《二部・ワルプルギスの円舞曲(ワルツ)・3》

 曇天の夜空以上に、町は陰気に沈んでいた。

 石畳もレンガもひび割れ、色は褪せて、町は古びている。家にまきついた植物が自由に蔓を伸ばし、窓はほとんどが割られている。


 まるでゴーストタウンだ。フラウは思った。人がいないわけではない。それは分かっている。でも、この暴力による静けさがとても悲しかった。それもクルスが原因であることが悲しくて仕方がない。クルスの驕りは知っていた。止めなかった自分も悪い。でも、彼自身が学ばねばならないことであった。


 自分が人より優れている。

 それは能力的にはそうかもしれない。だが、故に力の使い方は自分で理解しなければならない。それは自分で、自分の力でやらねばならない。教えて分かることではないから。

 でも、少し後悔している。

 分かっている。

 逃げたのだと。

 逃げて、教えなかった。怖かった。意見することが怖かった。

 弱かった。分かっている。

 逃げない。そうだ。逃げない。


「もう逃げない」


 フラウはそう言って、拳を握った。

 暗く寂れた町に言った。

 町は恐ろしい人食いの機械生命体が町を支配しようとしているのであった。人を喰うのは、クルスにとっては牛を食う人間となんら変わらない理論であるのかもしれない。牛が良くて、人は駄目である。それがなぜ駄目なのか、説明なんてできないだろう。文化の違い、意識の違い、理由はいろいろあるから反論は出来ない。


 命に重さはない。軽いも、思いもない。そう考えたら何も食べられない。

 だから、食べ物に口を出すべきではない。食べ物は食べ物であるそう認識し、意識を捨てねばならない。それが食べることである。命を食べることである。

 だが、彼には驕りがある。上下がある。

 人間のような下等な生物を食べることは悪くないと思っている。

 

 それは悪だ。

 イルカやクジラは賢い生物だから食べてはいけないという思想があるように、命に上下をつける行為でしかない。それは正しいのか。否だろう。

 命は、等しい。命は平等だ。

 その人自身の価値は違う世の中だが、命だけは平等だ。

 町に帰ってきたフラウは、まだ人型のままのドーケに聞いた。

 今回は吐かなかった。

 

「一つ聞きたい。アイツの動力を決めたのはオマエか?」

「どうなんだろうな、アイツの『HT』というものと、意識をつなげる為に魔力というものを使わざるを得なかったというところだな。魔力が接着剤になっているんだ」

「接着剤として使った魔力が充電池に溜まって、動力になっているみたいなものか」

「まあ、オレが持っていた接着剤が魔力しかなかったというのも原因か」

「そして、その原因を作ったのはボクか」


 ハハハ。二人で笑う。笑うしかないというように。

 そして、フラウは急に真面目な顔をして、


「止めなきゃな。責任くらいとらないと」


 二人の目は、クルスの根城である役場を見ていた。


「フン、そうか」

「オマエも手伝えよ」

「まあ、契約だからな」

「ところで、一つ聞きたい。アイツを作れば、ボクが満足すると本気で思ったのか?」

「いや、アイツがオマエを食って、タマシイだけ吐きだしてくれればとも思った」

「オマエッ――」

「まあ、手伝うから。良いじゃないか」

「良くない」


 ここで喧嘩を始めようとすると、後ろから肩を叩かれた。


「危ないぞ、ここにいては」


 エルトだった。あれから十年、彼は立派な大人に成長していた。

 金の髪は肩まで伸びていて、それを後ろで束ねている。顔はまだ少し幼げだが、無精ひげが大人っぽさを演出している。相変わらず羽はしまっていない。

 フラウは瞬時に分かったが、彼はすぐには分からなかったようだ。

 後ろにはぞろぞろと武器を持った男たちがいる。

 クルスの根城に乗り込むつもりなのだろう。


「しかし、どこかで見た顔だな」

「エルト様、コイツ――」


 エルトの後ろにいた男が言う。


「昔、クルスといた奴ですよ。よく買い物に来ていたから覚えています。ですが、あまり年をとっていませんね」

「まあ、いい。捕まえろ。それに原因は分かっている。そこの悪魔よ、オマエのせいだろ」


 エルトはドーケを指さす。しかし、ドーケは相手にしない。


「無視する気か、キサマ」

「半天使風情が。私をキサマ呼ばわりか。格と力の差も分からないようだな」

「ウルサイ。お前らはその男を捕まえろ。私はその悪魔を捕える」


 後ろの男たちは、フラウをあっという間に縛りあげた。

 エルトはドーケに剣を持って駈けだした。その剣は、魔を滅す銀で出来ている。それで斬りかかり、剣がドーケの身体を斬り裂いた――

 

