063 境界線


「君が、キッカ・ヘイケラーか! 娘からは話を伺っているよ。娘を助けてくれて、本当にありがとう!」


 無骨で難いのいい殿方に肩を叩かれながら、フェリエルの父親・カーネル・エリパレスは豪快に笑った。


「あなた! キッカさんが困っているわ。彼女はフェリエルの主なのよ?」


 隣に立っていた妙齢の女性が、父親を諫める。

 彼女こそが、母親であるミランダ・エリパレスである。


「……おおう、ユニークな両親だな」


 王家に仕えていたと言う割には、親しみやすい相手だ。

 そして、そんなキッカたちを眺めていたのが、フェリエルである。


「ああ、夢のようです……! まさか、こんな果ての地に、ご主人様と巡り会えるだなんて……!」


 互いにある程度身の上話は終わっていた。

 キッカがこの地にやってきた経緯も把握している。


「……それで、ここにナイトメアがいないというのは、本当か?」


「はい」


 キッカの瞳が真面目モードに切り替わると同時、フェリエルも同様の眼差しに変わった。


「あの日、水鏡によって転移させられてから――私は、このアオスタの街に飛ばされました。どうやらここは、かの水龍様の支配下のようでして……エリパレス一族は、その加護を受け継いでいました。おそらくは、それが原因で……転移時にこちらに引っ張られてしまったのかと」


 初めてフェリエルと出会ったあの日、絶対防御と呼ばれていた精霊の加護。

 キッカによって打ち砕かれたものの、その残滓は未だフェリエルの身体に滞留していた。


「……それで、生き別れになった両親やその仲間たちと巡り合ったってわけか」


「はい! まさか、他の方が生き延びていただなんて……!」


「……そうか」


 違和感を覚えないわけではなかったが、キッカは言葉を飲み込んだ。


「フェリエル! この人が、お前を救ってくれたのか!」


「こら、お酒の勢いで変な絡み方しないでしょ。騎士団の品格が問われちゃうわよ」


 ぞろぞろとやってくる、騎士仲間たち。

 ナイトメアのいない平和な村と言う割には、彼らは武器や防具で身を固めていた。


 それから彼らはフェリエルを中心に、わいわいと雑談の花を咲かす。

 客人であるキッカに話を振りながら、本当に楽しそうに笑うばかりである。


「おーい、フェリエル! ちょっと来てくれないか!」


「あっ、はい! かしこまりました! 申し訳ございません、ご主人様。少し、離れます」


「ああ」


 そっと目を細め、眼前の光景を飲み込むキッカ。

 亡くなったはずの騎士団長の両親や、その仲間たちとともに、笑顔を交わしながら日常の営みを楽しんでいる。少し見ただけでも、暖かな日差しのような、ほのかな幸せが満ちていることがよく伝わってきた。


「……キランさん?」


「…………」


 フリッツが声をかけても、キッカは上の空だった。旧友や両親を前にして、見たことのない笑顔を見せるフェリエル。じんわりと心が温まる一方で、自身の心の奥底から、確かな感情を掻き立てられている。


「幸せそうだな」


 ようやく振り絞ったその一言に、フリッツは目を見開いて驚いた。キッカの表情が、祝福を口にするものではなかったから。


「仲間はずれだと?」


「そんなわけないさ」


「では、なぜ?」


「失った情景を……自分の中に深く眠っていた、何かを思い出させるような光景だよ。年甲斐もなく、目頭が熱くなっちまう」


「……えーっと、おいくつで?」


「うるせえ」


 キッカの抱えている寂しさは、フリッツには理解できない。だからこそキッカは口をつぐみ、無粋なことを口にすることなく、眼差しだけを送り続ける。


「こういうのは、苦手だ」


 柔らかな風がキッカの髪を揺らし、ゆっくりと背を向けた。心の中に深く刻みつけられた、アオスタの村の幸福そうな住人たち。


「なあ、フリッツ」


 最後に、キッカは己に正直に問いかける。


「フェリエルは……俺たちの世界に戻ることを、喜んでくれるだろうか」


 ちくちくと心臓が痛みを発して、ため息が飛び出した。





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