058 試練の迷宮その4


 ミリヤムの身体に異変が起きていたのは、寄生型ナイトメアが暗紅教会を襲撃した日のことである。そもそもナイトメアは、ある一つの目的を達成するために動いており、その過程のために人類を喰い殺していた。つまり、彼らは人を喰うことが目的なのではなく、人を喰うことで目的を達成しようとしているわけだ。


 ――


 真実の神ヴァルランから授けられた加護によって、人類はナイトメアの瘴気に対抗する術を手にしてしまった。そして、瘴気領域を解き放つものまで現れてしまった。その二つの要因が、ナイトメアが牙を剥く主だった理由である。


 故に。


 ナイトメアにとって、グリーンパールに秘蔵してある『寵愛の石像』が、酷く邪魔だった。彼らが暗紅教会を襲撃したのは、ひとえにその場所に石像が隠されていると予想した上でのことである。


 ――だが。


 現実として、ナイトメアの目論見は崩れ去ってしまう。


 神父の身体に寄生し、教会を呑み込むところまでは良かったが――化物の存在が、襲撃したナイトメアの前に立ちふさがる。


「……神父様?」


 見た目はただの、女の子。


 ふわふわ、もちもち、おとぎの国に出てきそうな、優しい雰囲気を持つ少女は。


「え……?」


 他の人間のように、呆気なく寄生型ナイトメアの攻撃を受けてしまった。肩口から根を張って、あらゆる機能の主導権を奪われる。寄生型にとって、宿主の生き死にはさしたる問題ではない。身体さえあれば、男だろうが女だろうが、人間だろうが魔物だろうが植物だろうが、何でもかまわないのだ。


 ミリヤムの肩に寄生したナイトメアこそが、此度の襲撃の主犯格。寄生型ナイトメアの親玉であるのだが――


「何、これ?」


 ――


「うわぁ、きのこさんだぁ……!!」


 むしろ、逆。

 肉体の主導権を奪おうと根を張り巡らせれば張り巡らせるほどに、寄生型ナイトメアの方が力を奪われていく。


 『


 それは、不意に訪れたこの世界の歪みにして、あってはならない存在。か弱い人間の見た目をしていながら、その中身は全く別の基準で生成されている化物だ。彼女の存在そのものに、意志はない。だが、ふとしたときに能力が覚醒し、花開く。


「ア――ガ、ガガガガガガガ」


 寄生型ナイトメアは、本能で察した。、と。すぐに根を切り離して、脱出を図ろうとするが――彼女の意志が、寄生型を逃すことはない。


「きのこさん」


 ミリヤムの身体から発生する魔素が、寄生型の根を逆に縛り付ける。逃げられない、と理解する間もなく――一瞬にして、ナイトメアの親玉はミリヤムの身体に取り込まれてしまう。


 寄生するどころか、逆に捕食されてしまったナイトメアは、理不尽にもその生涯を終える。暗紅教会に親玉の死骸が残されていなかったのは、一片も残すことなくミリヤムよって捕食されていたからである。


「しんぷさま……」


 成し遂げた現象とは裏腹に、ミリヤムは一連の出来事を少しも自覚していない。巨人の肉体に虫がすり寄ったところで意にも介さないのと同じように、ミリヤムの身体に寄生したナイトメアなど、その程度の取るに足らない存在だった。


「そんな」


 だから彼女は、単純に目の前の悲劇に心を痛めていた。優しくしてくれた神父や、自分の居場所である教会。丹精込めて育てていた草花が、一つ残らず朽ち果てて。


「キランちゃん……」


 滅びゆく光景に、彼女は胸をときめかせていた。


 原型を留めていない、寄生された遺体。そこから芽吹く新たなる命の始まりが、どうしても彼女の心を捉えて離さない。


 再生とは、神の偉業である。


 朽ち果てた屍に根ざして生きる存在が、とても神々しく、あるいは愛おしく感じてしまう。


「きのこ」


 失ってしまったことは、悲しいけれど。

 死んでしまったことは、悲しいけれど。


 この世は誰かが死んで、誰かが生きる輪廻のピラミッド。ぐるぐるとぐるぐると、行っては帰っての繰り返し。命の食物連鎖のあり方を見たミリヤムは、生まれて初めて恋を知った乙女のように、頬を赤らめていた。


っ」


 死とは、悲しむものではない。


 新たなる命の架け橋となるのなら、とても愛おしいものであると。


「――


 ナイトメアを喰らった少女は、やがて恍惚な笑みを浮かべる。


「もっと、みたいな」


 死を喰らって、生が芽吹くその様を。


 命を繋ぐということは、どこまでも美しい。



 ◆



 アラクネのねぐらに辿り着いたキッカたちを迎えたのは、常軌を逸した光景だった。


 上半身が女性、下半身が蜘蛛の姿をしていた化物は、壁面に杭を打ち付けながら、全ての足を引きちぎられ、絶命していた。親玉の死を弔うかのように、同じような殺され方で大量の大蜘蛛がアラクネの遺体の下に供えられている。魔物の体液や死骸が散乱したねぐらは、息が出来なくなるほどの異臭に包まれていた。


