《二部 ワルプルギスの円舞曲(ワルツ)》・2

 雨の月の今宵、悪魔や魔術師の集まる宴があるのだ。

 それにフラウを連れていこうと思ったのである。家の中を見せない為に。そして、上手くいけば彼は満足するだろうし、クルスがゲトを壊したことを隠し通せるかもしれないと。


「さて、博士よ。あなたをイイ所に御案内したい」

「どうしたんだ? それは今日でなければいけないのか」

「そうですね。今宵開かれるのは特別な宴ですので」

「分かった。じゃあ、行こう」


「では――」彼は悪魔の姿に戻って、「掴まってください」と肩を差し出した。

 フラウが肩を掴むと、気持ちが悪くなるような一瞬の浮遊感の後、彼らは違う場所に移動していた。フラウは耐え切れず、その場で吐いてしまう。


「ハハハ。これは私でもなれないとキツイですからね」

「瞬間移動か。人には無茶な移動だな」

「まあ、飲みましょう、食べましょう」


 ドーケは眼下に広がる光景を指し示した。

 そこは宴の真っ最中で、暗い空に松明やら、篝火やらを焚いて灯りにしている。

空は暗く青紫色をして、新月の筈の月が出ている。しかし、その色は血に濡れたように紅い。地面に草はなく岩だらけで、たまに奇妙な蟲が火に向かって這っていく。蝙蝠が篝火の上を舞い、蛾が火に飛びこむように踊る。


 大音量の音楽や、奇妙な踊りで盛り上がっており、そこにいる者は皆仮面をしている。気味の悪い化け物の面、鬼の面、ただの木に口と目の穴を開けただけの物――さまざまな物で顔を隠している。中央には低い舞台があり、その上では裸の女が狂ったように性的セクシャルな踊りを踊っているし、その後ろでは半分が獣のような化け物たちが演奏をしている。


 舞台の下でも、人々は背中を合わせて踊ったり、酒を飲んだり、何か不気味な食べ物を頬張っている。その中心には山羊のようなナニカが、皆に崇められていた。

 ドーケは急な下り坂を下りていく。フラウもそれに続いた。

 フラウは分かっていた。

 これが何なのかを。「黒ミサ」、「サバト」という名も知っていた。帝国にもそういう輩はいたからだ。科学が中心の帝国で、科学に魔力で対抗しようという勢力があった。そういう輩は新月の夜や、ミサの前の晩に「サバト」というところで宴を繰り広げたり、悪魔と契約したりするのだと聞いた。

 それは帝国においては重罪になる。帝国に反する行為だとして処刑された。魔女や魔術師は、それらしく火あぶりにされて殺された。


 帝国の中枢にいたフラウは、そういうものを見てきた。だから、知っていた。

 だが、このように陽気なものだとは思っていなかった。楽しげな音楽、美味しそうな料理の匂い。人々は陰気に沈み、悪魔の独壇場だと思っていた。でも、ここは楽しさで満ちている。仮面の人間たちは踊る、踊る、踊る。陽気にステップを踏む。その輪を外れると、酒飲みの集団に出くわす。そこで人々は仮面をずらして酒を飲む。浴びるように飲む。楽しそうな夜だ、とフラウは思った。


 ヘブンという名ばかりの天国ではない。ここは陽気に踊る天国であるとフラウは思う。それは本当の神から見れば、欲に負けたということなのだろうけれど。でも、楽しくないより、楽しい方がいい。

 一人の人間としてそう思うのだった。

 ドーケを探すと、彼は山羊のようなナニカと話をしていた。山羊のようなナニカにドーケはひれ伏し、地べたにひざまずいて話をしている。「サタン」などの用語らしきものが聞こえた。フラウはそれを少し離れて見つめていた。


 山羊のようなナニカは、人の姿になってドーケを蹴り飛ばした。そして、その黒いドーケの髪を左手で掴み、右手で彼を殴り飛ばした。一方的な暴力を振るわれながらドーケは口答えしない。フラウも見ていて、そのナニカがとても恐ろしいモノであることを感じていたから止めることは出来なかった。

 ひとしきり殴る蹴るを繰り返すと、そのナニカはフッと消えた。そして、ボロボロになったドーケだけがその場に残った。ドーケはフラウを見つけると、フッと笑って立ちあがった。


「さあ、飲もう」

 ドーケはひどく殴られておきながら無邪気に笑った。


  

