《一部 協奏曲(コンチェルト)第666番~悪魔~》・2

 今日も空は晴れない。


 人のココロもまるでこんな空のようだ、フラウは思う。左隣の家は空き家、右隣にはくたびれたようなおばあさんが住んでいたが、「おはようございます」と言っても返事がない。彼はもう一度言ってみたが、「チッ」と舌打ちして去っていった。


 フラウのココロは朝からチクリと痛んだ。そうだった、町に出た時も優しくしてくれたのはジェイスとカフェのマスターくらいだった。他の荷車だって、フラウが店の冷蔵庫を直さなければ、貸してくれたかどうか疑わしい。家具屋の主人の眼は覚めきり、サービスするという考えがあったか分からない。

 ここの人のココロは曇っているようだ。


「悲しいほど人のココロも曇り空をしている」


 昨日、ジェイスは言った。悲しい顔で。それをその時は分からなかったが、今痛切に分かったところだった。

 今日も雨が降りそうなほど、黒く濁った灰色の空を見る。

 人のココロはそういうものだっただろうか。

 帝国も、この町も分からないよ。そう思うのだ。


「人の心は曇っているか。適切だよ」

 

 フラウは曇った空に独り言をぶつけた。

 

 

 

 通りの角から、視線を感じた。

 フラウは嫌な悪寒を感じて、少しだけ回りを気にしてから家に入った。ゲトが朝ごはんの準備をしているのだった。オムレツのバターと卵の香りがする。ゲトは電力がご飯だから、彼に作ってもらうのは気が引けるのだけど。フラウに料理の才能はない。卵は焼けば焦がし、それどころか殻がまともに剥けた試しがない。努力はしているし、ロボットを作れるのだから手先は器用だと思っているが、どうも料理だけは向かないのだ。才能がないという言葉で片付けるのは嫌いだが、そう思うしかないと諦め、仕方がないということにしていた。


 オムレツ、サラダ、パン、牛乳、季節のフルーツのミックスジュースが並ぶ。彩りも、味も、バランスも申し分ない、ゲトに作ってもらった食事は痛んだフラウのココロを癒した。

 

「美味しいな、ゲトの料理は」

「『マスター』、ありがとうございます。いつもどおりに作っておりますが」

「しかし、結構豪華じゃないか。何か変えた?」

「ここの物価が安いのです。『マスター』の持ってきたお金を、ここでいつまで暮らせるかを計算して一日の食費を割り出しました」

「ここにどのくらい住める計算なの」

「『マスター』は十六歳ですから、この国の平均寿命の七十歳までここで暮らせると計算しました。ですから、あと五十四年はこの暮らしができます」

「五十四年か。すごいな」

「帝国の給料のおかげですね。それにここの物価です」


 フラウは朝食のメニューを見直す。この食事が五十四年分続けられるとは、フラウは我ながら怖くなった。それは人の命を奪う兵器を作ってきた、罪であり功績だ。

 命を奪って、自分は命を永らえている。そう考えると食欲がなくなる。


 食前、食後の挨拶は命を食べることに感謝するものだ。それと同じだと思う。死んでいった動物、植物の命の上に自分の命があるように、死んでいった人間の命の上に自分の生活があるのだ。殺した人間の、もちろん自分自身の手で殺したのではないが、命のおかげでフラウは生活している。そういった兵器を作ることで、収入を得ていたから。この汚い金を捨てればいいのだろうが、生きる為にはそれしかないのだ。


「はあ、逃げても付いてくるか」

「何ですか、『マスター』」

「ボクの罪は消えないっていうことさ」

「『マスター』は悪くありません。悪いのは、帝国です」

「ありがとう、ゲト」

 フラウは微笑んだ。そして、パンを牛乳で流し込んだ。



 

 夜のことだ。

  トン

   トン

 玄関のドアが叩かれる。

 フラウは食事中で、ゲトがドアを開けたが、「何もいませんでした」と扉を締めた。 

 

 もう一度、ドアが叩かれた。今度はフラウが席を立って、ドアを開けた。またしても誰もいないので、彼は怖くなった、悪魔の類ではないかと思う。すると、目線のはるか下から声がした。

「こっちこっち」と声がする。目線を下に落とす。


「よう」


 それは汚い、ボロボロのテディ・ベア。

 ぬいぐるみが手を上げて挨拶した。フラウは反射的に無視して、ドアを閉めた。フウと息を吐いて、夢だと思うことにした。あんなぬいぐるみがしゃべる訳はない、夢、夢なのだと。


