061 時を超えた再会
水竜『ケリアロン』は、本来ならば既に死を迎えているはずの古代種である。かつて、とある魔女とともに凶悪な魔族と死力を尽くした戦いを繰り広げていたのだが、その際に、魔女を庇って命を落としていた。
はず、だった。
「――あなたは、死なせないわ」
魔女は、水竜を助けると誓った。
そのためならば、どんな禁忌を犯すことすら厭わない。
だから彼女は、禁忌の術式を展開した。
『何のために、瘴気領域は存在しているのか』
単一の目的ではない。
あらゆる複合された狙いが重なったことで、今を成立させている。
『暗夜湖』に展開された瘴気領域は、少なくとも非常に稀有な理由で生み出されていた。
「生きて、『ケリアロン』」
古の魔女が願ったのは、水竜の死を否定した停滞する世界。
愛する竜のために生み出された、ただそれだけの領域である。
◆
『嘶きの森』での転移を思い返していたキッカは、覚悟を決めていた。変異種『血の薔薇』との戦いを振り返れば、やはりこの『暗夜湖』も強力なナイトメアに支配されている可能性が高い。それらの支配から解き放つことが、瘴気領域の攻略には不可欠だ。
「…………」
だが。
「……どういうことだ?」
心を癒やしてくれる川の流れる音が、やけにクリアに聞こえる。美しく咲き誇る草花は、どこか牧歌的な雰囲気を醸し出しており、心が安らぐようだ。咲き誇るラベンダーの香りが鼻をくすぐる。
「きれいな花畑ね」
隣で目を覚ましたチリアートが、場違いな言葉を口にした。四人で手を握っていたおかげか、散り散りになることなく転移する事ができたようだ。
「……何だか、随分と想像していたのと違うなぁ」
フリッツは立ち上がりながら、辺りをうかがっていた。
「ひとまず、周囲を散策してみようか」
「そうだな」
何かが違う、と感じながらも、キッカはその正体がわからなかった。
◆
手分けして周囲を散策したが、これといったものは見つからなかった。ナイトメアはもちろん、魔物すら見当たらない。暗夜湖周辺は、転移する前の世界の方が危険なくらいである。
「みてみて、フリッツ! こっちに、素敵なラベンダー園があるわよ!」
「あはは……すっかり、毒気が抜かれちゃったな」
覚悟を決めて転移したはいいものの、美しい光景にすっかり魅了されている。瘴気の片鱗すら感じられない場所に、逆にミリヤムはげんなりしていた。
「……つまんない……」
血の気を求めて来たからこそ、真逆の世界に困惑する。こんなものを見たくて、ついてきたわけではなかった。
「ねえ、キランちゃん。どうやら向こうに、村があるみたいだよ」
やっと見つけられたのは、『アオスタ』という名前の小さな村であった。見つけたというより、村人がフリッツを見つけて声をかけてきたようで、村に招かれているらしい。
「このあたりの人間は、みんなそこに住んでいるんだって。土産話とか聴きたいから、是非来てくれってさ。どうする、キランさん?」
勇者の特性が生きているのか、出会う人々も友好的な相手ばかり。フリッツに交渉を任せていれば、特に問題はないだろう。
「……ここは本当に、瘴気領域に封じられた場所なのか……?」
引き攣った笑みを浮かべるキッカは、とにかく情報が欲しいと村人の誘いを二つ返事で了承する。村ならば何か情報が手に入るだろうと、淡い期待を抱いていた。
「――ようこそ、『アオスタ』の村へ。辺鄙な場所ではございますが、豊かな自然が自慢の快適な場所だと自負しております。どうぞ、お寛ぎくださいませ」
村長らしき人がフリッツと握手を交わして、村の奥へと誘導する。何か裏でもあれば話が早かったのだが、悪意や敵意のようなものは一切感じられなかった。むしろ、客人が訪れたことを村全体が楽しんでいるような節すら感じられる。おもてなしが好きなのかもしれない。
「しかし……本当に豊かな村だな」
