第10話 束の間の対面
「魅月の処刑をお前が? 正気か?」
不満をちっとも隠そうとせずに眉間の皺をギリリと寄せた皇華は低い声で孫に問う。里の粛清を担う鳥として多くの同胞を処刑し、数々の大戦で特攻隊長を務めた雄の怒気は帝麗にとって痛みを感じるほどに刺々しい。
「親を殺す鳥なんざ聞いたこと無ぇよ。それこそ前代未聞だ。俺を怒らせるくらいに母親について聞きまくってたお前が、なんで殺してぇって結論に行き着くんだよ」
「うん。鸞の長い歴史の中でも親を殺した鳥というのは居ないはずだ。そうですよね、長老」
身を乗り出さんばかりに捲し立てる弟を手で宥めながら、華月は長老に意見と同意を求める。三人の様子を只静かに眺めていた長老は小さく頷く。
「確かに華月の言う通り前例の無いことだ。だが、“子が親を殺してはならぬ”という内容は掟の禁忌事項には含まれない筈だ」
長老の言葉に華月と皇華がはっとしたように目を見開く。二人は即座に里の掟──特に殺害に関する事柄──を頭の中で整理する。そして長老の発言に間違いがないことを認識した。
勿論、帝麗は掟の盲点を突いたつもりは無い。あくまでも純粋な願いを口にしただけだ。しかしそんな軽口を挟めるような空気ではなく、目の前で繰り広げられる高位の鳥のやりとりを静観するしかできなかった。
「子は親を敬うべし。この教えは誰もが幼い時に叩き込まれる基本姿勢だ。故に親殺しは禁忌だと誤った認識の掟が定着してしまったのだろう」
元服するまでは親が全ての面倒と責任を担う。少しでも自分の経験や恥を子に活かしてほしいと願い、弟子入りする前の段階でかなり過酷な訓練を施す。
そうしなければ親から離れた後の生活に耐えられないからだ。元服し実家を出れば、子の責任は親から師匠へと移る。親よりも確実に容赦のない鍛錬が待っている。
そして知るだろう。親もまた幼い時分に誰かに弟子入りし、血反吐を吐く過酷な鍛錬に耐えたからこそ今が在り、里に貢献するまでに至ったのだと。そう認識した時、子はさらに親を尊敬し、畏怖するようになる。
「誤った掟はいずれ修正するとしよう。今のところ実害も出ておらんし、余程のことがなければ子が親を殺すなど不可能だからな」
長生きする鳥に弱い鳥は居ない。子が親に勝つのはまず有り得ない事態だ。
長老が発言を終えたところで、華月は帝麗に尋ねる。
「お前が何故、母親を処刑するという答えを出したのか教えてくれるかい」
責めるような口調ではない。
ひどく穏やかで、優しい声だった。
「同胞を手にかける行為は人間や獣を殺すのとは訳が違う。手に残る感触はより深く。耳に残る断末魔はよりおぞましく。目に映る世界はより鮮明に……そんな負の財産を、お前はこの先数百年も背負い続けることとなる」
鳥が鳥を殺す機会は無いに等しい。
粛清担当の皇華は別格として、一般の鳥だと罪を犯した子を親が処分する時くらいだろう。例外として修業中の弟子を死なせてしまう師匠──最強の鳥と名高い泪聖──も居るが。
同族殺しの重さは三十そこらの若造が耐えられるものではない。ましてや相手は少なからず安否を懸念してきた母親なのだ。これから強い鳥になろうとする孫のためにも余計な経験は積ませたくないと華月は祖父らしく考えていた。
帝麗は告げられる言葉の中に華月の気遣いを見出す。だからこそ伝えなければならない。
「母の処刑をこの目に焼き付けなければ、私は疑心暗鬼を抱きながら生活することになりましょう。敬い慕うに値しない鳥にも関わらず、母は本当に死んだのか? 実は生きていて、利用されているのではないか? 惨めったらしく母を思う自分が生まれそうで怖いのです。耐えられないのです」
今となっては魅月はどうでもいい存在だ。経緯はどうあれ産んでくれたことには感謝するが、それ以外は何も感じない。勝手に描いていたイメージとは違い過ぎて嫌悪しか覚えないくらいだ。