「おいおい、あんまりな御挨拶(ごあいさつ)だな」


 ふと前を見ると、さっきのぬいぐるみが家に入り込んでいた。


「どうして……」

「『どうして』かって? ノックしてドアを開けたら入ってもいいってことだろ。それに一度入ることを許可した家に入り込むことなんか、造作もないのさ」

「悪魔……か……」

「御明察ですよ。フラウ様」

「出ていくんだ、悪魔よ。オマエに名前を呼ばれたくない」

「嫌ですよ。折角フラウ様に会いに来たのに」

「名前を呼ばれる筋合いはないし、悪魔に私は用がない」

「私は用がありますよ。御高名なフラウ博士にね。博士の発明は、遠く地獄まで名を知られていますからな」

「黙ってくれ」


 フラウの言い争う声に、ゲトが走り込んできた。


「どうしました?」

「これは、ゲトさんですか。フラウ博士の下僕」


 フラウはついに怒って、ぬいぐるみを蹴り飛ばした。


「下僕ではない、友達だ! 出ていけ、悪魔よ」

「イテテ。ぬいぐるみだって痛いんですよ。分かりました、ご友人でした。しかし、出て行きませんよ」

「悪魔め、何の用だよ。呪文でも唱えれば消えてくれるのかな?」

「いえいえ、私はただ貴君と契約したいだけですよ」

「何?」

「私は、神と勝負をすることになりました。私はタマシイが欲しい、しかし神は『人は簡単に地獄には落ちない』というのです。何だったかな、こういうのですよ。『人は弱い生き物だ、故に人は強くなる』とね。馬鹿みたいですよ、弱い者は弱いのです。だから、勝負です。神が御目を掛けている貴君を、我が手中に収めれば私の勝ちです」

「私には関係ないが?」

 

 悪魔はハハハと笑って言う。


「神はあなたに目を掛けているようだ。だから、あなたなんですよ」

「神が私に? 間違いだろ」

「間違いではありませんよ。ハハハ」


 悪魔は笑うが、いきなり床をダンと鳴らした。ぬいぐるみの綿の足では絶対に鳴らない、堅い音。怒りにまかせた、威圧の音だった。


「なぜ、オマエなんだ。私には分からない。神は言った、『彼の心は透き通っている』と。そしてこう言った、『彼は他人の為に努力できる男だ』とね。分からないよ。分からない、分からない、分からない。だから、私はそれが知りたいんだ、オマエを食えば解る気がする。だから――」

「……」

「おっと、興奮してしまいました。だから、考えました。私は貴君に力を貸しましょう。すべてを思い通りにする力を。そうして、貴君がココロから満足したとき、私はそのタマシイが欲しいのです、神が目を掛けられたという特別なタマシイが」


 ゲトは大声で言う。


「駄目です、『マスター』。それの言うことにのってはいけません」

「ウルサイぞ、金属の塊が」

 ぬいぐるみはそう言うと、そのボタンの目玉でゲトを睨む。すると、時間を凍らせてしまったかのように、動きを止めてしまうのだった。


「それで博士殿、御返事は?」

「オマエは、神に勝ちたいのか?」

「そうです」

「私は、神のことなど解らない。私に目を掛けて下さっているのならば、何故私の人生はここまで過酷なのだ。帝国で扱き使われ、折角逃げてきた町では隣人に舌打ちされ、何も思い通りにはならない。神は乗り越えられる試練しか与えないという。それでも私は疲れた。私はもう疲れた。オマエの言うことを聞けば、人生は楽しいのか?」

「さあ、人生は分かりません。それでも楽しい生活は送れるでしょうね」

「ならば、やろう。私はオマエの勝ち負けなど関係ない。ただ面白い日々を送りたいそれだけだ。だから、タマシイをキサマに賭けるよ」

「それでこそ、博士。申し遅れました、我が名はドーケ。ドーケでも、ドーちゃんでも好きなようにお呼びください」

「じゃあ、ドーケ」

「……」

「ドーちゃんって自分は恥ずかしくないのか?」

「はいはい、分かりました。それでは契約の印に私に一滴の血を注いでください」

 

フラウは小刀で指を切って、血を与えた。ドーケはその血を舐める。


「契約完了です。契約のルールは一つだけ。世界を、神が造り給いし物を褒めたら、私の勝ち。貴君のタマシイは私の物です。理解しましたか?」

「分かった」

「では、なにをいたしましょうか?」

「まず、ドーケ。ゲトを動かしてくれ」

「かしこまりました」


 ぬいぐるみは指の無い指をパチンと鳴らして、ゲトを動かした。


「『マスター』……」とゲト

「声は聞こえていたのか。いいんだよ、平和な人生なんて退屈なだけさ」

「それではマスターのタマシイは」

「死後の心配は……いらないさ」


 パンパンと手を鳴らして、ドーケは言う。


「話し合いをしたところで、無駄無駄。もう契約は済んだんだからね」

「悪魔め」とゲト

「ウルサイな、機械風情が」

「何だと」

「ゲト」とフラウはゲトを押さえて言う。「ボクは大丈夫だよ。オマエもおちついて」


 そして、今度はドーケに向かって言う。


「オマエも挑発するなよ、ドーケ。オマエにやって欲しいことがある」

 そして、フラウは地下へと降りて行った。

 

