062 エリパレス家の最期


 

 フェリエルの実家であるエリパレス家は、とある王家に仕える正当な騎士の一族であった。彼らは精霊を守り神とし、王家の隆盛をともに歩んできたが、フェリエルがまだ幼い頃、その終焉を迎えることとなる。



 ある春の朝、霧が立ち込める王都の中、エリパレス家の裏門が人知れず開かれた。中からは、白馬に乗った少数の騎士たちが、悲壮感に満ちた重々しい顔つきで人目を忍ぶように出てきた。


 その中心に騎乗するは、カーネル・エリパレスと、ミランダ・エリパレス。その傍らには、彼らの娘であるフェリエルがいた。家紋である装飾品を握りしめ、不安そうな眼差しで我が家の最期を眺めている。


「お母様……私はもう、あのお屋敷に戻ることは出来ないのですか。私は、騎士です。お父様のように、王様をお守りしなければなりません」


「ああ、フェリエル……!」


 母親に抱きしめられながら、騎士としての自分の未来を憂う。


「ごめんなさい、ごめんなさい……! 私たちはね、大切な人を守ることが出来なかったのよ。本当なら、命尽き果てるまで添い遂げなければならないのだけれど……あのお方は、それをヨシとはしませんでした。我が子を守りなさいと、命じたのです」


「……王様は、いなくなってしまったの?」


 物心ついたときから、騎士としての役目を引き継ぐものだと信じていた。そのための鍛錬も必死に積んできた。しかし、ある日突然突きつけられたのは、これまでの毎日を根本から拒絶する現実。


「心配するな。お前の命だけは、あらゆる手段を使ってでも守ってみせる。もはや、私にはそれしかないのだ……」


 彼女の父親は力強く呟くものの、その顔色は失意に塗れていた。

 主君を失い、逃亡を企てても――阻むものが現れるだろうことは、誰の目にも明らかだった。


「――襲撃です!」


 追手に見つかったのも、不運ではない。もはや必然でしかない、八方塞がりな状況下で、絶望に表情を歪める騎士たちの背後から矢の雨が降り注いだ。驚愕する騎士たちの中、母親の馬に矢が命中し、悲鳴を上げながらまま倒れ込んでしまった。


「フェリエル――っ」


 抱きしめる娘とともに、地面に放り投げられてしまう。剣を杖代わりにしてなんとか立ち上がったものの、彼女の呼吸は不自然に荒々しかった。


「……ねえ、フェリエル。あなたに、最期の贈り物をあげるわね」


 それから彼女は、小さく祈った。

 自分の未来のためではない。愛する娘が笑って生きていけるような未来のために祈るのだ。


「――これは、私たちの一族が代々受け継いできた、精霊の加護よ。あなたが強くなるまで、この絶対防御の加護が私の代わりにあなたを守ってくれるでしょう」


 エスパレス家の守護精霊、水龍エリパレス。

 その簡易術式を、逃亡の前にフェリエルの身体に刻み込んでいた。あとは、祈るだけ。愛娘のために、己の力の一部を譲渡する。


「お、お母様……!?」


 傷を抱えた人間を守りながら逃れられる旅路ではない。

 もしものときは、母親であるミランダが囮となることは、騎士たちの中で定められていた約束である。


「ミランダ」


「……いって」


 痛みに喘ぐ馬を眺めた母親は、愛するフェリエルを敬愛する夫へと託す。彼女の右足は、既に本来の機能を失っていた。落馬時に負った傷ではない。革命戦争の中、君主を守るために剣を振るい、信念を果たせなかった代償である。まともに歩くことすら出来ない彼女は、これからの逃亡生活において足手まといにしかならないと、誰もがわかっていた。


