第6話 前代未聞の麒麟児


 妖が生まれながらに持つ邪悪な気を“妖力”と呼ぶ。


 妖力は使った分だけ減っていくエネルギーだ。尽きればいずれは死ぬ。そのため鳥は妖力を増やすことを常に意識して生活をする。鍛錬を積み、人を喰い、他の妖を殺して妖力を吸い取る等の行為を繰り返し、生命線といえる妖力を増やし蓄えるのだ。


 妖力に反して、清らかな気のことを“神力”と呼ぶ。神を祀る家系や神職に携わる者、人柱となる運命を持った人間に与えられる。


 神力を善とするなら妖力は悪。故に妖は神力を持つことは不可能だと言われている。しかし、この常識を覆したのが一人の鳥の存在だった。


 純血といえる華氏の血筋に生まれた華月と、盲目の巫女として神社に仕えていた刃霧の、たった一人の子供。


 刃月である。


 神力と妖力を併せ持った前代未聞の鳥として刃月の誕生は里でも大いに祝われ、長いこと騒がれた。


 まず、長老の関心が全て刃月に向いた。体調が良ければ華月に赤子を連れてこいと命じる。刃月の相手をしてやるのが楽しいのか、柔らかで新しい命を微笑ましく思うのか、まるで自分の孫であるかのように愛でていた。


 朧月、狂月、蒼月も同様で、歳が離れた幼い妹を大層可愛がった。そして、無邪気に床を這う赤子を見て誰もが華月の子の中で一番才能が豊かだと判断していた。


 華月は亡き妻の忘れ形見である刃月に対してはより深い愛を注ぎ、慎重に指導を施していた。元服するまでは鳥としての基礎を教えるのは親の役目である。前代未聞の素養を持つ娘を育てるのは簡単ではなく、華月は長老や五羽貴の面々に相談することも多くなった。


 その過程で、時々ではあるが泪聖は刃月の鍛錬を見てやっていた。泪聖は弟子に厳しい鍛錬を施す鳥として有名なので師事先としての人気は低いものの、元々は育て好きな気質がある。未熟な鳥が少しずつ育っていく姿を見るのが楽しいのだ。期待し過ぎて壊してしまう回数が増えたのは反省しかないが。


 泪聖は、真剣に鍛錬と向き合う刃月を好ましく思った。傷を負おうと血が噴き出ようと戦意を失わない姿。一矢報いようと最後まで諦めずに策を練る粘り強さ。何度地に伏しても挫けず立ち向かってくる負けん気の強さ。血気盛んな雄ともいえるような熱意に、泪聖は久しぶりに手応えを覚えた。


 長老も、五羽貴も、幹部も。強い鳥達は刃月の誕生を心から喜び歓迎した。里の安泰を祝うには早過ぎかもしれない。しかし一族の数が伸び悩む昨今、どんな成長を遂げるか未知数なほどに有能な子が産まれたのだ。興奮するなというほうが無理な話だろう。


 しかし、その一方で刃月のことを親の仇のように激しく憎む者も居た。


 人間と鳥の間に生まれた子供を「混血児だ」と罵り、自分よりも才能があることを逆恨みする愚か者。その筆頭が魅月であった。


 刃月が産まれてからは急いで泪聖の子を作る必要性は無いと思い立ったのか、長老も華月も催促することを辞めた。もしかしたら諦めたのかもしれない。しかし明確な取り止めが宣告されない以上、追い出す訳にもいかない。嫌々ではあるものの泪聖は魅月の滞在を許した。


 刃月が産まれてから三十年間、泪聖は一度として魅月を抱かなかった。子を産みたい魅月は幾度となく泪聖を誘ったが、かの想い人はちっとも関心を示さず欲情もしない。触れようとすれば不快感を露わにされ、その瞳は軽蔑に染まりきっていた。


 それでも魅月は己の容姿を磨き続けた。いつか必ず振り向いてもらえる。刃月への情だってそのうち消えるだろう。そして妖艶な私を抱いて、孕ませてくれるだろう。そう願ってやまなかった。誤った方向に突き進むことは鳥としての強さを著しく失い、磨いたつもりの美貌が逆に衰える行為だとも露知らず。



  *  *  *



「魅月は、刃月に関しては陰湿だった」


 華月や他の妹弟が出払っている時間。もしくは不在の間を縫って実家に帰ってきた魅月は、自室で勉強している刃月を中傷した。


「お前は華氏の血を汚す混血児」

「お前からは人間の臭い匂いがする」

「お前も両目を潰してみたら? そうすれば母親みたいになれるかもしれないわよ」

「潰したくなったらいつでも言って。私が抉り取ってあげるから」


 憎悪全てを幼い妹に向ける魅月。言葉だけの中傷はそのうち軽い暴力にまで発展する。その悪意を目にした他の妹弟達は姉を諫めたが効果は無く、次第に魅月から刃月を守ろうと動き始めた。


