第11話 沖田総司編 浅葱色の最後の恋②
砂利道のくぼみに溜まっている雨だまりを避けながら、総司はこの時間になると境内までぶらぶらと散歩をするようになった。
雨が上がったばかりの夜は犯罪も少ないように感じる。足元がぬかるみ盗人たちにとっては正に文字通り足が付きやすいのだ。
「こんばんわ。今いいですか?」
暖簾を潜ると髪の毛を下した天狐ちゃんがいた。
「髪の毛……あっごめんなさい。また来ます」
「ちょいちょい、沖田さん。ええよ」
「え?でも誰かとお話では?」
「いやいや本当に仕事が終わったんよ。気にせんといて」
「そうですか……」
隼人殿が茶を出してくれた。
「おなかは空いておらんか?」
「そう言えば……」
グルルルルっと腹の虫がなると【天天】の中は笑いの渦に包まれていった。
「茶漬けの旨いのがありますよ」
「沖田はんは魚は好きなん?」
「好き嫌いなど言わないですよ……」
外からバチバチと戸を叩く音がする。また降り始めたのかと若干のうんざりをもって外を見るとずいぶん大柄な人が道を横切る影が映った。
騒がしくもないし、店の扉もあかないしどうやら近くの民家の人間だったようだ。
「茶漬けを馳走になると、忘れぬうちに本題に入りたい……のだが……なかなかこれが難しい」
「何かお願いがあるんでしょう?」
「よくお解りですね……」
「先に聞きたいことがあるのだけど」
天狐ちゃんが先に切り出した。
お願いごとをする以上向こうの聞きたい事に答えない訳にはいかない。
「なんでしょう」
空気が重い。隼人殿は厨房の中に閉じこもったまま成り行きを見守っている。
重い口が開かれた。流石お江戸のビーナスと言われ有名なだけはある。
一言目を紡ぎだしたらあとは一切の躊躇は無しだった。
「お家を継ぐと言っていた」
「そうですか」
小さな手をぎゅっと握ったままそれでも言葉は選んでいるようだ。
「いいの?本当に」
「老舗を守るという事はそういう事でしょう」
「何故」
天狐には納得がいかない。
「カンチャンみたいにお家を捨てて海の向こうに渡る訳じゃないじゃない!」
湯吞の温かさが心地よい。天狐の気持ちがわかるだけに総司は何と言っていいのか困ってしまった。
「自分は不器用なのですよ、天狐殿」
「意味が解りません」
どんと机をたたいた拍子に湯吞が倒れ、机の下に茶が滝のように落ちていった。
「ごめんなさい」
隼人から台拭きを受け取ると慌てて机を拭き、床の上も吹き始めた。
机の下から声が聞こえる。
「剣を捨てられないのですか?確かに沖田はんは強いです。でも……守りたいものは守らねばなりません」
「ありがとうございます。櫻子さんはこんな良い友達をもって幸せですね」
「剣は捨てません。土方さんと一緒に夢をかなえると約束しました。来る二月試衛館の仲間と共に江戸幕府第14代将軍、徳川家茂公警護のため京都へ赴きます。浪士組に応募しました。これが私の生きる道です」
「でも……」
「天狐、やめなさい」
隼人がゆっくりと首を振る。
「男の決めた生きざまだ。きっと櫻子さんもわかっているさ」
涙が止まらない。絶対に両想いなのに……。こんな事あっていいはず無いのに……。
「……わかりました。で、お願いとは何ですか」
「年に一度でいいです。櫻子さんが幸せか、教えてはいただけませんか?」
声が震えていると思ったのは気のせいだろうか。意志の強い切れ長の目が真っすぐ天狐を見た。
「わかりました。お約束いたします。……沖田はん、もう一つだけ……」
「天狐!」
「構いませんよ。隼人殿」
「櫻子はんが好きですか?」
「それを言うことはままなりませぬ。でも世が世なら
沖田は頭を下げて【天天】を後にした。
一人月の出る綺麗な道を沖田は歩いた。さっきまでの雨はやみ明日はきっと晴れるだろう。
今日の事を考えながらゆっくりとした足取りで試衛館に向かった。
「土方さん、ばれてますよ」
「総司、いつから気が付いていたのだ?」
「大きな影が土方さんの影だって事位、解らない訳がないでしょう」
「良かったのか?」
総司は小さな声で笑った。
「あなたまでそれを言いますか?死ぬまでお供致しますよ」
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