第8話 許されぬ罪
「さて。長々と話してきたけど、ここからが本題だ」
華月は居住まいを正し、正座して聞き入っている双子を真っ直ぐに見据えながら告げる。
「帝麗。お前が三十年間ずっと知りたかった真実をこれから話す。幹部に昇格した鳥にしか教えていない、我が一族の汚点だ」
帝麗も帝牙も、華月が放つ鋭い空気に寒気を覚えた。あからさまとまではいかずとも静かな怒りが如実に伝わってくる。
華月はこれまで何度も娘の過ちを幹部に語ってきた。そのたびに情けなさと怒りを反芻させてきたに違いない。癒えぬ傷は抉られ続け、塞がることがないほどに。
「泪聖と刃月が番になってから、魅月は本格的に壊れていった」
* * *
泪聖と刃月が番になったことを里の鳥達は盛大に喜び祝った。長老もまた、婚姻など一生無縁かもしれないと思っていた泪聖がついに番を娶ったと大いに喜んだ。
互いに初めての恋を実らせ、仲睦まじく暮らす二人に対し、魅月の落ちぶれようは酷い有様であった。
魅月は幼い頃に一目惚れした相手である泪聖を百年以上も想い続けてきた。他の雄には目もくれず、一生を捧げるのは泪聖以外居ないと心に決めていた。触れ合うことは叶わないだろうと嘆き、涙を流したのも数回どころの話ではない。だが偶然にも仮初めの伴侶を据えるという話を聞きつけ、恥を忍んで華月に土下座までしてその座を勝ち取った。
しかし、得たのは虚しさだけだった。
子作りの作業として幾度となく抱かれたが、只の一度も雌として見てもらえず、磨いた容姿が褒められることもなかった。それだけならまだ哀しいだけで済んだが、突如生まれた混血の妹・刃月にあっさり奪われてしまった事実は彼女のプライドをズタズタに引き裂いた。唯一の武器といえた美しさは鍛錬を怠ったために衰え、ただでさえ能力面で他の妹弟に劣っているのに容姿まで失うとは……と親族からも呆れられるほどであった。
魅月を慰める鳥は居なかった。父である華月は「子育てを失敗した」と失望し、他の姉妹は幼い妹を虐げたことが原因で軽蔑していたため、誰もが「自業自得だ」と言うばかり。
これ以上馬鹿な行いはできないようにと屋敷に閉じ込められ、華月から与えられる血や人肉を糧にして生き永らえる魅月にさらなる絶望が圧し掛かる。
刃月の懐妊である。
近年は高位の鳥ほど妊娠がしにくい。泪聖と刃月が番ってから三十五年ほど経過し、待ちに待った最強の番の子であった。
妊娠期間は人間よりも長く、出産まで一年から二年ほどかかる。雌は流産しないよう体調管理に留意し、雄は大切な番が傷付けられないように過敏に警戒する。
しかし、ほんの隙が悲劇を生む。
それは嫉妬に狂った魅月が刃月を斬りつけたことだった。
刃月とて油断していた訳ではない。だが子を孕む肉体は妊娠前よりも確実に弱っている。全神経が子を育てることに集中しているからだ。ほんの少しうたた寝をしていた時に襲われたために反応が遅れてしまったのである。
元々碌に鍛錬も積んでいないばかりか三十年以上も監禁されて体力が落ちていた魅月の攻撃は浅く、負傷の度合いとしては軽傷だ。
しかし、里の掟を破ったことに変わり無い。
一族繁栄を願う鳥にとって妊婦は宝だ。孕んだのが鳥だろうと人間だろうと、その胎の中に居るのが鳥の子であれば最優先で守らねばならない。故に子殺しと直結するような行為は里が最も禁じている犯罪であり、例え高位の鳥だろうと問答無用で処刑と相場が決まっていた。
この事件を聞きつけた華月はその整った顔を怒りで歪め、魅月の首根っこを掴んで床に叩きつけるだけでなくその顔を何度も殴りつけた。泪聖を振り向かせたいと無駄に磨きながらも華氏の血を継ぐとは言わせたくない程度に落ちぶれていった顔。腫れて血だらけになってさらに醜くなろうとも、魅月が止めてと泣いて乞うても殴る手を止めることはなかった。姉に同情はできないと見放した妹弟達でさえ慌てて父を引き止めるほどであった。
泪聖も怒りで手が出そうになったが、いつもは飄々としている華月が自分以上に殺意を剥き出しにして娘に拳をぶつける姿を見た瞬間、不思議と冷静を取り戻してしまう。それよりも負傷している刃月の傍に居てやらねばという気持ちが強まり、そのようにした。
刃月の怪我はすぐ治せるもので、胎の子にも大した影響がない。泪聖は刃月を連れて屋敷に帰り、魅月の処分は華月に委ねることとした。
里の掟を破った魅月は処刑しなければならない。華月は迷うことなく長老に申し立てて執行しようと考えたが、ふと疑問が浮かんだ。
魅月を処刑して終わらせる。そんな簡単なことでいいのか?