しかし三十年も母の存在を追ってきた帝麗は、何もすることがない時はふと母のことを考えてしまう。最早幼少時からの癖に近い。
華月が地下牢で隠してきた数十年を、帝牙が日記で知った母の愚行を、危害を加えられた刃月への罪悪感を、そう易々とリセットできる筈がなかった。
「三十年の思いにけりをつけたい。理想とは余りにもかけ離れた哀れで愚かな母をこの手で殺し、親殺しの重さと教訓をこの身に刻み付けたいのです」
帝麗は魅月の血を十分に引き継いでいる。想像するのも嫌だが、いつ自分が恋に狂い同じ境遇に陥ってしまうとも限らない。誰かを好きになったことはないが、正常な判断能力が失われても可笑しくないほどの衝動なのだというのは母を見て十分に理解できた。
だからこの手で消す。母の最期をこの全身で覚え、母のようになってたまるかと自身の戒めとする。
私は忘れない。
母の過ちも、親殺しの罪も。
「……後悔は、しないだろうね」
「はい。この屋敷の門をくぐるまでに何度も自問自答しました。もう迷いはありません」
帝麗が言い終えると、皇華は頭を掻きながら呟く。
「んだよ、バッチリ覚悟決めてんじゃねぇか。まだまだ未熟なひよっこだと思ってたのによ」
「僕が思ってたよりも帝麗は成長してたんだねぇ。いやいや嬉しいよ」
にこにこと微笑む華月は満足そうな表情を浮かべる。心から孫の成長を喜ぶ祖父の姿がそこにあった。
皇華は長老を真っ直ぐ見据えるように体勢を整えると、礼儀正しい口調で進言した。
「長老。俺は帝麗が処刑することに賛成です」
「僕も賛成です。これだけの覚悟をたった数時間で決めた子ならば大丈夫でしょう。万が一壊れそうになった時は、華氏一族が全力をもって支えます」
皇華に続いて華月も同意を重ねる。
長老は同じように納得の微笑を浮かべながら頷いた。
「私も賛成だ」
「ありがとうございます!」
帝麗は深く頭を下げ、感謝の意を表した。
「しかしお前達、揃いも揃って良い孫に恵まれたものだな」
「俺の息子の出来が良いからでしょうね」
「皇華……お前、碌に子育て参加してなかった癖に、何故そうも自信満々に言えるんだい」
「別にいいじゃねーか。事実、帝一は真面目で優秀だろ」
「そう育てたのは柳だって言っているんだよ。帝一に散々嫌われてたの、忘れたのかい?」
「五月蠅ぇ」
「大体お前は」
「止せ止せ、此処で華氏の大喧嘩は許さんぞ。やるなら里の外でやれ」
長老の前になると、華月や皇華もまるで子供のようだ。長老が制止したところを見ると、どうやら華氏一族間の争いはそこそこ激しいものらしい。
父の若い頃はどんな様子だったのか、是非とも二人に伺いたいものだと帝麗は密かに思った。
* * *
十九時を過ぎた頃、魅月が産気づいた。そのまま分娩が始まり、経産婦だけあって短時間で子は産まれた。赤子の髪は明るい茶色、瞳は緑色であった。華氏一族の面影は欠片も無い。
子は父母どちらか強いほうの遺伝を受け継ぐ。衰弱し続ける魅月の肉体ではもう華氏の遺伝をこの世に残すことは叶わない。髪が紺色だったのは最初の数人で、その後は雄の特徴が目立つ子ばかり生まれるようになった。
しかし本人は赤子の髪が紺色に見えるようで、疲弊しながらも嬉しそうに微笑んでいる。
「ああ可愛い……泪聖様との御子が、また増えたわね……」
息も絶え絶えに涙を浮かべながら産声をあげる赤子を見やる魅月。
「父上、ご覧になってください。私と泪聖様の御子です」
傍で分娩に立ち会っていた華月に声をかける。華月は何も言わなかったが、魅月は気にするそぶりも見せない。
「泪聖様は何処? ああ、きっと寝所で私を待っていらっしゃるに違いないわ。私、もっと泪聖様の御子を産みたい。もっと泪聖様の御子を里に残さなきゃ。父上、傷を治していただけませんか? この身体じゃ泪聖様は心配して触ってくれそうにありませんもの」
