第5話 仮初めの生活
魅月が華月に弟子入りして四十五年が経った。この間に魅月の妹弟──朧月、狂月、蒼月──が産まれ、元服の儀も終えている。
四十五年。
病弱か運の悪い人間ならば死んでも可笑しくないほどの年数。そして、鳥にとっても時の経過を感じる程度には長い時間だ。
この頃、華月は一つの悩みを抱えるようになる。
それは、五羽貴の頂点に立つ泪聖が番を作る様子を一切見せないことだった。
四十五年の間に里では新たな番が誕生し、全盛期ほどではないがそれなりの数の子供が産まれた。さらに言えば、泪聖を除く五羽貴全員に子が産まれている。
「泪聖、君はいつ番を作るんだい」
「時期が来れば、いずれは」
「君はその時期を見極められるの? 誰にも心を移したことのない君が、雌に優しく手を差し伸べられるのかい」
「……今は時期ではない」
華月が促しても、泪聖は首を縦に振らない。
かろうじてというレベルは否めないが、番も作り子供を産ませる気はあるのだろう。だが行動に結びつかない。これにはさすがの長老も黙ってはいなかった。
「こうなったら正式な番は決めなくてもいい。適当な雌を見繕って泪聖に宛がわせろ。里に必要なのは子だ。最強の鳥の子は何としてでも残さねば」
長老はその名の通り、里で最も年長な鳥だ。強い故に長い寿命を手にし、若い鳥を導いている。
まだまだ死ぬような年齢ではないと言いながらも、いつ果てるか分からぬ命であることには変わらない。長老という立場からしても若い雛の誕生を一人でも多く見届けたい。子の親が五羽貴ならば。ましてや泪聖の子となれば、何が何でも己の眼に焼き付けておきたかった。
長老の命令とあらば泪聖もさすがに無視はできない。とはいえ適当な雌と言われてもすぐ候補を挙げることは難しかった。華月は小さく唸りつつも仮初めの番候補の名をいくつか紙に書き留めていく。若過ぎず、弱過ぎず、健康体で、長老も頷いてくれるような雌の名を考えるのは非常に厄介だった。
しかし数日後、深刻そうな魅月が「大切な話がある」と相談の時間を作るよう持ちかけられた。面倒だなと思いながらも、気分転換になるかと部屋に招き入れる。
娘の言葉を聞いて、華月は目を見開いた。
「父上。私をどうか、泪聖様の御子を産む雌の候補に推薦していただけませんか」
華月は呆れた眼差しを誤魔化そうとせずに魅月を眺める。どこでそんな話を聞きつけたのか。それとも偶然の産物なのか。
「お前が望むような番にはなれないと思うよ。泪聖が望んでお前を迎えるんじゃない。長老命令で強引に、好きでもない雌と子作りさせられるんだ。お前は幸せだろうけど、相手が泪聖とはいえ良識ある雌ならプライドをずたずたにされるレベルの話だ」
心の底から嫌悪の表情を浮かべて魅月を屋敷に入れる泪聖の顔がありありと想像できる。間違いなく泪聖は不服に思うだろう。華月がこの件の発案者なら門前払いもできただろうが、長老とあらば逆らうことは許されない。
長老の命令は里の掟と同等の価値を持つ。
これはどんな鳥も幼少から叩き込まれる教訓だ。従えない鳥はどの時代でも大抵早死にしている。
「妊娠する兆しが無ければ別の雌が宛がわれることも充分有り得る。場合によっては番を解消されるかも。それに、運良く子ができたとしてもお前を愛してくれるかは分からない」
鳥の中には番に対して恋愛感情は無く、身体の相性が良いからと関係を続けた結果、子供が産まれたという鳥も多い。
「魅月。お前自身が報われない可能性が十分に有ることを理解し、それでも泪聖の傍で生活したいと言うなら長老に提案してやろう。泪聖の子が僕の孫というのも悪くないしね」
泪聖が特別な血筋という訳ではない。
しかし最強の力を誇る鳥の血と、最高の美を誇る血が合わさったならどんな子孫が誕生するだろう。その結果は華月にとっても喉から手が出るほどに知りたいことだ。
「このままでは何をしても私は泪聖様の番にはなれないでしょう。今すぐ愛されたいとは願いません。泪聖様の子供を作り、産むに正当な立場が欲しいのです。たとえ短い期間でも、愛されるのは身体だけでも構いません。華氏の血を引く雌として最低限の役目を果たしたいのです」
長所を今も伸ばしつつある妹弟たち。長女でありながら少しずつ差が開いていく戦闘力、その他の力。歯痒く思いながらもその差を埋めることは叶わない。追いつくには何もかもが遅過ぎる。
強さで里に貢献できないなら、雌として子を産んで貢献したいと魅月は言っているのだ。
「いいだろう。そこまで言うなら華氏の雌としての意地を見せるといい。明日にでも長老に進言するから、お前は荷物の準備でもしておきなさい」
華月の提案を、長老は快く認めることだろう。
魅月は嬉しそうに微笑んだが、それを戒めるようにきつく言う。
「泪聖の屋敷に行っても鍛錬は怠るなよ」
魅月が泪聖の屋敷に身を寄せれば、師匠かつ父である華月といえど何度も泪聖宅に邪魔することはできない。
今回は長老が決めた特例の出来事。「親が居たら子作りできないだろう」と来訪を禁止されることも考えられる。