 華月とて大人しく傍観していた訳ではない。事情を聞き、状況を冷静に見つめ、淡々と今後の方針について考えを巡らせていた。


 華月にとって子は等しく皆可愛く、愛おしい。しかし魅月の、刃月に対する扱いの酷さは度を超えている。手離したくなかった亡き妻を愚弄され、麒麟児の刃月を愚弄することは華月にとっても許し難い愚行だった。


「私達の母様は最低の鳥だったのですね」


 帝麗は華月を気遣うことすら考えず、思い浮かんだ言葉をそのまま口にした。あまりの愚かさに溜め息しか出ない。何故こんな聡明な祖父からそんな阿呆の子が産まれるんだろうと心底不思議に思う。


「人里では馬鹿な子ほど可愛いという言葉があるようだけど、そんなことは無いね。馬鹿な子は馬鹿。それだけさ」


 華月は忌々しそうに口元を歪める。


「だが刃月はめげなかったよ。勉学に励み鍛錬を積み、元服の儀を迎える頃には幹部候補に推してもいいくらいの強さを手に入れた」


 幹部候補は、本来なら六十歳以上の鳥が対象となる。その半分しか歳を取っていない鳥がそのように称賛されることは稀だ。


「刃月は元服後、泪聖に師事したいと申し出た」



  *  *  *



「泪聖。刃月が元服したら、君の弟子にしてやってくれないか」


 華月の言葉を聞き、泪聖は少しだけ驚きの表情を見せる。


「お前が教育しなくていいのか。あれだけの逸材だ。お前だって育てたい気持ちはあるだろう」

「勿論さ。でも親である僕が鍛えれば知らず知らずのうちに手加減してしまうかもしれない。あの子が弱くなってしまう可能性は無くしておきたいんだ」

「俺でいいのか。俺が潰した鳥の数は把握してるだろう」

「刃月なら大丈夫。あの子の根性は本物だよ。君の稽古にだって耐えてるんだ。いずれはもっと対等に戦えるようになるはずだよ。まぁ五十年くらいは要るかもしれないけど」


 その言葉に泪聖は納得しかない。


 可能性が無限に広がっている刃月を、今よりももっと強く育てる。泪聖は修行のメニューを考え始めながら微笑を浮かべた。


「分かった。刃月は俺の弟子として面倒を見よう」

「ありがとう」

「それと。頼むから魅月をそっちの屋敷に引き取ってくれないか。ろくに働かないくせに俺の弟子を召使いのように扱うのも気に入らんが、番のように振舞うのも腹が立つ。邪魔で堪らん。お前の許可があれば即座に殺しているぞ」


 苦虫を潰したような顔で不満を爆発させる泪聖。華月もまた疲れた笑みを浮かべながら答えた。


「ああ。刃月が君の屋敷に入る日と合わせて引き取るよ。君には本当に申し訳ないことを頼んでしまった。これはせめてものお詫びだ。受け取ってくれるかい」


 華月は手元に置いていた木箱を手に取り、蓋を開けて中身を見せる。そこには海のように澄んだ青い玉と翡翠で作られた首飾りがあった。


「長老の師匠……先代の長老が念を込めたっていう首飾り。だいぶ前に頂いたんだけど、幻術使いの僕とは相性が少し悪くてね。先代も武闘派だから、君のほうが巧く使えると思う。貰ってくれるかい」

「こんな宝を……迷惑料にしては高価過ぎないか」

「仮初めの番というには余りにも酷いのを何十年も預けてしまったからね。貴重な君の子種も無駄にした償いもある」


 もっと相性の良い番を見つけられれば。その子種が、孕むに相応しい雌の胎の中で芽生えたならどんなに良かったことか。


 八十年の償いには足りない。


「お前がそう言うなら有り難く頂いておこう」

「ありがとう」

「礼を言うのはこちらだ。それに、これからはお前の最愛の宝といえる刃月を預かるんだ。これ以上の品はあるまい」


 首飾りよりももっと価値があるかもしれない、未来を生きる若い鳥。邪悪な力と清浄な力をその身に有する里の麒麟児。


 泪聖にとってもその弟子は宝となるだろう。


 刃月が元服の儀を終えて泪聖の屋敷に向かう。玄関に入ろうとする前に、中から雌が出てきた。荷物をまとめ、これから実家に帰ろうとする魅月である。


 礼節を弁える刃月は、擦れ違う魅月に対して一礼をする。しかし魅月はそれを一瞥することなく前を向いて歩いていった。


 その様子を泪聖は眺めていたが、すぐに邪魔者に対する意識を断ち切った。存在しないものに向けるものなど無い。


「刃月。今日から俺の屋敷がお前の家であり、少なくともお前が番を作るまでは長い時を生きる場所となる。何かあれば俺でも兄弟子でもいいから相談しろ。いいな」

「はい。泪聖様、今後ともご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申しあげます」

「そこまで堅くならなくていい。もう少し気を楽にしろ。身が持たんぞ」

「はい」


 泪聖が刃月を屋敷に招き入れ、戸がピシャリと閉まる。


 そこから二人の長い生活が始まる。


 二人、の。

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