「わかっている、だが」


「いって!」


「……ああ」


 別れの挨拶は、とっくに済ませているはずだった。

 あらゆる言葉を飲み込んで、父親は娘を抱きかかえ、背を向けた。


「フェリエルだけは、命にかえても守ろう」


「信じていますよ」


 騎士たちの馬が、遠く、遠くへ翔けてゆく。

 その道中に立ちふさがるは、水龍の加護を失った没落騎士が一人。


「一人も通さないわ」


 足が動かなくても、加護を失っても、仲間が遠くに消えてしまっても。


「――エリパレスの真髄を、とくとご覧あれ」


 娘を守るためならば、母親は鬼神と化して、血を染め上げる。





 ミランダ・エリパレスが命を賭して作り上げた時間は、追手の一団を退けたものの、そのすべてを食い止めるにはいたらなかった。


 山を超え、河を渡り、森を抜ける。父親であるカーネル・エリパレスの元には十人ほどの騎士が、フェリエルを守るために剣を振るい続けた。しかし、その数は日に日に減っていった。追手の厳しさはもちろん、待ち伏せや裏切り、飢えや寒さといった自然の厳しさまで、あらゆるものが彼らの平穏を否定し、騎士たちの命を奪ってゆく。


 フェリエるの心には絶望と恐怖が募る一方であったが、それでも彼女のために戦っていた騎士たちは、敬愛する王国騎士の愛娘を守るために、全力で戦い続けた。君主を失った彼らにとって、フェリエルを守ることが最期に残された誇りだったのだろう。


「なあ、フェリエル。お前はきっと、腕利きの騎士になれるよ。俺が保証する! ミランダさんのような、凛々しくも格好いい騎士になれるはずだ!」


 夜になれば、火を囲んで寒さからフェリエルを守り、仲間たちの名前を口にしては英雄的な死を称えていた。そんな彼も、数日後には追手の罠にかかり、命を落としてしまう。


「どんくさいよ、あいつは。それでも、最期はちょっとだけ格好良かったよ」


 仲間の死を語り続けることでしか、彼らは己の心を保つことができなかった。そして、フェリエルの精神もまた、徐々にすり減ってゆく。


 ――私は、そうまでして守るべき価値があるのだろうか。


 庇って死んでいった者たちの方が、よっぽど立派で誇りある人間だったはずだ。それを、立派な両親の娘だからという理由だけで、守られているなんて。疑惑の種は、仲間の死の数だけ大きくなってゆく。


「……フェリエル」


 そして。


「フェリエル……いるか……?」


 最期にフェリエルの眼の前で散ったのは、父であるカーネル・エリパレスであった。

 彼の瞳には、既に光は宿っていなかった。


「一人にしてしまい……申し訳ないと思っている。だが……生きてくれ。生きていれば……いつか、報われる日もくるだろう」


 無責任だと、歯がゆかった。しかし、今はそう口にするしかない。

 幼い背中に、重荷を背負わせてしまうこともわかっていた。だが、未来を語らなければ、絶望に落ちるフェリエルはすぐに後を追ってしまうだろうから。


 彼が積み上げた追手たちの死体は、フェリエルの追撃を諦めさせるには十分だった。おしくらむは、ようやく追手を退けたというのに――フェリエルだけしか、生き残れなかったという現実。


「生きて……エリパレス家の誇りを、繋いでくれ……」


 暗闇の中、フェリエるは今度こそ一人ぼっちになってしまった。それでも彼女は、あてもなく逃げ続けた。追っ手が来るかもしれないと、必死に逃げ続けたのである。ここで捕まってしまえば、みんなの想いが無駄になる。それだけが、彼女の原動力だった。


「――おやおや、まぁ、これは!」


 しかし。


 満身創痍の彼女の前に現れたのは、奴隷商人ラライエであった。


「美しい娘さんですねえ……! これは行幸……!」


「あ、ああ……!」


 抵抗する力も残されていなかったフェリエルは、その場で膝をつき、崩れ落ちてしまった。意識を失う最中、脳裏によぎる家族と仲間の死に顔。結局、自分は逃げ切ることができなかったのだ。それは、フェリエルの心を折るには十分すぎた。


 かくしてフェリエルは地獄のような逃避行の後、奴隷商人の手に堕ちる。

 それからキッカ・ヘイケラーと巡り合うまで、彼女の心は闇の中に溶けてしまった。



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