第9話 断ち切る覚悟

「魅月の分娩は十九時。その後の処刑には長老と皇華が立ち会う。最期を見届けたいなら明日の夕方頃にでも此処においで。家族らしい会話など成立しないだろうけど」


 そう言うと、今日はもう屋敷に下がりなさいと双子を促した。これ以上話すことは何も無いという意思表示だろう。そう感じた帝麗は大人しく指示に従うことにした。



  *  *  *



「明日の処刑、どうする?」


 当然のように帝麗の部屋に入った帝牙は、何の感情も込めていない声色で尋ねる。


「そんな簡単に答えは出せないわ。顔には出てないかもしれないけど、これでも驚いてるのよ」


 華月が明かした事実は、帝麗が長年知りたくて堪らなかった真実である。


 小さい頃から何度も何度も母の姿を思い描いてきた。そこに立つ母は華氏の一族に相応しい美しさと気高さを兼ね備えた雌だった。


 しかし、母はそんな鳥ではなかった。


 怠け者で嫉妬深く、恵まれた血筋も環境も無駄にしてきた哀れな鳥。勘違いに気付けない察しの悪さも伺える。いくらだって強さを手にできる機会はあったのに、馬鹿のように高い自尊心が邪魔をした。


 母は血の滲むような努力をして自ら落ちぶれていったのだ。余りの情けなさに恥ずかしくなってくる。


「兄様はどうしたい?」

「俺は母さんに興味ないからなぁ」


 帝牙の表情もそう物語っている。


 帝麗とは対照的に、帝牙は今も昔も母に興味が無い。親や親戚が十分に情を注いでくれているのに、どうして居もしない母親にそう拘れるんだ? と問われたこともある。


「そういえば、兄様のお師匠様って確か……刃月様よね」


 帝牙は刃月に弟子入りを志願した。弟子は師匠と生活をともにする慣習があるため、刃月だけでなくその伴侶である泪聖とも一緒に暮らすこととなる。


「気まずくない? 私達は刃月様を傷付けた雌の子供なのよ。泪聖様だって正直穏やかじゃないでしょうに」

「それは心配ない」

「どうしてそう言い切れるの」


 淡々と、しかし自信満々に見える態度に帝麗は少しだけ苛立つ。帝牙は妹をちらりと一瞥すると静かに答えた。


「俺は……華月様から聞くよりも前に、母さんが刃月様に対して何をやってきたのかを知ってる」

「はあ?」

「華月様の屋敷の外に保管庫があるだろう。十年前くらいに掃除を頼まれたことがあってな。棚の整理をしてる時に、刃月様の日記を見つけたんだ」


 この話しぶりだと中身を覗いてしまったのだろう。帝麗はじっと続きを待つ。


「時期は泪聖様に弟子入りした初めの頃。内容は修行の記録や反省ばかりだったけど、時々……母さんにやられた嫌がらせのことが書かれてた」


 帝牙が日記で目にした嫌がらせの内容は、今日聞いた話よりも具体的だった。読んだのが一冊だけだったとはいえ、眉を顰めたくなるような陰湿なやり口に激しい嫌悪を抱いたという。


「刃月様に乱暴を働いたのが原因で母さんは里から追放されたのかもしれない……と考えるようになった。申し訳ない気持ちでいっぱいになって、堪らなかった」


 帝牙が表情を崩すのは珍しい。物悲しそうな、酷く消沈している表情を浮かべている。


「思い違いも甚だしいかもしれないけど、せめてもの罪滅ぼしがしたいと思った。どうやったらいいか何度も悩んだよ。その結果、弟子入りするのが一番有効な手段だと思った」


 弟子は師匠に術を教えてもらうだけが全てではない。師匠の身の回りの世話をし、尽くし、快適に暮らしていただけるよう動く。そうして築く信頼関係は壊せぬ絆となる。


「刃月様に弟子入りして強さを学ぶとともに、刃月様が穏やかに過ごせるよう尽力する。あの方が命じるならこの命、絶っても構わない」

「兄様……」

「この覚悟を、刃月様と泪聖様にはお伝えしている。俺が敵討ちなんて考えていないことは既にご存知なんだ。だからお前が心配はすることはないよ」


 帝牙がこんなにも熱い情熱を持っていたことを帝麗は知らなかった。


 かなり昔に事実の一端を知りながらも、それを妹に明かさなかった帝牙。だが帝麗は「どうして教えてくれなかったの」と詰め寄ることはしなかった。


 何故なら、兄の想いが痛いほどに理解できるからだ。


 帝麗が母のことを話すたびに帝牙は母の愚行を思い出したことだろう。妹の期待を壊したくなかっただろうし、では証拠を見せろと言われたところで刃月の日記を目の前に提示することも難しい。華月が処分している可能性もある。