「……ミリヤム?」


 その中央、返り血を浴びていた少女が、磔にされたアラクネの死体をうっとりと眺めている。右手には、大きな杭。アラクネを殺害したのは、少女で間違いない。いや、アラクネだけではない。この殺され方は、神父が磔にされていたのと同じ方法である。


「もうちょっと待っててね、キランちゃん」


 不可視の糸で拉致られた少女は――独力で、魔物を虐殺した。衝撃的な光景に、呆然とするキッカたち。


「蜘蛛さんの死骸をね、虫さんが食べようとしているの。ほらほら、早いもの勝ちだよ。とっても素敵なご飯だからね」


 飼い犬に餌をあげるような気軽さで、強力な魔物の死体を蹂躙した。その上で彼女は、死体を恍惚な表情で見つめていた。


「……怪我は、ないんだな」


「うん。急に連れて行かれちゃったから、びっくりしちゃった。だから、つい……」


 つい、殺してしまった、と。


 何事もなく、ミリヤムは説明する。


「……これは、驚いたな。慌てて駆けつけてみれば……まさか、彼女がアラクネを返り討ちにしているだなんて」


 さすがのフリッツも、引き笑いを浮かべている。


「その……寄生型ナイトメアに、操られているわけじゃないんだよね?」


「……? わたしは、わたしだよ? フリッツくん、変なの」


「い、いや……ミリヤムが、アラクネを倒せるなんて、思っていなかったからさ……」


「やだな、わたしだってシスターなんだよ? 蜘蛛さんを駆除することくらい、かんたんだよー」


「……そっか」


 それ以上の言葉は、呑み込むことにしたようだ。


「別にいいわよ、何だって。ミリヤムが無事でいてくれたのなら……」


 一方、チリアートは純粋に彼女の無事に胸を撫で下ろしていた。


「心配かけてごめんね」


「ううん、あたしが油断していたのが悪いの。気が付かなくて、ごめんなさい……」


 再会を喜ぶ少女が二人。

 アラクネの死骸さえ散らばっていなければ、絵になったのだろうが。


「……本当に、大丈夫なんだな」


「うん、怪我ないよー」


「そうじゃなくて」


 キッカはミリヤムを見つける。


「体の変化についてだ。コントロール、出来ているんだな?」


「うん! へーきだよーん」


「…………」


 寄生型ナイトメアに侵されたことで、ミリヤムの身体は明らかに様変わりしている。自意識さえしっかり残っているのなら、ひとまずは問題ないだろうが……寄生型を取り込んだことで、どんな悪影響が及ぼされるかわかったものではない。


「……ま、大丈夫か」


 不穏ではあるものの、やはりナイトメアの気配は感じられない。寄生ナイトメアは、彼女を喰らい尽くそうとして、返り討ちにされたのだろう。原因は不明ではあるものの、今は悩んでも仕方がない。


「いざとなれば、オレが何とかする。だから、今は納得してくれ」


 なおもフリッツはミリヤムを警戒していたが、キッカの言葉にため息を一つ吐き出した。


「……わかったよ。僕だって、彼女の無事を信じていたいし……何より、あの子は不思議な子だったからね。驚きはあるけど……普通じゃないとは思っていたし」


 それからフリッツは、ねぐらの奥に視線を向けた。


「あれが、寵愛の石像だね。クモの巣ばかりで分かりづらいけど、ようやくたどり着いたらしい」


 体液や死骸、クモの巣だらけの部屋は、正直言って達成感のかけらも与えてくれない。ねぐらの主は一人の少女に討伐されていたし、肩透かしも良いところだ。


「き、汚いわね……本当に、これなの……?」


 ひくひくと頬を引きつらせて、チリアートは言う。


「間違いないよ。聖女様の加護を感じる」


 それからフリッツは、ためらうことなく石像に近付いた。


「……おぉ」


 彼が石像に触れたその瞬間、眩い光がフリッツを包み込んだ。石像を汚していた体液や蜘蛛の糸は、一瞬にして消滅する。それに呼応するように、チリアートやキッカに光の波が押し寄せてくる。心地よいぬくもりに包み込まれながら、自身の魔素が強化されるのを感じていた。


「終わり?」


「……多分?」


「締まらねえなあ」


 こんなもので瘴気を突破できるのか、疑問だった。だが、まんざら無意味ではないとも、心の何処かで理解していた。キッカに加護を与えたのは、嘶きの森の大精霊、シーロン。石像によって強化されたことにより、彼女との繋がりが一層強固に感じられる。


「……ありゃ? わたしには何もなし?」


「ミリヤムちゃんは、選ばれし御子じゃないからなぁ」


「チリちゃんだって選ばれてないよ!?」


「……選ばれし御子じゃなくても、加護を持っているケースがあるのよ。あたしの場合は、ちょっと特殊だけどね」


「そうなの? ずるーい!」


 ぷくっと頬をふくらませるミリヤム。だが、返り血を浴びたままでは、可愛さも台無しである。呆れつつも、無言でミリヤムの顔を拭いてあげるチリアート。


「……目的も達成したことだし、帰還しようか」


「ああ、そうだな」


 危機的状況に陥りながらも、何とか犠牲を出さずにクリアできたことを、今は素直に喜んでいた。

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