尊い宝を壊そうとした罰に相応しい残酷な刑が他にあるのではないか?
深い絶望を。死にたくなるほどの屈辱を味わわせるべきではないか?
最早そこには実子に対する哀れみなど存在しない。在るのは楽に殺すことなど許さない処刑執行人の姿である。長老もまた怒り狂う華月を見たのは初めてか、見たとしてもかなり昔のことで「魅月の沙汰は一族の長であるお前に任せよう」と明言した。
事件から三日後。華月は長老の屋敷に訪問し、五羽貴と併せて壱と弐の幹部に同席するよう頼んだ。全員が集まると早々に土下座する華月に、面々は戸惑いと同情の表情を浮かべる。子の責任は親にあるとはいうものの、今回の件に関しては百パーセントの割合で魅月が悪い。そう嗜める鳥に華月は言い放つ。
「僕は、里の宝を身籠っている刃月を傷付けた魅月が許せない。初めての子であろうと関係ない。そして、殺すだけで鎮まるほど僕の怒りは小さくない」
温厚である華月の眉間には深い皺が寄っている。なるほど今も心の底では憎悪の炎を燃やしているのが手に取るように分かる。
「だから、魅月には雌として最大級の屈辱を味わわせようと思う」
「内容を聞いてもいいか」
泪聖は横に座る刃月の肩を抱きながら尋ねる。
「まず、これから魅月に強力な幻術をかける。その幻術は“全ての雄が泪聖に見える”という代物だ」
「俺に?」
術の意図が分からない泪聖は眉を顰める。華月はにたりと嗤いながら続けた。
「魅月は泪聖のことが大好きだからねぇ。だから、視界に入る雄が全て泪聖に見えるようにしてあげるんだよ。そして他の雄に抱かせて、泪聖ではない雄の子を産ませるんだ」
泪聖に抱かれたと幸せな錯覚をしながら他の雄に犯され、泪聖ではない雄の子を産まされる。交配と出産を繰り返すだろうその生活は家畜と同じ扱いだ。部屋が汚物で汚れないだけ家畜よりはましだろうが。
「二十人くらい子供を産んだら解放しようか。犯されている最中か出産の後にでも幻術を解いてやろう。お前は誰とも知らない雄達に犯されて何十人も子を産んだんだよって教えてやるんだ。あれだけ片想いを拗らせていた魅月のことだから絶望して泣き叫ぶよ。あはは、どんな表情を浮かべるか楽しみだねぇ!」
華月の表情は期待に満ちて、瞳は欄欄と輝いていた。
実子を陥れることに躊躇が無い。温情をかけてやる余地は無いと判断し、妖として人間には思いつかない悪戯を──それもかなり度が過ぎたものを──仕掛ける。
「魅月を殺すのはだいぶ先になるかもしれない。いや、華氏の一族にしてはかなり弱くなってしまったから、意外と早く妊娠しちゃうかな。いずれにせよ子を産む機械として扱き使ってやろう」
皆の前で話すことで頭が冴えて内容が洗練されていくのか、華月はぶつぶつと呟きながら整理させていく。そして数分後、長老に向かって頭を下げながら口を開いた。
「長老。僕の第一子に対する処罰は今申しあげたとおりです。鳥の一族繁栄に貢献するため、魅月を子作りの道具として提供いたします。幻術をかけた魅月は僕の屋敷の地下牢に投獄し、番を持たない雄が訪問して子作りする場として提供。一定数の子供を産ませてから幻術を解き、真実を明らかにしてから僕か皇華の手で処刑することとします。この刑罰の執行をお許しいただけますでしょうか」
華月の提案は妖として非常に好ましい内容である。人間が聞けば間違いなく残酷だの女を馬鹿にしているだのと罵詈雑言が飛ぶだろう。
だがこれが鳥の価値観であり、里の掟を破った鳥にはどんな理由が在ろうと容赦しないという基本的姿勢なのだ。何もかも許していれば秩序の無い里となり、より一層悪質な犯罪を犯す鳥も出てくる。そんな優しさは少なくとも妖には必要無いのだ。
周りに悪影響を及ぼす諸悪の根源は断ち切らねばならない。そんなゴミでも利用価値があるなら、その部分だけ使ってから捨てても良いだろう。
魅月はこれから里のためだけに生かされる。幸せな夢を見ながらその身も心も汚され、蹂躙し尽くされる時を過ごす。術が解けて現実を目の当たりにした後は大きな絶望を味わうだろう。そしていつも盾となってくれていた父の手によってこの世から消されるのだ。
「いいだろう。長老の私が許す。刃月を傷付けたその悪行の報いを存分に味わわせてやれ。子供が増えれば里としても都合が良い」
「ありがとうございます」
「今後の魅月の扱いはどうする。此処に居ない鳥にも魅月の愚行は広まっている。処刑されていないと知れば、多少なりとも騒ぐかもしれんぞ」
「表向きは私が魅月を処刑したことにしてください。そして長老や五羽貴が選んだ交配相手だけに真実を打ち明け、この件についても今後は幹部に昇格した鳥のみに伝えることとします。一族の長として、先祖の栄光を過度に汚すことはしたくない。どうかご理解いただきたい」