 ように見えた。


 実際はドーケがいたところには一本の丸太が立っていた。それに剣が深々と喰い込んでいて取れなくなってしまった。


「チッ」

 エルトは舌打ちをして、悔しそうな表情を浮かべる。


「やはり本物は違うか。一時引き返す。その男は牢に入れろ」

『はい』

 と数人の男が返事をした。


 まるで奴隷のごとくフラウは引き回され、教会の地下牢へと入れられた。教会ではミカルと目があった。彼女の目は憐れみで満ちているようだった。

 

 

          * * *

 


 教会は雰囲気をまったくの別物としていた。

 歴史上、要塞とも監獄ともなった教会は実在するが、今その両方の要素をこの町の教会が所持している。

 地上の階はクルスとその下僕となった者から、町の人々を守る要塞である。

 地下は牢となり、クルスの下僕となった人々を閉じ込めていた。


 フラウが連れられて、牢に入ると猛烈な臭気が嗅覚を奪う。それは死臭であった。ここの惨状をエルトは知らない。エルトが知ればすぐにでも慈愛のココロを見せただろうが、地上のことに掛り切りであった為に他の者がここを管理していたのだ。

 その者は、クルスに最愛の人を食われたのだ。だから、クルスにタマシイを売った者を許すことが出来ないのだ。食事も与えず、嬲り殺す。それが彼に出来る最大の復讐であった。そして、それを作りだそうとした張本人であれば尚更であった。


「キサマがクルスを作ったのか」


体つきの良い大きな男だった。拳を強く握って脅す。


「……」

「答えろ」


 すぐさま拳がフラウの頬に飛んだ。激しい音を立てて、彼の頬が赤くなる。口の中は切れ、歯が折れる。


「作ったのか」


 彼は頬の痛みで喋れずにいると、再び殴られる。

 何度も、何度も殴られた。

 フラウは気絶するまで殴られ、死人と一緒の牢に放り込まれた。

 殴った本人はいきがって、地上へと帰っていった。

 

 

        * * *

 


 帝国の猟犬が、目を付けていた港町に下り立った。それは「ヘブン」という名の寂れた港町だった。今や機械生命体と、レジスタンスが町を二分して戦っていることを知らない。彼らはただフラウを探していた。十年もの月日がたっていたが、彼らは諦めない。


 帝国の犬は、彼を始末しなければ国に戻ることも許されないのだ。そして、彼らは町の中心部へと歩を進めた。帝国よりも危険な怪物が息をひそめていることも知らずに。

 

 

        * * *

 