「お前が俺と同じ行動を取る必要は無い。帝麗が自分で選んだ師匠に弟子入りするべきだ」

「え、ええ。それは勿論」

「母さんの最期を見届けたいと思うなら……長年抱いてきた気持ちに決着をつけたいなら処刑に立ち会うべきだと思う。後悔しないためにも」

「兄様は……見ないのね」


 帝牙は頷く。


「母さんの醜い最期を目に焼き付けるつもりは無い」


 さっきの会話からも、帝牙の刃月に対する忠誠心の篤さが伺える。魅月の姿を見て怒りに震える兄の様子は想像に難くない。


「帝麗の悩みが明日で消えることを祈ってる」


 そう言うと帝牙は部屋から出て行った。帝麗はその後姿を見送る。


 目の前に居る帝牙は、本当に双子だろうかと疑問に思うくらいに兄らしい振る舞いと言動に満ちていた。いつもは自分のほうがぐいぐい引っ張る立場なのに、この数分間を先導していたのは帝牙である。


「私はどうしたいのかしら」


 母の処刑は止められない。


 止める気も無いけれど。


 処刑されて当然の罪を犯した。だから狂わされ、家畜同然の扱いを強いられている。


 母を知りたかった。三十年かけて培ってきた純粋な想いは、祖父によって語られた事実によって絶望で打ち砕かれた。


 悔しい。情けない。私が知りたかった母はこんな惨めな生き物ではない。


 理想像を押し付けるのはお門違いだと分かっている。だが誇り高い華氏の一族に生まれ、五羽貴に名を連ねる華月を父に持っていながら、どうしてこんな阿保鳥だと想像できようか。誰だって高貴な鳥を思い描くだろう。


「私は……何をするべきかしら」


 裏切られたと感じる私の頭の中は冷めていく。苛立ちも情けなさも海のように凪ぎ、思考が冴え渡るのが分かる。考えを巡らし、そして答えを導き出した。


 帝牙は驚くだろうか。


 祖父は怒るだろうか。


 でも、言うだけならタダだ。


 それだけの覚悟を持っていると親族と長老に示すのは悪いことではない。


 帝麗はそっと瞼を閉じる。


 より決意を固くするために。



  *  *  *



 指定されたとおり、帝麗は夕方になる頃を見計らって華月の屋敷へ足を運んだ。帝麗が来ることは大体予想できたのか、華月は快く孫を出迎える。


 応接間に入ると、和風のソファに腰掛ける長老と皇華の姿が在った。処刑に立ち会うとは聞いていたがこの時刻からだとは思わなかった。帝麗は慌てて一礼する。


「華月から経緯は聞いておる。そう緊張するな」

「長老が緊張するなと仰られてもそれは到底無理でございましょう。俺が赤子に敬語を話すなと言っているようなものです。まぁ赤子は話せませんが」


 重々しい長老とは裏腹に、礼儀正しい言葉遣いではありながらも抑えられない笑いを漏らしながら皇華はフォローした。決めた覚悟が揺らぎそうだったが、迷いをぐっと引き締めて帝麗は促されるがままに二人の向かいのソファに座る。


 華月の弟子が茶を持ってきた。年若といえど師匠の孫にあたる帝麗を軽んじることはしない。しっかりと頭を下げ、すっと上品に湯呑を差し出す。帝麗は礼を言って口を付けた。


 しばらくすると華月が応接室へやってきた。どうやら地下室の様子を見てきたらしい。


「魅月の様子はどうだ」

「狂っていても経産婦としての勘が働くのか、分娩に向けて集中しているようです。弟子も待機させております。何も問題はございません」


 華月は長老の問いに事務的に答えると、そのまま茶を飲む帝麗に会話を振った。


「思ったよりも冷静そうだね」

「華月様。そう見えるとすれば、私が覚悟を決めたからです」

「覚悟?」


 首を傾げて華月が尋ねる。


 実母の処刑を見届けるなら確かに覚悟は必要だろう。だが帝麗の覚悟はそれとはまた違うらしい。はて、どんな覚悟か……と興味深そうに口の端が上がった。


 帝麗は持っていた湯呑をテーブルに置き、居住まいを正す。放たれる気配は元服を迎えたばかりの若造のものではない。


「母の処刑を執行する権利を。その首を断ち切る権利をこの私、帝麗に譲っていただきたいのです」


 凛とした声が応接室を貫いた。

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