子を産んですぐに交尾をしたがる娘に、華月はあからさまに眉を顰めて軽蔑の眼差しを向ける。返答せずに控えている弟子へ視線を流すと、意を察した弟子達は縄を手にして立ち上がった。横たわる魅月の手足を縄で縛り、四肢をぴんと延ばして寝台に括りつける。その様はまるで蝶の標本のようであった。
「あなた達何をするの? 父上? ……ああ、それともこれは泪聖様のご意志? 私をこんなふうに抱きたいと仰っていたの? 恥ずかしいけれど、泪聖様が望まれるなら我慢するわ」
抵抗する体力も無い魅月はこの状況を都合よく受け入れていた。
「お前にかかった幻術を解いてあげよう」
華月は魅月の頭に両手を添え、幻術を解くための呪文を呟く。幻術を深く学んだ鳥でなければ覚えることも理解もできない難しい呪文を、途切れることなく唱える。
十五分は唱えただろう時間が過ぎると、さっきまでは泪聖との交尾に胸を躍らせていた魅月の表情が、明らかに驚愕のものへと変貌した。
「父上っ!? これは……な、何をされているのです!?」
「こらこら、落ち着きなさい」
華月を見つめ、身を捩らせながら魅月は問いただす。
「お前は出産を終えたんだよ。左を見てごらん。お前が産んだ子だよ」
魅月は言われるがままに左を向く。
そこには泣き疲れて眠ってしまった、生まれたばかりの赤子が居た。その顔にはまだ分娩時の血液が付着している。
「これを、私が、産んだ?」
「そうだよ。私と弟子達が分娩に立ち会った。紛れもない事実だ」
「そんな馬鹿な! 私の子ならこんな子は産まれません! 泪聖様の髪は黒いのに」
泪聖と魅月の子なら間違いなく黒髪の子が産まれる筈だ。だが赤子の髪の毛は茶色の、それも人間ならば脱色しているように明るいものだった。遺伝的に有り得ない。
「そりゃそうさ。お前が産んだのは泪聖ではない、別の雄との子だもの」
父の言葉を聞いて、魅月は全身が凍り付いた。
「覚えてないかもしれないけれど……正式な番の座さえ奪われてしまったお前は、嫉妬する余り泪聖の子を身籠った刃月を斬りつけた。すぐ処刑しても良かったんだけど、僕はそんなことじゃ我慢できなかったからお灸を据えてやろうと思ってね」
目を細くしながらニタリと嗤う華月。
魅月は黙って見上げるしかできなかった。いつも穏やかだった父は居ない。恐怖しか感じず、身体ががたがたと震え出す。
「目に見える雄が全て泪聖に見えるように……そんな幻術をお前にかけた。ざっと三十年くらいかな。その間ずうっとお前は泪聖以外の男に脚を開き、交尾して、精液を注がれて、子を産んできたんだよ」
魅月の髪は絶望で染まり、涙が流れる。
「時々、交尾の仕方を教えるために元服前の若い鳥にお前達の寝所を覗かせたよ。お前の乱れる様はまるで盛りのついた雌犬のようだった。何せ尻を高くあげて、疲れ果てる雄にもっともっとと強請っていたからね。高貴な華氏の血はどこへ吹き飛んだやら」
「嫌っ! やめてください!」
瞼を閉じ、羞恥で顔を真っ赤にさせながらもう聞きたくないと頭を振る魅月に対し華月はさらに続ける。
「泪聖に見える雄との交尾は最高だっただろう? 正気に戻った今も覚えている筈だ。雄の男根に貫かれて、
「嫌ぁあああっ! 止めて止めて止めて!」
「お前は偽りの泪聖が望む、ありとあらゆる指示に従った。正常なお前なら絶対に許さないだろう行為にさえ喜んで従ってたというぞ。触られていない部分なんて無いんじゃないか?」
魅月は狂いながら全身を触られ、舐められ、雄の興奮材料として存分に活用されたのだ。
「よしよし可哀想に。でもお前は偉い鳥だよ。泪聖の子じゃないとはいえ二十人近い子を産んでくれたんだからね」