「――フラウさん。フラウさん」


 体をゆすられるのを感じて、フラウは目を覚ました。声にも聞き覚えがあった。


「うう……」

「気づきましたか、フラウさん」

「君は、ミカル……」


 ミカルはその外見をほとんど変化させず、十年前と同じ姿でそこにいた。天使だからだろうか、彼女の成長はずっと止まってしまったかのように。


「ジェイスさんに言われて助けに来ました。ここにいては殺されます。逃げてください」

「分かった。その代わり絶対にクルスを止めてみせる」

「無理はしないでください」


 ごめんとフラウは言った。


「皆を、町の皆を十年も苦しませてしまった。それなのに自分はそれを知らずに遊び呆けてしまっていた。ボクは何と愚かなんだろう。だから、ボクは命を掛けて戦う」

「駄目です」


 彼女は強く言った。それはとても大きな声だった。

 フラウは気圧された。


「死んでは駄目。生きて。無知は罪です。でも、アナタは生きねば駄目。罪は償わねば、死は逃亡です」

「ボクは――ボクは……」

「じゃあ、私の為に生きて」


 彼女はじっとフラウの眼を見た。

 綺麗な青い瞳に目が奪われる。


「えっ?」

「あなたのこと、兄さんに聞いたの。私に声を掛けようとした男がいたから追い払ったって。今でも、私が好き?」

「好きだ。でも……」フラウは覚悟を決めて言った。「でも、君は帰りたくないのか?」

「知っているんですね」


 彼女は少し暗い顔をした。でも、それでも無理に笑って言うのだった。

 暗くも美しい笑顔。触れれば崩れそうな儚い笑み。


「でも、良いんです。私は人として生きる決心をしたから。だから……」


 フラウは彼女を抱きしめた。こんなふうに女性に触れるなんて初めてだった。でも、自分の気持ちを彼女に伝えないといけないと彼は思った。

 

 

 

 彼は耳元でミカルに言う。自分の強い決意を。


「好きだ。でも、君の隣にボクがいるより、君の背には白い羽根が似合う。ボクが絶対に君を天に返す。だから、君もそんなことを言わないで、絶対に」

 

 

 

 そういうと、彼は開け放たれた牢から飛び出す。

 そして、裏口から飛び出した。彼の顔はリンゴのように赤く、火のように熱かった。恥ずかしさに顔が爆発したかと思った。自分のした行動を今更ながら恥じた。多分ミカルの顔を二度とまともに見られないだろうと思った。


「どうだ、初めて女の子に抱きついた気持ちは?」


 路地裏で、声が上から聞こえてきた。

 それは聞き覚えのある悪魔の声。

 見覚えのある悪魔が、家の屋根に座っていた。


「ドーケ、助けに来いよ」

「頼まれなかったからな」

「オマエはそればかりだな。こっちは気絶してたってのに」

「まあ、行こうか」

「そうだな、ケリを付けないと」


 ドーケは悪魔の姿のまま、音も立てずに地面に着地した。そして、クルリとぬいぐるみに戻ると、フラウの肩に乗った。


「さあ、行くか」

「なんでぬいぐるみに戻った?」

「いや、オレはあくまでもサポートだから。ピンチになったら何とかするよ」


 そうかい、そうかいとフラウは投げやりな気持ちで役場へと向かった。

 そこにクルスがいるから。

 

 

       * * *


 

 曇天の夜空の下。路地裏を進んでいた男二人は、急に暗黒に包まれた。

 男たちは、最後に見た。とても大きな怪物が暗い空に、二つの眼を血のように紅く輝かせているのを

 

 男たちの悲しい悲鳴が響いた。

 

 

       * * *

 

 

 その悲鳴を聞きつけて、フラウたちがやってくる頃にはすべては終わっていた。そこにはただタマシイである、二個の球体が落ちていただけだった。

 フラウはそれを見るのは初めてだったから分からなかったが、それを持ちあげて覗きこめば知っていた顔が浮かんだのでうっかり落としてしまった。落としてもタマシイは割れることなく転がった。

 フラウは急ごうというと駈けだした。

 

 役場の周りにはクルスの手下が何重にも見張っていて、鼠一匹入れる余地がない。

 ドーケは言う。


「入れないんなら、捕まれば良いんじゃないのか。縄くらいは外してやるよ」


 フラウは懐にドーケを入れ、落ちていた木の棒を拾ってクルスの手下へと襲い掛かるフリをした。

 それは当然失敗に終わる。

 当たり前だった。

 不意打ちするのに「うりゃあ」などと声を出す馬鹿はいない。仲間がすぐさま駆けつけて、フラウをロープで縛って役場へと連れて行く。


 役場は外観こそこの町に来たころのままだったが、中はほとんど変わってしまっていた。机も壁も造り直され、クルスの城となっていた。彼は玉座のような町長の椅子に座り、引きずり出された彼らをあざける。

 彼の身長は倍になり、その目の赤はギラギラと燃えていた。

 