「悪魔の血は黒いんだな」


 フラウはドーケの口元を見て言った。

 口の端が切れて、血が出ていたがその色は黒かった。

 彼は口をグイと拭う。それはまるで汚いものが付いていたようなしぐさだった。


「まあ、飲めよ」と酒を差し出す。

 その酒は黒く、何の酒なのか分からない。しかし、いい匂いがする。


「飲んでいい年じゃない」

「サバトにルールなんてないぜ」と無理やり押し付けた。


「酒なんて飲んだことがない」

 とそれを眺めて言う。

「まあ、イイじゃないか」

「いいのか?」

「ウルサイ奴だな。分かったよ、酒じゃないのを持ってくるよ」

「ああ」


 ドーケは飲み物を魔女が仕切るカウンターに取りに行った。戻ってきて差し出したのは、うすい紫色の飲み物。


「なんだ、これ?」

「魔術酒」

「酒じゃないか」

「違うって、アルコールの成分は入ってねえよ。ただ魔術が掛ってるだけさ。酔っぱらう魔術がな」

「なら、飲んでみる」

 

 パチパチとはじける炭酸の刺激に、甘いソーダみたいな味がする。フルーティな果実の香りがして、身体がフワッと浮くような錯覚がする。

 これが酔うということかとフラウは思った。


「美味いな」

「酒はもっと美味いぜ」

「ウルサイ」

「オコチャマはそれでも飲んでろ。ハハハ」


 彼はすごく上機嫌になった。あれだけ殴られておきながら。

 それがフラウには、ドーケが何かを諦めているように思えて仕方がないのだった。

 何かを無くしたような、そんな気がした。


「さっきのは誰だ?」

「ああ?」

「オマエを殴り飛ばしていた奴さ」

「ああ、王だ。地獄の王」

「だから、逆らえないのか」

「そうだ。オマエだっていたんだろ。いや、誰でもいるんだよ。上に立つ奴っていうのは」

「それは悪か?」

「悪だよ。神の国には、それはないからな。あるのは地獄と地上だけ」

「人の世は、また地獄か」

「ちがいないな」


 フラウも、ドーケも持っていたジョッキをグイと飲み干した。

 フラウは彼から杯を奪うと、自分が飲み物を取りに行った。遠目では分からなかったが、魔女といえば老婆を想像していたが、意外と若い女性だった。そう見えるだけで、これもまた魔法だったりして、とココロの中で思った。


「失礼ね」

 急にココロの中の疑問に答えられたのでびっくりした。

「まだ二十七だって。魔女はモンスターじゃないの」

 とドーケの杯には黒い酒を、フラウの杯には魔術酒を、注文を聞くことなく注いだ。フラウは慌てて「すみませんでした」と謝った。


 戻ると、ドーケは爆笑していた。


「ハハハ、アイツにからかわれたな。因みにアイツは二十七じゃないから。本当は三百二十七歳だよ」

「ほら、魔女じゃないか」

「ハハハ」


 彼らは陽気に飲み笑い、塩の入っていない料理を食べ(フラウは吐きだしたが)、背中を合わせて踊った。

 フラウのココロはほとんどもとに戻っていた。

 

 

          * * *


 

 魔物。

 魔女。

 半獣人。

 魔術師。

 魑魅魍魎ちみもうりょうが踊り狂う。

 その輪から外れて、フラウとドーケは再び飲み物を飲んでいた。フラウはさっきから魔術酒しか飲んでいない。すっかり気に入ったようだった。


「気にいってくれたようだね」


 後ろから声がしたので、フラウは振り返った。そこにはさっきの三百二十七歳だという魔女が立っていた。そして、魔法の類か、彼女の年齢が三百二十七歳であることはまったくもって分からない。

 そんなことを思っていると、またココロを読まれそうだ。瞬時に考えをかき消し、ただ魔術酒のお礼を言う。


「美味しいですね、これ」

「そうだろう、ワタシの魔術酒は最高さ」

 横でドーケが「それしか出来ないくせに」と言った。彼女はキッと睨みつけたが、ドーケは動じない。これが身分らしい。

「まあ、いいさ。そんなアンタは特別だ。イイ物を見せてやる」

 と鏡を取り出した。鏡面に少し紫色の靄が掛っている。


「これはオマエの好きなものを見られるぞ。オマエの見たいものなら何でもな」

「『千里鏡』か」とドーケは言う。「古今東西、いつでもどこでも見たいものが見れる鏡だ」

「どうだい、ボウヤ。見たいものはあるかい?」


 フラウはその鏡を受け取って、ミカルが見たいと念じた。

 紫色が鏡面を覆い尽くし、一瞬何も見えなくなったかと思うとミカルが映った。

 


 

 翼の生えたミカル。

 白い翼が眩しいほどに見えた。

 金色の髪、天使の輪、白い羽根。それは天使そのものの姿であった。

 彼女には友人がいた。それは同じく天使の友人。彼は親友だった。

 ある日、親友は天の水鏡から下界を覗いていて、「はあ」と溜息をついていた。ミカルはそれに近づいて「どうしたんだい?」と聞いたが、彼は答えようとしない。代わりに彼は言う。

「天使失格だ」と。

 ミカルはしつこく理由を尋ねた。

 彼は渋々恋をしたと言う。地上の人間に恋をしたと。

「それは……」

「ミカル、分かっている。だが、俺は駄目だ。堕天しても、俺は彼女を取る」

 親友は天から飛び降りて、地上の女性と一夜の契りを結んだ。

 もちろん神には全てが分かっていた。

 親友は咎められた。

 彼に反省の気持ちはなく、後悔もしていない。

「私は喜んで堕天しよう」とまで言う。

 ミカルはそれを助けようした。

 天使の裁判が行われる。

 議場に呼ばれたミカルは、稚拙で取りとめもない、子どもでも付かないような嘘をついた。友の為に出来る限りをしたいと、そう思って。

 神は言う。

「天使の姦淫は罪。また天使の嘘は、どんな理由だろうと罪だ」と。

 

 ミカルは天界から地上に落され、翼を焼かれた。

 親友の天使は、地獄に落とされた。

 ミカルは人となり、花屋で働くことになった。

 彼女の親友は地獄で悪魔になった。

 

 

 

「天使だった……のか」

 フラウは心底驚いた。

「ミカルは天使だった。それを神は彼女を地上に落とされたのか。友の為に嘘をついて」

 

 近くで見ていた魔女は、フラウの興奮ぶりに「落ち付きなよ」と言ったが、彼はそれどころではない。恋をした人が元・天使であるなどと誰が想像できようか。


「知っていたよ」

 横でドーケは言った。

「彼女が天使であったことくらい匂いで分かる」

「何で黙っていたんだ。フラれることくらい想像できただろうに」

「聞かれなかったからな。オレはオマエのタマシイが欲しいんだよ。それさえ手に入ればどうだっていいんだ」

「所詮悪魔か」

「ああ、そうさ。オレは悪魔だ。タマシイを喰う怪物さ」

「ああ、分かった。じゃあ、他に知っていることを教えてくれないか」

 彼はすらすらと暗誦するように、言葉を紡いでいく。

「ミカルの連れは地獄に堕ちたが、悪魔になり切れずに死んだ。というか、消されたよ、悪魔の王に。そして、その親友が孕ませた子供がエルトだ。ミカルには分かっているみたいだな、友の子供だってさ。エルトは彼女が堕天した天使だと知っているが、父の親友とは知らず、兄のように思っているというところだろう」


「彼女はどう思っているのだろうな」

「何が?」

「ミカルは天に帰りたいだろうかということだ。それとも、人として生きたいのだろうか」

「見たらどうだ。彼女のココロの中」


 ドーケは魔女の鏡を奪い、フラウに差し出す。

 だが、フラウはそれを拒んだ。


「それは駄目だ」

「どうして?」

「それをしても解決にはならないからだ」

「じゃあ、今の『ヘブン』でも見たらどうだ? ちょっと恐ろしいものが見られると思うぜ」


 フラウは自分の町を見ようと念じた。


 

 

 曇り空の暗い町には人影がない。

 自分の家は壊されていた。壊されたゲトが見える。

 町の教会に、人々は閉じこもっている。

 バリケードを作り、入れないようにしている。

 エルトは何かを叫び、武器を持った男たちを鼓舞しているようだ。

 ミカルもジェイスも、その中にいる。他にも何十人もの女子供、老人がいた。

 一方でクルスは強大な力を付けていた。

 教会にいたよりも多くの下僕とした男が、武器を持ち彼に従っていた。

 町はエルト派と、クルス派に別れて戦争していた。

 クルスは捕まえた人を喰い、魔力を吸い取っていた。

 

 


「これは今なのか? なんで……」

 ドーケはあっさりと答えた。

「ここの時間は遅いんだ。地上ではもう十年経っている」

「これも黙っていたのか!」


 フラウはドーケを全力で殴り飛ばした。

 ケロッとした顔で「聞かれなかったからな」と答えた。


「すぐに帰るぞ」

「分かったよ。契約は破棄されていないからな」

 彼らは飛んだ。再び町に。|

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