第7羽 川の流れはどこへ行く?

 野犬との闘い以降、クロガネは数日間にわたってシロに看病されていた。彼の左脚は度重なる外傷により、もはや自力だけでは治癒されない状態になってしまった。そこでシロは、ゆかりのある温泉で湯治を試みることにした。

「......いやぁ、温泉ってやつはクセになるなぁ」

 実を言うと、クロガネは温泉というものを知らなかった。そもそも、入浴という経験すらなかった彼からすれば当然のことであるが。

「クロガネさん、まさかあんなに獣臭いとは想像していませんでしたよ」

 岩盤一枚を隔てて、反対側ではシロも入浴している。この温泉は元来、ある人物が目的のために利用していたことに始まるが、今となってはシロが連日通う居場所になっている。

「けどよシロ、どうしてお前がこんなとこ知ってたんだ?」

 入浴という概念を持たなかったクロガネからすれば、その疑問はもっともである。

「ここはですね、かつてタマモ先生が患者の治療に用いた場所なのです。私は先生の下で看護をしていたこともあり、思い入れの強い場所です」

 タマモ先生とは、この山に住んでいた狐の女医である。魅惑的な彼女には、求婚者も絶えなかったという。

「あぁ、あの女狐か。アイツ、どこへいったんだろうな?」

 彼女のことはクロガネも知っているようである。女狐というあたり、彼女は魔性の女であったことが読みとれる。

「タマモ先生はですね......遥か遠くの里へ嫁がれました」

 シロは物寂しげな表情で語る。女狐と呼ばれた彼女の心を射止めた旦那様は、シロにとっても魅力的であったように見受けられる。

「狐の嫁入り、ってか?」

 クロガネは洒落を利かせたつもりだったが、シロは首を傾げている。笑いを取れず滑ってしまったその空気は、どことなく気まずい。

「温泉は川に注いでいます。この川の流れはどこへ行くのでしょうか?」

 シロは意味深な言葉を呟く。彼女は何を意図しているのだろうか。

「オレには分からねぇ。けど、それがどうしたって言うんだ?」

 クロガネはその言葉を一蹴する。彼にとってそれは些細なことだ。

「私は知りたいのです。川の最果てには何があるのか。クロガネさんも気になりませんか!?」

 そんな言葉をよそに、シロの話は熱を帯びていく。どうやら、彼女にとってそれはとても重要であるようだ。

「そんなことどうでもいい。どうせあり地獄みたいに地面へ吸い込まれていくに決まってるさ!」

 クロガネは彼女の話に取り合おうともしない。どちらかというと、鬱陶うっとうしく思っていると言った方が正しいだろうか。

「クロガネさんも夢のないことを言いますねぇ? そこはもう少しロマンを持ちましょうよ!」

 シロの力説はいよいよ粘着質になってくる。

「......てめぇの話はめんどくせぇな! オレは先に上がるぞ」

 長話に嫌気が差したクロガネは、温泉から出て行ってしまった。シロはそこに一人ぽつんと残された。

「私は諦めませんよ? この川の最果てには、きっと大きな湖が広がっているのです!!」

 海を知らないながらも、シロの想像は強ち間違っていない。果たして、彼女が海というものを見る日は来るのだろうか?

 ――入浴を終えた二人は、食料を調達することにした。

「......ぶえっくしょい!!」

 クロガネは勢いよくくしゃみをした。それと同時に、彼の鼻からは鼻水が垂れている。

「クロガネさん、きちんと体を乾かさないからですよ?」

 シロのいうことは的を射ていた。クロガネはせっかちなため、体を乾かすことに時間をあまり割かなかった。

「うるせぇ! お前の長風呂を待つ間に、オレは体を冷やしちまったじゃねぇか」

 シロの言葉を認めたくないクロガネは、言い訳がましいことを言ってしまう。

「長風呂の何がいけないんですか!? そういうクロガネさんはからすの行水じゃないですか!!」

 温泉でゆったりすることが好きなシロにとって、彼の言葉は聞き捨てならない様子。

「烏と一緒にすんじゃねぇ!!」

 一方、クロガネは烏と同じ扱いをされてご立腹。この二人、ケンカするほど仲が良いのかもしれない。

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