 

      * * *

 

 フラウは地下室から、クルスを運んできた。クルスは動く気配さえない。重い機械であるクルスは運ぶのに一苦労だったが、彼を動かしてやりたいという気持ちが強かった。ゲトが喜べばいいなと思ってのことだ。


「ゲトに友人を作ろうとしたんだが……動かないんだ」

 とフラウは言う。

 

 ゲトは感動していたようだが、ドーケは簡単に言い放つ。


「何、コレ。鉄の箱?」

「違う。ロボットだ」

「部品が足りなそうだな」

「どうも材料が足りなくて。これしか作れなかった」

「へえ」


 そう言いながら、ドーケはクルクルと回りを見て回る。

 ぬいぐるみの姿では、ただ可愛らしいだけだ。


「ココロか、タマシイか、そんな匂いがするな。旨そうだ」

「『HT』のことだろ?」

「何だ、ソレ?」

「機械に入れるココロだ。ボクが作った」

「それは作れるか?」

「無理だな、材料がない。そうだな、ここから遠く西の国にある帝国のロボットでも漁れ。少しはあるだろうよ」


 ドーケのぬいぐるみの口からよだれが垂れ、真っ赤な舌がそれを拭いとった。

 そして彼はくるりと回れ右を決めて、フラウの方を向いた。


「ほう。ところで、俺は何をすればいい。コイツを動かせばいいのか、それともコイツから新しい命を作ればいいのか」

「新しい命を作るとは、どういうことだ」

「ロボットではない、機械の生命体を作ることもできると言うことだ」


 フラウはニヤリと笑って、ココロを決めた。


「機械の生命体か、作ってみたい」

「よし、分かった」

 

 

 ドーケはトンと飛び上がって、空中に浮く。すると、ぬいぐるみの身体から黒い鳥のような羽根が伸びる。ぬいぐるみの手足が伸びて、人のそれになる。熊の顔は、鼻筋の通った人間のモノに近くなる。ただ手足は黒く毛むくじゃらで、顔は恐ろしく青いくらいに白かった。

 

 彼は呪文を唱える。

 

 

   「邪炎の悪魔・パイモンよ

    炎となって、燃やせ

    濁水の悪魔・アリトンよ

    水となって、流せ

    豪風の悪魔・オリエンスよ

    風となって、吹き飛ばせ

    荒地の悪魔・アマイモンよ

    地となって、枯らせ

    すべては零から始まる

    終わりなくして始まりなし

    燃やし

    流し

    吹き飛ばし

    枯らし

    終わった世界で芽吹くものよ

    今ここに生まれ給え

    生まれ

    ここに現れよ

    繭となりて、生まれよ

    黒い悪魔の繭で生まれよ

    悪魔がごとく

    悪魔がごとく」



 呪文を唱え終ると、ドーケはぬいぐるみに戻った。それと同時に、四角いクルスが、黒い繭に包まれる。繭は髪の毛のような繊維が一本一本絡み合っており、まるで黒い蚕の繭だ。


「さあ、あと三時間ほどで完成さ」

「すごいな、ドーケ」

「これで満足してくれるのかい?」

「分からないな、出来あがりをみてからだ」

 

 三時間、フラウは繭から離れることなく過ごした。彼のココロの中は期待と興奮でいっぱいだった。自分の発明が、命になる。それほど楽しいことはない。自分だけの力でないのは分かっているが、何だか自分の子どもができるような興奮だった。子どもができるなんて、まだ十六のフラウには想像もできない出来事なのだが、大きな興奮がそう思わせていた。ゲトはそれに付き添っていたが、ドーケは「やってられませんね」と言ってキッチンを漁っていた。

 

 

 ぴったり三時間、繭は割れた。

 フラウは出てくるのは、あの状態のまま出てくるものだと思っていた。しかし、出てきたのは人のようなモノであった。

 人の精巧な型に、鉄を流し込んで固めたモノ。と言えばいいだろうか。鉄の色をした人間が出てきたのだ。肌である部分は欠けることなく鉄色で、髪は真鍮色。目は銅色で、虹彩だけが燃えるように赤かった。