華氏の一族は里に利益をもたらした貢献者が多い。華氏が存在しなければ成し得なかった偉業もある。だからこそ魅月の存在は邪魔であり恥部だ。その事情がよく分かる鳥達は華月の願いを快く受け入れた。
「刑罰も決まったところで早速だが、魅月には最初誰を宛がう? 良さそうな雄は居るか?」
長老が幹部達に訊くと、皇華がすっと手を挙げる。
「魅月とは従弟になりますが、俺の第一子である帝一を推薦させていただきたい」
いつもは粗暴な口調だが、さすがに発言する相手が長老とあれば話は別。酷く礼儀正しい言葉遣いで提案した。
ちなみに帝一は壱の幹部であり、今もこの場に居合わせている。父の皇華が発した言葉に驚きを隠せずにいた。
「帝一か。最初の相手としては良いんじゃないか。一族同士の子も見てみたい。華月よ、どう思う」
「従弟同士で番うことの少ない鳥ですので、実験という意味でも最適かと思います。懐妊するまでどれくらいの期間を要するかも気になりますし……だが帝一、あの魅月を抱けそうか? 昔の美貌はもう無いも同然だが」
従弟となれば付き合いも多い。友とまではいかずともそれなりに親交を深めてきた相手だ。
とはいえ大罪を犯し、自慢の美しさを失くした雌が子作りできる相手か──固く勃起し射精するまで興奮を保てるか──というのは重要な問題である。
「父に早く子を作れとせがまれていたこともありますし、今は決まった相手も居りません。華氏の血を引く子が増えれば里のためにもなりましょう。華月様の御許しを頂けるならば、私は異存ございません」
帝一の返答に長老と皇華は満足そうに頷き、気品溢れる帝一の姿に周りの幹部達もさすがは華氏の血を引く雄だと納得した。
魅月の最初の相手は帝一と決まったところで解散とし、華月は屋敷に帰宅するや否や地下牢へ直行した。俯いて力なく床に座り込む魅月の両頬に手を添えて呪文を唱え、少しずつ幻術の世界へと誘う。
「お前は泪聖に抱かれたくて仕方がない」
「お前は泪聖の子を産みたくて仕方がない」
「お前は恋に狂う余り、目に映る全ての雄が泪聖に見えるようになる」
「目の前に居る雄を泪聖だと思って真剣に愛しなさい。どんな行為も受け入れ、愛されるよう努力しなさい」
呪文の合間に挟まれる命令は確実に魅月を暗示にかける。数日かけて術をかければ強固な幻術の完成だ。時の経過は解決せず、華月だけがその術を解くことができる。
魅月は発情する雌と成り果てる。部屋に入ってくる雄を泪聖だと認識して歓迎するだろう。熟れた身体を晒し、脚を開いて雄を迎え入れるだろう。
泪聖に愛されたかった魅月は死ぬまでの間、泪聖ではない雄の寵愛を受け続ける。泪聖しか知らなかったその身体に他の雄が侵入し、快楽を教え込まれ、その胎に多くの子種が注がれていく。
偽りの純愛の果てに生まれる鳥は何人か。その答えを手にするには数十年の時が必要だ。
* * *
「そして生まれたのがお前達だ。帝一と魅月が結ばれてから一年も経たずに懐妊した。余程相性が良かったんだろうね。しばらく続けさせたら二人も生まれたから長老も大層お喜びだったよ」
帝一は華月に負けず子沢山の鳥になりつつある。双子の後に弟の
「ああ、帝響と帝貴にはこのことを話してはいけないよ? これは元服の儀を迎えたお前達への褒美だ。幼い鳥に聞かせるような物語ではない」
「無論心得ております」
こんな真実を聞かされては帝麗といえど弟妹に説明するのは恥ずかしい。
どんな母親か知りたかったが、まさか里の禁忌を犯す大罪人だったとは。雌として屈辱的な行為を強いられていると知って尚同情する気が微塵も起きない。自業自得としか言えない哀れな母を私は何度も慕ってきたのかと帝麗は自分が情けなく思えた。
「そう嘆くことはないよ帝麗。子は親を選べないし、お前は魅月とは違う。お前が魅月の血を引いているのは事実だが、同じ愚行を犯すとは思っていない。だから自分を卑下してはいけない。少なくともお前達の父は立派な雄なのだから」
華月の温かい言葉に帝麗は沈んだ顔をしながらも頷く。隣を見やれば帝牙も浮かない顔をしていて、母親の失態を蔑んでいるようだった。
「それと……お前達に話さなければならないことがある。魅月は今も生きていて、明日に出産を控えているんだけど」
帝麗と帝牙はさっと顔を上げ、続きを待つ。
「僕と長老は明日生まれる子を最後にすると決めた。出産を終えたら、その場で処刑しようと思っている」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます