第2話 消えた紳士の謎
「受理できません」
「そこをなんとかお願いするっす」
「こんな領収書が受理できると本当に思っているのですか」
「できると思ってるっす」
「無理です」
鬼の経理、エンマ様に言い切られ狼狽えるタマイくん。
探偵として先輩なのに威厳はカケラもない。
「お願いしますよぉ。自腹は困るんす」
「困ると言われてもホテル代は経費では落ちません」
「調査対象者が若い女性と入っていくのを見かけたんで尾行しました。
経費ですよぉ」
ひざまづいて懇願する先輩の姿。
「対象者が出てくるのを外で待つのが調査です」
「そんなのスリルがないじゃないっすか」
「同行された方はどなたですか」
「ホテルの前でナンパした可愛い子っす」
「ナンパ…」
「ハルカちゃんって言うんすけど。部屋でおしゃべりして帰しました」
「そんなもの経費になる訳ないでしょう」
目の前でシュレッダーにかけられる領収証。
成人男性タマイの泣き叫ぶ声が事務所内にこだまする。
「いつも同じようなやりとりをしていて飽きないのかね」
サングラスがずれそうな勢いでアフロを揺らしながら笑う所長のウキタ。
「自業自得だナ」
頷きながら毒づく柴犬のオアゲ。
「あれは確かに自業自得ですね」
席でお茶を啜りながら一部始終を眺める新人アリア。
「新人。おかしな状況に慣れてきたナ」
「その筆頭の柴犬が何言ってるんですか」
「確かニ」
「自覚あるんですね」
「あいつタフだよナ」
白々しく話題を変えるオアゲ。
タマイくんは諦めずにエンマ様に食い下がっている。
「五万円の自腹なんて無理に決まってるじゃないっすか」
「使い込んだタマイくんの落ち度です」
「エンマ様冷たいっすよ」
「エンマではありません。何度も言っていますが私の名前はエマと言います」
「知ってるっす。でも地獄の閻魔様の方がエンマ様っぽいから」
「お願いをしている立場とは思えない言動ですね」
「今月はアニマルプリンセスの期間限定衣装のガチャに
全財産を充てなければいけないのでお金もないっすし」
「また課金ですか」
「課金じゃないっす。投資です」
「そんなことにうつつを抜かしているからこんなものを提出するんですね」
「アニプリのことを悪く言わないでほしいっす」
「でも事実でしょう」
「悪いのはアニプリじゃなくて俺ですから」
「では支払いは自分でできますね」
「それとこれとは別の話ですよぉ」
「いいえ。同じ話です」
エンマ様に言い負かされて啜り泣きながらスマホを見つめている。
さっきの一件が堪えているかと思い慰めようと後ろから声をかけると
獣人が出てくるゲームを真剣に進めていた。
アリアはため息を吐きながら話しかける。
「それ好きですよね先輩」
「アニマルプリンセスはその辺のゲームとは違うんだよ」
「へぇ違うんですねぇ」
「アリアさんもやってみればわかるよ」
「それは遠慮しておきます」
「こんなに世界観が素晴らしい仮想空間はないっす」
働いたお金は全て課金に注ぐ筋金入りの廃課金者タマイくん。
タマという安直なハンドルネームらしい。
まつ毛が長くて瞳は大きく小ぶりな鼻。
スラリとした体型に少女のような顔。
俗に言うイケメンなのに言葉遣いが勿体無い気もする。
「俺なんかセル様には遠く及ばないっすけどね」
「その人そんなにすごいの」
「すごいなんてもんじゃないっす。
俺はコンプできていないものもありますけどセル様はユーザー唯一
装備もスチルも完璧に揃えてる英雄なんっすよ」
「君みたいにあり得ない金額を溶かしているんでしょうね。その人」
「セル様の悪口は許せないっす」
憧れの人のことを悪く言われエンマ様を睨むタマイくん。
「事実でしょう」
我が探偵事務所の閻魔様は澄ました顔で仕事を続ける。
本当はエマという可愛らしい名前なのにあだ名の方がしっくりきている。
ほんの少しのミスも許さず仕事をこなす経理の鬼。
事務処理の速度は異様に早く。定時きっかりに帰る。
座っていると小柄に見えるが立ち上がると並の男性よりも背が高い。
つまり、足が長いモデル体型なのだ。
整った顔も相まって口説かれたら
恋愛対象が男性でも落ちてしまいそうな美貌。
タマイくんとエンマ様はほぼ毎日、領収証の受理で言い合いをしている。
その姿は神々しい。推したくなる美男美女。
「緩んだ顔してるナ」
「ゆるゆるだね」
犬とアフロが頷き合う。
「知らないかもしれませんが、美しいものを愛でるのは心に良いんですよ」
「じゃあ俺を愛でるといイ」
「喋らなければ可愛い見た目なのに」
「おい。小声でも聞こえるゾ」
「海鮮シャツのおっさんと喋る犬にはわからないでしょうけど」
「酷い言いようだナ」
「新人ちゃんは冷たいなぁ」
高速でキーボードを叩くエンマ様に睨まれて三人とも瞬時に黙る。