「泪聖はそもそも弱い鳥を好まないんだ。ただでさえお前は雌として好かれてないのに、さらに弱いとなったら相手にもされないよ。抱く気すら失せるかもしれない」
人間が鳥だと認識する生物は元来性器を持たない。動物の鳥の交尾は総排泄口を擦り合わせて行う。
鸞は鳥の妖だが、その外見に相応しく交尾は人間と同じ方法で行う。雌の膣を愛撫して濡らし、慣れたところで雄が勃起させた陰茎を挿入する。何度か抽送を繰り返して精子を注ぐ。
「頼むから、泪聖を萎えさせるようなことはしないでくれよ。華氏の末裔がそんな愚行をしようものなら僕は恥ずかしくて堪らなくなる」
「父上。私は生娘ではありません」
「泪聖の前じゃ生娘も同然だろうが」
鳥は人間を喰らう際、大体が標的となる人間と性行為をしている。人間が性行為を許すほどの信頼関係を作るか、美貌や手練手管や幻術で相手をとにかく油断させる。
鳥は狩りの特徴上、基本的に性技も卓越している。褥の指導する鳥も存在する。多くを語らないが、華月はもちろん泪聖も性行為に関してかなりの手練れだ。
相手を惑わせ、快楽で堕とし、ゆっくりと叫び声を上げられない術をその喉に施していく。喘ぎ声が小さくなっていくのは感じているからだと人間が錯覚する中、鳥は虎視眈々とその瞬間を待ち侘びている。そして人間が絶頂を迎えている最中に鋭い歯と爪を肌に突き立てるのだ。
勢いよく吹き出る血飛沫を喜々として浴びて飲む。皮膚を食い千切り、その下に隠されている血肉と内臓を喰らっていく。
人間は絶叫しても声が他者に届くことは無い。命が尽きるまで絶望、激痛、恐怖を全身で味わいながら、さっきまで愛し合っていたはずの相手に喰い散らかされる。後には骨と、不味くて喰えない臓物の一部が転がるだけだ。
中には珍しく標的を気に入り、痛みを感じさせるのは気の毒だからと催眠術をかけて喰う鳥も居る。食事である人間に情けをかける鳥は非常に少ない。
「僕も早く孫の顔が見たい。泪聖にも励むように言っておくから、早く子が産まれるよう頑張っておくれ」
次の日、華月は長老に進言する。
その次の日、魅月は泪聖の屋敷に向かう。
この日から魅月は仮初めの番として甲斐甲斐しく泪聖に尽くした。しかし十年、二十年、三十年……と経過しても魅月は泪聖の子を孕まない。
長老の命令通り、泪聖は子作りを名目に魅月を抱いた。それは本当に子を作るためだけの機械的な作業。余計な感情は一切介入しない。息も絶え絶えに乱れる魅月に対し、泪聖は息を荒げることもなく終始淡々とまぐわっていたという。
余りにも妊娠する兆しが無いので、仮初めの番として魅月を据え置きつつも、泪聖を他の雌の屋敷に訪問させ子作りを……という案も後に採用された。結果は変わらず仕舞いだったが。
他の雌を抱いた手で触れられるのは嫌だと思いながらも、魅月は屋敷に帰ってくる泪聖を出迎えることが幸せだった。
興味がないように冷めた眼差しを向けられながらも、身体を繋げる夜の時間はとても愛おしかった。
たとえ優しく名を呼んでくれなくても。
たとえ泪聖の弟子から疎まれようとも。
手を握ったり、抱き締めてくれなくても。
長老公認である「泪聖の番」という座に居られることが最大の喜びだった。
父から再三言われていた鍛錬の量は年を追うごとに減っていく。魅月は空いた時間の殆どを己の髪、顔、身体、着物を手入れすることに費やした。美しさを磨くことで泪聖の気を引こうと考えたのだ。
努力する方向が明らかに間違っているのに当の魅月は全く気付けない。
その過ちは泪聖の嫌悪感をさらに掻き立てる行為だと。それだけでなく鸞の寿命を縮める行為だと、まともな頭で考えれば理解できるはずなのに。
仮初めの番は互いの溝を深めながら生活をともにした。魅月の腹の中では実を結ばずに多くの種が消えた。
* * *
「こんな生活、とっとと壊れてしまえばいいと泪聖はよく嘆いていたよ。あの泪聖が弱音を吐くなんて、あの時は信じられなかったけど」
どれだけ苦痛だったろう。
好きでもない、むしろ嫌悪しかない雌と子作りしなければならない義務を負わされた泪聖の気持ちになれば、雄ならば誰だって惨めになる。
同じ雄として味わいたくない状況なのか、帝牙の顔はどこかげっそりと疲弊していた。血が足りないようにも見えるほどに顔が青白い。
「でも、そんな日常を壊してくれる存在が誕生した」
華月の微笑みに、帝麗と帝牙は少しだけ安堵を覚えた。どうもこの話をしている時の華月は暗い表情ばかりなので、心配してしまうのだ。
「その頃、僕はとある神社で出会った巫女と恋仲になっててね。里に攫って二年くらい経った頃に、彼女との子が産まれたんだ」
子供の名は帝麗も帝牙も既に知っている。華氏の一族に連ねる鳥は、名も功績も学ぶからだ。
「子の名前は刃月」
華月は大きな喜びをたたえながら告げた。
「刃月は妖力と神力を併せ持って生まれた、前代未聞の鳥だった」
そして、魅月が最も嫌い蔑んだ鳥である。
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