「これはこれは、『マスター』」


 クルスはわざとらしく丁寧なあいさつをした。


「お久しぶりです、お元気でしたか。私を捨てて遊び呆けていたのでしょう?」

「違う」彼はドーケに合図すると、縄が外された。「違うんだ、クルス。ボクは……」

「いえ、『マスター』。分かっていますよ、そこにいる悪魔が唆(そそのか)したんでしょう。あんなゴミなんていらないと」

「違うんだ。話を聞いてくれ」


 彼は必死に説得しようとする。


「何が違うんです。もう、良いんですよ。私も『マスター』と呼ぶのは疲れました。キサマのような人間を何故『マスター』と呼ばねばならないのか。わかりかねます。人は人、餌は餌です」

「クルス」

「私はキサマの下僕ではない。そして、命をくれた悪魔の下僕でもない。私は獅子。一匹のライオンだ。私は強い。人を食って、機械も食った。身体は大きくなり、力も増したのだ。ドーケ、キサマにも負けん」


 フラウの肩に乗っていたドーケを指さした。

 ドーケの耳がぴくぴくと動いた。相当イライラしているように見える。自分が魔力を分け与えた者からそんな口を利かれるとは思っていなかっただろう。

 ドーケは悪魔に戻ろうとしたが、フラウはそれを止めた。

 そして、クルスに向けて言う。


「驕るなよ。そして、自分も作られたことを忘れるな。私だって父と母に作られた身だ。それを忘れて、自分だけが高等な生物だと思ってはならない」

「ウルサイ。人風情が」

「それが驕りだとなんでわからない」

「餌に何を言われようと関係ない。キサマも食う。そして、その悪魔もな」


 ドーケはくるりと、肩から下りて悪魔に戻った。


「コイツは駄目だ。消すしかない。オマエも言っただろ、『HT』は頑固だと」

「おい、ドーケ、待て」


 クルスは手下に捕えろと命じた。二人ともだと。

 そのことに怒ったドーケは、力を解放した。

 

 向かってくる手下に向けて、ドーケは手を軽く振り払う。

 ビュウ。

 突風が吹き、手下は纏めてクルスの玉座の後ろまで飛ばされる。

 クルスは体躯に似合わぬ、速度で突っ込んでくる。その拳をドーケは軽く指で受け止めると、それを指ではじいて吹き飛ばす。クルスは吠える。口惜しいと吠える。


「五月蠅い。使えない犬が」


 彼が使う紫の炎は、人を瞬時に塵にした。クルスも例外なく、瞬時に灰にしてしまう。彼は最後に何も言えなかった。本物との力の差を感じたのだろう。

 紫の炎は、役場までも焼き払い。フラウは命からがら脱出するはめになった。

 

「いやあ、ついやりすぎたな」

 フラウの肩は震えていた。

「どうしたんだ、フラウ」

 ドーケは彼の肩に手を置いたが、それは払われた。

 それにムッとしたドーケは「どうしたんだよ、フラウ」と強く聞いた。

「何で殺した」

「は?」

「なんで人まで殺したんだ」

「あんなもの人じゃない。化け物にタマシイを売ったんだぞ」

「じゃあ、ボクだって人じゃないな」


 ドーケは彼の振り向いた顔を見た。彼の瞳には涙が光っていた。

 それを見たドーケは少しひるむ。

 泣いている。でも、力強い瞳だったから。

 そして、自分のしたことを省みた。紫の炎が、いまだ建物を焦がしてる。


「去れ」

「なんだって」

「立ち去れ、化け物よ。飛び去れ、悪魔め」

「何を言うんだ」

「オマエの顔なんて見たくない。だから、ボクの前から消えろ」

「チッ」


 彼は舌打ちして飛び去った。

 契約は残っているから、ただ目の前から消えただけの効果しかないのだが。

 それでも彼の顔を見たくはなかった。所詮悪魔は悪魔だと思ったのだ。

 

 

          * * *


 

 焼け尽した役場の前で、涙を拭くことなく泣いていた。

 そこにエルトが現れ、フラウの手を引いてくれた。町の教会で、彼はミカルに抱きしめられた。彼の記憶は、そこから少しだけ欠落している。

 

 

      《二部 ワルプルギスの円舞曲(ワルツ)・了》

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