「ちょっと外出てくるね」
「所長、逃げるなんて卑怯ですよ」
「すぐに戻るよぉ。痛ったぁ」
扉を開けた瞬間しゃがみ込むアフロ。
擦り切れたウキタ探偵事務所の看板を見て不安になる。
教えてもらったのはここのはずだけど道間違えたのかな。
扉を叩くか逡巡し、小さくノックしたが誰も出てこない。
もう少し力を入れたほうがいいのかと意を決して拳を振り上げた瞬間。
ひょっこり出てきたアフロの不審者を殴りつけてしまった。
冷凍庫から食材のにおいの移った保冷剤を出し。
タオルで巻き、たんこぶができた頭を冷やす。
「すみませんでした」
「大丈夫だよぉ」と元気に答える所長。
こんな時でもサングラスは外さないないのかとアリアは驚く。
「気にしたら負けだゾ」
「でも気になりますよね」
ため息をつくオアゲ先輩。
俯いて謝るパステルカラーのワンピースがよく似合う可愛らしい女性。
玄関前で所長を襲ったのは依頼人だった。
「ご来店ありがとうございます。ウキタ探偵事務所アリアと申します」
「私の名前はハルカです」
「ハルカちゃんってあの?」
身を乗り出すタマイ先輩。
「この事務所の話を聞いてきたのですが何度叩いても誰も出てこなくて」
「で、強く叩こうとしたらこの人が出てきたと」
なんともツイていない所長と依頼人だ。
「やっぱりハルカちゃんだ!」
手を叩き嬉しそうに依頼人に話しかけるタマイくん。
「ほら今朝のエンマ様に却下された領収証」
「ホテルで女性と話してたってやつのことですか」
「そうそう。それそれ。その話してたのがハルカちゃん」
「えっ!?」
事務所内の全員が一斉に依頼人を凝視する。
「えっと。その通りです」
どうやらタマイくんが探偵に頼むといいと言ったそうだ。
あの軽口の彼が依頼人を連れてくるなんて信じられない。
話のきっかけはタマイとハルカが同じゲームをしていたことだったらしい。
アニマルプリンセスという獣人をモチーフにした育成型の恋愛ゲーム。
登場するキャラクターになりきるコスプレ会場での出来事だそう。
その会場で出会った男性を探してほしいとの依頼だ。
タマイくんが意気揚々とアニマルプリンセスを説明してくれる。
「キャラクターはアニマルプリンセスの執事。トムソンガゼルのセル様」
「お仕えするリカオンのリヨン皇女のことを愛しているのに
彼女と王子の恋路を応援し、
思いを伝えないまま国を去る姿に泣き腫らしました」
「あの回は語り継がれる感動が溢れる神回ですよ」
普段からは考えられない流暢な口調で話す。
俺は会場には行けなかったんっすけどねと肩を落としている。
依頼人のハルカちゃんも何度も頷き。
「そうですよね。神回でした」
あのスチルは永久保存版ですよねとタマイと分かち合っている。
「私にはわからない世界だ」
「アリアちゃんはゲームとか早々に寝ちゃうタイプでしょ」
「そうなんですよ。瞼が自動的に降りちゃいますね」
「コスプレ衣装を作る器用さも無いだろうしナ」
「不器用は別の話でしょう」
ひとつのことにのめり込む良さがさっぱりわからないと愚痴ると
タマイくんとハルカちゃんの驚愕の視線を向けていた。
いたたまれなくなってエンマ様のところに逃げるが。
「ここは避難所じゃないから」と押し戻されてしまった。
いっそ話題を変えようかとエンマ様に矛先を逸らし。
「エンマ様はアニメとか漫画って見ます?」と聞いた。
「私はそんな幼稚なものは見ないね。時間の無駄」
「さすがエンマ様」
安定の冷遇。ちょっと落ち着く。
話題を依頼内容に戻すとハルカちゃんは夢見る表情で語り出した。
ガゼルを模した仮面をつけタキシードが似合う紳士。
シルクハットにモノクルをつけた執事を完璧に再現していて。
「セル様はガラの悪い男たちに腕を掴まれ転びそうになったとき
王子様のように腰を支えるだけではなく声までかけてくれたんです」
ー「私のお嬢様に手を出さないでもらえるかな」ー
「スチルの特典ボイスにそっくりなお声で天にも昇る心地でした」
一見黒色に見えるけれど陽の光が当たった瞬間
深海のような瑠璃色の瞳孔がこちらを見つめていて。
「本物のセル様が現れたのかと錯覚しちゃいました」
「しかも私が高いヒールを履いていることに気がついて
ハンカチと絆創膏を貸してくださいました」
「ライハお嬢様の体に傷を残すわけにはまいりませんと言いながら
跪いて応急処置をしてくださったんです」
「セル様は完璧っすね」
「そのハンカチは今ここにありますか」
ハルカちゃんはカバンの中から丁寧に折り畳まれた
チャック付きの袋に入ったハンカチを取り出す。
「これです」
中を確認するとガゼルが刺繍されたハンカチだった。
お礼を言おうと顔を上げるともうそこに姿はなく。