確かに住人の数は村と呼ぶに相応しい規模だが、逆に言えば発展具合は町に近いものを感じる。建物は立派な木材で打ち建てられており、装飾を施す遊び心すら感じられる。行き交う村人は立派な衣装を身に纏っており、貧しさの欠片も見当たらない。誰もが笑顔を浮かべ、あちこちから楽しそうな声が聞こえてくる。村の幸福度は、見たことがないほど高そうだ。
「ねえ、キランさん」
村の奥に案内される途中、チリアートは小声で言う。
「さっき、村の人に聞いたんだけど……ここって、水竜の大精霊『ケリアロン』の加護に守られているんだって。だから、辺り一帯にはナイトメアや魔物が近寄ってこないらしいの」
「……水竜?」
「うん。たぶん……あたしたちを襲ったやつのことだと思う。よくわからないけど……なんか、予想が違ったね」
「そうだな……オレも、肩透かしを食らってるよ」
最初こそ、あの変異型ナイトメアのように、精霊を喰らって支配しているのかと思っていたが、そのような兆候は見られない。血生臭さが全く感じられず、ただただ平和なだけ。
「逆に、胡散臭えけどな」
「え?」
警戒心を高めるキッカを、意外そうな目で見つめるチリアート。
「何もなかったら、転移させられるわけねえからな。何かあるんだよ、この場所には」
「……そうね」
だけど、のどかな村の雰囲気が、張り詰めた緊張を解していく。いつ、何が起きても良いようにと、身構えていたそのときだった。
「――キッカ様?」
聞き慣れた声が、キッカの意識をかっさらう。
「……え?」
「ああ、やっぱり、そうですよ! 変装こそしていますが、この私が見間違うわけがありません!」
翻った長い髪の毛が、風に揺られながら駆け寄ってくる。力強い眼差しが、变化の指輪の効力を無視して真実を見据えていた。
一瞬、キッカは反応することが出来なかったが、すぐに唇が動く。
「……フェリエル?」
「はいっ!」
少女は、満面の笑みを浮かべながら、キッカに抱きついた。
「あなた様の剣の、フェリエルですっ……!! いつか必ず、お会いできると信じておりました……!!」
最初は、幻覚なのかと思っていた。都合の良い夢を見せる、ナイトメアの悪夢。だが、肌と肌が触れ合って、熱を帯びることによって伝わる感情。妙に押しの強い会話の仕方や、躊躇いのないスキンシップ。キッカが知っている、フェリエルそのものであった。
「まさか、本当に……」
キッカの瞳が、揺れていた。柄にもなく、降って湧いた幸運の受け止め方が分からないでいる。容赦なく抱きつくフェリエルの身体を、抱きしめ返して良いものか、迷いってしまう。それでも数秒後には、優しく抱きしめ返した。
「勝手に、いなくなりやがって」
「申し訳ございません。奴隷、失格ですね」
「奴隷じゃないだろ、フェリエルは」
震える声が、再会を分かち合う。
「――お前はオレの、家族だろ」
「そうでしたね……!」
もしかしたら、もう二度と会えないのかもしれないと覚悟していた。現実的に考えるのなら、再会の可能性は限りなく低かった。だが、それでもキッカは諦めなかった。そのおかげで、水龍の加護が二人を引き合わせてくれる。
「キランさん……」
「今は、そっとしておいてあげよう」
二人の様子を見守りながら、フリッツはチリアートを静止する。
「そうだね」
凛々しくも頼もしいあのキランが、感情を顕にしながら再会を喜んでいた。それを水を差すほど、彼らは空気が読めない訳では無い。
「どうやら、フェリエルのお友達のようですな。ならば尚更、我らは歓迎いたしますぞ」
「……ありがとうございます」
警戒心が、解き放たれる。
だが、それでも特に問題が起きることはない。
『アオスタ』の村は、ナイトメアに支配されてはいなかった。彼らは自分の意志でここにいて、生きることを望んでいる。
「……たいくつー」
賑わう喧騒を遠巻きで眺めながら、ミリヤムは愚痴をこぼしていた。
「とかげさん、どこにいるんだろ……」
問題があるのは、キッカたちのパーティなのかもしれない。
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