066 チリアートの容態


 数日が経過しても、チリアートの症状は回復の兆しを見せることはなかった。村人たちの懸命な看護と手厚い支援のおかげで、悪化することはなかったが……彼女の身体が疲弊しているのは明らかだった。


「キッカ様……私たちの力では、これ以上はどうすることも……」


 私、たち。

 彼女の言葉に紛れる言葉が、キッカには引っかかっていた。

 フェリエルは、すでに心をこの村に置いている。このまま、この世界から戻れるとして――彼女は、ついてきてくれるだろうか。


「……いや、今はそんなことを考えている場合じゃねえか」


 遠くから、フリッツの叫び声が聞こえてくる。彼は何度も、村人たちに心当たりがないかを尋ね、戦果が得られないことに憤っている。それはもう、この数日で何度も繰り返されてきた問答だ。決まって彼は、とぼけるなと声を荒らげ、困る村人に刃を向けては、フェリエルに止められるのだ。


「すまねえな、ツレが迷惑をかけている」


 無論、キッカもまた行き過ぎた行動を示すフリッツに対し、暴力で止めにかかったこともあったが……彼は、それでも犯人探しをやめなかった。


「いえ……お気持ちは、わかります。心苦しいのは、私たちも同じですから」


「……だからって、限度がある」


 こんな状態に陥っても、アミアンの村人たちは聖人のようにフリッツの行いを許してくれた。


 ――仕方がありませんよ。


 ――大切な人が苦しんでいるのですから。


 ――怒りを受け止めることも、時には大切です。


 毒気が抜かれるほど、彼らは聖人君子のように優しい笑みを浮かべていた。どう考えても、そこに悪意があるとは思えない。


「……だが、違和感はある」


 あまりにも、美しすぎるのだ。

 振る舞いや言動が、清らかすぎる。


 彼らがチリアートの異変に関わっているとは思わない一方で、得体のしれない気味の悪さを感じていた。大切な人の危機に直面し、感情任せに憤るフリッツのほうが、まだ自然と言える。


「……ねえ、キランさん」


 掠れる声で、チリアートは尋ねる。


「フリッツは……どこ?」


「チリアートの呪いを解くために奔走している。呼んでこようか」


「ううん、大丈夫。あいつ……勝手なこと、してないよね……?」


「……してない」


「嘘」


 苦しさを紛らわせるように、チリアートは笑った。


「あいつ、怒ると周りが見えなくなってさ……昔も、周りの人にめいわくをかけたことがあったなぁ……。優等生の勇者フリッツくんが、劣等生の私のこととなると、目の色が変わるんだもん」


 彼女は、病床から立ち上がろうとしていた。


「お、おいっ!」


「大丈夫。今は、落ち着いているの。お腹も、少ししか減ってない」


「……っ!」


 キッカの目には、とてもじゃないがそうは見えなかった。

 彼女の周囲に纏う、陰鬱なオーラ。それは今にもチリアートを飲み込もうと、渦を巻いていた。


「だから、あたしが言ってやらないと。冷静になりなさい、勇者フリッツ! ってね」


「……本当に、大丈夫なんだな」


「大丈夫! 心配しすぎだって。転移の影響で、身体に負荷がかかっただけ。あたしは、キランさんやフリッツとは違って、一般人だからね……」


「……転移酔い、みたいなものか? いや、それにしては……」


 症状が、重すぎる。


「呪いじゃないと思うよ。誰かに何かをされた感じがしないもの。単に、調子が悪いだけ……あたしは、昔から燃費が悪いの。ダンジョン攻略の時から、背伸びして、頑張りすぎちゃったかな……」


「……無理は、するな」


 ぎゅっと、拳を握りしめる。

 己の無力さを、今日ほど思い知らされることはなかった。


 この拳は、あらゆる物を打ち砕くが。


 それだけはどうにもならぬことがある。


 外から、フリッツの怒りが聞こえてきた。

 その声は、泣き腫らした子供のようだった。

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