お礼を言いたい旨を書いたSNSに当日の写真や目撃情報は集まったが
名乗り出てくれることはなく。
自分の力だけでは探すことが困難だったため
依頼をすることにしたということだった。
「見つからないですかね」
ハルカちゃんは泣きそうな顔をしてしまっている。
提出してくれた写真を隅々まで確認しても
個人を特定できそうな情報はなかった。
タマイくんは口元を緩めながら写真を眺め。
「ハルカちゃんはセル様に片思いをしている
インパラのライハ嬢のコスプレしていたんだね」
恥ずかしそうに頷くハルカちゃん。
「ゲーム内でも推しなのに現実に現れたら惚れちゃうよね」
頬を赤らめ俯いてしまった。
オアゲは心底つまらなさそうな顔をして鼻息も荒く呟く。
「尋ね人は大体考えているより身近にいるんだヨ」
「そうだね灯台下暗しって言うもんねぇ」
アフロと柴犬は通じ合っているようだった。
「近く…」
話はひと段落ついたようでハルカちゃんがオアゲに手を伸ばしている。
「可愛いワンちゃんですね。撫でても良いですか」
「どうぞどうぞ。口の悪い犬ですが」
「アリアさんはオアゲちゃんが大好きなんですね」
「そんなことないですけど」
「この魅惑の豊満ボディに触らずにはいられないだろウ」
オアゲが撫で回されてボサボサになっているのは面白い。
「でも笑いが止まらないからそろそろやめてくれるとありがたイ」
「もっと撫でてほしそうっすね」
「オアゲちゃんは撫でられるのが好きなんですね」
「えっ?」
オアゲが自己主張してるのに聞こえないのだろうか。
「やめて欲しいって言ってますよ」
「アリアさんはオアゲちゃんと仲が良いんですね
考えていることがわかるなんて」
「えっ?」
「あれ、知らなかったの。俺とアリアちゃんにしか彼の声は聞こえてないよ」
「所長それって。私は柴犬に真剣に相談している
おかしい人だと思われてるってことでは」
「気がついちゃった?中々シュールで好きだったのになぁ」
「もっと早く言ってくださいよ。恥ずかしいじゃないですか」
「嫌だよ。面白いもん」
「それは酷いじゃないですか」
「セル様を探すなんて恐れ多いけど腕がなるっす」
「まずは現場にいた人たちから話を聞こうか」
「でもあのハンカチ。どこかで見た気がするんだよね」
「そりゃ見たことあるだロ」
「どこで見たのかわかるの」
「探し人はもう見つかっているしナ」
「ゲームは嫌いだと言っていなかっタ」
「セル様はゲームは嫌いって言ってなかったってなんの話」
「モデル体型で瑠璃色の瞳。あのハンカチには持ち主の匂いが残っていル」
「それって誰のこと」
オアゲはアリアの質問を無視してある人の前で吠えた。
「なんですかオアゲ。ご飯の時間はまだですよ」
「エマだろセル様ハ」
「エンマ様がセル様ってどう言うこと。探しているのは男性では」
驚愕するエンマ様と目があった。
その顔を見てオアゲの推理が正しかったことに気が付く。
「まさかエンマ様がセル様だったなんて」
アリアの横で子供のように目を輝かせるハルカとタマイ。
「セル様がこんな近くにいらっしゃったなんて」
「別に敬語とかいいから」
「そんな。憧れの人にタメ口なんて恐れ多いです」
「エンマ様なんて言ってすみませんでしたっす」
タマイくんは深々とお辞儀をして嬉々として問う。
「先輩のこと師匠ってお呼びしても良いっすか」
「絶対に駄目」
「お師匠様」
「嫌だって言っているでしょう」
「ハルカさん。理想の相手と言っていたのに男じゃなくて申し訳ないわね」
「いいえ性別なんて関係ありません」
「お姉様。好きです」
「ハルカさん。何言ってるんですか」
「私の名前を呼んでいただけるなんて感無量です」
「いや、私はただの事務職員ですからね」
「そんなことありません。お姉様は私の推しです」
迫り来る二人を押し退けながらアリアを睨むエンマ様。
「あなたのせいですよアリアさん」
「すみません」
「この二人をどうやって鎮めるつもりですか」
「できません。オアゲによく言って聞かせるので許してください」
「俺は悪くなイ」
「あんたが吠えなきゃよかった話でしょ」
「ただの犬に罪をなすりつけるなんてせこいやつダ」
「言うに事欠いてせこいって」
「ふふっ」
「エンマ様、今笑いました?」
「笑ってないよ」
「いやいや、絶対笑いましたよね」
「だってアリアさん本当にオアゲと会話しているみたいだったから」
楽しそうに笑うエンマ様。
「本当に話しているんだけどナ」
オアゲ先輩はしょうがなさそうに鼻を鳴らす。
エンマ様と顔を見合わせ、いたずらっ子のように微笑むアリア。
「我がウキタ探偵事務所は今日も平和だねぇ」
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