

 しかし、その人間は良い人間でした。

 彼の凍った心を溶かすほどに。

 彼は命を掛けて、一緒に天から堕ちた天使を助けることに協力しました。

 そして、彼女の隣に、その人間がいるように努力しました。

 彼の努力は実りました。

 でも、彼は死んでしまいました。

 白い灰になりました。



         * * *


 

 エルトはジェイスに付き、バイオリンを弾いた。

 二人の組み合わせは、まさに「神の音」と称された。

 半天使であるエルトが、一人前になる頃ジェイスは一人姿を消した。

 そして、違う町で何食わぬ顔で、何も言わずにハープを弾くのだろう。

 そうエルトは思った。

 神の住む町に住んでいた本物の神は、エルトに役目を譲って去っていったのであった。



         * * *


 とある港町から、このヘブンの港に旅人が降り立った。

 その男は、この町に住みたいらしい。

 初めはいぶかしまれた彼は、町に馴染めずにココロを疲れさせ、街に一軒のカフェへとやって来た。

 先代のマスターの娘が、例のコーヒーを出すと店の皆は外に出て行った。

 

「オマエが新しく来た変わり者か。まあ、楽しんで行ってくれ」


 すっかり髪が白くなったエルトは、天使の羽根を隠すことなく、疲れた人の為に歌うのだ。

 天使の声で、人を癒す為に。

 ジェイスの意思と、父の意思と、妹と義弟の為に。

 

 

 ここはヘブン。

 天国とも、地獄とも近い町。

 ここにはこんな昔話がある。

 とある旅人がこの町にやってくる。

 そして、天から落ちてしまった女の子と出会い。

 御供の熊のぬいぐるみと一緒に、彼女を助けてあげるお話。

 それは少し悲しいハッピーエンド。

 この話を聞きたいかい。

 

 聞きたい?

 なら、このエルト。

 君に話して聞かせよう。

 少し疲れた君に。

 ココロを疲れさせた君に。

 ここのカフェ特製のブランデー入りのコーヒーと共に。

 

 その男は、フラウと言った。

 女の子は、ミカル。

 そして、その熊のぬいぐるみはドーケ。

 まあ、ゆっくり聞いてくれ――

 

 

   《三部・オワカレノタメノ葬送曲(レクイエム)・了》

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