「二十人!?」
「これほど子を産んだ雌も居ないんじゃないか? お前も前代未聞の鳥になれたんだ。喜ばしいことだね! 唯一褒められるのはそこだけだよ!」
魅月はもう何も言えなかった。どんなに泣き叫ぼうと華月は語りを止めず追い打ちをかけてくる。どんなに娘が愚かで浅ましい雌だったかを如実に説明してくる。
「そろそろ頃合いかな。皆、お入りください」
華月がおもむろに後ろを振り向くと、木製の扉が重々しく開いた。長老、皇華が出てくるのを見て魅月は疑問の表情を浮かべたが、もう一人の姿を見て忌々しそうに顔を歪める。
「刃月!?」
入ってきた雌が紺色の髪を持っているというだけで刃月と決めつけ、魅月は口汚く罵った。
「この汚らわしい混血が! お前が泪聖様も父上も唆したのね! 卑怯者! 私をこんな目に遭わせて楽しい!?」
「よく見ろ魅月。この子は刃月ではないよ。お前が産んだ最初の子供で、双子の帝麗だ」
「私の子供? 泪聖様との間に作った子ですか」
「馬鹿も休み休みに言えや。華月の話聞いてなかったのか? お前は泪聖となんて一回も子作りしてねぇの。こいつは俺の息子の帝一と、お前との間に生まれた子供だよ」
皇華が面倒くさそうに言葉を挟む。
魅月は帝一の名を聞いて胡散臭そうに皇華を見上げた。
「華月も皇華も、無駄話はもういいだろう。さっさと処刑の執行を進めろ。魅月の汚らしい声と態度には我慢し難いものがある」
長老は華月と皇華がこれ以上話すことを制止した。皇華も逆らうことは許されない。「失礼いたしました」と返答し、大人しく後ろへ下がる。
長老は帝麗の背中に手を添え、魅月が縛り付けられた寝台へ向かうよう後押しした。
「お前の処刑は罪を犯した昔から決まっていたことだ。覆ることは無い」
長老の言葉に魅月は何も言い返せなかった。
里の頂点に立つ長老の意志は全ての鳥の意志である。罪を犯した鳥風情が抵抗したところで何も変わらない。
「通例は皇華が首を落とすが……今回は様々な事情を鑑みて、お前の娘である帝麗が処刑を行う」
「タイミングはお前に任せるよ。後は好きにしなさい」
長老と華月が執行を促す。帝麗は形式的に魅月に向かって一礼した。その手には処刑のためだけに造られた刀を握っており、幼いながらも処刑執行に対する気概が十分にあることを魅月は肌で感じた。
「初めまして。私の名は帝麗と申します。母様、このたびのご出産お疲れ様でございました」
「は……母なんて呼ばないでちょうだい。お前なんか……泪聖様の子じゃないなら、お前なんか要らないわ! 母とも呼ばれるのもおぞましい!」
「奇遇ですね。私も同感です。あなたなんて要らない。邪魔でしかありませんので」
親子で交わす初めての会話とは思えないほどの内容である。
「あなたは刃月様を心の底から憎んでいますが、私も兄も刃月様を慕い尊敬しております。華氏の権力と恵まれた才能を振りかざすことなく信念を貫く鳥。私はそんな鳥から生まれたかった」
実母に向ける視線と言葉ではないと分かりながらも、帝麗は平然と言葉を並べる。
「こんな母だと知らずに私は生まれてから三十年ずっと、あなたを気にかけてきました。こうして真実を知った今はそれが只々恥ずかしい。同じ轍を踏まないためにも……私はこの手であなたを処刑し、反面教師として心身に刻み付けることとします」
帝麗は両手で刀を握り、ゆっくりと振り上げる。確実に首の骨を一刀で断つにはかなりの力が必要だ。一瞬で力を一点に集中させなければならない。
すうとひと呼吸だけすると、帝麗は冷めた声色で告げた。
「さようなら」
刀は振り下ろされる。
感動の邂逅を迎えぬまま、寝台に縛られた命は儚く散った。
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