「おはようございます、『マスター』」

「おはよう……」

「おや、どうなさいました?」

「いや、クルスだよね?」

「そうですが、何か」

「ちょっと整理したい」


 フラウは混乱した頭をどうにかこうにか整理して、キッチンへと向かった。

 そして、熊のぬいぐるみを掴むと、大きく揺さぶり「どういうことだ!」と聞いた。声には怒気が籠っていた。理解不能な自体が、興奮も期待もどこかへと吹き飛ばしていた。ただ訳が分からない。

 彼は感情に任せて、ドーケを揺すぶった。ガクンガクンと揺れるドーケは喋ることができないということに気づくまで、数分ほどかかった。


「アレが機械生命体ですよ」

「ほとんど人じゃないか」

「いえ、中身は金属ですから。まあ、彼も命ですから、友達になったらいいんじゃないですか?」


 彼は「フフン」と笑った。

 フラウの気持ちが満足よりも、驚きでいっぱいだったのが気に食わなかったのだろう。皮肉交じりの言葉と、キッチンを精一杯散らかしてどこかへ行ってしまった。そういうわけで、この時はドーケに喰われることなく済んだのであった。

 

 

       * * *

 


 翌朝、起きてみればクルスとゲトが喧嘩していた。

 殴るとか、戦うとなるとクルスが圧倒的に有利である。人の形をして、関節も人間の物を持っているクルス。それに対して、機械用の関節と格闘用じゃないタイプのロボットであるゲト。勝つのは誰が見ても一目瞭然だ。


 クルスが圧倒的に勝っている所を、フラウは止めに入った。クルスは悪いことをしたのを母親に見つかった時のような顔になった。

 ゲトは言う。


「クルスは、私を馬鹿にしました。ロボットっていう物は可哀(かわい)そうだと。ロボットは下等だとも言いました」

「分かった。オマエは友達だ、分かっている」


 フラウはクルスに向き直って言う。


「どうしてそんなことを言ったんだ?」

「私はロボットではないからです」とクルス

「なに?」

「私は命です。ロボットではありません」

「違うぞ、クルス。彼にも命はある。『HT』が入っているんだから」

「『マスター』、私は『HT』を元に生まれましたが、『HT』そのものではありません。『HT』と魔力(まりょく)の子供です。命です。命ゆえに私は、彼と違(ちが)います。それはいけないのですか、彼とは違う特別な存在です。それは私の方が圧倒的に上です」

「クルス……」


 彼は何も言えなかった。



 

 クルスは傲慢だった。それは人間の大罪である。他人と同等ではないとか、自分は上に立つ人間であるとか、そういう感情は危険である。自分が特別であると思うのはいい。人間は皆同じように特別だ。それに上下を付けてはいけない。

 それは差別を作り、格差を作り、敵を作り、弱いものを作りだした。いつの時代も弱いものは虐められる。


 弱いからと守るのも同じ。所詮は下に見ている。同じようには見れないのは、人というものの弱さだ。だから、大罪なのだ。備わっている悪の部分だから。表に大っぴらに出していい個性ではないから。

 傲慢は言うまでもなく罪だ。

 フラウはドーケを呼んで言う。


「なんでクルスはあんなに傲慢なんだ。あれではゲトが可哀そうだろう」

「あれは私のせいではありませんよ。機械生命体ゆえの驕りでしょう」

「どういうことだ」

「『私は人と違う。』『私は人より優れている。』『私は人よりも素晴らしい力がある。』そんな力があれば、誰だって自分を過信してしまう。それと同じです」

「人は……」

「そんなことは無いって言いたいんですか? そんなことがあるんですよ、私が知っています。いつの世も自分が優れていると思い込む人間はいます。それを表に出すか、出さないかは自由ですしね」


 ドーケはクルリと回ってみせる。

 そして、言葉を続ける。


「しかし、人の力なんて高が知れてる。力は際限がある。私にしても、神にしてもね」

「だから、人は努力するんだ」

「ほう、だったらそう言えばいいじゃないですか、クルスに」

「それは教わったところで、どうにかなるものじゃない」

 

 フーンと言って、ぬいぐるみはトコトコとどこかに行ってしまった。

 

 

 人は驕る。

 人は威張る。

 人はそういう動物だ。

 

 でも、人はそれを知っている。自分の弱さを知っている。知っているから、それを隠すことを知っている。

 無知の知でなく、無力の知とでも言おうか。自らが弱いということを知っている。分かっている。それは人として基本のことだろう。それは教えられるものではない。それは備わっているものだと思うのだ。


 クルスとゲトの作った朝食を食べて、フラウは外に出た。ゲトも、クルスも付いてくると言ったが、クルスをそのまま外に出すわけにいかない。ゲトを連れ、服を買ってくる約束をして家を出ることになった。

 クルスは少しさびしそうだった。

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