065 飢餓


「……チリアートが倒れた?」


 異変は、足元からじわりじわりと押し寄せていた。


「発熱が激しく、呼吸も乱れている。ただの風邪とは思えない……タイミングが、あまりにも不吉だ」


 転移した直後に、このような状態に陥ったのだ。偶然とは思えない出来事に、キッカは深い疑念を抱いていた。この村には、何か不可解な力が働いているのではないか。


 変異種、血の薔薇が妖狐たちを迫害していたように――ここでも、何らかのナイトメアが暗躍しているのではないかと。


「……いや」


 首を振って、己の考えを否定する。


「これは、直感なんてもんじゃねえ。俺はただ、この平和な場所を否定してぇだけだ……」


 ここには悪が潜んでおり、キッカたちに害を及ぼそうとしているのだろう。だからこそ、フェリエルをこの場に留めておく訳にはいかない。彼女を救出し、元の世界へと帰還させなければ――。


 ――しかし、現実はどうだろう。


「病床を準備しました! 医学に長けたものも呼んでいます! 微力ながら、我々も協力しましょう!」


 アミアンの村人たちは、真剣な面持ちで支援を申し出てくれた。彼らの善意が偽りであるとは到底思えなかった。彼の一挙一動は、真実そのものだ。それを疑うこと事態が、己の未熟さを如実に示している。


「う、ううっ……! ご、ごめんね、フリッツ……!」


 彼女の症状は、類を見ないものだった。

 発熱や息切れは一般的なものだが、高熱に苛まれながらも、異常なほどの食欲を示していた。成人三人分の食事と一度に平らげなければ満足できず、空腹を訴える。それはまるで彼女のうちに秘められた炎が、絶え間なく薪を求めているかのようだった。エネルギーが足りなければ、自らの身体をも焼き尽くさんとするように。


「お腹が、へったの」


 尽きることのない空腹感が、彼女の存在を無尽蔵に貪り続ける。


「一体、どうなってるんだ……!!」


 仲間の突然の異常に、怒りを込めながらテーブルを叩くフリッツ。


「こんなもの、誰かの呪いに決まっている……! 加害者が、いるはずだっ……! この村に、必ず……!」


「……フリッツ」


 彼がそう考えるのも、否定できない。

 だが、キッカの直感が、この村に悪意はないと告げていた。もし、キッカを騙せるほどの演技派が潜んでいるのなら、大したものである。


 ――だが、フリッツを納得させる言葉は、キッカにはなかった。


「……もし、彼女に何かあったら、許さない」


 鬼気迫る表情で、キッカに背を向けるフリッツ。


「何をするつもりだ」


「犯人を突き止める」


「……剥き出しの殺意を、誰に向けるつもりだ」


「決まっているだろ!!」


 強く、叫ぶ。


「チリアートは、転移してきた瞬間、呪われたんだ! ナイトメアか、人間か、それはわからない。だが、必ず見つけ出してやる……!」


「……そうかい」


 村人たちのチリアートを案じる思いは、本物に見えた。

 だが、それはあくまでキッカの直感と経験則に過ぎず、彼を納得させるだけの根拠があるわけではない。


「早まったマネはするんじゃねえぞ」


「黙れ」


 憎悪に取り憑かれたフリッツは、キッカの言葉を切り捨てる。


「――先に手を出したのは、向こうの方だ。チリアートに危害を加えたことを、公開させてやる……!」


 フリッツの瞳には、キッカには見えない何かが写っている。

 故に、彼の心を理解することは、キッカには難しかった――……。


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