069 少女の敵意


 チリアートの騒動で混迷を極める村の様相の中、一人の少女だけが他人事のように 

空を見上げていた。ミリヤムは、チリアートの苦しみに疑問を覚えていた。


「……きのこさんと同じ匂いがする。きっと、素敵なことなのに」


 少女の視線の先には、水龍の巣食う湖があった。その水面は穏やかに日の光を反射している。一見して美しいその光景に、ミリヤムは不快そうに目を細める。

 

「とかげさん、どこ?」


 穏やかな風景に、彼女のおっとりとした雰囲気が溶け込んでいた。殺気を微塵も出すことなく、その瞳が水龍をとらえた。


「みーつけた」


 圧倒的な巨体に怯えることなく、むしろ愉快そうに瞳を輝かせていた。ミリヤムの表情からは、ある種の興奮さえ感じられた。


「ぽいっ」


 不敵な笑みを浮かべながら、彼女は水面に石を投じた。湖の住人を誘う。


 ――その瞬間。


「っ!}


 静寂を破るかのように、水面が揺れた。鏡のように穏やかだった泉が、一瞬にして波立ち、水飛沫を上げる。ミリヤムが、仕掛けたのだ。


「あーそぼ?」


 少女の瞳に捉えられた水龍は、壮大だ。輝く鱗が日の光に反射し、煌めいていた。その美しさとは裏腹に、水龍のまなざしは鋭く、侵入者であるミリヤムへの警戒心を剝き出しにする。


「ふ、ふふふっ、ふふふふっ……!!」


 少女の体が、血に飢えていた。あの日、寄生型ナイトメアに浸食された彼女の存在は、何かが歪められてしまっている。今、彼女が自我を保っていることすら、半ば奇跡のような出来事である。


 少女の異常性に気付いた水龍が、咆哮を発した。矮小な人間だという認識を捨て、外敵が襲撃してきたと判断した。


「うるさいなあ」


 だが、ミリヤムは水龍の方向に怯むことなく、むしろその隙を見逃さずに駆け出していた。水面を駆け、距離をぐっと詰め、鱗と鱗の隙間に狙いを定めて、ナイフを振るう。


「――!?」


 がきん、と。

 刃を差し込もうとしたが、強靭な肉体がそれを許さなかった。


「あっ」


 一瞬、無防備を晒すミリヤム。

 水龍は、その隙を見逃さず、尻尾を振るった。


「やば」


 無防備な脇腹へと、巨大な尻尾が叩きつけられ――ミリヤムの体は、遠く、遠くへと吹き飛ばされ、離れた草地に激しく打ち付けられてしまった。強大な龍を前に、人間の存在など羽虫同然の扱いでしかなかったが。


「い、ったぁっ……! もう、乱暴なトカゲさんだなぁ……!!」


 しかし、彼女の表情に敗北の色はなく、むしろ、高揚している風にも見える。

 水龍もまた、この程度で矛を納めるつもりはなかった。彼女の異常な戦意を感じ取り、身構えている。


「どうしたら、殺せるんだろ……?」


 ためらいなく、水龍へ近づいていく。その姿は、どこまでも自由で、束縛を知らない野生の花のようであった。彼女は、水龍が自分より強固であることは理解していた。しかし、それは彼女の歩を止める理由にはならない。たとえ、どれほど水龍が恐ろしいと感じていても――殺してみたいという欲求が、それを上回って仕方がないのだ。


「おいしいそうな、とかげさん」


 殺されるまで、止まらない。


 もし、ミリヤムの戦意を止められるものがいるのだとしたら――。


「――やめろ、ミリヤム」


「およ?」


 キッカ以外に、存在しなかっただろう。


「お前じゃ勝てねえよ。喧嘩を売る相手は選べ」


「……そっか」


 キッカの登場で、あっさりと矛を納めるミリヤム。


「でも……とかげさんは、見逃してくれそうにもないよ?」


 今もなお、警戒心を露にする水龍。

 それもまた、仕方のないことだ。


「……お前、何をしたんだ?」


「夜ごはんにしようかと」


「ははっ、とんでもねえな」


 呆れながら、戦闘態勢に構えるキッカ。

 それを見たミリヤムが、嬉しそうに笑った。

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